昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

[毎日が日曜日]

2022-04-18 08:00:26 | よもやま話
若い頃は寿命なんて考えたこともなかったんです。
いつまでも未来があると考えていた気がします。
結婚生活は諸々の制約を受けながらも、その空気感を愉しんだはずです。
遅めの子どもを授かり、家庭団らんという、正直のところ味わったことのないふんわり感は楽しかったし、そしてまた窮屈でもありました。
けれど、二十年間ほどで結婚生活にピリオドを打つことになっちゃって。
独りになって自由気ままな生活はありがたいなんて、強がりもしたんですけどね。

65歳になって突然に活動的になりました。
2014年10月、高校時代の友との三人旅が始まりでしたなあ。
回春旅行だなんて、盛り上がりましたよ(わたしだけでしたかね、そう思ったのは)。
そしてその年の12月に出雲大社に出かけて、それ以来あちこちの神社仏閣巡り・美術館巡りやらにのめりこんだということです。

三人旅の最後が鎌倉周辺でしたが、もっともっと色々の地を回りたかったです。
がそれも、今では叶わぬこと。
七十二歳になっ昨年に、一人が欠けてしまいました。
そしてコロナ禍に襲われた今、とたんに独り身であることを思い知らされました。

昨日までは寿命というものに恐怖感はなかったんです。
それが今日、日曜日の今朝目覚めたとき、「仕事を辞めて、毎日が日曜日になったら……」と、そんな思いが頭をかすめたとき、急に怖くなっちゃって。
時間の制約がまるでない一日になったら……。
いつ起きても構わない、なんなら一日をベッドの中で過ごしても構わない。
そんな、まるでメリハリのない一日を過ごすことになったら……。

「小説を思う存分書けるじゃないか」。
「録りだめをした映画・ドラマを観られるじゃないか」。
「時間を気にせず、スケジュールなんて考えずに、好きなことをしていられるだろうが」。
そんなことが次々と浮かぶんです。
でもおかしい、だけどおかしい、なにかが変なんです。
自由であること、少しの制約もないこと。
嬉しいはずなのに、自分のこころのタガが外れて、どこに行ってしまうのか分からない。
ふわふわの状態に。

そうか! だから人は人を求めるんだ。
分かっていたはずなのに、孤独というものがどんなに恐ろしいものか、しっかりと経験済みなのに。
すっかり忘れてしまっていたんです。
中学時代に味わった、あの牢獄生活を。
周囲に対して二重三重の壁を作り、一切を寄せ付けない。
いや、寄り添うふりをして相手をおもんばかり、忖度するふりをして結局は逃げ回っていた、そんな時を過ごしたのに。

光り輝いた高校時代は、ただただ友がそばに居てくれたからなのに。
己一人で輝いていたわけではないのに。
なんてこった! 今ごろになって気が付くとは。
[ボク、みつけたよ!]で、ルーツにたどり着いたことは喜ばしいことだけれど、こんな現実を、未来を見つけることになるとは……。

襲いかかる現実に、実のところはおののいている自分を知りました。
あと、三年? 五年? それとも十年? 亡くなった親父の時間に並ぶとしたら、あと十五年。

[毎日が日曜日]。日がな一日、ゆったりとした気持ちで暮らしていける。
何ものにも何ごとにも囚われることなく、己の気の向くままに過ごしていく、きっちりと過ぎていく時を無為にやり過ごす。
そう、無為にです。自然の流れに身を任せてしまえば、安心(あんじん)の世界に居られるのでしょうか。

[毎日が日曜日]、[毎日が日曜日]、[毎日が日曜日]。


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