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活動写真放浪家人生

活動写真を観ながら全国放浪の旅ちう

犬と私の10の約束

2008年05月09日 23時00分00秒 | あ 行 (2008.2009.2010.2011)

10  <アポロシネマ8>

 2008.04.16鑑賞

 大阪市住吉区長居。地名にちなんで長く居たわけではないが、私が大阪で暮らした27年間、この長居という地に最も長く住んでいた。

 今から800年前の「摂津住吉名所図会」に、長居にちなんだ和歌が載っているという。堺と住吉の追分にあり、水際の景勝地で、旅ゆく者の足を踏みとどまらせたらしい。長居をしたいところだったようだ。地名は、ここからきている。今はその面影もないが、緑はある。長居公園だ。この公園は、大阪市の中でも大きなな方で、ワールドサッカー、世界陸上の舞台でもあった陸上競技場がシンボルになっている。なんとなく・・・映画館のある下車すべき地下鉄御堂筋線の天王寺駅を乗り過ごし、ここへ2ヵ月半ぶりにやってきた。

 地下から、いつもの出口を抜けると、懐かしくもない街が目の前に現れた。朝晩、同じ道を歩いたので、お馴染みの風景である。くすんだ濃紺の空の下、雑踏の帰り道を歩いた。むせる様な暑さがアスファルトから立ち上っている。

 お馴染みのはず。だが、もう私の知る街ではなかった。私の知る長居の風景ではあったし、懐かしくもなんともなかったけれど、まったく瓜二つの顔をした別の街がそこにあった。2ヵ月半という時間のせいか、住む部屋がないせいか・・・自分の感覚が分らなかった。10年も住んだのに、ちょっと抜け出しただけで、街は私を、見た事もない、まったく知らぬ他人として迎えた。知らぬ他人なら愛想笑顔のはずが、ツンッとすましている。「あんた誰?」・・・冷たいなぁ。30分くらい商店街や裏道をポツポツ歩き、地下鉄の改札へと下りていった。来るんじゃなかった。

 2ヵ月半以上ご無沙汰の天王寺は、長居より遙かに大都会だが、長居のような感情はまったく起きない。住んだ街と行った街の違いなのだろうか。知っている、通っているだけでは、天王寺の方が2.5倍も長い。地下の通路を抜け、アポロビルへ出る。このアポロビルは、私が大学生の頃から建っていて、4階に映画館が2つあった。その頃、すでに古いビルのような気がしていたが、何年か前に8つの映画館のシネコンとなり、全館を改装し、とても綺麗になっている。ここのシネコンのポイントが、1本分、残っている。

 「はつ恋」「東京マリーゴールド」「きょうのできごと」「ドラッグ・ストアガール」と、田中麗奈主演の映画は、まったくのハズレがないと思っていた。脚本で選ぶ女優。内容で勝負する女優。だから、ミニシアター系ばかりになる。私はずっとそう思っていた。だが、どうもそれは一時期のことで、ここ数年、くる仕事、くる仕事、すべて受けているのではないかというようなフシがある。私としては、観終えた後、すぐに忘れてしまうような映画に次々と出ている。

 本作は、「釣りバカ日誌シリーズ」で有名な本木克英監督である。田中麗奈とは「ドラッグ・ストアガール」で組んだ。新聞や雑誌でも評判がいいようだし、観客動員数も悪くないようだし、小倉で観られなかったし、東宝ではないからTOHOシネマズでは観ることができず、この1本のために、足を延ばしたのだった。「ドラッグ・ストアガール」は、とても楽しませてくれた。中盤からちょっとタルんでくるけれど、オープニングのふかしながらの勢いある走りは、観ていて気持ちいい。台詞も、そのやりとりも、よく噛んで吐き出していた。

