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活動写真放浪家人生

活動写真を観ながら全国放浪の旅ちう

愛のむきだし

2009年06月17日 23時00分00秒 | あ 行 (2008.2009.2010.2011)

2 <下関スカラ座シアター・ゼロ>

 「歯は白い方がいい。白いものはみんな美しい。」・・・意気消沈のまま正気を失ったユウの父が、悟ったようなことを言う。教会も白く、新興宗教も白く、西島隆弘を勃起させる満島ひかりのパンティはもちろん白い。そして、青春の真っ只中をゆく彼ら彼女らの前途は更に真っ白で。汚れてきたろうけれど、まわりの中年たちの前途も白いままだ・・・すべて真っ白。白いものに色をつけ、破り、かきまわして、濁していく。しかし、どんなに汚し塗りたくっても、最後は白の世界に戻されるのかもしれない。この監督は、手垢のついてない真っ白い新人俳優が好きだという。

 ミニシアターの、それも端っこで公開されているはずの4時間のハチャメチャ映画が、下関スカラ座シアター・ゼロにやってこようとは夢にも思っていなかった。観たいとは思っていたが、この地に住む者としては諦めていた。が・・・支配人の奥田瑛二氏の娘、安藤サクラが出ているという理由からだろう、ここまできた。

 映画を観たら駐車料金3時間無料(無料時間が短い短い、ひどい話だ。せめて5時間にしろ、テナント会社のバ〇!)なのに、4時間の映画をかけてしまっている。シネコンではなく、オレの映画館の場合、こういうことができる。副支配人をみかけたので「人は入ってますか?」と訊ねたら、がっくりした顔で「いえ、全然です。」と即座にこたえた。私は「長いですからね。」と言ったが、それだけの問題ではないのはわかっている。本作はかなりマニアックな映画で、下関で上映されるのはとても稀少。この地の人は誰も忙しいので、来場は期待できないだろう。福岡の都市部からわざわざ観にきそうではある。

 水曜レディースディで、私のほかに女性が2人、座っている。2,500円の映画でも女性は1,000円だ。私は会員の料金、1,800円を支払う。

 斜陽だ、テレビで十分と言われながら、それでもガムシャラに撮っていた頃の1960年から70年の日本映画。それも東映と、末期の日活ロマンポルノのにおいをプシュプシュと噴きだしている。「あの頃の映画の漂いを集めてきて、ぐっちゃぐちゃに混ぜて、再構築させたらこうなった。」何を言いたいのか・・・だろうが、アングラのようなメジャーな映画で、もうムチャクチャ。エロとグロと気の狂った変態世界を詰めて煮込んでしまった。凝縮もしたけど、上映時間はとても長い。

 あの東映の大ヒットシリーズ『サソリ』を演じた西島隆弘の力強く弱々しい両性的顔立ちはどうだろう。とても美しい満島ひかりの純な目の輝き、目力はどうだろう。渡部篤郎の鋭利な刃物のような怪演。そして、とても美人とは言いがたいが、次々と出演作が控える安藤サクラの存在感をはじめて感じることができた。キャスティングが冴えているのは、最近の映画では珍しいかもしれない。

 最近はもう、ムカつきすぎて、しぼんでしまった。映画は映画館でとは言わない。DVDでいいので、是非、ご覧いただきたい。エログロの非常識のわかる人だけね。  <85点>

 ブログはもう書けないと放っておいたけど・・・気づいたら12月。なんか焦ってきた。やばい!とりあえず一気に走ってみる。

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英国王 給仕人に乾杯!

2009年06月13日 23時00分00秒 | あ 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo_4  <シネプレックス小倉>

 ハリウッド映画はもうあかん!・・・頭のどこかでつまらないだろうと考えつつ、予告を観たばかりに、胸のどこかがもやもやぁとなって、そのうちワクワクしはじめて、いざ映画館へ!ということが、これまでン百回とあった。私の観る頻度からするとン千回だったかもしれない。映画館に行かなくちゃならない予告との出合いは限られるけれど、チラシやポスター以上に効果は高く、今も大きく興行収入に影響しているだろう。

 まったく別々のカットをつないで、新たなシーンを創造させる・・・本篇を観てから、その作品の予告を観直して見ると、ハリウッドの予告はやっぱりうまいと感心することが多い。日本もヨーロッパも、ハリウッド以外は、予告の作り方が下手だ。これ、昔から今も変わらない。

 予告を本篇上映前に流す目的は、上映に遅れた人の「お待ちしています」のためでもあるようだが、もちろん、次回、足を運んでもらいたいからだ。・・・ハリウッドの予告には、半端ない予算がつく。日本映画なら一本、できるだろうという予算がつくこともある。日本、フランス、イタリア・・・各国語のタイトルロゴ入り、その国にあわせた予告まで作ってしまうという。創造性に斜陽感漂うハリウッドだけれど、まだまだうらやましい、日本にはまねできない部分がいっぱいある。だからこそ私などは、ハリウッドを気にしまくりつつ、日本映画を判官びいきしているのだが。

 まさか・・・どこだかチェコの、とても荒くつないだ字幕なしの、下手っぴいの予告が気になるとは思わなかった。ミニシアターでこれを観たなら、まったく記憶に残らぬ予告で、鑑賞予定に入れることはなかっただろう。だいたい私の頭では、いまだにチェコ・スロバキアのままである。どこかも漠然としている。・・・地方都市のシネコンで、他とはまったく違う色の予告だったものだから、頭に残った。

 この笑いは、とてもとても辛らつで、世の不条理を嘆いている。・・・私はチャールズ・チャップリンを思い出した。チャップリンは、今の情勢に嘆き怒り、それを喜劇という形で大衆の知るところとした。喜劇だけでもトップクラスなのだから、世界の政治を相手にするのだからびっくりする。いま観ているのは、それよりは稚拙だけれど、近い。チェコという国に置き換えてたチャップリン映画を観ている気がした。笑いとか、怒りとか、毒とかいうものは、別々のところにあるようだが、実は背を向けただけの隣りあわせであることがわかる。プッと吹き出してしまうようなシーンのすぐそばの川に流れているのは、なんとも痛々しく残酷な、とても溶けない物体である。

 それよりなにより、地理的にも歴史的にもチェコをほとんど知らない私を楽しませている本作の力が素晴らしい。お国柄や事情は知らなくとも、それを頭に入れながら同時に笑いも注ぎ込んでいて、どこのどんな国の人も鑑賞できるように計算されている。構成とシナリオが秀逸だからだろう。また、俳優だけではなく、カメラ、編集の力が、主人公の心を語る手伝いをしてくれてもいた。       <70点>

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おと・な・り

2009年06月12日 23時00分00秒 | あ 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo <シネプレックス小倉>

 この頃、1950年代から60年代の、それも有名ではない添え物映画をDVDで見る機会を得た。見ながら、どうも最近の映画は活気がないなと思う。味もないが・・・。今の映画、どんなに迫力あるアクションでも、大きな人間ドラマでも、画面から活き活きとした空気が伝わってこない。現在の映画だけしか知らない映画ファンはそれで満足かもしれないけれど・・・。私だけなのか・・・。

 あの頃の添え物は、80分、90分ものが多いのだが、今の2時間以上のドラマよりエピソードが詰まっている。そして、期待を大きく裏切るようなことはしない。2時間以上、3時間以上のエピソードを詰めて詰めて、映画館に好まれる上映時間にしたという感じがする。だから、特典映像についている予告を見ると、本篇にないカットがいっぱい出てくることもある。今の映画だと15分かかるエピソード・・・これを5分で片付けてしまうので忙しいけれど、でも、煮詰めてエキスを搾り出したようで、こちらの胸にガッシリと食いついてくる。

 私のブログは邦画も洋画もバラバラに入れているけれど、どちらかというと、邦画が好きである。邦画がなかったら、あのような生き方をしなかったろう。邦画の世界に入りたかった頃があった。しかし、今の邦画ではない。斜陽とは言われながらも、まだまだ我武者羅に走り回って暴れまわっていた頃の邦画である。ありがたいことに、DVDになって、いろんな映画を気軽に見ることができるけれど、最近の映画をとても借りよう、買おうとは思わない。シネコン前のスケジュールを見ていて、お行儀の良い映画ばかりで、時々、うんざりして、帰ろうかしらんと思うこともある。

 本作は、最後まで飽きずに観られる良作のうちだが、これが20年前に公開されていたとしたら、駄作の部類に入るのではないかと私などは思う。複雑になりすぎた現代社会で、やや精神的に不安定になってしまった男と女の物語。うまくいかないのに穏やかで、なにをグジグジと悩んでいるのだ・・・今は普通なのだろうけど・・・・。30過ぎて、大人になって、ファーストキスの甘酸っぱい雰囲気を延々とつないでいく感じは嫌いではないけど、ちょっと強引過ぎる特別カットがいくつかあって、ベタだなあと幻滅する。隣同士で歌うシーンは、観ている私がこそばゆい。麻生久美子を追いかける男の逆切れは、計算高いことをやった割にはあっけない。

