<シネプレックス小倉>
在阪の頃に比べたら観る映画の本数は半分以下、1/3以下という有様になってしまった。映画を観る大阪市民が、映画を観ない下関市民になったように思える。映画ばかりの頭でもかまわないと思っているけれど、芸術、文化と誘われれば出向くようになった。美術館や市民コンサートや市民劇場なる会員になり、この8ヶ月の間に6本の舞台を観た。文化レベルが低いと思っていたし、会う人会う人がそう言うので、てっきりと落ち込んでいたけれど、集まるところには集まっている。催し物も少なくない。人口が少ないから長丁場はできないが、1週間や10日くらいのイベントなら、まずまずは集まるようである。この分だと悪いとは言い切れない。なのに、なぜ、映画に人が集まらないのか・・・これを出会う人にとりあえずのように訊ねると、最も多いのが「いま、何をやっているかわからない」ということだった。次に「何時から上映するのか情報がない」「どんな映画なのか見えてこない」である。
私のようなモノは別として、映画に対して関心はあるけれど・・・という人が少なくないこともわかった。「いま、何をやっているかわからない」ということは、「いま、何をやっているかわからせればいい」と、単純に思う。これにはたくさんの協力が必要になるが、銭勘定だけで動いている大都会ではないので、方法はいくらでもある気がする。「何時から上映するのか情報がない」というのは私もハラハラしているところで、『下関スカラ座シアター・ゼロ』は、シネコンのように毎週時間が変わり、その上、スケジュールの出し方が遅い。時間は土曜日から変わるが、金曜日の夜になって、ホームページを変えたりするものだから、ギリギリだ。映画を観たら駐車場3時間無料だし、正確な時間を知りたいのは当然だろう。小倉のシネコンは、遅くとも木曜日の朝には、翌週のスケジュールが提示されている。「どんな映画なのか見えてこない」というのは私も同じで、映画というものは観なければ、どういう映画なのかさっぱりわからない。ただ、『下関スカラ座シアター・ゼロ』にかかる映画群は、良質であるということは言える。良質の映画をいつもかけている・・・これを広く多くの方に認知させたいと思う。大型のシネコンで流れる全国区とは違う、こだわりのミニシアターである。『小倉昭和館』にも大いに足を運ばせたい。
などと、近頃の私の記事は、その作品の良さよりも、映画そのものの良さを書き綴っていることが多いけれど、これは、大阪市内をうろうろしている間は、ほとんど思いつかなかった。地方都市でもなんでもいいのである。観てくれたらいいのだ。映画館で映画を楽しむ時間をみんなが再発見してくれたら、私のブログは終わるだろうから・・・。書きはじめた本質がようやく自分で見えてきた。しかし、こんなことを書きつつ、全国区のシネコンへ足を運ぶのはケシカランが、私だって全国区のミーハー気分になりたい。映画に対する気持ちは様々でも、7割はミーハー気分である。じゃないと、映画というものは理屈っぽくなる。また、シネコンといっても、地方都市のシネコンは、楽ではない。悪戦を強いられている。平日の人のまばらなロビーに佇んでいると、図体がでかくなりすぎて、あっという間に散ってしまうのではないかと心配になる。
このポスターを見た時、そうか!津川雅彦ことマキノ雅彦監督はこれを撮るか!とウキウキした。津川雅彦のおじさん、マキノ雅弘監督のリメイクである。私は、マキノ雅弘監督の伝説の映画、「次郎長三国志」を観ていない。昨年だったか、高槻松竹セントラルでシリーズ全作を上映すると聞いて、これが最後の劇場公開とばかり鼻息を荒くしていたのだが、平日の日替わりで上映した為、どうしても仕事を抜けるわけにはいかず、1作目、2作目、3作目と過ぎていく上映を、毎日毎日、指をくわえて見ていたのだった。あんなに窮屈なスケジュールでは誰に観てほしいのかわかりゃしないとも思った。
そんな重い思いがあったから、本作のポスターには胸が高鳴った(私は大抵、最初に映画の情報をポスターや予告篇で知る)。だが、期待しすぎていたからだろうか、私としては、急ぎ足過ぎて物足りなさを感じた。話がどんどん先へ先へと進むけれど、それほどテンポがいいとは言えない。速くて鈍い印象なのは、話が速いのに、場面場面がゆっくり、のんびりだからである。エピソードをごそっと抜いて、長門裕之と鬼吉のシーンのようなテンポにしてしまえばいいと思う。この印象は、最後の殴りこみシーンまで続いた。木村佳乃が家の裏の祠に願うシーンはけだるさまで覚えた。「寝ずの番」の次の作品ということもあって、あまりにも過度な期待をしていたかもしれない。 <60点>
今日は久しぶりに、3本のハシゴをしようと思っている。本作も娯楽映画で、次は「アイアンマン」、最後は「ウォンテッド」となっていて、すべて娯楽である。最近、娯楽映画をよく選んで観ている。ここのところ、映画に徹底した娯楽を求める精神が続いているのだろう。
映画はハシゴして観るものか・・・昔は2本立て、3本立てと当たり前の世界だった。だけど今は、1本の興行が多い中、映画の観かたが変わってきている。好きな方でも、とんでもない駄作に当たってしまった以外、本当は一日一作品が望ましいと思う。浸っている間がないのはいけない。ただ、私がハシゴをするのは、ハシゴと決めただけで、テンションが上がって楽しい一日になるからなのだ。こうなったら、もう誰にも理解できぬ話しで、作品を楽しんでるのか、映画を観る自分を楽しんでいるのかよくわからない。実際、自分でも頭をかしげることがなくはない。
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