昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第三部~ (四百十)

2024-02-13 08:00:02 | 物語り

「このことは他言無用でお願いしたい」。再度、念を押す。
これは相当なことだと身構える佐多に対して、時折ゼーゼーと息を切らしながら、それでも眼光するどく
「これからのことを加藤専務にまかせよう、と思うんです」と告げた。
 順当な人事だとは思える。富士商会の序列からいって、専務がその任にあたるのは、至極当然なことだった。
しかし、と佐多には思えた。加藤は社長としての器ではない。
やはり所詮は番頭だ、そう思えた。〝わたしなら……〟。かくれていた野心が芽を出してきた。
 株式会社という組織の体をとってはいるが、やはり富士商会は、御手洗武蔵という個人の店だった。
取引先のほとんどが、富士商会に対して好感をいだいているはずがない。
取引条件の厳しさは群を抜いている。しかしそれに甘んじるだけの魅力が、富士商会いや武蔵にはある。
どっしりとしていて、それでいて素早い。戦国時代になぞらえれば、まさしく「風林火山」だった。
佐多自身が口にした「富士商会は、博打企業だ」は、当をえている。
「たまたまうまくいっただけのこと」。世評ではそうなる。
しかしそれは、しっかりと世相・世情に裏打ちされたものであり、飛びかう情報のうずをしっかりと乗り切っての判断だった。
佐多をして唸らせる決断も、多々あった。

 むろん失敗がなかったわけではない。
武蔵の読みどおりに事がはこぶわけでもなく、不良在庫を抱えこんだ時期もあった。
「傾いている」、「倒産まぢかだ」と噂される店に、ことば巧みに売れ筋の商品とのバーター取引としてその不良在庫を押しこんだこともある。
代償として多少の金員をわたし、そのまま夜逃げさせてしまう。
また、朝鮮動乱の時期をみあやまり、多量の在庫をかかえてしまったこともある。
脅迫まがいに銀行から融資を引っぱり出して、なんとかその苦境からのりきったこともある。

「あの御手洗社長なら大丈夫だろう」。取引先の大半が、それほどまでに信頼する。
しかし五平では、それがない。信頼感がないわけではない。
武蔵以上に駆け引きもするし、容赦もない。
しかし武蔵にはないものを、五平は持っている。情、というものをもっている。
しかしそれが仇になるときもあると、みなが知っている。
取引先だけでなく、富士商会内の誰もが感じることだ。

「実はね、佐多さん。あんたを引き抜いて、とも考えはした。
あんたなら無事に富士商会を守ってくれる、いやさらに発展させてくれるだろう。
しかしそれでは、ぼくの大望が果たせない。
それと、五平、いや加藤専務がおもしろくない。
他の社員の中にも、そう思う者がでるはずだ。
しかも、将来の幹部社員が、だ」

“見抜いていたか、この男。
野心など持たぬと己を戒めてきたけれども、やはり一国一城の主となってみたいという思いを見られてしまったか”
「御手洗さん。わたしも本音でいきますよ。
この部屋に入って、あなたの状態をみて、そんな風に考えたことは事実です。
部下の報告がいかに当てにならぬか、落胆以外のなにものでもないですな」
 佐多のポロリとこぼしたひと言が、己以外は無能だと言わんばかりだった。



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