洛外蓮台野において。
静まりかえっている境内は、煌々と輝くかがり火で昼日中のように明るく照らされていた。
そこに、本堂を背にして清十郎が陣取っていた。
当事者以外には秘密にしていたにも関わらず、また冷え込む夜間にも関わらず、そしてまた洛外だというのに十数人の見物人がいた。
門人たちが口々に「見世物ではないぞ」「帰れ帰れ」と叫んでいる。
「騒がしゅうて申し訳ございませぬ。
どうやら、ムサシが漏らしたようで。
門人に取り囲まれるとでも思ったのでございましょう。
まさに下衆の勘ぐりというもので」
*下衆の勘ぐり=げすのかんぐり
「いやいや、そうではあるまい。
多数の門人だ。中には口の軽い門人もおるであろう。
しかし事を穏便に済ませようと思ったが、これではそうもいくまいて。
ムサシには悪いことをしたかもしれぬな」
鷹揚な気質の清十郎を知る師範代の梶田に不吉な思いが過ぎった。
*鷹揚な=おうような 過ぎった=よぎった
「左様でごさいますな。
なれど案外にも、ムサシが門人を打ちのめしたからと鼻高々に言いふらしたとも。
しかし清十郎さまと戦うことになろうとは…気の毒な者でございます」
「致し方あるまい。当方に失態があったのは事実のこと。
そのことについては謝らねば」
あくまで大人としての態度を見せつけようとする清十郎を見るに当たって、思わずもらした。
*大人としての=たいじんとしての
「相変わらずお優しいことで。
伝七郎さまのお耳に入ろうものなら、烈火の如くにお怒りでございましょう。
いっそ…」
危うく、「お任せになられては」と言いかけて飲み込んだ。
「あ奴は、あ奴だ。剣では、あ奴が上であろう。
さぞかし、二男がゆえに冷や飯を食わされたと思っているであろう。
あの性格さえのお…。
どこぞの藩の剣術指南役になれぬかと思っているのだが、あの所行では…。
一体なにを考えておるのか」
空に浮かぶ月を見ながら〝明日には下弦になるのか‥‥〟と、これから始まる死闘のことが頭から消えてしまった。
しびれを切らした門人たちが、口々に
「遅い、遅いのお」
「怖じ気づいたのであろう」
「刻限は伝えてあるよな」
「もしかして文字が読めぬのか」
と大きく笑いだした。
大地からの冷気が身体を冷やしていく。
足を踏みならす者や指に息を吹きかける者、互いの体をぶつけ合って暖をとる者もいた。
「少しは落ち着かぬか、見苦しいぞ」
「されど、こう冷えましては」
梶田の声かけにも、門人たちは従うことなく体を動かしつづけた。
「ムサシだ、ムサシが居るぞ!」
「せんせえい。ムサシが、後ろに」
本堂の欄干に足をかけたムサシがいた。
獣の皮で作った肩掛けで体を冷やさぬようにしている。
更に足首にも巻き付け、手には手ぬぐいが巻かれている。
「なんとも面妖な、まるで猟師ではないか。軟弱者が!」
一人の門人があざ笑った。
「これは笑止な。
肩や手を冷やすなど、武芸者たる者のなすべき事か。
なるほど分かったぞ。なればこその、なよなよ剣法か」
遠巻きにしている見物人にも聞こえよとばかりに、ムサシが声を張り上げた。
いきり立つ門人たちを制して、梶田が清十郎に耳打ちをした。
「これがムサシの手でございましょう。
どうぞ、お気になさらぬように。
怒りにお心を囚われては、剣に陰りが生まれまする」
「分かっている。案外にムサシなる者、兵法者のようだな」
静まりかえっている境内は、煌々と輝くかがり火で昼日中のように明るく照らされていた。
そこに、本堂を背にして清十郎が陣取っていた。
当事者以外には秘密にしていたにも関わらず、また冷え込む夜間にも関わらず、そしてまた洛外だというのに十数人の見物人がいた。
門人たちが口々に「見世物ではないぞ」「帰れ帰れ」と叫んでいる。
「騒がしゅうて申し訳ございませぬ。
どうやら、ムサシが漏らしたようで。
門人に取り囲まれるとでも思ったのでございましょう。
まさに下衆の勘ぐりというもので」
*下衆の勘ぐり=げすのかんぐり
「いやいや、そうではあるまい。
多数の門人だ。中には口の軽い門人もおるであろう。
しかし事を穏便に済ませようと思ったが、これではそうもいくまいて。
ムサシには悪いことをしたかもしれぬな」
鷹揚な気質の清十郎を知る師範代の梶田に不吉な思いが過ぎった。
*鷹揚な=おうような 過ぎった=よぎった
「左様でごさいますな。
なれど案外にも、ムサシが門人を打ちのめしたからと鼻高々に言いふらしたとも。
しかし清十郎さまと戦うことになろうとは…気の毒な者でございます」
「致し方あるまい。当方に失態があったのは事実のこと。
そのことについては謝らねば」
あくまで大人としての態度を見せつけようとする清十郎を見るに当たって、思わずもらした。
*大人としての=たいじんとしての
「相変わらずお優しいことで。
伝七郎さまのお耳に入ろうものなら、烈火の如くにお怒りでございましょう。
いっそ…」
危うく、「お任せになられては」と言いかけて飲み込んだ。
「あ奴は、あ奴だ。剣では、あ奴が上であろう。
さぞかし、二男がゆえに冷や飯を食わされたと思っているであろう。
あの性格さえのお…。
どこぞの藩の剣術指南役になれぬかと思っているのだが、あの所行では…。
一体なにを考えておるのか」
空に浮かぶ月を見ながら〝明日には下弦になるのか‥‥〟と、これから始まる死闘のことが頭から消えてしまった。
しびれを切らした門人たちが、口々に
「遅い、遅いのお」
「怖じ気づいたのであろう」
「刻限は伝えてあるよな」
「もしかして文字が読めぬのか」
と大きく笑いだした。
大地からの冷気が身体を冷やしていく。
足を踏みならす者や指に息を吹きかける者、互いの体をぶつけ合って暖をとる者もいた。
「少しは落ち着かぬか、見苦しいぞ」
「されど、こう冷えましては」
梶田の声かけにも、門人たちは従うことなく体を動かしつづけた。
「ムサシだ、ムサシが居るぞ!」
「せんせえい。ムサシが、後ろに」
本堂の欄干に足をかけたムサシがいた。
獣の皮で作った肩掛けで体を冷やさぬようにしている。
更に足首にも巻き付け、手には手ぬぐいが巻かれている。
「なんとも面妖な、まるで猟師ではないか。軟弱者が!」
一人の門人があざ笑った。
「これは笑止な。
肩や手を冷やすなど、武芸者たる者のなすべき事か。
なるほど分かったぞ。なればこその、なよなよ剣法か」
遠巻きにしている見物人にも聞こえよとばかりに、ムサシが声を張り上げた。
いきり立つ門人たちを制して、梶田が清十郎に耳打ちをした。
「これがムサシの手でございましょう。
どうぞ、お気になさらぬように。
怒りにお心を囚われては、剣に陰りが生まれまする」
「分かっている。案外にムサシなる者、兵法者のようだな」
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