昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

[舟のない港](十二)

2016-03-14 09:07:02 | 小説
「もう、私たちダメね。別れましょう」
 冷然とした態度で告げると、女性はそのまま席を立った。
 女性からのプレゼントである、ダイヤカットのライターがやけに重く感じられた。
そしてその銀色がやけに冷たく感じる。
手のふるえを悟られないように、タバコに火を点けながら、「そうか」と、短く答えるだけだった。
一人取り残されたテーブルには、
手がつけられていない冷めたスープがあった。

「いかが致しましょうか?」
 遠くから二人の成り行きを見つめていたウェイターが問う。
「すまない、片付けてくれ。それと、ここにもうすこし居てもいいかな」と、力なく答えた。
ウェイターは笑みを絶やさず、「どうぞお気兼ねなく」とうなずいた。
男はたばこをくゆらせながら、ぼんやりと窓の外を見た。
いつの間にか雨になっていた。
「涙雨か…」
 ポツリと呟いた言葉に、スープ皿を片付けていたウェーターが「はっ、何か?」
聞き返した。
「いや、何でもない」と、慌てて答えた。

 恋人と言うべき女性との別れ、予感はあった。
社内恋愛禁止の会社において、他の者に知られることなく一年が過ぎていた。
社内での儀礼的な態度の反動で、週に一回の逢瀬は二人を燃えさせる。
二人別々に時間をずらし、しかも入り口を変えてのホテル行きを続けた。
勿論、毎回違ったホテルにした。
ルームサービスの食事もそこそこに、二人はお互いを貪り合った。

 そんな女性が、「残業が入ったの」と約束を違えることが多くなった。
逢瀬時にもかつてのような情熱はなかった。
半ば義務的な反応だった。
「疲れてるの」と、言い訳ばかりだった。
そして今夜のことだ。
この町のレストランでの逢瀬など、唯の一度もなかったことから、ひょっとしてと感じつつの、今夜だった。


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