映画には「ドキュメンタリー」というジャンルがある。このジャンルの大変さは、撮り終えてから構成、台本を書くことである。順番がテレコにされると、構成は気がおかしくなるほど、考えあぐねばならない。私はこの経験を何度か体験している。膨大な撮りテープ、何千枚の写真、一人2時間で何十人のインタビュー。これをそのままつなげると、長い場合、100時間をこえる。構成、台本、テロップ、そして最も頼るべきは編集技術である。編集者のセンスを必要とする。編集するエディターのセンスで、折角の秀作を凡作にされることもあるし、凡作だと思っていたものが輝きを放つこともある。
私は「チラシ」のデザインと裏の解説を読み「変なもの見たさ」で映画館に向かった。動機は不純だが、それでいいと思っている。「怖いもの見たさ」「他人の一生を見てみたい」「変な世界を覗きたい」・・・映画を観たいと欲するのは、そんな単純な動機であるはずだ。それは「反戦映画」でも「愛や死をみつめる映画」でも「感動的なエンディングが待ち構えている映画」でも同じことだ。「なぜ、それを観るの?」と聞かれれば、総じて「面白そうだから。」と言うしかない。「暇つぶしに」もあるし「目的の映画を観る時間までのつなぎ」なんてこともある。観る動機に正当性なんていらない。不純であるべきで、面白そうだから、でいいのだ。観る動機に、なぜ観るのか、理屈を述べる人もいるが、聞くのに時間の無駄だ。そして私は「変なもの見たさ」でレイトショーへやってきた。
一週間ロードが、二週間になっている。・・・ケチのつけようがない、ドキュメントの秀作である。どれくらいのテープが回ったのかわからないが、何年も撮りためたものをわずか80分に編集している。私はこの80分を食い入るように観た。DVCAMで撮られており、4:3比率のテレビサイズだが、そんなことも忘れる凄い映画だ。「凄い」「観てよかった」「感情がゆらゆら揺れ動いた」・・・端的に言えば、そうなる。ただ、80分とは短い。短いからワンカットも無駄がないが、もう少し観たい。20分・・・いや、10分でも構わないから、もっとこの世界に浸りたい。ドキュメンタリーというジャンルの中で、そう思わせる作品は、私にはこれまで無かった。「ヨコハマメリー」という人物をもっと掘り起こすことはできないか。掘ってほしい。DVDで長尺のディレクターズカットが出ないかと思うが、無理だろう。DVDにもなるかどうか。観たい。もっと観たい。いい素材を掴み、ドキュメンタリーにしてくれた。現在の「メリーさん」を写し出したことは奇跡のようなエンディング。満点をつけたいが、もっと観たいと思っているうちにエンディングとなった。もっと観たいのに終わるなんて。私は、金魚のフンになった気持ちで家路に着いた。書いている今も金魚からフンは離れない。<90点>