昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

長編恋愛小説 ~水たまりの中の青空・第二部~(五十)の七と八

2012-11-24 11:11:35 | 小説

(七)

へなへなと座り込む茂作。
「小夜子が……小夜子が……」
と、呪文のように呟き続ける。

「いや、大丈夫じゃ。
佐伯の本家に嫁げば、そんなもん返せる。」

「空手形は切るものじゃない、竹田さん。
正三とか言う若造のことかね。
さあてね、どういうことになっているのか。」

「そ、それじゃ。
ロシア娘がおる、ロシア娘が。」

勝ち誇ったように言う茂作に、薄ら笑いを浮かべる五平。
「やれやれ、アナスターシアのことかね?」

「そ、そうじゃ。
わしの娘になりたいと言うロシア娘が、そんなことぐらいなんとでもしてくれる。」

「ま、生きてればね。
何とかしてくれたかもしれないねえ。

しかしあの世に行っちまった今となってはねえ。
悪いことは言わない、御手洗の世話になりなさい。」

座り込んでいる茂作の肩に手を置き、優しく声をかけた。

「御手洗はね、とに角ベタ惚れなのよ。
小夜子お嬢さまにしても、御手洗との生活に満足されているんだから。」

五平の声が耳に入っているのか、いないのか。
茂作は頭をうな垂れたまま、身じろぎひとつしない。

「近いうちに、御手洗本人が挨拶に来ますので。」
と、封筒を茂作の前に置いた。





(八)


「タキよぉ。
わしゃ、どうしたらいい? 

小夜子を取られちまう。
どこの馬の骨とも分からん奴に、取られちまうぞ。

わしの、わしの小夜子を、取られるよぉ……」

茂作の妻であり、小夜子の祖母にあたるタキに話し掛ける茂作。
小夜子が居なくなってから、とみに増えた茂作の合掌姿だ。

産後の肥立ちが悪かったタキは、澄江が二歳の折に帰らぬ人になってしまった。

タキを嫁に貰って分家した茂作は、一心に働いた。

一番鶏の鳴く頃には畑を耕し、
家路に着くのはてどっぷりと暮れてからのことだった。

そして夜は夜とて、土間にゴザを敷いてのわら草履作りに励んだ。

次男に生まれたが為に味わった苦汁。
次男に生まれたが為に味わった苦悩。
次男に生まれたが為に味わった悲哀。

相思相愛の初江を、次男に生まれたが為に諦めさせられた。

“見返してやる。
本家より金持ちになってやる。”

取り憑かれたように、働きつづける茂作。
タキもまた、茂作同様にいやそれ以上に働いた。

澄江を身篭った折も、周囲の懸念を他所に働きに働いた。
澄江を産み落として後、少しの産後の休養を取ることもなく畑に出た。

そしてそれらの無理がたたり、
茂作の畑からの帰りを待たずに、他界してしまった。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