 ただ、本作の最後のシーンは、うまいなと思う。あのぶつ切り、エンドロールは、これまでのトロトロしていた気持ちを一気に清算してくれる。二人の会話が少々長いけれど、ロール中、画面を観客に想像をゆだねてしまうのは、二人が重なるカットが少ないからこそ、かきたてられるものがあった。・・・しかし、どーして、あんなウマい具合のきれいなレトロなアパートなんだろう。隣の部屋の音が聞こえるというだけで、あんなに凝ることはないだろうに。というのも、美術の仕事が画面に出すぎて、私などはそればかりが気になって、物語に集中できないからだ。   <75点>

Photo1  6月12日金曜日・・・サービスデーでもない平日の映画館に、客はこない。サービスデーでも少ないのに・・・。テケツもひとつしかあけていない。全国にシネコンが乱立し、この一年、消えていくシネコンも目立つようになってきた。映画館は徐々に消えていく様子だったが、シネコンの登場で、全国、一気に潰れてしまった。スクリーンひとつの映画館ではとても勝ち目はない。だが、その映画館を潰したシネコンが、撤退してしまったら・・・資本のあるところは非情なことをする。シネプレックス小倉は、10周年。小倉にできた最初のシネコンである。いつまでも頑張って、この地に根付いてほしい。

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戸畑まで行ってみる          「お買い物中毒な私!」

2009年06月02日 23時00分00秒 | あ 行 (2008.2009.2010.2011)

 28万人都市の下関市(人口はどんどん減っている傾向にあり)は映画館が1つ、2スクリーンしかない。だが、そんな下関からわずか500m、海を隔てた98万人都市の北九州市(人口は穏やかに減っている傾向にあり)には、4つのシネコンがと1つの名画座がある。スクリーンの総数は38である。人口に対するスクリーンの割合は、下関市が14万人に1つのスクリーン、北九州市が2万6千人に1つのスクリーンということになる。下関市にはポルノ映画館が消え、北九州市にはいくつかは残っているので、それを足せば、いや足さなくとも、もう、下関市の映画館の灯りは、線香花火が落ちる寸前のチョロチョロだろう。

Photo_3 私がいつも通う「小倉」から、鹿児島本線でわずか10分足らずの「戸畑」駅前に、『ワーナーマイカルシネマズ戸畑』があることは知っていた。知ってはいたけど、なかなか足を運ぶ機会がなかった。このシネコンは、全国系の封切館で、わざわざ足をのばさずとも、小倉で鑑賞できる作品ばかりがかかっているからだ。しかし、今日は別の所用があり、この駅に降り立った。門司で乗り換えると、快速で15分だ。快速は途中駅を通過するので、小倉から2つ目の停車駅だった。こんなに近かったのかと思う。ホームに降り立つと、若戸大橋が見えた。古くは「神様のくれた赤ん坊」、最近では「サッドヴァケイション」に登場する朱塗りのつり橋だ。私は観ていないが、「おっぱいバレー」にも出ているかもしれない。この辺りが舞台になっている。昔はこのつり橋を歩くことができたが、交通量が多くなり、歩道を車道に変更し、今は歩けないのだという。「神様のくれた赤ん坊」のラストで、渡瀬恒彦と桃井かおりが歩くシーンがみられる。

Photo_4  以前は、古びて寂れた印象のある駅前だったらしいが、現在の戸畑駅前は、洒落た感じの建物が並び、清潔感がある。・・・さて、映画館は?と探す間もなく、サティが目に入る。駅舎とほとんどくっついている。ムービーウォーカーには、駅から徒歩1分と書かれていたが、サティの建物内に入るだけだとすれば、20秒もかからない。徒歩1分を計って歩いてみると、意外と距離があるのに気づくが、この場合、歩く時間を与えていない。もしかすると、改札口からテケツまでの距離かな?と思う。

Photo_5  ワーナーマイカルなので、巨大なサティの中に鎮座するハズだ。ビルは4階建てなので、4階部分にあるのだろうと、駅から最も近いエレベーターで上がる。エレベーターの扉が開くと、目の前にシネコンが現れた。私はとても意地が悪いので、ここまでの正確な時間を計る。ロビー前まで1分かからない、50秒だった。親切すぎて、逆に損をしており、こんな書き方では、不動産業はつとまらない。

Photo_6  テケツは4つあるが、客が少ないので、1つしかあいてない。意味なく、ロープが張られ、クネクネとテケツまで歩かされる。バカらしくて時間は計らないが、このクネクネを入れたら、テケツまで1分かも知れぬ。お車は?蔦谷のTポイントは?と訊ねられる。蔦谷のTポイントとの提携は6月で終わり、以降は、ワーナーマイカル独自のサービスでいくらしい。ここでも蔦谷のカードを作ってもらえるが、期日も迫り、下関には残念ながら蔦谷がないので、持つ必要もない。

Photo_7  戸畑駅の改札からサティ内へ、エレベーターで4階へ上がり、テケツに寄り、ロビーへ入ったが、ほとんど人を見かけなかった。ロビー内も閑散としている。アルバイトの数の方が上回っている。平日の地方都市のシネコンはどこでもこういう光景で、先が危ぶまれている。ここ数年、オープンするシネコンもあるけれど、撤退するシネコンも目立つようになってきた。生き残りをかけて、どこもサービスディを充実させて、させすぎているものだから、まともな鑑賞料金1,800円の日を観客は無視している感じがする。シネコンが近くにあるから、シネコン同士が潰し合いをしている観もある。

Photo_8  毎月1日、水曜のレディーディ、シニア、夫婦50、高校生3人1,000円は当たり前になったが、地方のシネコンではどこも、独自の曜日でメンズディを設けている。それにプラスして、カップルディ(シネコンによっては男同士もOK)、毎週何曜日かは会員ならば1,000円、シネコンが決めた毎月何日かは1,000円・・・これがシネコンによってバラバラで、正規料金の1,800円の日がとても少なくなってきた。思えば、1,500円だった前売り券は、いつの間に1,300円でオマケ付になったのだろう。・・・・・このワーナーマイカルシネマズ戸畑は、北九州市のシネコンではどこもやっていない18:00以降の上映は毎日1,000円という観客にとっては有り難い、他のシネコンにとっては迷惑極まるサービスをやっている。会社帰りの18:00以降が最も集客を望めるはずなのに、どれを観ても1,000円である。所用で来たのだが、もうすぐ18:00・・・これは観なければなるまい。映画料金になんの抵抗のないハズの私なのに、サービス合戦を見ていると、どーしても1,000円の日や時間を意識してくるようになった。まともな土日に足が向かなくなり、どうもセコイ。

Photo_9  サティを一周すると、裏手の駐車場入り口にワーナーの看板が立っていた。戸畑駅側は地味であるのに、駐車場側は、映画館はこちら!という意識ある看板だ。今や二酸化炭素をばらまく車社会。玄関は、電車でやってくる客の方を向いてくれない。 駅前から歩いても人影はまばらだったが、こちらは車がひっきりなしの入出庫状態である。警備員も忙しい。

 サティ内の中華屋で、ラーメンと餃子とチャーハンの夕食を済ませ、「お買い物中毒な私!」の上映時間5分前に着席した。人の多いときには全席指定なのだろうが、私のいただいたチケットには「自由席」と記してあった。観客は私を含めて5人だった。5人だから、この上映の売り上げは5,000円である。

Photo_11  <ワーナーマイカルシネマズ戸畑>

 33歳のアイラ・フィッシャーが、破天荒でキュートな25歳の重度のお買い物依存症の女性を演じている。若いなと思う。15枚もカードを持ち、欲しい物は何でも買ってしまう。とても支払えない毎月の返済で、逃げ回る日々。これを断ち切ることができるか?・・・そこに興味がいくが、結末は読めてしまう。加えて、仕事や親友や恋、人間関係のややこしい問題など、いっぱいこまかなエピソードが雑多に出てくるけれど、どれも消化不良気味で、平坦で味気ない。快活に生きる女性を描くコメディとしては、冴えた映画ではない。原作は評判で、ベストセラーらしいから、脚本が下手なのか、演出が下手なのか、映画だけでは何の魅力も感じない。

 同じ脚本で映画とするならば、アイラ・フィッシャーが、若かりし頃のゴールディ・ホーンだったらどうだろうか?と私は思った。この役は、ゴールディ・ホーンが適役だ。計算しているつもりでもバレバレで、うまく騙したと思ってもすぐに見破られ、破天荒極まり、それでいてキュート・・・ボリュームある金髪と屈託のない笑顔がさらにそれを際立たせる。現在のハリウッドには、そんな女優はいないかな?いくら頑張ってみても、アイラ・フィッシャーの賢さが伝わってきて、演じている観があるのが、残念であった。  <40点>

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おくりびと

2009年05月13日 23時00分00秒 | あ 行 (2008.2009.2010.2011)

001  <下関スカラ座シアター・ゼロ>

 『おくりびと』は、「下関スカラ座シアター・ゼロ」で、5月1日~6月12日(予定)まで上映しています。ここをクリック→下関スカラ座シアター・ゼロ-タイムテーブル ←クリックすると、シアター・ゼロのタイムスケジュールへ飛びます。みんな、急いで観にいきましょう!映画館で観ることができる最後のチャンスです!

