(七)
へなへなと座り込む茂作。
「小夜子が……小夜子が……」
と、呪文のように呟き続ける。
「いや、大丈夫じゃ。
佐伯の本家に嫁げば、そんなもん返せる。」
「空手形は切るものじゃない、竹田さん。
正三とか言う若造のことかね。
さあてね、どういうことになっているのか。」
「そ、それじゃ。
ロシア娘がおる、ロシア娘が。」
勝ち誇ったように言う茂作に、薄ら笑いを浮かべる五平。
「やれやれ、アナスターシアのことかね?」
「そ、そうじゃ。
わしの娘になりたいと言うロシア娘が、そんなことぐらいなんとでもしてくれる。」
「ま、生きてればね。
何とかしてくれたかもしれないねえ。
しかしあの世に行っちまった今となってはねえ。
悪いことは言わない、御手洗の世話になりなさい。」
座り込んでいる茂作の肩に手を置き、優しく声をかけた。
「御手洗はね、とに角ベタ惚れなのよ。
小夜子お嬢さまにしても、御手洗との生活に満足されているんだから。」
五平の声が耳に入っているのか、いないのか。
茂作は頭をうな垂れたまま、身じろぎひとつしない。
「近いうちに、御手洗本人が挨拶に来ますので。」
と、封筒を茂作の前に置いた。
(八)
「タキよぉ。
わしゃ、どうしたらいい?
小夜子を取られちまう。
どこの馬の骨とも分からん奴に、取られちまうぞ。
わしの、わしの小夜子を、取られるよぉ……」
茂作の妻であり、小夜子の祖母にあたるタキに話し掛ける茂作。
小夜子が居なくなってから、とみに増えた茂作の合掌姿だ。
産後の肥立ちが悪かったタキは、澄江が二歳の折に帰らぬ人になってしまった。
タキを嫁に貰って分家した茂作は、一心に働いた。
一番鶏の鳴く頃には畑を耕し、
家路に着くのはてどっぷりと暮れてからのことだった。
そして夜は夜とて、土間にゴザを敷いてのわら草履作りに励んだ。
次男に生まれたが為に味わった苦汁。
次男に生まれたが為に味わった苦悩。
次男に生まれたが為に味わった悲哀。
相思相愛の初江を、次男に生まれたが為に諦めさせられた。
“見返してやる。
本家より金持ちになってやる。”
取り憑かれたように、働きつづける茂作。
タキもまた、茂作同様にいやそれ以上に働いた。
澄江を身篭った折も、周囲の懸念を他所に働きに働いた。
澄江を産み落として後、少しの産後の休養を取ることもなく畑に出た。
そしてそれらの無理がたたり、
茂作の畑からの帰りを待たずに、他界してしまった。
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