昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

お墓のことを考えてみました。

2023-04-05 22:30:04 | よもやま話

(毎日が日曜日)  2022-04-18

お墓のことを考えてみました。
3月31日で退職をして、実質4月3日から無職状態です。
まさに「毎日が日曜日」ですわ。
2022年4月18日に、こんなことをお話しています。
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(毎日が日曜日)  2022-04-18

若い頃は寿命なんて考えたこともなかったんです。
いつまでも未来があると考えていた気がします。
(中略)
昨日までは寿命というものに恐怖感はなかったんです。
それが今日、日曜日の今朝目覚めたとき、「仕事を辞めて、毎日が日曜日になったら……」と、そんな思いが頭をかすめたとき、急に怖くなっちゃって。
(中略)
襲いかかる現実に、実のところはおののいている自分を知りました。
(後略)
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良かったら、1年前にタイムスリップしちゃってくださいな。

でね、タイトルのように、お墓について考えたんですよ。
今年の1月9日に、たったひとりの兄が亡くなったことも、その理由の一つかもしれませんがね。
「墓は、あの世の住まいです」って、お坊さんだったかに聞いた記憶があるんです。
最近は仏壇が家庭にあることが少なくなってきたこともあり、お墓で亡くなった家族に会うことが多くなったとも。
幸い、うちには仏壇が置いてあり、毎朝晩に話しかけていますがね。

墓のことですわ。
あの世では、どんな暮らしになるんでしょう?
お墓に入っている人との生活になるのでしょうか。
となれば、どこかの共同墓地にでも入れてもらおうと考えているわたしは、赤の他人との共同生活ということになるのかなあ。
三途の川を渡ったら、己がいちばん会いたい相手に迎えに来てもらえるという話ですが。
まさか、船頭なしで対岸にわたり、お迎えにだれも来ないなんてこと……は、ないですよね。
でも……。

この間兄の49日法要があって、甥っ子3人に会いました。
そのうちのひとりに聞かれたんですよね。
「お墓はどうされるつもりですか? この墓に入られます?」って。
思わず「共同墓地に入るつもりだから、大丈夫」と答えたんですがね。
だって、子どもたちとは音信不通で、連絡の取りようもないですから。

ということは、あの世に行って、たったひとりの家族なしということですか。
転生の時期を迎えるまで、ひとりぼっち……。
それも良しか。20年ほど一人暮らしをつづけてきたし、これからしばらくもひとりのことだし。
「孤独を愛される内山さん」なんていわれたけれども、ちがうんだよね。
「孤独に耐えられる」なんだよね。
もっともいままでという過去のことであって、これから先の未来のことじゃないんだけど。

今日は、24節気のひとつである「清明の日」です。
「すべてのものが清らかで生き生きしている」という意味だとか。
そんな日の夜に、こんなブログとは。わたしらしいですか?



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