 つい先日、5回も観る機会をのがしてしまったことを書いた。私に縁のないアカデミー外国語映画賞である。もうDVDになってレンタルビデオ店にズラズラと並んでいるが、まだまだたくさんの映画館で上映中である。まさか、ここまでのロングランとは思ってなかったのだろう、DVDの発売時期をもっと遅らせれば!と悔しがっている関係者も多いに違いない。「崖の上のポニョ」なんて、その点、計算づくである。公開から1年以上先という、最近の映画では珍しいほどDVDになるのが遅い。私などはそれでも早いと思うけれど、やっぱり・・・公開から1年くらい待ってほしい。映画館とDVDの儲けの計算を先にやってしまう今の映画界は、自ら「映画館で映画を観よう」という行為を邪魔している。

 大都市圏の映画人口は横ばいでも、地方都市では着実に人入りは下がっている。どんどん1000円の日を乱発するもので、普通の日の劇場内はその街の人口密度より低いのではないかと思わせる。シネコンの乱立は今、次々にシネコンを閉めるという事態になってきた。それでもシネコン建設計画は全国にあり、今年、来年とオープン間近の施設も少なくない。とうとう、潰し合いの様子を呈してきた。劇場を見ても、ネットで知る情報を読んでも、この先、映画のアンカーの前途は決して明るくないことは私にもわかる。

2  滝田洋二郎監督モノは基本的に娯楽作品である。ない頭で考えたり、眉間にしわを寄せてスクリーンをみつめることがないので、娯楽作品が私は一番好きだ。映画を観るという自分だけの、一人の時間の楽しみを倍増してくれる。だから、滝田洋二郎監督というと、観るようにしている。ちょっとイヤな言い方をすれば、観る前から「安全」という作品を作り続けている観のある監督だ。それでも何本かは、私にお気に召さない作品もあり、その度に、滝田監督は終わったかと思わせたが、また楽しさが戻ってくる。「陰陽師2」みたいなものも調子に乗って作ってしまうけれど、この監督は、観客を存分に楽しませようとする観客側からの視点を大きくもった人だと思っている。映画は楽しくなきゃいけない・・・そんな気持ちが伝わってくるという監督は、日本ではもう数少ない。

 ポルノ映画出身で、若い頃はどんどん安物の新作を撮ってる。制作費200万円程度の1時間ものである。私が二十歳前後、ポルノ映画三本立てを観にいっていた頃だ。AVもこの世にはなかった。今のAVとは比べ物にならないほどの穏やかなソフトな内容で、今だとR-15指定あたりで公開できるかもしれない。あの頃のポルノ監督が、今、たくさん第一線で活躍しているが、しかしまさか、娯楽色の強い滝田洋二郎が、アカデミー外国語映画賞を獲得するなんて、微塵も思わなかった。日本的なテーマ、脚本に恵まれたのかもしれない。

 アカデミー賞を獲ったがアカデミー賞を獲ったのではない、外国語映画賞を獲ったのだ・・・これを私は何人もの人に説明してきたが、まわりはあまり映画を観る人がいないので、誰もピンとはこない。「スラムドック$ミリオネア」というタイトルを出しても、そのタイトルすら知らない人たちに囲まれている。そして、この世では「おくりびと」しか上映してないのではないかと思われるほど、みんな、この映画に関心を寄せている。地方都市の人々の反応の仕方に私の方がびっくりする。賞って、獲るものだなと思う。特に、アカデミーという賞には敏感のようだ。カンヌとかヴェネチアなんて言ってもピンとはきてくれない。とりあえず、あきらめないで話すが、あまり喋ると、オタクを見るような興味のない目をくれるので、たいていは、途中で喋るのをやめたりする。あーだこーだと久しぶりに文句を言っているが、しかし、本作は、滝田洋二郎監督の中では、ベストに入る秀作である。ぜひ、映画館に行って、映画館で観てほしい。歴史に残るかもしれない。

 笑わせて、ほっとさせて、ドキドキさせて、そしてグッとくるという懐かしい日本映画の基本ともいえる形であろう。懐かしくもある。そして、構成、脚本が、これまでの滝田監督とは思えないほどうまい。うまいので、カメラは凝らない。特別にほぉ!とうなってしまうアングルはみあたらない。脚本に恵まれたら、これでいいのだと私は思っているけれど・・・。

 俳優陣も選び方もうまい。居るべきところに居る俳優がいる。シコミは大変だったろうが、俳優陣への演出は楽だったのではないかと察する。カッコイイ俳優ばかりが席巻して、演技力は二の次になってしまったが、まだ、少しは、こういうテーマで、配する俳優が残っているのだと思う。2時間11分の尺が長すぎず短すぎずで、居心地がいい。とても日本的で、それもあり、アカデミー外国語映画賞を獲ったのだろうが、この頃の全国公開系娯楽作品の中でも、レベルは高い方だ。

 最後の部屋のシーンは、よくできている。日本人好みの流れで、涙もろいオッサンになってしまったのだろう、ここからは涙腺の緩みをこらえるのに苦労する。「私の夫は納棺師です」という広末涼子の台詞から、ラストカットまでの流れは抜群の出来栄えである。何度も書くが、まだ観ていない方は、是非、映画館での鑑賞をお勧めする。騙されたと思っていいから観にいってほしい。私は騙しはしないから。

 本作は、峰岸徹の遺作となった。ラストシーン、笹野高史の台詞が蘇る。「なにか、予感がするんでしょうのぅ。つまりは、こういうことやったんでしょうのぅ。」・・・台詞もない静かな遺作であったが、チョイ役であるのに、私としては、大きく印象の残る出演作であった。  <85点>

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小倉昭和館で会員証更新

2009年04月24日 23時00分00秒 | あ 行 (2008.2009.2010.2011)

 <小倉昭和館>

Photo  下関駅には、8両編成の電車が停まっていた。山陰は2両、山陽と九州方面は4両が普通だけれど、こういう編成もあるのだと、ホームを歩く。行き先を見ると、なるほど、途中駅で真ん中から切り離される編成だった。8両でも、4両編成の電車が同じ時刻に発車されるのと同じことになる。しかし、どの車両に乗っても、私の降りる小倉へは停まってくれる。

 下関駅は、改札が1つしかないのに、ホームはやたら長い。在来線の1両は20mだから、端まで歩くと160mで、そんなに遠くまで歩く乗客は少ないから、誰もいない最も奥の車両へ乗った。進行方向からいくと、先頭車両になる。下関駅では遠くても、小倉駅に着けば、一階の改札にとても便利な位置にある。

 小倉昭和館の会員期限が切れてしまい、行かなきゃ行かなきゃと思いながら、今日になってしまった。2、3ヶ月遅れの作品を2本立てで会員は800円という素敵な映画館だけれど、どちらか1本は観ているという番組編成が多かったので、期限が切れても、更新だけで足を運ぶのは遠いなあと思っていたのだ。雑用も手伝って、なかなかこれなかったが、ようやくやってきたのが、「青い鳥」と「トウキョウソナタ」の2本立て最終日の最終回である。どちらもミニシアター系で、どちらも観たいと思っていた作品だった。この2本、下関の下関スカラ座シアター・ゼロでも上映されていたと思う。下関スカラ座シアター・ゼロで上映された映画が、2本立てで小倉昭和館にやってくることも多く、提携しているのかな?と、思う。どちらの映画館もいまどきのシネコンとは違い、残った(残した)映画館である。

2_2 遠いと思ってやってきたのに、小倉駅から昭和館のある旦過市場までは、私の足でわずか5分であった。通っている観のあるシネプレックス小倉よりも近い。遠いと思っているのは、小倉駅構内が始発駅のモノレールの影響が大きい。小倉駅の次は平和通、その次が昭和館のある旦過である。2つ先の駅まで歩くのだから、遠いと思ってしまうが、実はこの旦過駅は、小倉駅から見えている。歩いて5分であれば、乗ったより歩いた方が早い。それに、歩いてもまったく苦ではない距離にソレはある。

 新規会員、更新とも、値引きをしてあった。私はわずか1200円を支払い、更新をさせていただいた。1年間有効の招待券つきである。2、3ヶ月遅れであっても、映画は旬を味わうものではないと思っているので、とても安い。映画はDVDしか観ないという話のかみ合わない人は別として、この映画館、もっと繁盛してほしい。ミニシアター系もやるし、全国公開もやるし、B級もやる。といって、なんでもフィルムが安ければもってくるようなことはしていない。しっかり選んでいるのがわかる。平日の昼間も意外に入っていて、シネコンよりも客入りがいいと思われ、映画好きの集まる映画館だとわかるが、夕方からは、ほんの何人かになる。私は夜型人間なので、夕方にフラフラと潜り込むが、その時間、見終えた客がどっと出てくる。

