春彼岸、年によっては墓参を怠ることも多し・・・・(;^_^A
恥ずかしながら5,6年前までの正直なところです。
夫婦其々の仕事の都合で、どちらかが代表で墓参りをするスタイルに変わってきています。
今年は彼岸の入りから天気に恵まれず、なんとか19日に済ませました。
我が家のお墓参りの後は、すぐそばの瑞応院。ここには義母の実家のお墓があります。
そして、次は時々愛妻家の常福寺。最後におととし亡くなった義従兄の柳玄寺。
どこも墓じまいやら永代供養のことが気になりつつ・・・。
こうして墓参りをしている時に見かけた家紋、今まで見たことがないと思い、調べると
五瓜に橘と云う紋のようです。色々な紋があるんですね~!笑
20日の中日は、菩提寺の大慈寺護持会総会。関係者は早めに行って準備です。
その後、しばし散策。2011年4月の火災で多くの物が焼失している中、
境内へ続く参道両脇の石碑は、そのままです。
火災から逃れたものの劣化を考慮して建替えられた山門
永平寺・総持寺の紋と遠野南部家の紋
火災の際、唯一?残った梵鐘
宝永7年(1710)遠野25代八戸利戡公寄進。小泉仁左衛門清尊作。市指定文化財。
定刻、総会に先立ち、御住職様の法話でスタート。
何年か前までは焼失したお寺の整備で一般会計の他、整備関連の事業や特別会計もあり、
大変でしたが、昨年あたりから、やっと平時に戻った感じです。
総会後は境内にある会館で懇親会、私は例によってノンアルコールで乾杯です。
この席で、高校の恩師でもあり、護持会の重鎮でもある先生に聴取。
以前、墓地にある先生の家のお墓を見た時に、小向姓と昆姓が混在しており、その理由を
訊ねた折り、親戚っぽい話をされていたと云う記憶がありました。
遠野士族名簿には、最後の遠野南部家臣の家が明治に誰に引き継がれたか掲載されており、
90石小向省吾を引き継いだのが昆章次郎になっています。
これらのことが頭にあって、先月、博物館で購入した2007年発行の遠野物語研究所発行の
本を読むと、それらの詳細が掲載されていました!
要するに元々は昆姓で、君命により小向姓となり、明治に昆姓に戻したということのようです。
八戸根城時代から遠野移封後も100石だった小向掃部之介がルーツとのことでした。
昨日の彼岸明けは、約2か月ぶりに花巻のいつもの温泉に時々愛妻と日帰り入浴。
腰を悪くしてコルセット生活となっていた時々愛妻、
一年で一番多忙な時期をどうにかクリアし、やっと先が見えたということで
お誘いを受けました。お疲れ様でした!笑
その帰り、閉店したイトーヨーカドー花巻店の様子見に。
1階ではミスド、サーティーンワン、カバン屋さん、女性服、2階でCanDo、ゲーセンが営業、
スーパーは壁で目隠しされ、中では工事が進められているようでした。
今夏には食品スーパー「ロピア」として営業するとのこと。
私が注目しているのは、男性の衣料品関係のテナントが入るのかどうか?
これでなかなか、おじさんや高齢者が必要としている衣料品の店って無いんです。(;^_^A
旧イトーヨーカ堂、宝くじ売場は健在なんですね。
それと紳士もの、同感です。
バーチでも若いしたづは駅前に集まり、昔若かったしたづは墓地に集まっていました(笑)
花巻のイトーヨーカ堂は花巻に宿をとった時に1回だけお邪魔したことがありましたが、そうですか閉店ですか(シュン
そう、ルーツ繋がりで、イトーヨーカ堂の始祖はワタクシの実家近く、今の足立区綾瀬、昔は伊藤谷という字で生まれたという伝説が(笑)
なので綾瀬駅前のイトーヨーカ堂は意地でも閉店させないという都市伝説があります(笑)
今でも伊藤谷橋という綾瀬川の橋の名前が残っています。
日帰り温泉の後にどこかでお昼を食べて、アルテマルカンやイトーヨーカドーを回って歩くことが多かったので、これからの行先探しに困っています。笑
宝くじ売場は、健在でした!
