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活動写真放浪家人生

活動写真を観ながら全国放浪の旅ちう

シャッター アイランド

2010年04月11日 23時00分00秒 | さ 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo  <小倉コロナシネマワールド>

 -筋は書いていませんが、これからご覧になる方は、お読みにならないようにお願いします-

 観る前・・・自分と気の合いそうな映画というのがある。解説も読まずに、予告も知らずに、ポスターかチラシの表を見ただけ。なにかピンとくるものがある。「これは気が合わないなあ」「これは合いそうだ」・・・10本のうち、8本があたっているのではないだろうか。観る前と観た後、思ったとおり自分と気が合う、思ったとおり自分と合わないと。

 私の大好きなB級ホラー、スプラッター映画の中でもそれはある。どれでも観てしまうところはあるが、お金はないけど知恵をつかっている感じがする、お金がないだけの映画の感じというのが、観る前にわかったりする。全部であれば便利だが、長く観ていても、10割まで勘はあたらない。8割打者だから、意味無く誉めてもらいたいけれど、たくさん観ているから、つまんないだろうと思っていたら心にずっと残る秀作だったり、楽しみにしていてガックリさせられる映画も半端なくある。ただ、これは自分に関してのみで、「どの映画が面白いか?」という質問に対しては、2割打者にも満たないだろう。この質問には、何十年間もびびっている。慣れない。

 今日は、「シャッター アイランド」と「第9地区」で、気の合いそうな2本組である。観たい映画であり、気の合いそうな映画を2本並べるのは、観る前から特別、贅沢な気分になる。観終えた後は、つまんなくてガックリするかもしれないが、それを想像するより、タイムテーブルを見ながらの計画がいつもより楽しい。

 謎解きだとか、よく注意して観ろだとか、ラストは観てない人に言うなとか、前置きがごちゃごちゃ煩い。だが、まったくそんなことを考えずに観た方が何倍も楽しめる映画だろうと思う。本作は、何も考えずに観てほしい。私などは、ファーストシーンで主人公が船酔いしているはずなのに「水に弱いんだ」と言った台詞がやけに気になって、夢のシーン、我が子を殺した女性のシーン、嵐に遭って避難するシーンで「・・・」と、体は止まり、映画はどんどん進んでいるのに、やたら考えてしまった。私なんぞは、びっくりするほど数学に弱いから、伏線いっぱい張ってますなんて言われると、鑑賞中にフリーズしてしまう。質のいいサスペンスで、フィルムに漂う空気も緊張感もたせて嬉しい演出、カメラ、編集だし、エンディングも大どんでんなんてせずに穏やかにハッとさせて好感持てるのに、必要以上に注意して鑑賞を促す前フリが邪魔だ。もう一度観たい気は起こるけれど、考えないで観た方がもっとその気になるだろう。『シックスセンス』くらいの前置きでいいと思う。

 私としては、可もなく不可もない映画をどんどん作っている印象を受けている監督だが、『タクシードライバー』以降、最も楽しめる娯楽作品を作ったのではないかと思う。怖いもの見たさというか・・・映画史を覗いても面白い作品が多い監獄モノと精神病院モノをミックスさせているわけで、少々つまんなくても観客の興味は途切れないようになっている。で、サスペンスなんだから、そりゃ面白いわけで、ヒットもするだろう。ただ・・・構えさせる前フリ、煽りを無視して、ラクに鑑賞してもらいたい。リピーターが多い映画だそうで、なるほど私も、映画館でなくてもいいけれど、もう一度、観てみたい。ラストを知ることで、違った作品になりそうだ。  <80点>

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シャーロック・ホームズ

2010年04月01日 23時00分00秒 | さ 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo  <小倉コロナシネマワールド>

 ン年ぶり。久しぶりに月はじめの一日に映画館にやってきた。毎月1日は誰でも1000円だが、ここ数年、レディスデイ、メンズデイ、メンバーデイなど1000円の日がごちゃごちゃとどこにでもあり、映画の日からはじまった毎月1日割引に目がいかなくなったようだ。それでも私なんぞは、1日になると、カレンダーを見ながら、毎月「今日は1000円だな。」と思うことになっている。

 春休みの4月1日、小倉コロナシネマワールドは閑散としている。スタッフはテケツが一人、フードコーナーが一人、もぎりの姿は見えない。座席幅も広く、施設も新しく、小倉に3つあるシネコンの中で一番気持ちがいいのだけれど、マイカー相手のみという交通の不便さが原因しているのだろう。・・・邦画に偏りがちな私であるが、ここのところ邦画を観てない。とても観たいが、何でもいいわけでもなく、観たい作品がどこにもない。テレビを見なくてわかるものでも、テレビの続き物なんかは困る。テレビに成り下がらせようとする邦画が多い。どこにも観たい気が起きない。今日も洋画2本をハシゴしよう。

 人生無茶苦茶になりかかったロバート・ダウニー・Jrは完全復活したようだ。続き物の「アイアンマン」の主演に続いて、これも続きものの「シャーロック・ホームズ」で主演を張っている。どんな状態にあろうが俳優としての実力があるのだろうし、アメリカ人はどん底に落ちた人の復活に弱く、惜しみない拍手を送る。クセのある悪人をやらせたらこわそうな顔つきだが、映画はコメディ調が多い。チャップリンを演じた出世作をそのまま抱えて現在に至るようだ。どうも悪人顔に見えてしまうが、その顔でとぼけたことを飄々と演ると、笑いが何倍にもなる。本作で、ロバート・ダウニー・Jrは、ゴールデングローブのミュージカル・コメディ部門で主演男優賞を獲得している。

 これまでのホームズものとはまったく違い、コメディアクションに仕上げられている。まったく新しいホームズである。原作、これまでの映画、一緒に謎解きなんて考えて観ると、違うよと憤慨するかもしれないし、物足りなさを感じるだろう。謎解き、推理なんてものを私たちはやらせてもらえない。シャーロック・ホームズの脳内の記憶がスピード感あるフラッシュカットで映し出され、バラバラに思える点と点を一瞬で結ぶ。考える間を与えず、追いつくのに懸命だ。これも面白い演出、編集である。

 最近の映画はHDで撮影され、デジタル編集され、最後にアナログであるフィルムに焼付けられる。変な構造だが、そのうちすべてがデジタル化されて味のないものになるだろう。本作は嬉しいことに、昔のフィルムの質感を再現している。グレーとブルーを基調とし、ほぼ前編にわたる曇天と夜のシーンを際立たせている。これによって、古い時代を思わせる怪しげな画面を作り出した。そういう真面目な画を作っているので、ロバート・ダウニー・Jrのとぼけて飄々とした風貌が尚更面白く引き立つのだろうか。だが、この色、微妙な質感にこだわったのが禍して、遠景のCGが作り物だとすぐにわかる。勝手に浸水させてしまう船のシーン、ラストのサーカスアクションのバック画は、ハリウッドとしては稚拙にみえた。CGよりも全体の質感からはじめたからだろう。CGを駆使してみせようというシーンもあるから大変だけど、CGを柱に他を合わせる作り方なんかよりずっといい。シーンをみると、カメラ台数も多いようだが、カメラがデジタルになって色があわせやすくなっているから今日ではそんなに大変な仕事ではないはずだ。

 街の風景、歩く人、車、美術から小道具が見事だ。まあよくここまでと感心するほど細かい。何百人のスタッフがゴソゴソ動いたことかと思う。消えものも多いから、スクリプターも目を離すことなく、大変だったろう。そこは、カット割を考えて美術が担ったか?・・・こんなことを考えながら映画を観ることなんかないけれど。・・・さて、すでに続篇の公開が来年と決まっているようだ。新しいシャーロック・ホームズ。フラッシュカットでホームズの天才ぶりを楽しむコメディアクションのシリーズを楽しみに待つとしよう。

 4月1日春休み、1000円の日。平日とはいえ、新しくできたシネコンを潰す気か?昼間の回が、観客15人ではどうにもこうにもならないだろう。マイカー客も相手し、バスや電車の客も相手にしている小倉の老舗のシネコン「シネプレックス小倉」ばかりに流れているらしい。  <70点>

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サロゲート

2010年03月01日 23時00分00秒 | さ 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo_3  <小倉コロナシネマワールド>

 ジョナサン・モストウの「ターミネーター3」をケチョンケチョンに言う人は多い。私もそれほど評価はしてないけれど、天才ジェームス・キャメロン監督が創造した前2作の後に任されたのだから、私としてはいささか同情的である。おまけに、それほどキャリアのない監督である。高額なギャラを提示されても大物監督は避けるだろうし、失敗したら次回はないかもしれないというひどいプレッシャーの中で撮ったと察する。監督は口ではいろいろ言ってたけれど、賭けのような気で受けた観がある。