Photo_5

 「青い鳥」

 学校のいじめ問題を取り上げた本作の評判は高く、まったく雑音が聞こえない。どっと背中に重い過去を抱えた吃音の非常勤教師、いじめ問題を過去の反省だけにしようとする生徒たちとの毎日が坦々と描かれている。この教師の言わんとしている事はわかるが、不器用で仕方ない。それでも最後は、何がしかの生徒の感情的な反応が用意されているのだろうと察しながら観る。

 しかし私は、映画が大きく問うているのは、保守と成り下がってしまった周りの教師たちの態度、考えではないかと感じた。教育界の中で、生徒も変わったのかもしれないが、私の学んだ頃と比べると、教師も変わり果てた。その様を見せつけ、そのシーンが私にはとても重く感じたのである。だが、私もつまらぬ大人に成り下がってしまったのか、残念ながら、本作にどっぷりと感情移入はできなかった。生徒たちの心を開ききるまでの過程が平坦すぎるのだ。心を開くのは、時の流れもあるだろうが、瞬間的な鍵のようなものが必要な気がする。現実は違うのかもしれないが、映画を観る観客に鍵は用意されていない。過程も平坦ならば、構成、脚本、撮影も際だって特別とは感じられない。現在の学校、社会問題を考えるきっかけとなる一本でしかないように私には思えた。    <60点>

 

Photo_6 「トウキョウソナタ」

 大都会の中の・・・温かい家族の・・・寒々しい孤独なドラマである。世間からは普通に見えて、実はバラバラ。こういうタイプの映画は何度も観てきた。単館の邦画としてはよくあるパターンだ。しかし、黒澤清監督が撮ると、まったく新しいジャンルの映画ではないかと思わせる逸品に仕上がっていた。

 本作は、平凡な普通の家庭の形は、それはもうわかっているだろうとして見せず、主人のリストラシーンからはじまる。頭から崩壊への道へと転がっていくのだ。つまり、オープニングカットが頂点である。あとは、4つの玉が、坂道を、それぞれ違う方向へ転がる様をじっくりと観るのである。しかし、家族、家庭の中だけで進む崩壊の物語は、小泉今日子が突如、事件に巻き込まれていくエピソードから、ぐっと頭を持ち上げていく上、小さな空間から外へ外へと広がりをもたせる。負のエピソードであるのに、家族がひとつになるきっかけであることが面白い。

 息子のピアノの才能という、たったひとつのプラス要素が、流れに溶け込んで進み、ラストに、家族を、そして観客をも助けてくれる。なにがきっかけになるかわからない。明るい運命の光は、遠いところにあるのではなく、身近に転がっているものなのであろう。よくできた構成、よく書けた脚本、そしていつものように第三者的な目でカメラの後ろに立っている黒澤清監督の演出が光っている。     <80点>

Photo  帰りに、どこで食事をしようか、なるべくお安いものをと、小倉駅へ向かいながら歩く。ふと目をあげると、懐かしい「餃子の王将」の看板が見えた。もう1年半は食べていないだろう。大阪に住んでいるころの私は、ここの常連だった。関西には、いっぱい支店がある。

 「京都」と「大阪」の看板で、味はまったく違い、私は「京都」の方が断然好きだが、さてどちらかと入り口に立つ。看板には「餃子の王将」とあるだけで、どちらかわからない。一か八か入ってみる。間口は狭いが奥が深く、テーブルもカウンターもいっぱいであった。ひとつだけあいてたカウンターの椅子に座り、私は迷わず「餃子定食」を注文した。注文の際、『ライス大盛りで。』と付け加えた。餃子二人前、ライス、味噌汁、サラダで650円である。懐かしい味が口いっぱいに広がった。餃子同士がくっついて、ひとつ取ると、横の餃子の皮が剥がれたりして、中華料理店の餃子の出来としては悪いと思うのだが、餃子の王将だけは例外で、これがなぜかやたら美味い。今の私の食べる量としたら、多いはずだし、おなかはいっぱいなのに、食べ終わった後、もう一人前、頼めばよかったかな?と思う。

 餃子の王将を見つけたからには、次回の「小倉昭和館」の楽しみが倍増するとニヤニヤする。なーんとも貧乏くさいことでニヤニヤしているが、贅沢なひとときを過ごすより、私はこういう時間、場所に安らぎを覚えるという思考、体の仕組みになっているらしい。

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旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ

2009年03月08日 23時00分00秒 | あ 行 (2008.2009.2010.2011)

1  <シネプレックス小倉>

 仕事で函館に一泊したのみで、私は北海道という地をまったく知らないけれど、時刻表をあれこれとひねくりまわす趣味のあった頃、その壮大なダイヤをながめていて、なんて北海道は広いのだと思っていた。札幌から根室や網走へ走る夜行寝台車に憧れた。北海道内だけで、寝台列車というものが成立していて、乗る者も少なくない時代があった。東京から西へ西へと向かうブルートレインではない。時刻表に整然と並ぶ数字を見ていて、なんと四国や九州は小さいのだと思った。九州を一周してしてもまだ足りない夜行寝台車が、北海道内では直線で走っていた。憧れたけれども、山口や大阪では、遠い地だった。

 東京の上野駅の存在をうらやましく思ったことがある。北への玄関口、上野駅は、とても旅心をくすぐる。まだ、青函連絡船のある頃だった。それもあり、東京へ住みたいと思ったフシもある。昭和63年に青函トンネルが開通し、その後、JRになると、北海道内の軌道、列車は、バタバタと姿を消していった。冬の観光名物であった流氷を見られる路線が、情もなく、バサッと切られた。と共に、たくさんあった山間部へ分け入る私鉄も次々と姿を消していった。二十代後半になり、一人旅ができるようになった頃、鉄道を利用して旅をする私の熱は、北海道から離れていった。第三セクターとして、消さないように頑張っている東北地方のほうに興味がうつった。マスコミは残酷で、消えていくブルートレインは全国的に連日、大きく扱っても、北海道内を走る寝台列車が消えていくことは、こちらから探さないとわからないくらい、小さく扱う。

 時代が少しずれていたなら、私は北海道をワクワクしながら旅をしただろうと思う。とりあえず、北海道の寝台に乗りたかった。昼間では、鈍行で稚内に向かいたかった。もう、一生、そんな旅はしないだろうけど、あの頃の時刻表は今でも頭にあって、時々、北海道の地図をながめる。時刻表の巻頭の路線図をながめる。

 旭川は、北海道の中心よりやや北にあり、今は札幌から新型特急が突っ走るが、25年前は、取り残されたような最も北の都市というイメージだった。この先、稚内まで、何もなさそうなところというのは、時刻表からも察しがついた。旭川から先、線路を敷く必要はあるのか・・・遠いけれど、稚内という町があるから敷くのだ。そんなイメージで列車ダイヤをながめた。線路図は簡単に描かれているけれど、時刻を見ると、遠いのだと感じた。

 憧れた頃とは違い、今の旭川は大きく発展しているという。憧れた頃とは、旭川の旅館が一泊二食3500円だった頃のことだった。

 テレビ版の「旭山動物園物語」で、津川雅彦は、この園長役をやっている。3回か4回、テレビドラマになった。どれも単発で、高い視聴率もあるだろうが、1回だけでは膨大なエピソードを入れることができなかったのだろう。続き物みたいに放送された。この物語に触発されて、津川雅彦は、自分でメガホンをとったのだろうか。園長は、西田敏行とし、自分は監督に専念している。これまで3本、まったくジャンルの違う映画を監督しているなと予告を観て思う。年齢もあり、撮りたいものがいっぱいあって、しかし量産される時代でなく、焦っているような観がある。マキノ雅彦という名前であるので観にきたが、知らない監督ではポスターをながめて終わったことだろう。

 フィルムの発色が薄いのが気になった。HDだが、フィルムの質感ではなく、どちらかといえば、ビデオである。予告のときも気になっていたのだが、長年の映画ファンとしては、フィルムの画質で観たい。たくさんの動物をいろんなカメラで撮らねばならないから、その色にだいたいをあわせているらしい。また、合成のクロマキーCG処理を施す箇所が多く、そこにも配慮したかららしい。どこまでが本当の情報か私にはわからないが、こういうことを聞き、映画を観ると、やはり大金をかけて作るハリウッドがうらやましい。大金をかければ、高性能のフルHDカメラを何十台と動物園に配することができたろうにと思う。

