フルバンドで演奏されるインストゥルメンタル。グレンミラーの演奏が流れると、一気に店内が盛り上がる。
女給たちに促されて、客がダンスに興じ始めた。
五三会の面々もそれぞれのパートナー相手に、ダンスに興じだした。
杉田もまた、薫のリードよろしく踊っている。
軽快なスィングジャズに乗って、みなが幸せいっぱいの表情を見せた。
そんな中、ひとり正三だけは、良心の呵責にさいまれている。
「なんてことをしてしまったんだ、ぼくは。
こんな所に、ひとり小夜子さんを放り出していたのか。
国家プロジェクト遂行のためとはいえ、か弱い婦女子を」
「どうしたの? お坊ちゃん。」と、正三を持て余し気味の女給だ。
“あーあ、今日は厄日だわ。
約束してた馴染み客は来ないし、上客だと思った男は軟弱者だし。
こんなの、どうしたらいいって言うのよ。薫さん、なんとかしてよね”
ちらりちらりと正三に視線を送る薫、女給としての器量不足が恨めしい。
“千景さんったら、なにやってんの! ふさぎ込んでる男なんて、簡単でしょうに。
ああもう、じれったい!”
「千景さん、あちらのテーブルに回ってください」と、マネージャーが肩を叩く。
そして「お客さま、中原ひとみさんです」と、目をくるくる回す女給を連れてきた。
「なんだって? 中原、ひとみだって? 僕はね、嵯峨美智子さんが好きなんですがね。
こんなやせっぽちは嫌いだね」と、不機嫌に口を尖らせる。
「いけ好かんたこ!」と、突然に正三の頬をつねってきた。
「痛いじゃないか!」と、正三が真顔で怒った。
しかし素知らぬ顔で、正三の顔をひょっとこ顔にしてしまう女給、中原ひとみ。
「ここで、そんな難しい顔はあかんて! 楽しまな、損ですよ。ね、しょう坊」と、正三の口に吸い付いた。
“ちゅっ、ちゅっ、”と、二度三度と繰り返す。
「な、何をするんだ! そんな、ことはして、ほし……」
言葉とは裏腹に、ざらついた気持ちが和み始めた。
「ねえ、しょう坊。なんでそんなに怒ってはるの?お
仕事がうまく行かなかったん? 大丈夫よ、次は良いお仕事ができますって」
「しょ、正坊とは! 馬鹿にしているのか、ぼくを。
初対面の君に、なんでそんな風に言われなきゃならんのだ。
女給風情に馬鹿にされるとは、実に気分が悪い」
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