 「ブレーキ・ダウン」は秀作である。その成功があるし、莫大な製作費を投じて大作も任される監督になろうとしていたのに、「3」は、興行的には成功したとはいえ、自身の新作の準備に影を落としたようだ。でもまだ、「3」は、「ターミネーター4」よりはいいんじゃないの?「4」は、ターミネーターかしら?「3」は、しっかりと続編だし、おっかけっこアクロバットアクションとしては良い出来だと思う。B級程度の内容だけど、ド派手アクションA級で、私はドキドキした。それだけを楽しめばいい。私もそれほどの評価はしてないけれど、とりたてて低くは思ってない。ジェームス・キャメロンが手を引いた時点で、期待は薄いと思って観たからからかもしれないが・・・。

 あの悪評「ターミネーター3」以来の監督作品である。ブルース・フィルス主演、CGをフルに使い、80億円近い製作費を投じたSF大作らしい。興行成績は100億を超えたけれど、興行的には成功とは言いがたいだろう。これは、『アメリカンコミックのハチャメチャ妄想世界に観客が浸ることができない』難点があるのではないかと察する。奇しくも、発想が似た妄想世界をジェームス・キャメロンが創造した。「アバター」は、キャメロンの頭の中に構築した誰にも理解できぬ、とても入り込めぬと思われる妄想世界だが、天才監督はそれを万人に理解させ、またそこに観客を体ごと引き込む技術を持っていた。私などはとてもその人術を説明できないけれど、ジョナサン・モストウにはその術はないのだろう。私には「トランスフォーマー」の時と同じく、マンガを観ているように思える。マンガならアニメでやってもらった方が、観る前の構えができているからいい。

 将来、本当にありそうな話しらしいが、そうなのかなあ。ありえたら、犯罪だらけになりそうだ。特に殺人の野放し。どんなに文明が進んでも、私たちの側にあるという風には感じない。「アバター」なんて、将来、まったくありえないような話しだけど、『そこにある!』と身を乗り出して観てしまう監督の力量に比べると・・・比べちゃいかんが。・・・ジェームス・キャメロンのことを書かせるのは、本作のサロゲートと言われるお人形たちが、ターミネーターみたいな動きなのね。あの女ターミネーターのように、どこからでも飛び降りるし、飛び上がるし、ぶつかっても、引きずらても頑張る。その後の壊れ方もターミネーターみたい。片腕なくなって、その腕を「取れちゃった」程度で見る。おいおい、「ターミネーター3」の挽回かよと。

 ブルース・ウィルスをはじめとしたサロゲートのCGは、わざとわかりやすいCGに好感がもてるけれど、そこまで。物語はだらーんと進んでいって、ダメになっちゃうんじゃないの?と簡単に予想できる結末にもがっくりきた。また、お金をかけている割には、バタバタと倒れるサロゲートをみせる範囲の狭いこと。車どころか、飛行機が落ちてくるは、調理中のレストランでは火事は起こるは、ガス工事現場では爆発するは・・・無茶苦茶なるんじゃないの?街中の人(サロゲート)がピタッと止まって、ただの静寂では・・・。私としては、B級映画なら高い評価だったかもしれない。これをA級とするから憮然とするのだ。ジョナサン・モストウ、次があるかしら?でっかい映画じゃなく、もっと小品を作ってほしいなあ。  <35点>

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沈まぬ太陽

2009年10月28日 23時00分00秒 | さ 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo_3  <小倉コロナシネマワールド>

 -映画のことについて書いていません-

 私が初めて就職した年、8月12日のお盆休みに、日航123便は落ちた。もう四半世紀前のことだが、ある理由で、今でも鮮明に記憶にある。新幹線で帰省して、自宅につくと、テレビのどのチャンネルも、この事故のことを伝えいてた。そのときはまだ、「消息不明」「日本海に墜落か?」とアナウンサーは叫んでいた。御巣鷹山の名を知ったのは、翌日の朝だったろう。長野県とも群馬県とも言い、混乱していた。もともと、落ちたところには地名がなかったようで、しばらくして、御巣鷹の尾根と呼ばれた。地名のない山に向かう道はもちろんなく、困難な捜索の様子が毎日伝えられた。

 満員のジャンボ機が落ちたというだけでドキドキしたが、このドキドキ感はなんだろうと、日航だけではない、他の大きな事故や災害や事件も、起こる度に思う。対岸の火事はでかいほど面白いと言うが、結局はそういうものなんじゃないかと私は思っている。身内や知人が巻き込まれてなかったらほっとするし。遠ければ遠いほど実感は薄い。いかんねー、けしからんねー、かわいそうだねーと心の底から思えるなんて術を私は持ってない。心の底から思っている人は行くんだろうね。行けない人は大金を振り込むか・・・。お金がなければ号泣して眠れぬ朝を迎えるか・・・。でも、だいたいは、テレビ報道を見ている時だけですよ。厳粛な気で見ていても、その時だけです。マスコミは視聴者を興奮させるように煽り続けている。注目して、なにを攻撃すればいいか探っている気配もある。その成り行きをドキドキしながら、ある時は厳粛な面持ちで見ている。ドキドキも厳粛も、どこまでが本当かねー。私は、阪神大震災に遭ったけれど、日本中が野次馬に見えたものね。野次馬で結構だし、大災害、大事件なんてものは、ある程度片付くまではそういう見方でいいのじゃないかしらん?と私は思う。考えなきゃならんのは、その後。これを二度と起こすな、用心せよ。この世には人の想像の及ばない大災害、大事故がまだまだ起こるだろうから。

 この大災害で、私はシュンとして、その日は口もきけなかったことがあった。テレビに映し出された遺族と、実際に会った生の遺族の感情の違いの大きさ。昔は、ビデオカメラかかえて、葬式なんてのも撮ったりしてて、たまたま、直後の、ある家族の葬式を撮りにいった。正面に遺影が5枚あって、お父さん、お母さん、幼い子供が3人。ずらーっと端から端まで並んでいる。喪主はお祖父さん。帰省で帰ってくるときに日航の事故にあった。生き残ったのは迎えにいったお祖父さんとお祖母さんの二人だけ。これには胸が苦しんだ。二人ともうつむいて顔をあげられない。一番前の席に座ってうなだれてるだけ。とても心境なんて察することもできないけれど、生き地獄を年老いた二人は味わっているのだろうことはわかる。あの時、口もきけなくなると同時に、怒りがこみ上げてきた。相手は日航。どんな理由があろうが、弁解があろうが、こんなに人の心を苦しめる日航は許せねえ。理屈なんてない。とにかく許せない。悔しい。ニュース映像だけでは「こりゃひどいなあ。いけないなあ。」と言った次の言葉が「さ、風呂入ろうか。」だもの。テレビを見る者も残酷だ。テレビ局もその二人にインタビューするから、その度胸というか、恥ずかしさとか、まるでない。マイクを5本くらいだして、質問をまくしたてる。誰に向かって聞いているのかと思うと、吐き気がしてきた。

 今でも鮮明に覚えているのは、年老いた喪主の顔をじっとファインターから狙っていた自分を思い出すからだうと思う。この大事故は、話が出ると、昨日のことのように思い出す。

 待ちに待った映画だが、あの日から今日まで、年月が経ちすぎている。よくぞ公開されたとも思う。だけど、生まれた子は25歳。35歳の観客だって、おぼろげだろう。上映前に「本当にあった事故です」なんてテロップがいりそうだ。反対されようが、圧力がかかろうが、やるものはやる!すべて責任はオレにある!と、みんなが知っている間に、新鮮な間に、突貫工事でも作ってしまうハリウッドは、やっぱり民主主義の国。押し付けられた民主主義の国にはできないことだ。

 10分の途中休憩の間、外に出て、タバコを一服。2人の若い女性が「これって、本当の話よね?」「墜ちたことは墜ちた。」と話している。都会では満員御礼らしいけど、小倉では400席に10人しか座ってなかった。もっと観てほしい作品のひとつなんだけど。脚本は橋本忍、監督は山本薩夫じゃないが、脚本も頑張ってて、演出も丁寧で、じっくりみせてくれる。なかなかいいぞ。  <85点>

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さまよう刃

2009年10月27日 23時00分00秒 | さ 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo_2 <小倉コロナシネマワールド>

 わかりやすい娯楽映画に偏りがちな私だが、今日は社会派「さまよう刃」「沈まぬ太陽」の2本を観る。特に「沈まぬ太陽」は待ちに待った映画で、「作る!」と発表してからかなりの年月が経ってしまい、私などは待ちすぎて、観たいのかどうかも漠然としている。作る!と発表したのは連載中だったのではないかしらん?かなりの製作費がかかりそうなのに、スポンサーもつきにくいだろうし、日航の邪魔もあったらしいし、撮影場所も大変だったろうが・・・。と、その前に本作である。