 のんびり進む割には、エピソードが多いので、トバシのような編集をされている。豊橋の動物園と大阪の水族館だけを視察して帰って、それに大ヒントを得て、新しい動物園を作り上げてしまう粗いつなぎである。ソレだけではない筈だけれど、そんなつなぎにみえる。まだまだ回りたいし、走りたいが、時間の都合なのだろう。

 ただこの映画、子供用として大宣伝しているが、子供はよくわかるまい。政治というものにどっぷりつかった、大人のための動物モノだ。私の観た回も子供がたくさんいたが、途中から退屈がって、子供同士、この後の遊びの話題に余念がなかった。

  <65点>

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小倉昭和館という映画館

2009年02月05日 23時00分00秒 | あ 行 (2008.2009.2010.2011)

<小倉昭和館>

 70年の歴史を誇る小倉昭和館には2つのスクリーンがある。これは、今時のシネコンではなく、テナントに入っているわけではなく、ちゃんと映画館と呼べるものである。今時のシネコンは、映画館ではなく、劇場と呼ぶに相応しい。

 ここでは、一ヶ月から三ヶ月遅れの準新作を2本立てでかける。基本的にスクリーン1では日本映画の2本立て、スクリーン2では外国映画の2本立てである。なんでもイイヤというかけかたはしていない。しっかり選んでかける。それで、1,000円。毎週水曜日は女性800円、木曜日は男性800円。毎月1日、シニアなどの割引はすべて800円。行くごとにスタンプを押してもらい、5つたまると招待券がもらえる。うまくいけば、12本観て、1本あたり333円となる。DVDを借りているのではない。映画館で観る料金である。会員になると更にお得で、とりあえず招待券がもらえて、また、いつ行っても800円である。毎月、会報が自宅に届く。

 さらに、全席自由席、入替なし!シネコンのように、フードコートで販売する飲食物のみ持ち込み可ではなく、どこで何を買って入って食べてもよろしい。朝から晩まで居たいなら、弁当持参もできる。座席は前の人の頭が邪魔にならないよう、スタジアム式だ。勾配が急で、今時のシネコンよりも前の人の頭が下にある。70年と古い歴史をもつが、椅子は弾力、反発力があり、長時間座っていてもお尻は痛くない。カップホルダーを備えた最新のものである。

 東京の一部、大阪の一部に、こういう劇場はあるけれど、ちょっと違うのは、単館系にこだわらず、全国系もとりまぜて自由にかけてくれることだ。東京の浅草とも、大阪の新世界とも違う。ついこのあいだまで、シネコンでかかってた映画を、単館系で封切った映画を2本立ててかけるのだ。館主のこだわりがうかがえる希少な映画館である。古い映画館だが、味わいがあっていい。気取ってないところもいい。というわけで、今日は久しぶりに頑張る小倉昭和館へとやってきた。頑張る映画館は大いに応援したい。私は知り合いに、映画のことを話すたびに勧めてきた。自分の映画好きをわかってもらう気はないし、わからないだろうからどでもいいけれど、映画を観る楽しみは知ってもらいたい。

Photo  「イキガミ」

 私なら気絶して、24時間後まで起き上がれないだろう。国から、24時間後に死ぬよ!という通告が届く。ひとつの柱はあるが、オムニバスになっていた。・・・届いた本人、まわりの人々をまきこんで、物語は観客を泣かせようとするから困るが、こういうベタな展開でも、グッと涙腺が緩んでしまうのは、私も歳をとったということだろう。私の目から涙は流れないが、場内のあちこちですすり泣きが聞こえる。

 角膜移植の物語は、泣け!と言わんばかりだが、イキガミの通告書がまだ届いたいないのに、医師が角膜手術を決断するところではガクッときた。それは確かなのか、間違ってないのか、本物を手にとって見て、はじめて決断せねばならぬだろう。なぜ、そう急ぐ。だいたい、24時間後に死ぬっていう通告なのに、本人がいないからと、宅急便の不在者通知のような紙切れをドアにはさんで帰るってのもどうだろうか。渡すなら、前々から本人の所在をはっきり確認した上で、しっかりと本人に手渡すべきだろう。外国旅行でも行ってたらどうすんのさ~。・・・という風に、涙腺を緩ませながら、突っ込みをいれて観てしまった。観ている間は、私はあまり突っ込みをいれないのだが、突っ込んでくれといわんばかりの穴が多すぎるような気がする。・・・私は素直な人間ではないのからかもしれないが・・・。  <65点>

X  「容疑者Xの献身」

 ブームになって、本屋ではコーナーまでできている。これから続々、原作ものが映画化されそうである。本作を観て、原作を読んだ方も多いらしく、それがまた面白かったから別の小説をと、売れに売れているようだ。それを横目でチラチラ見て、B級ミーハー映画ファンは封切に行かなかったが・・・・・気になる。

 よくてできた原作なのだろう。物語が面白くてひきつけられる。推理小説と、心理小説と、恋愛小説の要素を盛り込みながら、一人の男の宿命ともいえる「哀しい人生」の断片をじっくりとみせてくれた。この男、松本清張の初期の短編に出てきそうだ。福山雅治がもっと地味な男であったなら、松本清張の世界になりそう。あんなに恰好つけたイケメンでない方がいい。ただ、原作は知らないが、この映画の主役は間違いなく堤真一にしてあって、ポスターで大きな顔を見せ、キャストトップにでる福山雅治でも柴崎コウでもない。エンディングスーパーがあがるまで、柴崎コウがはたして必要かな?と思い続けた。画にしたのは、興行収入が変わるからだろう。

 これで終わりか、いい終わりかただ・・・と思ったらまだ先があり、これで終わりかと思ったらまだ先があり・・・読めないし、いちいち、へぇっと感心させられる展開が次々と待っている。最近の推理ものとしては、楽しめる上、珍しく高級である。終わったあと、ほーっとため息をつくくらい、私はスクリーンをみつめてしまった。が、映画としてはオーソドックスな作りであろう。それでも、映画館を出たときは、満足感いっぱいだった。

 「県庁の星」は私としてはどーでもいい映画だと思って、西谷弘監督ということで期待はしなかったけれど、いい拾い物だった。だったら、脚本か?と察するが、本作が最高のできであろう脚本家である。やはり、原作が面白いのだろう。なぞったか?・・・観てから読むか、読んでから観るか。原作のある映画は、すべて観てから読むべし。  <85点>

 さあ!小倉昭和館へ行こう!控えているのは・・・2月14日より「ジャージの二人」「ぐるりのこと。」の2本立て。2月21日より「ハッピーフライト」「ハンサム★スーツ」の2本立て。3月7日より「歩いても歩いても」「石内尋常高等小学校 花は散れども」の2本立て。・・・・・洋画の2本立てもたくさん予定されている。何度も書くが・・・2本立て1,000円。会員になれば800円。行くごとにスタンプを押してもらい、5つたまったら招待券!つまり、6回目はタダ!

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ウォンテッド

2008年12月16日 23時00分00秒 | あ 行 (2008.2009.2010.2011)

1_62008.10.04鑑賞

<シネプレックス小倉>

 そこにあるフィルムを編集して、整音するだけなのに、長い時間をかけ、大金をかけて予告を作る。それぞれの国へ、全世界の予告篇を作る。世界を相手にするハリウッドの成せる業である。億を注ぎ込む予告は、それだけで一本の作品で、なかなか面白い。劇場へ何度も足を運ぶ者としては、同じ予告を何度も観させられる。日本映画の予告は3度となると飽きがくるが、ハリウッドはそれほど飽きない。またこれか、もう飽きたよ?と思った頃、新しい予告が登場したりする。

 限りある素材の中では、編集という作業が腕を発揮する。予告では、「びっくりして振り向いたカット」の次に「ビルが爆発」なんていう編集をして連続性を持たせたりするが、本篇を観ると、まったく関係ないカットをつなげたなんてのが殆どだ。こういう編集は基本の基本で、わかっちゃいるけど、騙される。その度に、予告への時間のかけ方、こだわり、予算がうらやましくなる。「拳銃で撃つカット」「機関銃で乱射するカット」「トレーラーが横転するカット」・・・つなげてひとつにしているけれど、本篇は3つともまったく違うシーンだと後で知る。なかなかやるなとゾクゾクする。本篇を観て、予告をご覧になるとよくわかる。DVDの新作紹介に予告が入っていることがあり、本篇を観た何ヵ月後かなので、へーっと感心する機会も増えた。エンディングを大胆にも予告でふっとみせているときもある。

 いかに本篇の内容を伏せて、いかに予告を面白く作るか、興行成績は大きく左右されるだろうから、気合のいる楽しい仕事だろうと思う。予告に大金を注ぎ込むのもわかる。日本映画には残念ながら、それがない。フランスにもない。一部、全世界に売られた頃のイタリアのホラーにはあったが、今や教育上の問題とやらで、そんなものは輸入されない。日本映画の配給収入が洋画を抜き、頑張っているけど、予告にはまったくと言っていいほど魅力はない。現在のシネコンでは、日本映画が上映されるところでは日本映画の予告を流し、洋画アクションを上映しているところでは洋画アクションの予告を中心(多くはないので)に流しているので、日本映画を観るときは、2回目の予告であっても退屈な時がある。