 そのコンビだったから、やってくれるか?と、期待したけれど、私には、まったくこの映画の良さはわからなかった。「ドラッグストア・ガール」は、思えば、当時、ガンガンに脂ののった(今かもしれないけど)宮藤官九郎が脚本を担当している。うーん、あの時は、脚本がどうのこうのとは考えなかったし、監督を含め、映画そのものが良かったと思ったんだけど・・・脚本だったか?と、遠くに観たスクリーンの面影を頭に浮かべる。いい映画なのに・・・今はなき動物園前シネフェスタの一番大きなスクリーンに向かって、観客は私を含めて2人だった記憶がある。だが、万人受けはするとは思えず、人には勧めなかった。

 特別な状況を除いて、普通、平凡な生活を描くならば、犬も猫も、雑種の野良がいい。雑種の野良というだけで、情が出る。ゴールデン・なんたらという恰好いい名前など与えてもらえない雑種がいい。雑種の野良が大切にされているのを見るだけでほっとする。私の勝手な思い入れだが、ブレザーにネクタイを締めた上品な子供より、黄ばんだランニングシャツで力いっぱい走っている子供の方がいい(たとえが違うか・・・)。勝手ながら、それだけで、私の気持は凹んだり、ハッピーになったりするのだ。だからだろう、優しいはずの物語にすんなり入ることができなかった。このくらいの物語があっても何も感じることができない。

 撮りも平坦だが、カットバックをうまくつないでいないのが気になる。役者が下を向いて、カメラ位置が変わったら、時間がそのまま流れているのなら、やはり下を向いてなければならない。初歩的な現場のミスがあちこちにある。編集は苦労したろう。気になるので、じっとカット変わりを睨んでいた。カット変わりを睨む余裕があるくらい、私は退屈な映画だと思った。物語が単純だし、台詞も平凡で、そんなところを観ていても迷うことはない。睨みつけていると、セットも、セットです!のような色合いと照明が気になり、映画そのものに、とても集中はできない。スタジオとロケの色合いが違いすぎる。加瀬亮の家のセット、特に2階部分などは、ベニヤのにおいがする。

 天王寺から地下鉄で梅田へ。カプセルホテルに3泊して、ちょっとへばっているが、少なくともあと5泊せねばならない。疲れた体で、疲れる宿へ入る。「ノーカントリー」があまりにもよかったので、ポイントなどにこだわらず、もう一度、観ればよかったと悔やむ。だけど・・・ポイントが使えなかったら悔やむだろうし・・・本作も気になっており、観られなければ観られないで、悔やむし・・・やはり、どんな映画も最初から最後まで観てみなければわかんないのよねっ!

 ここまで書いて、どんな映画にも、必ず、少しは誉めるところがあって、この頃の私は、悪いところは少なめにして、良いところを大きく書こうとしている誰かに媚びたイケない姿勢があるが、どう読み直しても、まったく誉めてない。だからといって、書き直す気はないけれど。  <45点>

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明日への遺言

2008年03月02日 23時30分00秒 | あ 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo  <シネプレックス小倉>

 2008.03.01鑑賞

 今日は小倉浸り。たまっているので、やっぱり今週も、3作品をハシゴする計画を立てた。「明日への遺言」(本日封切り)「陰日向に咲く」(上映一回のみ)「ジャンパー」(先行上映)である。「ジャンパー」のかわりに、今週いっぱいまでの「奈緒子」(上映一回のみ)にしようか迷うが、すべて重いと帰りがイヤになるので、ラストはぼーっと観たい。うまい具合に、食事の時間もたっぷりとれるスケジュールに仕上がった。もう、映画館のまわりの写真は撮らない。

 「東京裁判」を思い出された方も多いだろう。本作は、当時の裁判記録などを基に、忠実に再現したドラマだという。「東京裁判」は、四騎の会の小林正樹監督作品である。とても話題になった。長い映画だが、その行方をじっとみつめていた記憶がある。四騎の会には他に、黒澤明、木下恵介、先ごろ亡くなった市川崑がいた。四騎の会は、解散することなく消えた。黒澤明の助監督だったのが、本作の小泉堯史(こいずみたかし)監督である。