 映像化不可能と言われた問題小説、待望の映画化!らしい。小説は読んでないけれど、なんて薄っぺらな脚本だろう。面白いのは最初の30分だけで、どんどん尻すぼみになる。最後の30分が面白ければすべて万歳!なのに・・・。主人公が犯人と思われる部屋に侵入し、「ビデオ」を再生するシーンは、観客も剃刀で胸を切られるように苦しいだろうけれど・・・まあ、そこまで。後は、主人公の無計画に感情の赴くままに行動する様と警察が翻弄されてジタバタするだけを観るようになっていた。警察より、ぼーっと腑抜けになっている主人公の方が情報が早いのも白ける。ラストは、大芝居が待っている。だいたいこの男、誰なん?なにしてんの警察?と、イライラしながら観るのみ。懸命に頭をひねって捕まえようとしているけど?難しい顔して、揃いも揃って凡人。観客の私としては、主人公の味方だけど、もひとつ主人公の感情が伝わってこないのも背景が描かれていなさ過ぎるせいか。

 グイグイ惹きこむベストセラーらしいけど、映画は筋を追っただけで、それぞれの人物に厚みをもたせてないように思う。厚みは、会話やシーンの長さではないんだけどなあ。ペンションの親子なんて、説明的な会話に頼って特に薄いもんだから、なんでそこまで?と首を傾げてしまった。誰でもわかる、なるほどそうか!というワンカットがあればいいんだけど。

 似ていて異、本作を観て思い出したので書くけど、「狼よさらば」なんてよくできてたねえ。現代のアメリカ、ニューヨークを痛烈に批判しながら、しかも娯楽映画としてみせてしまう。いけないことだろうけど、復讐は理屈じゃないんで、観客もチャールズ・ブロンソンに思いっきり情を傾ける。馬鹿なはずの警察も進んでいくと馬鹿ではなくて、最後は観客の味方ってところが粋だった。この手は作り尽きたのかもしれない。もう古い時代の映画。犯罪社会・・・悪い意味で、ようやく日本がアメリカに追いついたってことなのかしら。       <40点>

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サブウェイ123 激突

2009年09月30日 23時00分00秒 | さ 行 (2008.2009.2010.2011)

123_2  <シネプレックス小倉>

 ウォールター・マッソー、ロバート・ショー「サブウェイ・パニック」。1973年というからわずか35年前、もう35年前か。ハリウッドにはまだまだ、いい役者がいた。日本タイトルに「パニック」をつけて、ちょうどこの頃、パニック映画ブーム真っ只中に公開されたのだ。しかしまだ、前作の方が楽しそうなタイトル。直訳かどうかはわからないけど、「サブウェイ123 激突」なんて、スピルバーグジュニアがデビューしたのかしらん?と食指は動かない。動かないけれど、本作を3本のハシゴの最後にしたのは、監督がトニー・スコットだったからだった。それがどーやねん!としかめっ面になることもあるけれど、「クリムゾン・タイド」や「デジャブ」など、観客を楽しませてくれるコツを知っている監督なので、とんでもなくハズレとはならないだろう。クソミソに評する人もいるけれど、私は好きな方の監督だ。まだ、今は。

 日本の事情とは違ってハリウッドでは、自国他国作を問わずにリメイクした方が儲かることになっているらしい(ただし、本作の興行成績はよくなかった)。安全な道を歩く時期なのか。ネタがなくなったなんて思いたくない。なくなったなら、ハリウッドは10年ともたないだろう。今だけの現象。それに目立つだけだと・・・思う。にしても、あの小品をもってきたかと残念な気持ちもある。タイトルからして、物語からして、洋画2本立プログラムピクチャーの添え物の感じがする。でも、中身をちょっと覗くと、出ているのは旬を過ぎたとはいえ、デンゼル・ワシントンにジョン・トラボルタ。監督も一流だし、A級映画ではある。ウォルター・マッソー、ロバート・ショーにはかなわないけど。

 私などは右脳だけで生きている節があり、展開にワクワクしてしまったけれど、この物語は、金融界をちょっと知っている人からすれば、かなり無理があるのだという。何万人が人質にとられるとか、一瞬のうちに街が破壊されるなんて危機感がなければ、ジョン・シラボルタのシメシメは、現実的ではないらしい。大筋はオリジナルと同じだけど、新しい映画を観ているようであきなかった。あきなかったのはいいが、1本立で上映する時代だから仕方ないけれど、これは添え物程度の映画。「キラー・ヴァージンロード」「しんぼる」を観た後だからか、イタズラにテンションはあがったけれど、今日の3本のハシゴは断然、映画館のタイムテーブルと相談しながら計画を立てている方がずっと楽しめた。

 ただ、デンゼル・ワシントンの心理、葛藤が面白い。ど派手なアクションより、緊迫感があって、手に汗握る。この後、どーなるかはわからないけれど、爽やかなエンディングだ。どんでん返しで無実だったりする?観客の想像を遥かに凌駕した後日談を見てみたくなる。  <65点>

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しんぼる

2009年09月29日 23時00分00秒 | さ 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo_2  <小倉コロナシネマワールド>

 花月で前座をやっていた時の漫才は忘れられない。お笑い人としての松本人志は好きである。ダウンタウンとして浜田雅功と二人でやっている時はもっと好きだ。とても否定的な考え、拒絶する人もいるけれど、無名の前座当時から今まで、松本人志はお笑いの天才で、その頂を歩き続けていると思っている。

 前作、「大日本人」は、テレビの予算ではできない、テレビの枠から飛び出したいと挑戦した初監督作品で、私としては、松本人志の超ナンセンスな世界を味わうことができた。ひねくりまわすことはない。馬鹿馬鹿しい、アホやなあという映画だったろう。ただ、大ファンということもあって甘口だったかもしれない。好き嫌いがあるのを承知だったけれど、90点をつけている・・・が、本作にそのような点はとてもつけられない。

 「想像もつかないなにかが起こる・・・」というキャッチフレーズ。確かに想像もつかなかったけれど、キャッチフレーズほどのことは起こらない。大金かけてるなあ・・・くらいは思ったけど。だから、秘密主義にする必要性もなかろう。秘密は、ただ、収益をあげたいだけだろうか。思ったまま自由自在に撮るのは構わないけれど、これはテレビバラエティではなく、映画である。お笑い界ではもう、神のような扱われ方だろうし、テレビではなく映画です!と、松本人志にアドバイスをするトリマキはいないのかもしれない。テレビでも違和感があるだろうが、テレビ程度の内容だった。映画ならではだなと思えるカットはひとつもない。

 密室劇は好きで、そこからの脱出劇なんてそんなに駄作はないと思っていた。「なにが起こるのだろう?」「先を知りたい。」と観ているのは最初の30分だけ。時間経過転換前のギャグというかオチが、ことごとくすべっているような空気だ。オチなんていらないだろう、この手の松本人志ワールドには。メキシコのプロレスラーのエピソードと並行されて進むけれど、あれって、どーしてもいるかい?もったいぶって見せているわりにはいつまでもかみ合わないし、私のような頭の悪いものには、かみあうのはラストだけに思える。かみあったとき、私は「マルコビッチの穴」を思い出したが、本作はその足元にも立っていない。複雑に絡み合うのを期待していたけれど・・・。

 「くだらない」という誉め言葉もあるけれど、本作においては誉め言葉にはならない。松本人志ワールドは、くだらなかった。岸谷五朗といい、松本人志といい、俳優やタレントが撮ればある程度の稼ぎは見込めるだろうけど、こんな映画を量産していたのでは将来の映画界はトホホである。良品を作り続ける北野武監督にも迷惑である。とにかく、トホホであった。  <15点>

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守護天使

2009年06月27日 23時00分00秒 | さ 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo_3  <T・ジョイパークプレイス大分>

  この1年半、観のがすわけにはいかないと思いながら、いっぱい観のがしているけれど、「シムソンズ」「キサラギ」と、普段、映画を観ない方でも存分に楽しませてくれる佐藤祐市監督作品とあらば、素通りして、スクリーンで観られなかったと後悔するわけにはいかない。けれど・・・大分にやってきてなかったら、その気持ちだけで、今の私は、もしかしたら観なかったかもしれないとも思った。

 映画なんてもう過去のもので、話題作や賞を獲ったものだけ観ればいいのではないか。いや、賞を獲ったというニュースだけ知識として頭に入れて、わざわざ観なくてもいいのではないか。昔はたくさん観たなということでいいのではないか。映画は、小説や絵画や音楽よりもレベルの低い世界なので。

