「なあに、それって。ほんとはあげるつもりなんかなかったんじゃないの」
小夜子の笑顔を眩しそうに見ながら、
「へへ。実はですね、加藤専務にお聞きしたのですが。一人だけ、いただけた人がいるとか。
でも、女給さんじゃないんです。違いますよ、違います。女子社員でもないです。
会社だと、さすがに壱萬円は出ませんけれども、報奨制度というのがあるんですが。
製品の売り上げが上がったとか、配達先で喜ばれたとか、事務関係だと経費節約につながったとか。
いろいろなんです。ただ社長が決めるんで、えこひいきだなんて文句もときどき出ますけど。
まあ、女の子が多いもんですから、分からないわけでもないんですが」
一気にしゃべるったところで、お茶でのどをうるおすと、「勝利は?」と勝子が口をはさんだ。
「ぼく? ないよ、そんなの一度もないよ。そうだ! 吉田がもらいました。
朝はやく品物を届けに行ったんですが、お客さんの指示があったのに、その人が寝坊しちゃって。
それで、会社の前で待っている間に、道路の掃き掃除をしたらしいんです。
それを町内会長さんが見られて、お礼を言われたらしいんです、お得意さんが。
それが社長の耳に入って、です」と、答えた。
「会社はいいわ。壱万円って、すごいじゃないの。
だれ、だれなの? 女性なんでしょ、当然。ちょっと待って、あたしが当ててみせるから。
うーん。えーっとね、うん。この人よ、この人しかいないわ。一人だけなんでしょ?
えっ? と思って、なるほど! なのよね。ふふ、分かった。分かったわよ」
確信ありげにうんうんとうなづきながら、勝子がちゃぶ台を囲むひとりひとりをゆっくりと指さしていく。
「この人、ぜったいに!」。その指差した先に、小夜子がいた。
顔中に満面の笑みを浮かべながら、まるで自分のことを吹聴するがごとくに
「姉さん、すごい! 当たりだよ、ご名答! みんながね、えっ! という顔をして、あとでなるほどって思ったんだって。
今のご時世で、女性がね、将来の自分を思い描いたというのが、社長が気に入られた理由なんだって。
そのときに、小夜子奥さまを伴侶にと思われたらしいんです」と、小夜子を褒めたたえる竹田だった。
顔の前で激しく手をふりながら、「ええっ! あたし? 壱万円なんて、もらったことはないわよ。
あっ、ちょっと待って。そういえば、壱萬円云々って、女給さんたちにいってたわね。
でも誰ももらえなくて。そうだ、そのあとで、「小夜子は?」って聞かれて……。
あたしは、英会話の学校に通ってる話をしたの。
そしたら何か欲しいものがあるか? って聞かれたわね」と否定した。
「勝利。あんた、良い社長の下で働いてるわ。ほんと、うらやましいわ。
やっぱり、あたしも、富士商会に入りたい。
でも無理ね、こんな体じゃ」と打ちひしがれる勝子だったが、
「なに言ってるんだい、勝子。しっかりと体を治して、体力を付けて、そしてお世話になればいいじゃないか。
でも、恐そうな社長さんだね」と、声をかける母親を見て、小夜子の目頭が熱くなった。