そうなんですね~!
イトーヨーカドーのルーツがどこか考えてみたこともありませんでした。
スーパーマーケット機能だけで見ると、あちらこちらに類似店舗が乱立している状況なので困ることはないのですが、やはり、おじさん達の衣料品探しは大変です。特に遠野では選択肢が少ないので。
遠野のバイパスにあったゲーム・ビデオのゲオが閉店しましたが、あそこは、元々紳士衣料の店でした。バイパス全通する前の閉店だったので、今なら大丈夫そうな気がするのですが・・・笑
唯是仁左衛門直系の8世で、明治維新後に渡道した札幌唯是家の当代でもあります。
Ⅰの過去記事で当家のことを詳しく調べておられ、以前から感心して拝見していました。
当家を代表して御礼申し上げます。
さて、本記事の「小向省吾」ですが、私の高祖母・クマの弟です。
高祖母・クマは小向家に生まれ、幕末、唯是直志に嫁いでいます。
遠野史でご承知と思いますが、小向家は八戸譜代の家柄で、代々、準家老職として歩兵奉行的な役職を務めていました。
クマや省吾の父・源右衛門は、御三家衆沢里家の次男で、小向家に養子に入っています。
小向家は代々、男子が誕生しなかったこともあり、永代家老格福田家か沢里家から養子を迎え、家を継いでいたようです。
明治維新後、本姓の「昆」に戻り、省吾→章次郎→政次郎→盛男と継いでいったはずです。
盛男さんは、戦後、遠野市教育委員(?)を務められた方だと思います。
クマの兄弟について記しますと、
長女・クマ - 唯是直志に嫁ぐ
長男・省吾 - 分家から章次郎を養子に迎える
次男・周平 - 萩野家へ養子に入る
次女・スヱ - 水越隆治に嫁ぐ
という系譜になっています。
仁左衛門家の唯是様からのコメント、恐れ入ります。
遠野在住の唯是さんから黒印状のコピーをお見せ頂いたことが発端で、ブログに掲載させて頂きましたが、お恥ずかしい限りです。
未だに唯是氏=小原氏がどこから遠野へ来た一族なのか判りかね、そこで中断しています。
また、今回の昆氏については、盛男さんの子息にあたる高校時代の私の恩師からお聞きした内容を掲載しました。
江戸時代の遠野南部家臣に限らず、同じ家臣同士での縁組が一般的だったようですが、明治時代から150年以上も経つと、その関係性もわからなくなってきています。
この度は省吾さんの他の方の動向も教えて頂きありがとうございました。
また何かございましたら、情報提供をお願いします。
> 昆氏... への返信
唯是家のルーツについては諸説あり、当家としても確定できていない部分が多いのですが、女系も含めると、聖徳太子、藤原秀郷→奥州藤原氏、和賀・小原氏、水戸徳川家、遠野南部家などが入り混じって構成されているようです。
個別に情報交換できれば幸いです。
https://www.yuize.org/form/input.php
お手数ですが、一度、このフォームからご連絡いただければ幸いです。
連絡の件、了解しました。
遠野市内には、あきらかに唯是一族と関りのある小原氏の中に、遠野南部(八戸)氏の移封により、八戸から来たと語る小原氏がおり、和賀小原氏が遠野に来た小原氏のルーツだとの私の考えとは一致せず、それ以上は探れなくなっています。
今後とも宜しくお願い致します。
>唯是氏ルーツ... への返信
ご連絡いただき、ありがとうございます。
迷惑メールのフォルダに入っており、確認が遅れました。
返信しましたので、笛吹様もご確認いただければ助かります。
よろしくお願い申し上げます。
ホームページを拝見し、
唯是家から水越家の動向もわかりました。
明治初期の遠野町図で唯是家と水越家の位置を見ると
新田家中の方々が多く住んでいた地域に両家が確認できるので、新田家に近い方々だったと推察しました。