 小泉監督は、さすが黒澤組で、50歳を過ぎてデビューしたのだから、とても遅咲きだ。「雨あがる」のパンフレットを読んだとき、黒澤監督が亡くならなければ、一生、助監督で終わったかもしれないフシが、そういう事情が、この人、環境にはあるようだと思った。黒澤監督が亡くなり、脚本を受け継いで撮ったのが「雨あがる」だった。この静かで、気持の良い、すがすがしい空気を作り出したのは黒澤監督だろうか、小泉監督だろうか?当時、私にはわかりかねていた。しかし、遺作となった「まあだだよ」、その前の「八月の狂詩曲」たちを観ても、どうも黒澤監督とはちょっと違う。さて、これは・・・?・・・黒澤監督の意向を受け継ぎながら、自分の作品を撮りきったのだと確信したのは、「阿弥陀堂だより」を観た後だった。次の「博士の愛した数式」の3本が並んだとき、もはやこれは、「雨あがる」は、小泉堯史監督のもの、誰のものでもないとジッときた。小泉監督は、初監督作品から自分の映画を撮っていたのだ。やはり、映画は監督のものだと、あたり前だけれども思った。

 スタジオやメイキングを見なくても、黒澤組の中で叩き上げられたこの監督の厳しさ、強さ、逞しさがスクリーンから伝わってくる。丁寧以上に丁寧な画をつくる。台詞の一言も大切に扱っている。どれもこれも練りに練っている。本作も同じだ。だが、前3作品と空気が違った。脚本が淡々としているのは分るが、淡々としすぎている観がある。だからだろう、私は小説を読んでもらっているような錯覚を観ている間、何度もおぼえた。実際に、斬首するドラマが出てこないからだろう。どういうやり方だったのかわからない。必要ないのだろう。そこは想像に任せてある。観客は、裁判所の箱の中で知っていくことになる。

 戦争に勝った国が、負けた国を裁くのは、勝ったかどうかはわからぬけれど、最近では、フセインをテレビで見た。これは、繰り返される。戦争がどうの、裁判のやり方がどうのなんて、私は書かない。映画の演出だけについて書くと・・・演出と芝居が見事なのは、裁かれる側が、凛として、とても日本人的であることに、アメリカ人が困惑をみせ、傾きかける様子をカメラがとらえていることである。台詞はどれも重いけれど、噛みあいそうにない台詞を演出と芝居によって噛み合わせた。検事、弁護士、裁判官たちの心の表情を日本側にもってこんとする様は、うまいっ!と思う。そうしたうまさは、いろいろなところに見える。・・・だが、全体を通して、なぜか小説を読んでもらっている感じがする。淡々とし、緻密すぎたのか?私の頭が悪すぎるのか?煮詰めすぎているなと思うが、ここは、私の頭の問題として・・・。

 それにしても、オープニングから出てくるナレーターが気に入らない。正直、下手な部類に入る。語っている人物の顔も頭に浮かぶから、画を追うのが目いっぱいで、ナレーションを疎かに聞いてしまった。日本が戦争をしていたことを知らない世代もでてきて、そういう方に説明しているのだろうから、ここはわかっているからいいけれど、丁寧であっても端的に編集されているので、新しい映像なわけだから、もっとしっかり聞きたかった。

 心に穴のあいた気分で劇場を出る。わかっていないのではなく、どういう脚本から、この映画が誕生したのかを知りたい気持が先へ先へいっているのだった。「陰日向に咲く」まで1時間50分ある。久しぶりに、リンガーハットで、ちゃんぽんと餃子を食べる。高校生の頃はよく行ったけれど、大阪では滅多にお目にかかれることはなかった。九州では珍しくないが、ズルッとすすって、懐かしい味を思い出した。  <70点>

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L change the WorLd

2008年02月18日 23時30分00秒 | あ 行 (2008.2009.2010.2011)

