<TOHOシネマズ高槻>
私は、周防正行監督はもう引退したのかと思っていた。自体験の映画化、「Shall we ダンス?」が当たりに当たって、全米で公開され、さらにリチャード・ギア主演でハリウッドリメイクされたのだから、一生自由に暮らせるだけの財産はあるはずだ。地位も名誉もお金も手に入れた。憧れの草刈民代も妻になった。この頃は周防監督より、草刈民代の活躍が目ざましい。世界中をかけめぐり公演を行う他、雑誌にもテレビにも(積極的ではないが)登場する。いろんなテーマで本も出版している。周防監督の出版本もあるが、草刈民代の輝きは眩しい。
「変態家族兄貴の嫁さん」というポルノ映画をご存知だろうか。とんでもないタイトルだが、これが周防正行の初監督作品である。ポルノ映画はこの一作品しかないと思うが、この映画は、ポルノ映画界だけではなく、日本の映画界に衝撃を与えた。あの名匠、小津安二郎が監督をつとめたのではないかと思われるポルノなのである。設定、台詞、撮り方など、すべてが小津安二郎の世界なのである。「東京物語」の小津安二郎である。まさか、小津安二郎が監督するはずもなく、もう亡くなっている。小津安二郎監督を敬愛する周防正行の監督へのオマージュと、映画雑誌は伝えていた。私は「変態家族兄貴の嫁さん」で、周防正行監督を知った。インターネットもなかった時代、私は周防監督について懸命に調べたが、なにしろキャリアがなく、黒澤清や高橋伴明の助監督だとはわかったものの、どこの誰だかはわからなかった。ただ、この一作品で、監督は終わりだという記事をみつけた。後の活躍を知らないので、私はもっともっとポルノ映画を撮ってほしいと思った。
伊丹十三監督が「マルサの女」を撮るときに、約1,000万円で、メイキングビデオをテレビマンユニオンに依頼した。そのメイキングビデオを監督したのが周防正行だった。「マルサの女をマルサする」というタイトルで、120分の作品を作り上げた。これが傑作ビデオとなった。伊丹監督はとても気に入り、「本編より面白いよ。」と観終えた後、つぶやいたという。何年か前までレンタルビデオ店に並んでいたが、いまはどこにもない。「マルサの女2」の時も周防監督は「マルサの女2をマルサする」というメイキングを作り、これもレンタルされた。私はこのメイキング版をダビングして、何度も繰り返して観た。大切に持っていたのだが、今はどこにあるだろう。物置の隅にでも転がっているかもしれない。
「ファンシィダンス」もあるが、周防正行の名を広く世に知らしめたのは「シコふんじゃった」だろう。この年は、映画賞を総なめにした。なにせ、キネマ旬報が第一位とした。日本アカデミー賞は、唯一オンエアされるので、この影響力は絶大で、後にビデオになってからもヒット商品となった。その次が「Shall we ダンス?」ではないだろうか。本数は少ない。この監督は割と我がままで、また、お金に執着がないようで、撮りたいものと心から思わなければ監督はしないのだという。しかし、その撮りたいものがどれも素晴らしい。一部の映画マニアや映画ファンを喜ばせるのではなく、万人を楽しませる才能を持っている。あまり映画館で映画を観ない人の足を運ばせる力を持っている。誰でも楽しめる映画を作る監督である。そして、どんな材料であっても、エンターテイメント化させてしまう。「変態家族兄貴の嫁さん」もポルノなのに、エンターテイメント映画と言えるだろう。作ることに積極的ではないが、いざ作れば、それは間違いなく面白い映画である。また、面白いだろうと大きな期待をもって行っても、その期待を裏切ることはない。大きな期待以上に満足させてくれる。「変態家族兄貴の嫁さん」で初監督して以来、私は期待感いっぱいで観に行っていて、それを一度も裏切ってない。制作本数は少ないが、一度も裏切らない監督は、周防監督だけだ。
映画の世界で、刑事事件の法廷劇というのはいっぱいある。アメリカは陪審員制度なので、検事と弁護士が陪審員へ向かってパフォーマンスを繰り広げる。陪審員の表情が見もので、どちらが優勢か観客も頭を悩ませる。陪審員の頭の中の謎解きという形の映画もある。ホラー映画と思わせる「エミリー・ローズ」は、実は法廷劇で、白熱したやりとりに興奮する。日本の法廷劇は陪審員がいないので、検事対弁護士合戦である。単に法廷内のやりとりでは面白くないので、ドラマティックに進行する。森田義光監督の「刑法第三十九条」は淡々としながらも、どんどんドラマティックになっていって、ラスト30分はスクリーンに釘付けとなる。ただ、本作「それでもボクはやってない」は、これまで私が観てきた法廷劇とはまったく違っていた。検事対弁護士ではなく、法廷では裁判官が主役になっていた。また、多くの映画は殺人を取り上げるが、本作は「痴漢冤罪」である。これも今までになかったのではないか。殺人と痴漢は比較にならないほど開きのある犯罪だが、刑事事件としてということならば、同じである。証拠もなく、被害者の供述にしか頼ることができない痴漢は、冤罪をたくさん生むのだという。周防監督が「これを映画にしなければ!」と思ったのは、まさに、明日にでも、女性ならば痴漢に遭う、男性ならば痴漢に間違われるという事実を広く多くの人に知ってほしかったからだった。こういう身近な、痴漢という犯罪を軸にして、白熱した法廷劇をみせるのではなく、リアルな法廷で十分、エンターテイメントとなると考えたのだろう。なっている。