7 8  10時ぴったりにサラさんがやってきた。助手席に乗せてもらい、目的の場所へ向かう・・・前にちょっと寄り道する。わざわざ、私の為に仕事を休んでいただいているのだが、どうしても一仕事しなければならないとのこと。申し訳なく思う。サラさんをしばし待つ間、あたりをブラブラしていると、なかなか趣きのある建物が目に入った。昭和レトロブームでかき集めた看板をはりつけたものなのだろうが、全体としては、映画館を意識している。映画の手描き看板は新しく描かれたもの。「本当に映画館なのかしらん?今もやっているのかしらん?」と入口を見ると、喫茶レストランのようだった。入ってながめる時間はないけれど、表から中を覗くと、たくさんの懐かしい映画ポスターがベタベタとはられているのが見えた。映画っていいねえ、いやあ映画はいい。どんな映画でもいっぱい観たい。

 昨日と同じシネコンへ向かう。試写会が終わって、このポスターをながめながら、佐藤祐市監督だ、観よう観ようと決めていたのである。最近の邦画は、美男美女が主演しているだけの内容が空っぽなミーハー映画が流行るので、本作は上映回数3回と間引かれていた。昼前から映画を観るのは久しぶりである。とても楽しい。時代だからしょうがないけれど、今の日本映画の好調はテレビ局のおかげだ。好調と思わせて・・・映画の衰退は予想以上に加速し、映画という名の別のモノとなっていっている気がする。

 奇抜でありえない物語だけれど、主人公の気持ち、行動はよくわかる。お金も名声もなく、なにをやってもうまくいかない。真っ暗な中にひとつの光が見えたとき、それをつかみたいと思うのは自然なことだ。ただ、つかみたいけれど、つかんではならない光もある。真っ暗闇の中からそれを見守りたい、助けたい純粋な心。みみっちくも切ない、笑われてもバカにされても貫き通す初恋に似た中年の愛の物語だ。ありがた迷惑な存在だが、それもよい。彼はストーカーではないからだ。自分の存在を隠し続けて見守っている。主人公は愛するが、観客にとっては、主人公こそが愛されるべき存在なのだ。

 原作がしっかりしているのだろう。筋がとても面白い。だが、スクリーンからにおってくる脚本はそれほどでもない。映画というより、2時間ドラマスペシャル「金曜エンターテイメント」の脚本という感じ。それでも、さすが佐藤監督は、観客を喜ばせる術をよく知っている。演出上のタイミング、アングル、ヌキがうまい。

 主演のカンニング竹山(ちょっと若すぎるかも?)もイヤミのない純朴な中年男をうまく演じている。他のキャスティングもなかなか、いるところにいて、なかなかだ。数々の演技賞に輝いているけれど、寺島しのぶを私ははじめていいなと思った。そして、よくみつけてきた忽那汐里の清純な女子高生。穢れのなさを感じさせるこれだけの美少女をつれてきたならば、女性の観客も頷けるかもしれない。誰にするか、このキャストがもっとも大変だったろう。

 とは言え・・・「シムソンズ」「キサラギ」が頭にある私としては、本作はそれほどでもない。観客は期待しすぎているけれど、監督は期待に応え続けねばならない。新人監督だったら、迷わず90点だろうが・・・今作はちょっとからめに。  <70点>

 食事をしたり、喫茶店でコーヒーを飲んだりし、サラさんと映画の話をする。実際は映画より他の話の方が多いけれど、なにかの言葉をきっかけに映画へと戻る。映画は最高の芸術だと思っていると、すべてをさらけて話すのは楽しい。

 車で、トキワわさだ店フェスティバルタウンという巨大なショッピングモールへ。ここにもシネコンがある。シネフレックス東宝11(現TOHOシネマズ大分わさだ)である。名前にもあるよう、11のスクリーンをもつ巨大なシネコンだ。わさだは、「稙田」と書く。あちらこちらに「稙田」という看板が立っているが、サラさんの言う「ワサダには・・・」という地名と漢字が、ここにくるまで結びつかなかった。

 暗くなるまで、巨大モールでおおいに食べ、おおいに喋り、時間がせまったので、大分駅へ送っていただく。最終の一本前の特急ソニックで、これに乗らないと、小倉0時2分発の下関行き最終列車に間に合わず、小倉で足止めになる。また会おうと、改札前で握手し、手を振ってわかれる。

 自由席には、一車両に2人しか乗っていなかった。帰りは「白いソニック」だった。窓に顔を近づけて、車内の光をさえぎって見たけれど、美しく弧を描いてるはずの別府湾は暗くて、結局いつのまにか通り過ぎてしまっていた。

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スター・トレック (2009)

2009年06月03日 23時00分00秒 | さ 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo_2  <ワーナーマイカルシネマズ戸畑>

 主治医が九州に開業してしまったので、遠くなってしまった。予約して、久しぶりに会いに行く。贅沢な敷地に瀟洒な家が建ち、一階は診察室と処置室、二階は住居となっている。カウンセリングは三ヶ月ぶりである。それにしても、いつも、この医師は元気で笑顔だ。生きることが楽しそうな笑顔である。「もう、今の生活に慣れましたか?」と笑顔で聞いてくる。この医師と話すと、自然と饒舌になって喋りすぎる私だが、この質問には、口ごもって、慣れなきゃしょうがないですから・・・とこたえる。「慣れたのならいいんですけど。諦めたとしたら問題ですが。」と私の目を見て言う。なるほど、この医師は私の心をかなり読み取っている。表面上で騙そうとしても無理なタイプだ。

 言われて再確認したけれど、贅沢な話、私は自分の人生、どこか諦めているところがある。心の半分はそれじゃいかんと思いつつ、心の半分は諦めている。実は、この一年間、ひとときたりとも、楽しいと感じたことがない。大阪にいた時は、苦しくともつらくとも、楽しいと感じていた。それが、まったく消えてしまった。なぜ、こんなに人の顔色を窺いながら、文句や小言を言われまいとしながら、ビクビクしながら、緊張しながら、まだ生きようとしているのか、自分でも釈然としない。生きようとしているのは、生かされているのであって、この先、この世に、私に何がしかの役割があるからだろうが、雲をつかむような毎日を送っている。年齢のせいもあろう。

 なぜか私の性格は弱々しく、傷つきやすく、後を引いて、その上、敏感すぎていけない。、難しいけれど、もっと鈍感に生きてみたい。だったら、この医師とも縁はまったくなかっただろう。焦りが変な方向へ変えたのだろうか。・・・なかなかうまくはいかない現在、前途であっても、やりたいことをやっていたあの日々は、間違いなく輝いていた。

 今の自分の心理を微塵も思わない、人生は永遠だとも思い、起きただけでその日その日を楽しめていた頃・・・深夜テレビで「スタートレック」をやっていた。今のように、深夜でお笑い番組を放映するなんて考えられなかった頃のことである。深夜のほとんどの番組は、再放送のドラマだった。それも、アメリカのテレビドラマが多かった。夜なんて明けないと思えた青春の頃、友達と一緒に14インチのテレビ画面に釘付けになった。再々放送くらいだったろうけど・・・。どのドラマも面白かった。たくさんあったけれど、この「スタートレック」は映画化され、大ヒットしてシリーズになった。深夜ドラマからの流れで、パート1から4くらいまで、劇場で観たと思う。面白かったけど、SF映画ブームが去っていくと同時に尻すぼみのような興行成績になっていって、私の興味も失っていった。新シリーズになった辺り、途中、1本だけ観たけれど、それはほとんど覚えていない。

 J・J・エイブラムス監督は、話題作に脚本、製作と名を連ねるが、私にとっては駄作が多い。「ミッション・インポッシブル3」が楽しめたくらいである。「お買い物中毒な私!」の後、もう一本観て帰るとすると、戸畑からの最終列車に間に合うのは本作しかない。だから期待せずに着席する。だったら観なきゃいいけど、何でもいいから映画を観たいという体になってしまっている。体が映画色に染まってしまうと、もういけない。着席した時、観客は4人で、そのすべてが女性一人だった。時代は変わったなと思う。こういうタイプの映画は、男一人で来ているか、ペアでも男に無理やり引っ張られてきた女性という感じだった。

1  「ビギニング」もしくは「リニューアル」と呼べる新しい作品で、このシリーズを初めてご覧になる方もわかりやすい内容かもしれない。これまでのスタートレックとは違って、面倒な説明がいらない。また、前シリーズと新シリーズの両方を知っている方だともっと楽しめるだろう。つまり、スタートレック初心者にも、すべて知っている者にも楽しめるように作ってある。面倒くさい仕事をしている。それが、アメリカの好成績につながり、たくさんの高評価レビューを書かせるのだろう。

 ただし、前シリーズのスポックの人物像を頭に入れておくと、楽しさは倍増するだろうから、本シリーズ初心者の方は、是非、これまでの映画を観てほしい。こんなにCGを使えない、特撮という素晴らしい時代に作られた。CGで何でもできるようになってからは、私は、映像にそれほどの驚きを感じなくなった。観ていて、どうやって撮っているのだ?という頭がなくなった。どうやって撮っているのだ?という思いは、SF映画を楽しむひとつの醍醐味だったはずだ。それがなくなってしまったので、今のSF、アクション映画には物足りなさを感じる。どんな派手なことをやっても、どんなアングルで撮っても、CGだと思うし、それすら思わずに通り過ぎる。物語に純粋に入れるはずだけど、物語が特別に興味をひくものではないモノが多いから、厄介だ。特撮の頃は、物語がつまんなくても、映像が現場で、現像所で頑張ってくれていた。CGの映画時代、手作り感がなくなってしまった。