 いかに面白く、観客に興味をもたせるか・・・あまり考えすぎるのか、ピントがずれているのか、予告だけで十分ではないかと、本篇を観終えた後、感じる映画もある。スクリーンに吸い込まれるようなシーン、カットが予告で使われるのはいいけれど、本篇を観ている最中、予告のソレが頭に浮かんぶようでは、どこか自分はしらけて観ているとしか言えない。予告ではチラチラして、胸毛のアップは見せても、下着姿の全身ではいけない。ましてや、裸になんぞなってもらっては困る。また、バラバラで見せたはずのものが、予告だけですべてつながってしまうのも困る。観る甲斐を失う。

2  私は、アンジェリーナ・ジョリーというだけでは食指が動かないオッサンだが、「ナイト・ウォッチ」の監督!と、予告で出たので観にやってきた。ところが、私としたことが、私だからか、違う監督だった。監督は、「ナイト・ウォッチ」で、「ナイトウォッチ」の監督ではなかった。・・・というのをチケットを買った後に知った。てっきり「ナイトウォッチ」の監督だと思っていたのに、「ナイト・ウォッチ」だとは。「ナイト・ウォッチ」と「ナイトウォッチ」・・・聞けば同じだが、読めば若干の違いがあり、映画を観れば大きく違うだろう。「ナイトウォッチ」は、同じ監督でリメイクする前の「モルグ」も鑑賞していて、今から10年前、華々しくハリウッドデビューしたはずなのに、どこへいるのかわからない・・・最新作か!と、勝手に期待してしまっていた。意味なく夢膨らませていた。「ナイト・ウォッチ」は観ていないが、鑑賞者の評判があまりに悪いので、行くのをやめた記憶がある。1本目で評判が悪いのに、3部作にするらしいが、どうなるのか・・・。

 「ウォンテッド」・・・本作の予告はとても面白かった。当ては外れているけれど、きっとこういう映画なんだろうなというのを想像して楽しめた。この想像が裏切られて、もっと上をいった作品であった時、映画を鑑賞する者の心は舞い上がる。だが、この映画は、緩やかに期待は裏切っても、予告から想像する自分なりの楽しさを超えることはなかった。実写と融合したCGには驚かされるが、それを圧倒させねばならないストーリーは無理やりで単純だ。予告のシーンになると、ここだな、ここだなと、あまり意識しない私であるのに、構えてしまった。そう、バラバラでもない。やり過ぎなアクションが売り物なのはわかるが、端的な説明がおろそかで、真実味もわいてこない。いい役者がいて、大金をかけて、凝った演出をしていながら、胸に響いてこない。徹底した娯楽映画で、公開前から儲かるのはわかっているが、儲ける為だけのにおい、お金のにおいがプンプンした。でも、本作も「ナイト・ウォッチ」と同じく、3部作にするのだという。まあいい、今度もパート2の予告に酔いしれ、だまされ、想像をふくらませて楽しませてもらおう。  <65点>

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アイアンマン

2008年12月13日 23時00分00秒 | あ 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo 2008.10.04鑑賞

<シネプレックス小倉>

 

 「次郎長三国志」を観て、今日の2本目。まったくタイプの違う映画で比べようもないけれど、ハリウッドがうらやましい。お金のかけ方もうらやましいが、撮影、編集、音響の素晴らしさに圧倒されながら、私はただただ、そう思った。いや、正直、それらが一体となって素晴らしいと感じたのは観終えた後のことで、鑑賞中は唖然としたままだった。体をのけぞらせたり、よじらせたりしたかもしれない。そんな馬鹿な、それは有り得ないだろうと理屈をこねる隙間はいくらでもあるが、観ている間はソレを感じさせない。また、言ってみたところで無意味である。絶対に有り得ない世界のコミックを実写にしているのだから・・・。私などは、やっぱり映画は娯楽だよ!娯楽だから映画なのだよ!と、頭の中身を一掃されてしまったりする。違うタイプの映画を観れば、また一掃される節操のない奴なので許してもらいたい・・・。

 最近のコミックのヒーローものでは、サム・ライミ監督の「スパイダーマン」ばかりがもてはやされたが、私としては、面白さでは、本作の方が、上を行くのではないかと思う。日本ではヒットしなかったようで、ちょっと残念だが・・・。

 ロールスーパーがすべて上がって、もうワンシーンある。近くのカップルの女性が彼氏に「続くんだね。」と嬉しそうに笑った。私もワクワクした。物語は単純だし、これなら、復習せずとも、パート2を楽しめそうだ。  <85点>

 今年中に書かなければならない映画が10本くらいたまっているので、あまり余計なことは書かず、ただただアップさせていくつもりである。

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歩いても 歩いても

2008年11月15日 23時00分00秒 | あ 行 (2008.2009.2010.2011)

Photo_5  <シネプレックス小倉>

 2008.08.21鑑賞

  普遍的な日常というものは、ありがたい事だと思っている。波風立たず、毎日を平穏無事に過ごすということは、できそうでなかなかできない。殊に、私のような中途半端な野心を持っていた人間なんぞは苦労するのが見えている。それでも、成せばいいのだが、成さざると見通しがたつと、一気に精神へくる。見た目にはどうでもなくても、心が強くはないので、体に変調が出る。わけのわからぬことで、たくさんの人に迷惑をかけ、迷惑をかけられ、傷つけ、傷つかされ、とても私の人生は平穏無事とはいかなかった。二十代、他の人ができない何かをやりたい、何かを残したいと、そればかり思っていた頃があった。しかし一方、自分は先頭に立って、旗を振るような性格ではないとも思っていた。そんな度胸はありはしない。私という人間は、とてもややこしくて、付き合うにはとても面倒なのだ。自分で、そう思う。そんな私の人生であっても、ドラマにすることはできる。

 誰にでも一本の脚本が書けると、ある脚本家は言った。自分の人生を脚本にすればいいのだと。これには頷ける。私も同じことを思っている。誰にでも、映画にするような珠玉のドラマが、無いようで、実はある。例えば、対象者が80年生きたとして、その人生を2時間のドラマにまとめようとすると、かなり無理をして走らねばならないか、編集の際、どこかエピソードをまるごとバッサリ切らねばならない。その人が、全体として平凡でつまんない人生だと自信満々で言い張ったとしても、80年を2時間にしてしまったら、とても面白かろう。・・・脚本にもよるが。もちろん、長いばかりがいいわけでもない。もし、わずか5年の命だったとしたら、80年、平凡に生きた人よりもドラマチックな脚本ができそうだ。

 たとえば、平凡な人生の中の最も平凡な切り抜きを見せられたらどうか・・・これも、俳優や監督やカメラマンなどのスタッフの力によって、秀作となる場合もある。しかし、そんなものばかり1億3千万人分、作ってはいられない。どれかを選ぶ・・・脚本家は、平凡なドラマの中に、フィクションをひとつ投げ入れる作業をする。それだけで、平凡であったはずの平面が波打ちはじめる。これは、波風立たない池の水面に石をひとつ投げ入れるのに似ている。平べったい鏡のようだった水面が、わいわいと浮き立ち、あたりはすべて波紋にされてしまう。波紋が消えぬ間に、またひとつ、石を投げ入れる。波紋の中に波紋ができて、波紋同士がぶつかりあって別の波を作る。いくつも投げ込んでいくと、脚本家にも予想もつかぬような意外な場所から気泡があがったりする。主人公が勝手に行動して、喋りはじめたりする摩訶不思議な空間へ、脚本家は入り込む。これでもかこれでもかと入れていくと、奇想天外なSF、ホラーの域に達して、収拾がつかなくなる恐れもあるけれど・・・オリジナル脚本の最初のステップだが、最も大切なところだと思う。

 小津安二郎監督の家族ドラマは、平凡、日常といったものの中に、とても小さな石を投げ入れる。その石の大きさといい、投げ入れる角度といい、タイミングといい、実にうまい。奇想天外なドラマではないので、石の投げ方が観ているものにもよくわかる。どんでんなどはやらない。そんな日常は滅多なことでは起こらない。映画に非日常性を求めるのならば満足はいかないだろうが、日常の自分のまわりをみつめてみる機会を与えてくれるドラマたちである。つまり、身につまされるドラマたちなのだろう。

 テレビマンユニオンが初めて、映画を撮った。華やかなテレビとは凡そかけはなれた静寂な世界をスクリーンに映し出した。「幻の光」である。私は、大阪十三の第七藝術劇場でこれを観た。監督が、是枝裕和ということは後に「誰も知らない」で知ることになる。誰が監督でもよかったのだろう。テレビマンユニオンが作ったというだけで観たのだろう。是枝裕和監督を一躍有名にした「誰も知らない」は、短い上映期間中、二度、映画館へ足を運んだ。「幻の光」とはまた別の身震いするような静寂さが、そこにはあった。上手い映画を作るなと思った。それからは、監督の名前を見ただけで足を運ぶようにしているが、気づくのが遅かった。西川美和監督の「蛇イチゴ」は、DVDの鑑賞になってしまっている。