L_change_the_world2  <シネプレックス小倉>

 2008.02.17鑑賞

 「歓喜の歌」を観終えて、表に出ると、先週の土曜日がウソだったような人の群れであった。シネコン前のゲームセンターには、すべてのマシンが動いているかのような人ごみで、映画館のテケツの前は三重に巻いている。日曜日だけは別のようだ。いつもの観覧車にも人が乗っている。ここの観覧車のゴンドラに人がいるのをはじめて見た。同じ風景の別の場所に来たようで、不思議な気持ちになる。北九州市は人口が減少していて、活気が失せているとはいえ、まだまだで、ここが下関とちょっと違うところだ。下関は、東洋一の港町で、映画館や芝居小屋がいっぱいあったのに、今では住んでいる地元の者が田舎者だとしているようで、すでにその意識が活気のない街にしている。夜の8時には駅前は静まり返っているが、改革は目に見えるものだけではなく、意識を先に立たせることもできるのだけれど・・・先にたってやる者が少なく、やる者に対して、後から批評をするのが、ここに住む人の気質だという。新しいことは人に任せ、街を活気づけることは何もせず、やる者、やる事に対して批評だけをするとは、ちよっいと、たちが悪い。そう聞くと、やる気をもった人たちの生気が、徐々に失せていくのもよくわかる。お金にならないのに、住む街を活気づけようと、あちこち走り回って、文化的、芸術的な催しをしても、鼻をほじりながらアグラをかいてその一部だけしか見ていない人が足を引っ張る。これは、私が中学生、高校生の頃にも少しは感じていたことだ。

 下関は、シネクラブみたいな集まりはあるけれど、それは定期上映で、気軽にふらっと入れる感じの劇場はない。映画は、気軽にふらっと入って観るものである。下関スカラ座シアター・ゼロでは、秀作は上映するが、全国一斉公開ものは上映しない。本作のような完全なる娯楽映画は、下関ではDVDに頼るか、オンエアを待つしかない。ただ残念がっているだけではなく、馬鹿にしているわけでもない。文化、芸術に関して、映画に関して、議員たちがなーんにもできないならば、意識がないならば、下関をなんとかせねばならない、具体的に行動を起こさねばならないと思っている。・・・シネプレックス小倉にやってきたからには、全国一斉公開を優先する。そして、今日は日本映画の3本のハシゴである。観る前にいつもの発作はあったけれど、映画を3本観ることができるという嬉しさが、私の殻を破ってくれて、かたまっていた筋肉を緩めてくれる。

 「L change the WorLd」公式サイト  オフィシャルサイトへ

 本作は、「デスノート」の前篇、後篇の大ヒットで、別バージョンとして制作されている。タイトルの通り、Lのもうひとつの世界が描かれていた。前2作との絡みもある。「デスノート」は、あり得ない、とても滑稽な世界だが、それをアルもののように思わせて、楽しませてくれる。原作のコミックはどうあれ、流石、金子修介監督で、観客側から演出し、制作者との呼吸をピタッと合わせた。この監督、何を撮らせても自分の世界を大事にしつつ、どれも面白い。新しい「ガメラ」シリーズは、大人の観る怪獣映画に仕上げられた。「神の左手悪魔の右手」も、金子修介がバトンタッチして正解だったと思わせた。脚本の出来、不出来によって映画も出来、不出来となるけれど、不出来であったとしても、金子修介監督ならば、ある程度、それなりの映画をみせてくれそうだ。私には、そんな印象がある。