 嘆いてばかりはいられないので、素直になろうと観るけれど、日ごろの雑多なゴタゴタを忘れさせてくれるほどの娯楽映画を私は観たい。弱々しく、傷つきやすく、後を引いてしまう私は、映画に頼り、そんな娯楽映画を探しているのだが・・・。  <50点>

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ジェネラル・ルージュの凱旋

2009年03月25日 23時00分00秒 | さ 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo_2  <シネプレックス小倉>

 まあ、悪くはなかったが、2時間ドラマをちょっと大げさにした程度の「チームバチスタ」を私は評価しなかった。映画館とテレビとの真ん中辺り、セルビデオクラスのドラマだなあと思った。映画は映像として観て理解するものであって、延々と説明されるものではない。ラストに近づくにつれ、謎解きは、ほぼ阿部寛の口から出る台詞によって進められるので、なるほどとは思うが、推理の楽しみが一気に消されてしまう。だから、今回は見送るつもりでいた。

 しかし、「何でも観るから選んで観ている」うちに、「どれも観たいからどれも観たくない」ようになってしまった私は、この日、本作を選ばざるをえなくなってしまった。どれも観たくないなら観なければいいが、そんなこと言ってどうする!という気の方が強く、観ないと焦る。昔、観ていて、今は観ていないになりたくない。イヤイヤ!という子供の観がある。

 ただ、今日は3本の映画を観るとだけ決めて、昼過ぎに小倉に着き、上映スケジュールをうかがう。本作を無視しようとしたが、本作を真ん中にいれて、前後をの1本ずつを決めると、なんとも素晴らしい時間配分の3段梯子ができあがる。休憩の時間、夕食の時間も抜群によろしい。本作を無視すると、2段梯子しかできない。3本、観るつもりで、これはもう、観なさいと言われているようなスケジュールだから、運命に従い、チケットを買った。やはり、運命に従うものである。スルーなどしなくて良かった。前作とは比べ物にならないほどの良作に仕上がっていた。

 構成、脚本が抜群にいいのが、よくわかる。良い脚本であれば、誰が撮っても良作に仕上がるらしいが、その脚本をさらに良いものとなるよう、撮影、演出も腕を発揮する。短いカットも多いが、意外と長回しを多用している。ワンシーンワンカットもある。カメラはフィックスのまま、俳優の動きに工夫をしているので、長まわしとは気づかないかもしれないが、あるカットでは、阿部寛の車椅子のタイミングを交えて長まわしさせてあるので、現場の進行は大変だったろうと察する。それが、スピード感ある流れに溶け込ませている。私などはもう、これを観ただけで、良い映画だと知らされてしまう。だから、先が楽しみで仕方なかった。

 期待を膨らませながら観ていても、なかなか裏切らない。堺雅人が、いい奴なのか、悪い奴なのかだけを思っていても楽しめる。また、巨大病院内の知らない世界、負の部分をどんどんあからさまに教えてくれるのも本作の魅力だ。あっちを立たせれば、こっちが立たず・・・それが込み入ってきて、ドロドロしている。「白い巨塔」の現代版とは言い過ぎかもしれないが、巨大組織の裏のエピソードには、興味津々だった。

 ジェネラル・ルージュとは何か。わからぬままに進み、いろいろな憶測が飛び交い、なるほどとその度に頷くけれど、最後の最後に本当の意味が明かされる。しかし、ここだけ、演出が下手。みんなのいる前で、そのままをやってどないすんねん。舞台演出じゃあるまいし、みんなしっかりソレを見ている目の前で、その上、大芝居じゃないか・・・。

 しかし、総じて、本作は楽しめた。前作はセルビデオ程度だと思って劇場を後にしたが、本作は立派な良質の映画に仕上がっていた。伏線の張り方もうまいし、時間軸をいったりきたりするタイミングもうまい。娯楽映画だが、マジメな観客は、現代の医療制度のあり方を考える上でも見事な作りと言えるのではないだろうか。マジメに観れば・・・何年後、こんな大変な病院の時代があったのかという映画になってほしいものである。  <85点>

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シャッフル

2009年02月03日 23時00分00秒 | さ 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo  <シネプレックス小倉>

 すぐに殺されてしまうチョイ役だけど「失踪」ではじめてサンドラ・ブロックを見たとき、とても個性的な顔立ちの美人だなと思って、印象に残った。それまでも数々の作品に出ていたようだが、鳴かず飛ばずで、だがその翌年、ヤン・デ・ポンに抜擢されたことで、一躍、人気女優と化す。「スピード」である。「失踪」の時とは別人のようだったが・・・。

 ヤン・デ・ポン監督は、「スピード」を撮ったくらいで、後は作品に恵まれていなく、プロデューサーに請われて、雇わればかりが目立つ。それでも、「スピード」を世に出した功績は大きく、いつまでも大監督である。監督よりも花開いたのは、当時、無名に近かったサンドラ・ブロックだったろう。今でも個性的な顔と声で、目をひきつけるが、サンドラ・ブロックも、もう45歳になる。

 旬を過ぎたのだろうか、サンドラ・ブロック主演のサスペンスと聞くと、なんだかB級のにおいがするようになった。実際、本作には、B級のにおいがプンプン漂った。しかし、下手なA級を観るよりは、がむしゃらに熱い魂を込めたB級の方が私は好きだ。監督も新人か、あまり撮らせてもらえない人が多く、これで最後かも?どこかの大物プロデューサーの目にとまらぬか?という気迫がスクリーンに漂う。目をみはるような実験的な撮りかたをしているカットもあったりする。有名人が出ていない、お金をかけていないということだけではなく、B級映画から漂う空気の良さがわかっている映画ファンが多いのは良いことだ。ビッグ映画しか観ず、B級感がわからない人をたまにみると、もったいない、かわいそうだなと思う。

 B級ばかりをこよなく愛するファンの気持ちも私はよくわかる。あまり輸入されたなくなったから観る機会は減ったけど、輸入されるハリウッド映画の半分がB級だったら、私は丸一年、B級しか観ないかもしれない。ただ、この作品は、A級である。B級の空気が漂っていると言いたいだけで、関係ないことを長々と書いてしまった。前売りも1500円と、ちょっと高く設定してあった。

 一週間がバラバラにやってくる。主人公はなぜ、一週間とわかってしまうのか、観ている側が悩むけれど、発想が一週間だったので、ソレでよいのだろう。予告を観て、形は変われど、観てきたような内容だが、ソソるものがあり、観たいと思っていた。こういう物語は、頭からケツまで考えず、まず発想というパターンで、エンディングへもっていくのが一苦労というのが多い。観たいのは、過程もだが、どのような結末へもっていくかである。収拾がつかなくなって、あきらめたような脚本でなければよいが・・・気になる。

 流れはとても面白い。「わかっているのは自分だけ、誰も自分を理解してくれない、精神がやられていると思われる」・・・繰り返し繰り返しだが、こういうパターンというのは飽きない。イジイジ、イライラし、それでそれで?と、先が気になる。発想は大胆でも、緻密な計算が必要な脚本のはずが、平坦に進む。曜日が前後しても、複雑で壮大な世界を描いてないので、迷うことなく、後ろを振り返ることなく、先に進める。とても親切な脚本である。脚本は平坦でも、演出と撮影が腕をふるって、ゾクゾク感をどんどん高めてくれ、嬉しい。壁の向こうにあるものは?カーテンの向こうにあるものは?だいたいわかるが、それでもゾクッとさせるのは、演出力である。

 面白いけど、ただ、予告は見せすぎではないのか、あの爆発のカットを見せてしまうなんて、ひどい。どうなるか!と、観客が最も緊張すべきところであるのに、その結末は予告で知っている。予告を観て、観たい!とやってきたのに、10分間、そこに至ったらどうなるかを事前に知っているのではいけない。アレを予告のラストにせずとも、私は観たいと思ったから、サービスしすぎである。それを差し引いたとしても、まあ面白かった。大胆な発想から良いラストは生まれにくいが、納得できる良い終わり方である。ラスト30分は、謎解きに向かって走るが、ドタバタしている割には爽快さえある。・・・それにしてもなぜ、一週間がバラバラに?まあ、そんなかたこと、言いっこなしで。  <80点>

 20分休憩して、「誰も守ってくれない」を観る予定である。これを目あてにやってきた。今日は早めに着いたので、帰りの電車は、日のあるうちに乗ることができる。

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禅 ZEN

2009年01月24日 23時00分00秒 | さ 行 (2008.2009.2010.2011)