 『歩いてはみたものの』・・・小津安二郎監督ならば、こういうタイトルにしたかも・・・と、私はひとりニヤついている。本作は、台詞によって人物の心のうちを明るみにしないまでも、雰囲気がとても小津安二郎の家族劇に似ている。小津安二郎ならば、母親のあの衝撃的な台詞をどう処理したろうかと思う。

 是枝裕和監督は、自分の母を想い、脚本化したという。ならば、是枝裕和監督の日常を切り取ったものかもしれない。是枝裕和自身のドラマとも言える。小津安二郎監督作品は、これは台詞だと強い印象を受けるが、是枝裕和監督作品では、「誰も知らない」のように、台詞が与えられているのかを漠然とさせて流れるように演出する。アドリブ合戦のようだ。面白い。こういうスタイルには、YOUという女優は欠かせなかったろう。本当にうまい、うますぎる。

 それぞれにゾッとするような重いモノをもち、文句もあり、叫びたいように言いたいこともあるけれど、日常の中、笑顔で接しあう。心の奥底まで入る瞬間もあり、上っ面の時もある。上っ面も、またよしである。それぞれの生活があり、最後は別れ別れにならなければならないけれど、愚痴なんて言わない。胸につかえるものを持ち続けてはいるけれど、修復できない過去をかかえているけれど、もどかしくて仕方ないけれど、私は本作を観終えたあと、家族っていいなと胸が熱くなった。

 是枝裕和監督は、いろんなジャンルの映画に挑戦し続けている。私としては、このような何でもなさそうな家族劇をいっぱい作って、平成の世に残してほしいと思っている。今の日本映画が忘れてしまったものが、ここにあるような気がした。  <80点>

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インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国(字幕版) 再び

2008年09月14日 23時00分00秒 | あ 行 (2008.2009.2010.2011)

1  <Tジョイ・リバーウォーク北九州>

 2008.07.21鑑賞

 子供の頃から映画が好きで、映画をずっと観てきて、話しもするので、映画好きであることは、私を少しでも知っている人はわかってくれている。いろんな話しをするけれど、顔をあわせると、すぐに映画の話しになる人もいる。私に気を遣っているのか、もしくはとりたてて私と共通の話題がないのかもしれない。嫌いではないし、楽しいことだから、それに合わせることになる。

 一年単位で物事をくくるのは、映画の本数も同じで、たくさん観ていると知ると、「一年にどのくらいの映画を観るか?」という質問を受ける。普通の人にしては多く、マニアにしては少なめの本数だと思うが、正直に言う。たいていの人は、小さな口を開けたまま、一瞬だが、鳩のような目をする。しゃべりに重なるようにしゃべっていたお互いの会話が、2秒ばかり止まる。この短い静寂は、何度も経験しているので慣れたが、静寂のはれた後の最も多い感想は、「よくそんな時間があるなぁ。」である。時間はあるものではなく、作るものだし、「あなたが毎日のように会社帰りに飲み屋に行っている時間を私は使うのであって・・・」などど、真面目くさくなって人生観のようなややこしい話題になりそうだから、いやいやあっと、黙ったまま笑っている。

 次に多いのが、「たくさんお金がかかるだろう。」である。もちろん、レンタルビデオよりは映画館の方が値段は高い。正規料金ならば、3~4倍だろうか。だが、私は滅多なことで、正規料金では入っていない。前売券の時もあるし、レイトショーの時もあるし、メンズデー、毎月1日、会員特典などをちょくちょく使っている。2本立て1000円という映画も観る。招待券や試写会も含めれば、平均すれば一本、1000円くらいだろうか。旅の趣味もあるけれど、そう度々、遠くへ出かけるわけでもなく、生活費の他、日ごろ、私が主に使うのは、映画代だけだ。一年に200本観たとして、20万円。これが高いのか安いのかわからないが、聞いてくる相手はゴルフ焼けした黒い顔だったり、徹夜マージャンあけの眠い顔だったり、二日酔いの苦い顔だったりする。私はゴルフもしないし、マージャンをはじめとする博打もしないし、アルコールもダメである。相手の嗜好が、どのくらいの値段かはわからないが、200本観て20万円は、「たくさんお金がかかるだろう。」とまではいかないのではないか。だいたい、私は、正規料金の1800円が高いのか安いのか、さっぱりわからないでいる。窓口でチケットを買うとき、お金を支払っているという感覚がないのである。この状態は、30年以上だと思う。その前の感覚は忘れた。だが、みんなが高いというので、その横で、フムフムと頷いていたりする。

 もうひとつ、これも、たくさん質問される。「いま、どんな映画が面白いか?」である。2人に1人は聞いてくる。映画に興味があって、今を気にしているのだから、お客の素質は十分で、とてもうれしいけれど、聞かれる質問としては最も難しい部類に入る。映画の良し悪しというものは、観る側の肉体的、精神的状態で決まることが多い。たくさん観る私でもそうであるから、たまに映画館に行く人は尚更であろう。良好な状態であれば、その人にとってはとても面白い映画のはずなのに、取れるはずの契約が取れなかった、告白しようとした女性に彼氏がいたなんて事態で、駄作となりかねない。そこまでいかぬとも、朝方通じが悪かった、電車がとても混んでいた、ギリギリセーフで劇場に入ったことくらいで、作品は大きく揺さぶられたりする。何ということもなく無事に劇場の椅子に腰掛けたとしても、前の座席の客の咳払いが気になって集中できないということもあろう。フィルムはいつでも同じものを映して平然としているが、観る側が同じであることは一度もない。だから、考えあぐねてしまう。どれと言えないので、せめて、「どういうジャンルの映画が好きか?」と、訊ねるけれど、「感動する映画!」などと言われてしまうと、答えるなと言っているのと同じだぞと、腹の中で憤慨する。映画をたくさん観るというのは、一方的に気楽なものではない。こういう難関も待っている。

 そういう日常を過ごしながら、「レイダース」の上映中は、誰にも勧めやすい作品だった。まだあの頃は、映画はそれほど観ないけれど、スピルバーグなら観るという方があちらこちらにおられたので、説明も楽だった。これを勧めて、恨まれたことはないだろうと思う。「レイダース」を観たなら、「魔宮の伝説」も楽しめるはずだ。第二作目は、大都市の映画館しかわからないけれど、あの頃でも珍しく、70m/mで撮られていた。左右だけではなく、上下の黒幕が開かれた瞬間、私は拍手をしたい気分だった。あれから、70m/mとは出あってない。

 本作を観た後、たくさんのブログを読ませていただいたが、前シリーズには到底及ばないというような評論が多かった。雰囲気も変わっているし、CGを使いすぎているというコメントもあった。前シリーズを知らない人は得点が高く、知っている人は低い・・・そんな印象をもった。私も内容について、いろいろ書きたかったが、それは頭に浮かべれば膨大で、どこから手をつけていいかわからず、結局は一点に絞って、映画音楽のことのみを書いた。これも、前シリーズとの比較という形になっているのだが・・・。しかし、その映画音楽について、私よりもっと詳しい、専門的な分析をされている方がおられた。音楽のタイトルも知らず、場面場面でしか説明できない私の記事は、読むに足りぬものとなっていたが、前3作との物語の比較を書くならば、本作は、説明的すぎやしないか?と、思うだけである。一人でも、集まっても、説明をしていいるような台詞の場面が多く、長いなと、2度目の今日、それを感じた。しかし、1度目は感じなかったので、これもこじつけではある。私は前3作を2度も3度も上映中に観ていて、ならば本作もと思ったから再びになっただけで、普通の観客は、1度きりである。

 好ましくはないが、CGも時代の流れで、使えば空想は無限に広がるだろう。アクションもハリソン・フォードでは難しい。カレン・アレンも歳をとった。しかし、19年待ち、「最後の聖戦」から19年後の世界がスクリーンで観られることだけでジーンとくるものが、私にはあった。アニメでも、オールCGでもないのだ。これは、実写なのである。そして、ジョージ・ルーカスは製作総指揮だし、シリーズは別の監督に任せてしまうスティーブン・スピルバーグも、本作だけは自分で撮っている。

 文句も問題も私にはない。有難い。オープニングのパラマウントのロゴマークが、CGではなく、昔のものになっていただけで、私は待ちくたびれの19年の時を忘れていたようだった。

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インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国(字幕版)

2008年07月22日 23時00分00秒 | あ 行 (2008.2009.2010.2011)