 監督は変わって、中田秀夫。「リング」で大注目を浴び、ハリウッド版も監督している。中田秀夫監督は、ホラーを得意としていて、映画ファンならずともその名が知られる。私は、この監督は、随分と波のある人だなと思っている。「リング」「リング2」は好きである。昨年公開された「怪談」も、久しぶりに良かった。日本のおどろおどろしい幽霊の世界を楽しませてくれた。すべてを観ているわけではないけれど・・・ハリウッドでもリメイクされた「仄暗い水の底から」は面白かったかえ?ハリウッド版の「ザ・リング2」は、日本版「リングゼロ」並の程度だったような記憶がある。私は今でも、中田秀夫監督の最高作は、1996年に単館系で公開された「女優霊」だと思っている。でも、徹底的な駄作と呼べるものは今までない。だから、金子修介監督とはいかないまでも、本作には期待が半分ある。

 これはこれで、デスノートとは別に楽しめるストーリーになっていた。「アウトブレイク」を思わせるオープニングで、そっくりそのままじゃないか!だが、違うところは、この後、荒唐無稽になっていくところだ。このシリーズは、荒唐無稽でいい。それをリアルであるかのように思わせるマジックを楽しむ。全体を通して、ハリウッド的なノリだけれど、大規模にはやらない。予算のせいだろう。やれないのだろう。小さな世界でコマゴマと行動を起こすが、B級!と割り切って観ると、とても愉快だ。南原清隆なんていらない。しかし、なんだか貫禄のついた工藤夕貴が抜群の味を出す。とうとう実力派女優になっちゃった。この役は、男ではいやらしすぎる。女が演じるべきで、適役だ。迫力もある。つらい姿勢で、そのものになりきっている松山ケンイチも、若いのに、どんどんいい俳優になっていく。だが・・・この映画、デスノートの前に公開されていたら、とんでもない秀作になったかもしれないゾ。キラ事件を追うために、日本へ行くというオープニングが、最初に作られていたとしたら、後に観る2作にひっかかるので、印象はかなり変わる。なんのことやらわからぬワタリとの会話だが、デスノートでそれがわかるとしたら、名シーンになったかもしれない。いずれにしても、ヒットはする。日曜日の昼の回は、ほぼ満員だった。

 テケツに走り「チーム・バチスタの栄光」のチケットを買う。空いているとのこと。いつものように、後ろの通路側を頼んだ。3本もハシゴすると普通の人は疲れるのだろうが、今の私は活き活きしていく。生き返ったようで、外の空気も美味い。タイムスケジュールを観ると、観ていない作品がいっぱい並んでいた。どれもヨダレが出るほど観たい。次に小倉にやってこれるはいつかわからないので、タイトルの列を見なかったように目を瞑り、ヨダレをごくんと飲み込んだ。  <75点>

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earth アース (日本語吹替版)

2008年01月13日 23時00分00秒 | あ 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo  <なんばパークスシネマ>

 日本のNHKでもよく放映されるが、イギリスBBCが制作した「映画館で観る為の」環境映像である。イギリスBBCは、金に糸目をつけず、世界中を駆け巡る。NHKも同じだが、何年もかけ、テレビで一度だけ流してしまうのがもったいないほどの作品を放映している。私は「プラネット・アース」を酷評したけれど、それは、映画館で観るほどの映像ではないと思ったからだ。こんな映像は、NHKに膨大にあり、民間放送局にもある。そう思った。今までの映像をアーカイブス倉庫から引っ張り出してきて、編集してつなげたって、何も感じるものはない。環境問題が叫ばれている中であっても、あの程度の映像を観ただけでは、観客の心を動かすことはできない。私たちは完全に不感症になっているので、このまま崩壊を止められるはずはない・・・そう思っただけだった。