Zen  <シネプレックス小倉>

 私は無宗教という日本人が多い。私も宗教に関心がないので無宗教のつもりだけれど、一応、仏教徒である。私は、仏壇のある家に生まれた。仏教の家に生まれたら、その子は仏教ということになっている。それが仏教らしい。物心つく前から、南無阿弥陀仏と知っている。生まれながらに縛られているようだが、「私は無宗教!」と言えるほど、実は最も自由な宗教だと思っている。何の宗教に変わろうが、仏教はとりたたて止めない。うるさくない。坊さんだって、クリスマスイヴにはケーキを買って帰るし、結婚式に呼ばれれば教会で賛美歌も。何でもありである。昔は違ったようだが、古くから伝わる現代の仏教はとても大らかだ。仏教の真を知ることはないけれど、映画という機会に恵まれ、ちょっと覗いてみるのもいいものだ。比較的、新しいし、私の家の宗派とは違うけれど、そんなことはどうでもいい。元はひとつだろう。

 簡単な経歴をそのままなぞった様な物語であった。道元という人物をまったく知らない人でも、誰にもわかりやすいように構成され、脚本化されてある。観終えた後、実在のこの人物をはっきりと頭に刻むことができる。ということは、ひとつの宗派の宣伝でもあるのかもしれないが、現代の世俗にまみれて生きる、特に私のようなモノには、目を覚まさせる良作であった。無心で、懸命に生きなければ、誰かわからぬが、誰かに申し訳ない気持ちになってくる。単純なのか、私はそういう気持ちになった。

 ひとつのシーンを丁寧に撮って編集しなければ、厳粛さが表現できない。だから、ゆっくりと時間が流れるのだが、その割に途中をつまんでいる。京から永平寺へ、永平寺から鎌倉へは、とんでもない道のりだったろうと考える。なんと静かな海もあったものだと琵琶湖を眺めるカットくらいはあってもいいのではないか。ちょっと近所にやってきましたような編集だ。静かにおおらかに時は流れているのだから、当時の旅の姿も残しておきたい。交通の手段は、足でしかなかった頃の。3時間の大作にしても長いとは感じる内容ではないだろう。知るというのも、楽しさのひとつである。  

 <80点>

 福井駅から「えちぜん鉄道」という私鉄のローカル線が走っている。福井平野をのんびりと海に向かって三国港へいく線と、内陸へ入り永平寺口を経て勝山までいく線の二本がある。一両のディーゼルカーがのんびりと走るのは好きで、ある冬の日、今にも廃線になりそうなこの列車に乗りにわさわざ出かけたことがある。日曜の昼間なのに閑散としていて、西日のあたる車内にコトンと座っていると、ポカポカして眠くなってくる。眠気は鉄道に乗る醍醐味のひとつである。三国へは途中に芦原温泉、終着駅に東尋坊などの観光名所があり、反対に乗れば永平寺へも行ってくれるのだが、鉄道は人気がない。車内は閑散としていたが、目的地は大型バスが何十台と停車していて、人でごったがしていた。映画の時代のように歩くことはできないけれど、永平寺へは、この「えちぜん鉄道」をお勧めしたい。特に、都会に住んでいる人、日常とはかけ離れた車窓世界を楽しめる。マイカーや大型観光バスでは味わえないものがある。

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もうすぐ2009年・・・我が甘えの構造

2008年12月29日 23時00分00秒 | さ 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo_2  2008.12.11鑑賞

 <シネプレックス小倉>

帰郷して一ヶ月後の今年2月25日以降、私は緊張状態の中で生活してきた。まわりからはそうは見えなくても、自分としてはそうだった。日常の中で、こういう神経があったのかと自分でも驚くような、使ったことのない神経を高ぶらせてきた。自分が自分ではないような毎日だった。緊張感というものはあって良いものであるが、昔は緊張すべき場所ではなかったハズであるから、いよいよ困った。下関は故郷には違いないのに、どこか別の知らない町にお邪魔しているような気がしてならない。どこに行っても簡単に適応してきたのに、いつまでも慣れず、それどころか、違和感は高まる。ずっと人に気を遣って生活しているけれど、まだまだ足りないのだと、毎日、思わせる。俺はダメだなと思う日々が続いた。

 長い長い夢を見ているのだろうか。これが現実だとしたら、胸のうちは空しいばかりだ。がむしゃらに、いつも馬鹿なことを話し、いつも下らぬことを真面目にやるという自分がいない月日が過ぎていった。口を開いても、黙っても、私の考えは見当違いのことばかりであるらしい。それを思い知らさせる日々だった。夜に反省しては、昼間に悩み、また夜に反省しては・・・であった。反省は成長させるが、成長の兆しすら自分には見えてこない。まあ、これも自分だが、46年間で、一番、自分らしくなかった。口数の少ない一年間だった。

 私の主治医は、「少しは自分のことを認めてあげればいいのに。」と言った。日々、考えや思いとは逆に、肯定を繰り返し、萎縮していく私には、今はその方法がみつからない。「一人旅で気分が変わるのなら、旅をしてみればいい。」と言った。だが、今の私には、一人旅など、とてもとても身分不相応である。それは許せない行為である。気分転換にはなるだろうが、だいたい、そんなことで、現状は変わらない。今年のいつか、自分は爆発するのではないかと危惧していたが、そこまではいかなかった。口に出して文句や愚痴を言えばいいが、言うような環境ではない。悪循環が続くぞと、ちゃんとまだわかっていて、環境から脱出せねばならないと思っている。すべては思うところからはじまるので、いいことだろう。

 忙しがって忙しいのは嫌いだが、文句も言えぬほど、がむしゃらに忙しいのが私の性にあっている。来年の2009年、私はがむしゃらに忙しくなろう。そうすれば、大阪に居た時のように、不満はいっぱいあっても、ジクジクした時はあっても、活き活きとした自分を取り戻せるだろう。目は輝くだろう。2009年の目標は、活き活きとした自分を取り戻すことにある。言われたとおりに生きているのは自分ではない。何でも「はい」「はい」と肯定して逆らわないのは私ではない。いつまでもヤンチャで、人の言うことをきかず、馬鹿だなあと言われながらも、とりあえずは懸命に走っているのが私の望む私であり、生きていて楽しい。明後日は大晦日。大晦日に、あまりにもつまらぬ自分を捨てよう。とても有難いことに、一年のはじまりは目の前である。ジクジクした私が、今年、グチャグチャした私になってしまったが、それをジクジクまで戻すことが、2009年の目標である。意味のわからぬ苦しみを捨てよう。

 ・・・2008年のブログは、これを含めてあと3つ。大晦日には、マイベスト5を書かねばならない。恒例のマイベスト10ではなく、マイベスト5。今年は情けないことに90本も観ていないので、とても10本も選びようがなく、5本と決めた。

Photo

 「ハンサム★スーツ」

 深夜コメディドラマ、バラエティ、映画をひとつの鍋に入れて、ごちゃごちゃと掻き混ぜて、さあお召し上がれ!といった感じの作品である。人間が入れ替わるなんていうよくある発想だけで、面白いのかなぁ?と眉に唾をつけながら3本のハシゴの1本目としたが、これがなかなか拾い物だった。ひとつの鍋に入れてごちゃ混ぜにしてしまうので、すべてが軽いけれど、構成とスピーディな演出、編集がとても上手く、引き込まれてしまう。こんな軽いものでは誤魔化されないぞ!と眉毛をへの字にしても、騙されている気はするが、気持ちは楽しい。映画がテレビ化になって、薄っぺらな作品が大量に生産されるが、そういう時代になって、新しい映画のスタイル、可能性を思わせる。ただ、本作がオリジナル脚本であれば、私はもっと甘口にしたかもしれない。

 塚地武雅と谷原章介が主演とされていて、実際そうなのだろうが、この映画には、塚地武雅しか出ていない。谷原章介は、いっぱい出ていて、だが、出ていない。そう感じさせるのは、谷原章介が、完全に塚次武雅に化けているからだ。これを思ったとき、谷原章介は上手い俳優になったなと感心せざるをえなかった。モデルから端役になり、脇役になり、見事に主演を張れる俳優へと変わった。遠くを見ると、エンターテイメントというには程遠いが、現代の映画界では、そう言えるかもしれない。まあ、頭をからっぽにして、ちょっと高級なバラエティを楽しみたかったら、テレビなんぞより、本作を観てほしい。  <85点>

