昨日の朝は遅い時間まで雲海だったようですが、今朝は猿ケ石川周辺から高清水辺りが
モヤっていたので、それなりに雲海だったと思います。笑
遠野は秋も深まり、山の紅葉も終盤ですが、日曜日に様子見した処では、
あともう少し寒暖差があれば残りも紅くなりそうな感じでした。
こちらは空家の秋 (;^_^A
さて、東和町神楽大会も最後です。
8幕目 岳流石鳩岡神楽さん
五穀の舞
この舞は、遠野の平倉神楽さんも結構な割合で見せてくれます。
今回、私のツボにハマったのは左にいる狐さんの腕の動かし方、
いかにもコン!と云いながら腕を出しているかのような手ぶりでした。笑
クズシもばっち決めて、大きな演目は終わりです。
最後は岳流南川目神楽さんの権現舞
今回の東和神楽大会は大償流の土沢神楽さん、社風(みやぶり)として町井、舘迫の
社風神楽さん、岳流の石鳩岡神楽さんと浮田神楽さん、そして最後の南川目神楽さん。
三系統の神楽が出たわけですが、12月1日(日)午後14時~17時まで
宮守町のメインストリート中間辺りにある粡町地区集会所で
遠野市内の早池峰岳系の平倉神楽さん、塚沢神楽さん、外山神楽さんが
ちょっと早い権現様の歳取りと題して共演会を行うそうです。
御花をいっぱい包んで見に行っては如何でしょうか?笑
先週は羽目を外した従弟会の疲れをとりに、週末は、いつものようにこちら。
ここしか行かない、知らないと云うわけではないのですが、
ルート上にある温泉の駐車場を眺めながら、激混みの場所を敬遠しているだけです。
ここのところの血圧が気になるので、サウナの回数を減らすことにしました。(;^_^A
粡・・・屑米・・・どうしてこんな町名になったんだろうね。粡を集める場所だったのかな・・
粡町、新町、昔は粡町、荒町の漢字も充てられていたそうです。
なぜ粡の字が使われたのか正確なことはわかっていないようですが、粡のアラは籾(もみ)のことで、昔は町中で男衆が脱穀をしたことから粡町と云ったと柳田国男氏は「木綿以前の事」と云う文章の中で説明しているそうです。
これは宮守のことを云っているものではありませんが、似たようなことだったのかもしれません。
>あらまち...米沢や坂田・福島などやはり米が集積する町だったんですね。宮守の稲作は周辺の河川付近だったでしょうね。粡町は小高い場所にありますし街道筋だから地の利が良かったのかも。キーで粡町は出るけど単字では、出ませんね。疑問、年取り権現のお知らせは何故粡町集会場なのかな・・新町集会場だとばっかり思ってましが・・・一瞬何処だろう思いました。
ほんとですね、新町になってますね。
もしかして地元では、本当は粡町の字の方が正しいという気持ちがあるのかもしれませんね。
皆さんには、
国道283沿い花巻信用金庫宮守支店角を北(上)に行くと、その先右角が集会所です。
と云うと、またわかり難くなるでしょうか?笑