 だが、本作は、以前の環境映画とは違い、同じスタッフが制作したとは思えないほどの秀作に仕上がっている。いま、たったいま、観ておかなければならない現在の映画である。

「earth アース」のHP  オフィシャルサイトへとびます

 20時40分のレイトショーは、ほぼ満席の状態だった。産業廃棄物やリサイクルに関して、日本のボーとつく名の職業の方々の大きな収入源になっていることは、誰でも知っている暗黙の了解みたいなところがあって、私はあまり納得できないのだが、さらに政府が支援金を出すので、この先、どうなっていくものかと思う。環境の問題を軽くしていく度に、ある団体の懐を肥やすのは、あまり好きではない。一部ではあるが、小さな処分場業者が、みんなの意識改革によって、これまた偉そうになっていって、どんどん儲かって、自社ビルを建て、横柄な態度になっている。給与もボーナスも半端ではない業者に化けたりする。ビデオを作ろうと、ディレクターと打ち合わせをするが、かなり偉そうであることがたまにある。環境問題で、リサイクルが進み、二酸化炭素の削減を考えることはいいことだけど、それを利用する人も中にはおり、、金儲けのチャンスだったりする。問題を考えたり、貢献したりする人が増えれば増えるほど、儲かる仕組みになっていて、ただ、地球を守ろうという素直な気持は、裏を見ている者にとっては、なんだか忸怩たる思いがある。リサイクルといっても、リサイクルされたそれら製品は、どうかなぁ?と、思うものもあるにはある。一部、報道されてはいるけれど、もっと、悪意のあるリサイクルや産業廃棄物の現場を映し出してほしいと思う。なかなか写せず、まず絶対に拒否される現場だが・・・。

 とは言え、本作は、どうやって撮ったのかと思うほどのアングルが続き、見事な地球の自然、動物たちをみせてくれる。専用のヘリやセスナに取り付けられた高度なスカイカムは、上空をほぼ静止の状態で自由自在に撮る。何台もの超大型望遠レンズで、同じ一箇所を他方向から写す。私たちは何分かで観るけれど、目の前に写るその壮大な景色、生き物の何分かを撮るために、何週間、ときには何ヶ月も要したろう事を察する。これが私たちの観る最後の地球なのか・・・90%、私はもう遅いと思っているが、未来に向けて新しい技術が地球を救う手伝いができるならば、私たち一人一人も、それを考え、実践していかねばならない。それが今であり、この映画の上映中である。来年ではない。このまま何もせず、来年の今ならば、また違った形で映画を作らねばならない。それでも気づかない人は、もうどうでもいい。この世から車がなくなれば、問題の8割は解決されるのはわかっているのに、不便なだけで、車を乗り回している人にはどうでもいい。

 それにしても、北極の白熊が、一週間も泳ぐとは思わなかった。すさまじい体力だ。これを観ると、「不都合な真実」のあの白熊部分は頼りない。なめただけに過ぎない。本作は、飢餓で死んでいこうとする白熊が、最後に賭けた様子を克明に狙っている。まだ間に合うのならば、どれだけ不便になろうが、どれだけ面倒だろうが、地球を壊さないことをする人を一人でも増やそう。これは偽善ではなく、私は長年、その廃棄物の裏側を覗かせてもらい、ひどい有様を見てきたからだ。リサイクルの現場も、もっと考えるべきだ。あれは本当にリサイクルのかも、私としては疑問だ。リサイクルされたあの商品が、私たちの手元に戻っても大丈夫なのかと思う。

 映画館で観る「環境映像」としては、私の知る中では最高傑作であると思う。10年後に、「あのときの映画が訴えていたのに、過ぎてしまった」などと思うことのないよう。いま、私たちができることをしよう。分別ゴミでも、それは大きな地球環境を保護するための貢献である。歩いて10分のところに行くために車には乗らず、歩いていくのも、地球環境を保護するための貢献である。気がつく度に、ひとつひとつ増やしていき、実行することが、私たちを守り、動植物を守り、地球を守る。人間は、すべての動物の頂点に立っていると自惚れるなかれ。それらのひとつに過ぎない。いつかは、人間も絶滅種のひとつになろう。  <85点>

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AVP2 エイリアンズVS.プレデター(字幕版)

2008年01月01日 23時30分00秒 | あ 行 (2008.2009.2010.2011)