Photo_3 「トロピック・サンダー 史上最低の作戦」

  本編がはじまるまでのオープニングが抜群に面白い。映画をあまり観ない人はボーッとしているだろうが、バラエティな配給・制作会社のマークがいちいち出てきて、こんなオープニングもいけるのか!と、目がぐっと開く。だが、ここまでで、観るならば、同じようなストーリーの「サボテン・ブラザース」が遥か上をいく。こういう映画に乱れ撃つパロディは、たくさん映画を観るアメリカ人か、日本でも熱狂的な映画ファンのためであって、面白そうだなと、フラリと入った観客には申し訳ない。プッと笑える台詞もあるけれど、大掛かりな笑いにはピンとこない。笑ってほしいところなのだろうなとわかるので、逆にしらけてしまう。有名な俳優がこぞって出ているし、お金もかかっているから、輸入、全国公開は当然だろうが、日本では、お正月映画までのつなぎである。とは言うものの、お正月にも、これは目玉!という作品が見られなくなった、ここ数年ではあるが・・・。  <55点>

5_2  「ソウ5」

 本作を3本のハシゴの最後にしたのは、楽しみを残しておきたいから・・・だった。私は、この「ソウシリーズ」が好きである。次回作を考えずに作っているというのに、2も3も、数学者が考えたような融合リンクで、また、前作を観なければならないという気にさせる。前作を観て、なるほどと納得して、さらに次回作が気になってしまう。ぐるぐると回らせる。次回作が公開される度に、一日でグロテスクな描写がなくても、物語だけで面白い。私は、エロはあまり好まないが、グロは大好きなので、殊更にいいのだが。

 本シリーズは終わっている。「ジグソウは死んだ」というコピーで誕生した第4作目までであった。もう、ここまでいくと、無理やりだと思う。これは観なおす気はない。細かなところをリンクさせているのはわかるが、もうお腹いっぱいだ。新たな犠牲者が、実はすべて助かるのだということも、頭の悪い私であるのに、2つ目の仕掛けからわかった。騙さなきゃいけないのに・・・。人気あるのはわかるけど、続けなくても、あらためて、初めから・・・でもいいのではないか。しかしまだこれでもエンドではなく、続けようとしている。続けようとするなら、パート3くらいの終わり方がほしい。しかし・・・次回作がくれば、ワクワクして観にいくのだろうけど。  <50点>

 私のほっとする時は、一人でタバコをふかしている時か、自動販売機で缶コーヒーを買ってチョビチョビ飲んでいる時か、映画を観る前の椅子に深く身を沈めた短い時間の3つであった。これでは寂しすぎる。さて、2009年の幕があく。ガラリとはいかないだろうが、年が変わると同時に、私も変わろう。さて!腰は温まった。そろそろやったりますわい!

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素晴らしき日本の女優たち PART1

2008年12月24日 23時00分00秒 | さ 行 (2008.2009.2010.2011)

 大阪での仕事もお願いされれば、いまだに、夜中に脚本を書いたりしてメールで送っているのだが、生まれ育った下関いう街に貢献したいと、時給いくらのアルバイトに応募した。まさに、これが一生をかけて私のやるべきことだと、仕事の内容に特別の思い入れがあったので、ボランティアでもいいからと思ったが、あまり自分を安くさせてはいけないと、アルバイトに申し込んだ。だが、クリスマスイヴの今日、アルバイト不採用通知が自宅に届いた。ボランティアでもアルバイトでも正社員でも、する仕事は同じなら出す力も同じことだと燃えるような思いで履歴書と添付文を送付し、恐縮なことに長い時間を割いて面接までやっていただいたけれど、結果は、残念ながら・・・であった。映画があったからこそ、ここまできた人生、これからの人生は映画に恩返しをしようと、何十年ぶりか、身震いするほどの希望を抱いたが、無念なことだった。45歳という年齢であるし、とても新鮮とは程遠く、手垢もいっぱいついているし、遊んでるような仕事に見られてきたし、相手は私の性格もわかっていらっしゃる。見るべき所はしっかり見ていて、不採用も頷ける。真面目な話、アルバイト、パートは無理でも、完全なボランティアでもいいから1年くらいガムシャラに働かせてほしいけれど、情熱とやる気だけでは意味がないのだろう。しかしまだ、下関という街、映画に何らかの形で恩返しする気持ちは変わらない。が、とりあえず、今日、ひとつが終わった。迎えられずとも、映画好きでよかった。映画のスクリーンは、映画が好きならば、いつでも出迎えてくれる。まあ、観ていらっしゃいよと。こういう時は、映画に頼ることになる。・・・さて、近況はこの辺りにして、映画にまつわるブログにもどろう。今年もあと一週間である。そろそろ、マイベスト10を書かねばならない時期にきている。

Photo 「素晴らしき日本の女優たち」 採点は、古い映画の為、気持ちより10点引いてあります

 <下関スカラ座シアター・ゼロ>

 「女性映画傑作選」「時代劇傑作選」「サスペンス傑作選」・・・こういったシリーズは10回を超えて、私は足しげく通った。大阪の高槻にあった『高槻松竹セントラル』である。毎週2本で入れ替えなし。私の住む天王寺からはやや遠かったけれど、毎回、5回券を買って、日曜の度に観に行った。昔の映画をかけてくれる劇場がとても少なくなった。大阪を離れたいま、劇場名も変わり、ミニシアター系を上映しているようだが、あのシリーズは二度とスクリーンでは観られまい。

 大阪九条の『九条シネ・ヌーヴォ』でも、「成瀬巳喜男特集」「田中徳三特集」「小津安二郎特集」といった監督集を上映してくれた。朝から晩まで観ると、5本も6本も観られる編成にしてあった。仕事で悔しい思いをした作品もあったが、時間の合間をみて、とにかく観られるだけ観た。たまに、十三の『第七藝術劇場』でもかかったが、関西で、いつも映画全盛期の良質のフィルムをかけてくれるのは、この2つの劇場だけだったと思う。

 下関に帰って、このような特集を観ることができるとは夢にも思ってなかった。「素晴らしき日本の女優たち」というタイトルで、1950年代、60年代の映画をかけてくれる。ありがたいことである。チラシを手にした時から、ワクワクしてその時を待った。ほとんど観ている作品だが、もう一度、あのフィルムに会いたいと思っていた。これらの映画には、現代の日本映画がなくした、何ものかが残っている。勿論、良い何ものかである。こういう映画を、今の若い人たちにどんどん観てほしい。再会の日が待ち遠しかった。

Photo 「女の園(1954)」

 <2008.11.17鑑賞>

 木下恵介監督の名作として名高い本作をはじめて、スクリーンで鑑賞した。今の若者が観てもピンとこない題材だろうと思う。私もこういう時代を実際には知らない。観るべきは、こういう時代を生きる学生たちの魂のような叫びに似た一直線の反骨精神であろう。朴訥な人たち、人を裏切らず、純粋に議論を重ねて自分たちを成長させ、まわりを変えようとする力・・・現代の学生にそれは見られない。もちろん、私の学生時代にも、もうすでになかった。70年安保をとうに過ぎていた。「時代遅れで、今観てもさっぱりだ」というブログの評論が多いけれど、この時代があったからこそ、私たちは自由というものを手にすることができたのだと思う。戦争に負けても、アメリカに占領されても、まだまだ自由な日本はなかった。映画の言わんとすることは知っておくべきかもしれない。  <70点>

Hi380008  私が「女の園」を観に行って後、本作は上映中止になった。フィルムの状態がよくないからだという。私はそれを承知で観たのだが、最近の客は許せなかったのだろうか。確かにトビトビで、歩いているだけのショットなのにパチパチととび、オバケショットと言われるところもあるが、私が『高槻松竹セントラル』で観た特集は、まだまだひどいフィルムがいっぱいあった。特に松竹映画がひどかった。松竹のフィルムの管理の悪さは有名で、一番良好とされるフィルムでも何を言っているのかわからないほどボロボロのこともある。それでも平然とかけていた。だから、私はそういうものだと思って観た。古い松竹映画というだけで覚悟していたところがあるけれど、残念、もう一本を観のがした。あれならば、まだ良好の部類に入る。

001

 「カルメン故郷に帰る(1951年)」

 <2008.11.23鑑賞>

 カラー映画はすでにあったが、それはみんな外国製品で、日本製カラーフィルム(富士)で撮られた最初の日本映画が本作である。撮影現場にも富士フィルムの技術者が立ち会ったのだという。また、本作は、カラーとモノクロの両方で撮影されている。第一号のカラーの出来栄えが良くなかったら、モノクロ上映されることになっていた。カラーフィルムをモノクロ化するのではなく、実際の現場で、2つのフィルムを使用し撮った。だから、出演者もスタッフも、同じことを2度やったのである。本作は作品としても評価が高く、晴れてカラーでかけられた。この頃の松竹は何でも一番を目指したがっている。トーキーに続き、カラーも松竹が・・・というニュースを得たかったように思う。続編も作られているが、本作だけが映画史に永遠に残ることになる。