11年ぶりの監督作品だが、周防監督の手腕は一縷の揺るぎもなかった。現実の事情聴取の様、留置所の様、判決までの十一回の法廷は、緊迫したドラマを生み出した。被告人は、殺人や強盗や暴行で逮捕され、弁護士がその犯行の軽減を求めるものではない。痴漢をやったのかやってないのかわからない中で進んでいく。つまり、有罪か無罪かを問うものである。やっていないのなら無罪である。やっているなら有罪で、どんな判決が下るか判らない。本作はタイトルどおり、やっていないことをはじめに観客に伝える。逮捕されたのは間違いであることはわかっているから、取り調べる刑事にも、副検事にも、留置係官にもムカムカする。一度つかまった犯人が法廷で「無罪」にするということは、警察、検察の間違いを認めたことになる。警察、検察の面目を潰すことになる。ここが最大の難点であることがわかる。裁判官は、完全に有罪と考えて被告人をみつめる。これまで映画で観てきたかぎりは、法廷というところは、検事と弁護士が熱戦を繰り広げ、裁判官は傍観者のような印象だったが、本作では真ん中に座る主役だ。裁判官の補足質問なんて、有罪だと決め付けていじわるな質問をする。とてもいじわるだが、弁護士は何も言わない。というより、言えない。裁判官は、「無実の者を罰してはならない」とする正名僕蔵から、「有罪無罪ではなく、有罪だと決め付けて進めていく」小日向文世にかわる。まったく違った性質の裁判官によって、被告人はどうにでもなることがわかる。この小日向文世がいい。有名になり、ここ数年は善人役が多いが、もともとはいじわるな役やイヤミな役が多かった。『古畑任三郎』の田中美沙子犯人の一本は、とってもイヤミないじわるな夫役を演じている。本作の小日向文世が憎たらしい。いや、憎ったっらっしっいっ。うまいなと思うが・・・。
痴漢犯罪の場合、事情聴取で認めてしまえば、示談で済む罰金5万円の事件だという。朝の通勤電車で逮捕されて、昼過ぎに警察から釈放される。やっていようがやってなかろうが、認めなければ有罪率は99.9%。認めれば昼には釈放されたが、認めないので4ヶ月の留置所暮らしを強いられる。保釈金200万円。約10ヶ月の裁判。
痴漢は犯罪である。刑事事件である。機能ある普通の男は、痴漢をしたいと一度は思ったことがあるだろう。あれだけの痴漢電車アダルトビデオが量産されている。風俗もそれらであふれているという。しかし、常識、道徳、理性がそれをさせない。してはならないことはしない。それが機能はあっても普通の男である。だが、明日の朝にでも、それが自分の身にふりかからないともかぎらない。裁判となると、男性対女性の構図だけではなくなる。被告側の身内にも女性はいる。本作は母親と元恋人だが、結婚して子供もいれば、母親、妻、娘までも巻き込む。その身内は冤罪を信じることになる。痴漢と間違われてしまい、刑事裁判まで持ち込んだら、人生は終わる。本作を観て、私自身は、ここまで戦う勇気、力があるかと思う。刑事の大声の執拗な尋問、副検事の恐ろしい威圧、留置所内の人ではないような扱い・・・「認めて、5万円払えばそれで済む。」と言われれば、やっていないのに、認めてしまうかもしれない。
どれだけの勉強をしたのか、大変な知識を要したろう。取材も難しかったろう。ありのままを淡々とみせていく。ありのままでありながら、面白い。こういう事件を取り扱っている検事、弁護士、裁判官はどう思うだろうか。ただ自分の職場を見せられている感じというだけだろうか。周防監督は、裁判官のあり方に疑問を持っている。悪人とはしていないが、好意は欠片もない。おそらく、観た人は、この裁判に疑問を抱くだろう。裁判官という職業にも疑問を抱くだろう。冤罪がたくさん生まれるのも当然だと思うだろう。それでも、裁判官はこれでよしと思いながら、この姿勢を続けていくのか。警察と検察の名誉の為に。国家権力を認めさせる為に・・・。
ラストで小日向文世が長い長い判決文と補足を読む。とても長い。普通ならば「主文・・・」だけで次のシーンへいくが、とても長い。私は聞きながら、脚本を読みたくなった。月刊誌の『シナリオ』に、本作が載ってないだろうか?帰りに本屋に寄ってみよう。エンドロールを観ながら、続けてもう一度観たいと思った。どうして入れ替え制の指定席映画館ばかりになってしまったのか・・・。周防監督の「作りたい映画がなければ何もしない。作りたい映画が思いついたらどうしても撮りたい。」という気持ちが伝わる秀作である。ヒットするだろう。そして後の世に伝わる映画だ。これを機に、法廷劇の描き方がかわるほどの影響力がありそうだ。周防正行監督モノは、どんなに期待していっても裏切らない。
ロビーへ出て、久しぶりにパンフレットを買おうと売店へ向かった。驚いたことに、そこに
は「それでもボクはやってない(完全シナリオブック)」が置いてあった。私は興奮してシナリオブックを指差し、「それでもボクはやってないを下さい。」と言った。売店の女の子は「シナリオブックの方ですか?」と言った。私は迷わず「シナリオとパンフレットの両方です。」と言った。 <95点>
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