Avp2_vsAvp2_vs_2  <なんばパークスシネマ>

 新年、あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。

 というわけで、元日は、毎年、映画を観るようにしていて、何年か前までは、オールナイトで年越しをするのが常だった。ここのところ、年越しで映画を上映してくれず、朝からでかけて観ているような気がする。昨年は・・・忘れたが、昨年のことはどうでもいい。今年は、元日に4本の映画をハシゴするべく、朝8時に起きて、着替えの準備をする。

 バラエティ番組を見ながら、着替えていると、国文太一が生放送で「初夢は見ましたか?」と、共演者に聞いている。初夢は、元日の夜から二日の朝にかけて見るもので、元日に初夢はまだ見ることはでくきないが、その相手は、「31日から寝てないので、まだ見てないですぅ!」と応えている。わけがわからない。しばらく経った後、「今日の元旦の夜は、どういう予定ですか?」という者もいる。元旦は、元日の朝のことだから、つまりは、「今日の元旦の夜」という言い方は、とてもややこしい。元旦と元日を同じ意味だと思っているようだ。それでも、何十人という共演者は何も言わない。馬鹿馬鹿しいので、テレビを消し、地下鉄で難波に出て、正に元旦の街を歩く。毎年、元日は1,000円だけど人は少ないのに、『なんばパークスシネマ』のロビーは、チケットを買う人たちで賑わっていた。

 前作は、2004年の公開で、私はこのドッキングを聞いたときに、エイリアンもプレデターもすべて終わったのだと思った。だが、B級扱いの気持で大劇場の椅子に座り、スクリーンに展開するそれを観ていると、これはただごとではないと思った。エイリアン3でどうでもよくなったあのシリーズが見事に蘇えって楽しませてくれるし、狙ったものしか倒さないプレデターとの格闘は、とてもB級などと言ってはいられなく、手に汗握る展開でドキドキ感を最後まで与えてくれて、超娯楽A級映画として、とても満足した。もともとは、ダークホース・コミックというアメコミから映画化されたらしいが、この滑稽とも思えるドッキングで、存分に観客の心を掴んだのは、脚本と監督を担ったポール・W.S.アンダーソンのおかげだろうと思う。アメコミよりも以前に、熱烈なエイリアンファン、プレデターファンであった監督は、とても凡作に仕上げるなんてできなかったようだ。熱烈なファンだから、独自のアイデアも蓄積していた。アイデアがどんどん出てきて、それをフィルムに焼き付けた。つまらなく作れないから、つまらないはずがない。娯楽作品として一流の映画だと思った。だが、監督のもつ力は、その一本のみに焼き付けられ、パート2など考えていなかったらしい。本作は、監督が変わった。前作の大ヒットがあったのだから、引き継ぐべきだが、出し切ったからだろう。

←第一作(これは面白かった!)

 今回の脚本は、前作で共同脚本だったシェーン・サラーノ一人になっている。監督は、映画初監督作品の兄弟監督らしい。その情報は前からあって、期待はしていたが、少々、儲けたからだけではないの?と、疑った。アメコミとはいえ、ポール・W.S.アンダーソンが関わっていない。どこかで関わっているのかもしれないが、大きく出ていない。そして、私の予想は哀しいかな、当たった。前作があれほど面白い娯楽丸出しの超大作に仕上がっていたのに、本作は、前作の足元にも及ばない凡作であった。別にいいのだが、無理矢理の設定で、その無理矢理から、我を忘れるほど楽しませてくれない。これ事態、真実味などないのだけれど、それを投げ捨ててしまうほどの構成、物語、アクションではなかった。前作は、あり得ない設定でも、それを無視させてくれたのだった。大作ではあるけれど、物語はB級である。