 同じ時代を歩いた女優と言われる京マチ子、若尾文子のような肉体派芝居を高峰秀子は堂々と演じている。頭の弱い、感覚のズレた、あっけらかんとした感じは普段の高峰秀子からは想像もできないが、観ているうちに、この人しかいないのではないかと思うほどで、やはり、凄い女優なのだとあらためて思う。とにかく、何でもできる人なのだろう。本作は、喜劇仕立てとしている。しかし、観ていて、とても寂しい、悲しい気持ちにさせる映画である。ストリッパーとして東京で活躍する村の女が、故郷に錦を飾ると帰ってくるだけでソレは喜劇なのだろうが、帰るんじゃない、そうではないんだぞと、ぐっと涙腺に力が入ってこらえる。村のために何とかしようと純粋に思う気持ちが、さらに辛さを増す。オールロケで撮られた本作は、大自然の風景の中に落とし込んだからこそ、人間の内なる心を存分にスクリーンに映し出すことができたのではないかと思う。  <75点>

001_2  「浮雲(1955年)」

 <2008.11.23鑑賞>

 「カルメン故郷に帰る」は、私一人の貸切だった。隣の劇場では「おくりびと」が上映されている。続けて「浮雲」を観ようと、反対の劇場に行く。テケツ兼モギリで、背広を着た男性が「おくりびとですか?」と聞いてきた。反対側に立ったからだろう。「浮雲です。」と答えると、ちょっと私の顔を見上げて「どこで上映を知られたのですか?」と言う。ほとんど毎日、劇場前を歩くので掲示で知ってはいたが、「ホームページで。」と答えた。「お知らせするのが遅かったので。」と言う。松竹の悪いフィルムのせいで、上映中止になり、別のフィルムを急遽かけることになったのである。確かに、ホームページの更新もギリギリだった。

 2年か3年前に『九条シネ・ヌーヴォ』の成瀬巳喜男特集で観ている「浮雲」をまた観にきた。あの時は最後だと思っていたが、もう一度観られるとなると、やはり観たい。いい映画は何度観てもいい。・・・高峰秀子主演ばかりだが、この時代の「女を演じる」という映画では、この女優を無視して観ていくのは困難である。そして、「女を撮る」となると、成瀬巳喜男がまず頭に浮かぶ。成瀬巳喜男と言えば、高峰秀子である。どこを突き刺しても、この二人が顔を出す。そして、その前作が観ている者の心臓に圧倒的な力で迫ってくる。日常を描いているのに、ドキッとさせる部分がいくつもある。

 男というもののだらしなさ、いい加減さに自分がイヤになる。女というものの強さ、けなげさ、一途さに恥ずかしくなる。だからだろう、ラストカットの森雅之の背中は、観ている私の姿だと思う。あれほどの背中の哀愁は出せないが、椅子に腰掛けてスクリーンを観ている私は、似たようなものだ。これを二十代、三十代で観ていたとしたら、そこまでは感じることはなかったろう。私もいろいろあった・・・屋久島での短いシーンは、自分をみつめる時であった。これは数年前観た時も同じことを感じた。健気で、ひたむきに、それでも生きていこうとする女性が見事に描かれている。その女性の心を知り、いろいろなものを背負った男たちはどう観るだろうか。・・・たくさんの人に観てもらいたい名作だが、今日の2本は私の完全な貸切だった。  <80点>

001_3  「女が階段を上る時(1960年)」

 <2008.12.8鑑賞>

 今日も「素晴らしき日本の女優たち」にどっぷり浸る。こういう特集をすると、小倉になんぞ行きたくなくなる。もう、このまま古い映画を続けてしまえとも思うが、それでは大阪の新世界、東京の浅草と変わらなくなり、魅力ある映画館ではなくなってしまうけれど・・・。

 本作も「成瀬巳喜男特集」で観ている。いいことなのか、よくないことなのか、私は好きな映画は何度も観る癖がある。なぜまたそれを?と言われそうだが、第17作目「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」は50回くらい観た。ビデオでも見たけれど、30回は映画館で観たろう。頭がイッテイルのかもしれないと、自分でもあきれる。何度も観たから、台詞から構図から編集から音楽インアウトから・・・なんだか、そのほとんどを覚えている。意味はあるのか・・・ビデオの仕事をしていて、どういうわけか、大事なことだなと何度も思った経験がある。

 もはや戦後ではないと言われた50年代の夜の街で働く男、女の姿を感情をむき出しに本作は描いている。尽きぬ悩み、苦しみ・・・それは仕事でもなく、肉体労働の辛さでもなく、対人間の精神的部分だけだ。それをとっぱらうと、どんなに楽か。しかし、人は人としか生きられない。人しか愛せない。銀座という鳥かごの中で、自分の人生とは何であるのか、生きるとは何であるのか、幸せとは何であるのかを探し続けている。成瀬巳喜男らしく、彼ら彼女らが生きる世界はとても狭い。大きな夢をもっても、広く遠くをみつめても、やはり、生きる範囲は知れていて、見られるところは限られている。であるのに、見えぬ心を読まなければ、夜の街には生きられない。男との駆け引きはとても上手いとは言えず、私などは場違いな夜のママを思うし、助けてやりたい衝動にかられるけれど、渾身の力を振り絞ったラストカットに救いの手が差し伸べられる。そこで、ふっと、胸をなでおろすことができるのである。  <80点>

001_4  「女は二度生まれる(1961年)」

 <2008.12.8鑑賞>

 今日の2本は、どちらもシネマスコープである。最近の日本映画はシネマスコープが少なくなった。ヴィスタサイズが多い。これは、一番に美術にお金がかかるところかららしい。ヴィスタにすれば入らないものでも、シネマスコープにすると入ってしまう。照明さんも音声さんも近くへ寄れない。撮影にも時間がかかる。だけど、横長のシネマスコープはいい。いくらハイビジョンテレビでも、シネマスコープをやると、上下が切れて、こじんまりする。映画館ならではだ。黒幕がスーッと左右に広がる感じも好きである。「男はつらいよ」と同時上映だった「釣りバカ日誌シリーズ」は、今もシネマスコープで、内容はどうあれ、続けてくれるのは嬉しい。

 若尾文子は、この頃引っ張りだこで、大映の看板女優だった。一年に10本は出ていて、それもすべて主演で、妖艶な役が多い。そして、どの映画もなかなかいい。監督に恵まれたからだろう。そうそうたる顔ぶれの監督作に出演している。川島雄三監督は若くして亡くなったが、後の監督人に多大な影響を与え、映画史に残る名監督として知られる。本作は亡くなる2年前の映画である。

 「わたし、おめかけさんになるの、はじめてだから。」・・・妾になって、どうしたらいいのかわからなくて、ふっと出た言葉である。この台詞に代表されるように、屈託のないとても明るい無邪気な女を演ずる。枕芸者でありながら、それを苦ともせず、今日という日を楽しく、陽気にあっけらかんと生きる。売春防止法がアノ手でくれば、こっちも抜け道考えてやっちゃうわよ!と、頭の回転が早い。だが、生まれがそうさせるのか、環境がそうさせたのか、女は客でもない男とも寝てしまう。それが日常なのである。家庭なんてそんなもの、守ってくれるのは自分しかいない。とても強そうに思う。しかし、女は女。旦那さんが亡くなってもまともに扱ってもらえない悔しさ、寂しさ。以前の男をみかけ、家族で幸せそうにしている様子。台詞にも出てこないし、感情を大きく表現することもないが、女はゆっくりと変わっていく。これを淡々と、だが、めぐるめく早い展開でみせていくのだ。編集に頼ったスピード感も活きてる。もう、口をあんぐりとあけたまま、見事な逸品だ。  <85点>

Photo_2  もう何度も書いたが、『下関スカラ座シアター・ゼロ』は、東京や大阪にあっても、重宝がられる希少な映画館である。シネコンのミーハー映画もいいけれど、良質の映画をいっぱいかけてくれるこの映画館をみんなで応援しよう。聞くところによると、わざわざ九州の方から足を運んでくれる客も少なくないらしい。こんな特集を少ない客でかけるのはもったいないことである。「素晴らしき日本の女優たち」のポスターには「PART1」とされている。こういう状態では、次回をやるのも躊躇するだろう。もしかしたら、PART2は、他の映画館がかわりにやるかもしれぬ。映画を観る街は、人口だけでは説明できない何か別のものがある。下関に帰ってから、文化レベルが低いと嘆く人の声を何度も聞いた。だが、そうじゃなかろう。芝居もコンサートも美術展も開かれていて、入場者数も悪いわけではない。もっとも気軽に観ることができて、それも良い映画をかけてくれる映画館に足を運ぼう。映画が大嫌いなんていう人は少ないだろう。すぐそこにあるのだから。家のDVDでは、どんなに大きな画面でも、どんなに音響に凝っても、それはビデオを見ているのであって、真に映画と触れ合っているとは言い難いのである。

 

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