 タイトルを「エイリアンズ」としたのは、エイリアンシリーズへのオマージュだろう。AVP2となっているが、パート2なのに、「ズ」が付いている。これはなぜか嬉しい。「エイリアン2(原題:エイリアンズ)」を監督したジェームス・キャメロン監督は、「タイタニック」でアカデミー賞を総なめして以来、新しい作品を撮っていないが、まだまだ新作をと願う。「ターミネーター」「アビス」「トゥルー・ライズ」と、駄作がない監督だ。女性が逞しく描かれ、大活躍してくれるのも大好きだった。本作とは関係ないことを書いているが、前作のように、スクリーンに釘付けとはいかず、別のことを考えさせたり、思わせたりさせる余裕のある映画だ。これを正月にもってくるとは、10年前の正月だったらあり得ないだろう。余程、配給会社は、アメリカのアクション大作に困っているのだろうか。  <60点>

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俺たちフィギュアスケーター

2008年01月01日 22時00分00秒 | あ 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo_9  <なんばパークスシネマ>

 本作も、昨年の暮れ、歯の痛みでチケットを無駄にした自分だけのいわくつきの映画である。予告篇を観て、それだけで楽しくさせてもらったので、どーしても観ておきたかった。4本目となると、ちょっと目も腰もお疲れ気味だが、コメディなので、楽だろう。

 何度も書くけれど、お正月映画とは思えない。しかし、とても面白く楽しませてくれる。スクリーンを観て、久しぶりに何度か声を出して笑った。ウィル・フェレルの野人のようなやりすぎの顔つきと、美少年とも言えるイケメンの金髪のジョン・ヘダー。まったく違ったタイプの容姿に加え、性格も180度違う。金メダル争い敵の二人。それが事情あって、ついにペアを組み、フィギュアスケートをするのだから、馬鹿馬鹿しくもよく考えられてある。全体としては、そこにヒントを得て物語を広げたのだろう。だが、実は、男のペアのフィギュアスケートのエンディングに至るまでが抜群に楽しい。邪魔する者も現れ、昔からあるタイプの、目標を達成するまでの笑いの積み重ねだけれど、いちいち気が利いている。

 アメリカ映画の笑いは、日本人にわからないことも多く、ピントがずれているなと思う作品も輸入されてきた。しかし、本作は、私たち日本人も十分に笑いを堪能できる。エンディングに笑いが詰め込まれているとばかり思っていた私は、なにかあるごとに、クスッと笑った。大きな設定で、大きな笑いに向かっていくが、その中に、細かな笑いがいっぱいある。妙な間も、大袈裟ではないので、日本人でも好感がもてるだろう。

 女性と女性がペアを組むと、感動作になりかねない。男性と男性が組むと、笑いになる。フィギュアスケートだから、持つところに困る。目の前に股間がくる。このあたり、ツーショットとアップの切りかえしが続くが、背後の風景はそのままで、手は抜かず、しっかりと撮ってあるのがわかる。作り手が、真面目に真剣になればなるほど、笑いも増すのだろう。そこに至るまでも、もちろん手は抜いてない。全体的に落ち着いたカメラだから、ウィル・ファレルのアドリブを期待した観がある。それで正解だ。脚本の展開が早く、そこはカメラも走る。アドリブを求めず、それだけで笑顔になれるシーン、カットをふんだんに用意したからだ。元日のレイトショーは、人も少なかったが、疲れて、日ごろのイライラなどをひと時でも忘れたいのならば、迷わず、本作をと思う。

 同時に公開されていた「オーシャンズ13」の収益を超えたというから、コメディとしては、大したものである。4作品を観てきて、いつも4本目というのはダレテ観てしまうのだが、私はこの作品が、今日の最もお気に入りだった。ジクジクした気持は残らず、気分よく劇場を後にした。本作を最後にもってきておいて良かった。

 外へ出ると、寒いというより、痛いほど冷たい風が吹いていた。寒くて痛いけれど、元日から映画をたくさん観させていただき、私の心はホッカホッカだった。長い長い冬が続いているけれど、今年こそ、素晴らしい年でありますように。星の見えない大阪の夜を見上げて、自分のことを祈った。  <75点>

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