2008  <シネプレックス小倉>

 2008.06.28鑑賞

 故郷へ帰って5ヶ月が経ち、大阪での暮らしを振り返ると、それはとても普通の人間らしくないひどい生活だったが、活き活きとしていたなと思う。生きているか死んでいるかと極端にわけてしまえば、大阪での暮らしは、まだ生きていた。いろんな人に迷惑をかけ、やりたいことをやって身勝手に生きていて、それでも生き甲斐はしっかりとあった。時には見失うこともあったが、戻ることができた。今の私は生きているかどうか、贅沢な頭の中身だが、自分でもわかりかねている。

 仕事の台本、企画書で、私は期日を一度も遅れたことはなかった。30分ものを明日までに書かなければならないなどという無茶な注文もあったけれど、徹夜してできるかできないか微妙でも、打ち合わせギリギリでも、出来はどうあれ、エンドタイトルという文字まで書いた。仕事だったからだろう。もちろん、ブログは仕事などではない。期日はなく、書こうが書くまいが、困る者はいない。だから書けぬのかと思っていたが、そうでもないようで、これは、環境の変化であることがわかってきた。他人にとっては、実にくだらぬことだが、私は今、ブログというものをどう書いていいかわからないでいる。つまり、どう生きていっていいかわからぬことにつながっているような気がする。

 それでも何やらを奮起させて、小倉の地にいる。待ちに待ったインディ・ジョーンズの復活である。次も3本作る、ショーン・コネリーが出演契約にサインした、前3作品の出演者をすべて集める・・・映画の情報は聞き流して忘れてしまう私なのに、デマも含めて、たくさん耳に残った。もう待ちくたびれて、書くことを見失っている。ブログをはじめた時より、今日のことを思っていて、長く長く書くつもりだったが、残念ながら、とても短い記事になる。映画そのものは、老若男女問わず観ていただき、映画の楽しさを味わっていただきたい。これこそ、練りに練ったけれど、唸る間もなく、理屈ぬきに、ただただ楽しめる冒険活劇である。前3作を知っている人も、知らない人も楽しめるはずだ。前3作を知っているならば、尚更楽しめる。すべてお決まりで、あの時と変わっていず、あの時を汲んでいる。

 CGになったパラマウントのマークからどうオーバーラップするかと期待したが、もっと嬉しい事に、昔のままのマークが出てきた。オープニング後のドタバタ、大学内、旅立ちの時・・・前3作をそのままいっていて、楽しい。地図上に飛行機が飛ぶ、そこへレイダースマーチ。1本目は蛇、2本目は虫、3本目はネズミ・・・今回はCGを駆使した大群が出てくる。流れがそのままで、お決まりで、変えないということが楽しく、嬉しい。さて、いろいろ書きたいと思っていたが、今回、私は、映画音楽だけについて語ろうと思う。物語も、撮影も、一切触れずにいよう。

1 さすが、ジョン・ウィリアムスで、この第4作目・・・前3作の挿入曲がさりげなく入っている。オープニングの倉庫のシーンは、まず内側から撮っているので、どこだとはわからないのだが、全貌がわかる前に、聖櫃のテーマがいきなり流れる。「あれ?レイダースじゃないか?」と思うまでもなく、次のカットは入口からで、奥の深い倉庫の全景となる。聖櫃がチラリと顔をのぞかせるが、音楽だけで、レイダースのエンドの場所だとわかるようにしてあった。ここにつながるかとニヤリとした。予告篇に何度も出てくるアクションだし、勘のいい方は予告だけでピンときたろうが、私は音楽でソレと知った。

 ショーン・コネリーの写真が2度写る。そこに短いテーマが流れる。また、すべて解決して、地下神殿が崩れ落ちる時、同じテーマが流れる。ショーン・コネリーが登場する場面、そして、第3作目の崩れる時と同じ音楽である。仲間(裏切ったけれど)の手を引っ張っるけれど、「インディ、もういい。」と言う台詞の場面の音楽は、父親のショーン・コネリーが、ハリソン・フォードの手をつかみ、「インディ、もういい。」と言う時の音楽である。重なっているので、あっ!と、私は同じ場面を思い出した。

 レイダースマーチ以外はオリジナルで、2時間10分の間、どっかんどっかんと、3/4くらい画面に合わせた音楽が流れているが、あれ?第2作目の音楽は使わなかったかな?と思っていると、エンドロールが流れている間、本篇では使われていなかったのに、最後の最後、メロディに乗って出てくる。宮殿の夜、自分のベッドへ行ったり、インディのベッドへ行ったりする、あの場面である。使いようがなかったのだろうか。それにしても音楽だけでも面白い。私は、レイダースのビデオを買って何度も観ていて(当時、レンタルビデオ店はなかった)、魔宮の伝説のカセットを買って繰り返し繰り返し聞いて、最後の聖戦はCDを買ってこれまた繰り返し繰り返し聞いていたので、ほとんどのメロディを覚えていたのである。こういう映画の観方をしたことがなかったし、さらさらする気はなかったが、狂信的ファンになると、別の楽しみ方もあるものだと思った。私は、このシリーズの狂信的ファンである。

 次回は、日本を舞台にするというニュアンスのインタビューが、ネットで流れている。日本好きのプロデューサーと監督だから、有り得るが・・・古代の日本の秘宝を取り扱うのは大変だろう。次は、何年待つことになるのだろうか・・・。  <80点>

 

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相棒 劇場版

2008年05月27日 23時00分00秒 | あ 行 (2008.2009.2010.2011)

1_3  <シネプレックス小倉>

 2008.05.17鑑賞

 北九州市の西小倉駅近くに、10のスクリーンをもつ新しいシネコンが誕生した。また、同じ北九州の黒崎駅にも、シネコンが誕生しようとしている。博多駅にも新たなシネコンが誕生するらしい。博多駅は、北九州から、便利な地である。すべて全国公開もので、下関スカラ座シアター・ゼロのように、こだわった作品をかけているわけではないが、こんなにスクリーン数が増えると、もう北九州からわさわざ下関までやってくる映画ファンは、ほぼいなくなるだろう。そして、ますます下関の映画ファンは、北九州小倉へと逃げていく。下関で稼いだお金は、北九州へ落とされる。

 下関市が2つのスクリーンに対し、海峡を挟んでお隣の北九州市に50前後のスクリーンが生まれる・・・下関市28万人、北九州市95万人。人口だけを考えると、1/3としても、下関には15スクリーンあれば、北九州市と対等になる。そんなこと無理な話のように思えるが、無理だとはじめから言っていたのでは無理に終わる。可能性はあるはずだ。下関からわざわざ小倉に映画を観に行く人も多いらしい。

 実は、下関市には、昔のシネコンの計画が頓挫したままにある。しかし、その計画は、まだ生きている。これでは、他のシネコンは、下関の進出を躊躇するだろう。できるかできないかの計画をそのままにしたところに、追い抜いてシネコンを立てようというような事業主は現れまい。下関ならではの観光スポットである「関門海峡」が見えなくなる、多くの下関市民が反対する<あるかぽーと>なぞというシネコン付き巨大モールは完全にあきらめて、白紙にしてほしい。そうなれば、中央の会社も下関に目をつけるだろう。ここは、山口県一の街なのだから・・・。シネコンができれば、全国公開系はソレに任せて、秀作の上映にこだわる下関スカラ座シアター・ゼロもミニシアターとして共存できよう。「下関から映画館の灯を消すな!」はとても前向きな姿勢だが、「下関に新たに映画館を作ろう!」は、それよりもっと前向きである。どうすればいいか。いま、映画館の話しに盛り上がっている仲間と、あれこれ知恵を出しあっている。金はない。知恵を出すしかない。勉強も必要だ。

2

 東映の邦画が大ヒットしているらしい。東宝ではなく、東映である。いつも思うが、東映は宣伝が下手なのに、これはとても喜ばしいことだ。「男たちの大和」を抜いたとか・・・。主演の水谷豊があくせく、トーク番組に出演したことによるものらしいが、旬ではないこの二人の主演で、しかもテレビの映画版で、よく頑張ったなと誉めてあげたい。テレビ局の宣伝力もあるだろうが、ここから、何でもヒットさせてしまうぜ!の東宝と肩を並べてくれるか、とても興味深い。東映の邦画が大ヒットしてくれるのは手ばなしにうれしいが、内容はどうだろうか。観るつもりはなかったが、ヒットで、大勢の観客の仲間入りをしようと、ミーハー気分で小倉までやってきた。

 なるほどぉ、そうなのか・・・平坦だ・・・と思っていた物語に厚みをもたせて、立体的にしている。テレビではもったいない、よく練られた脚本だと思う。面白い。だが、わざわざ映画というほどのこともない。どこでかければいいだろうか。テレビと映画の中間がない。そこで、カメラをダイナミックに動かしてみる。時間のかかる仕込が必要だ。さらに、お金を投じて、大ロケーションを決行し、爆発させるセットも用意し、視覚的に映画とした。やはり、映画館でかけねばならない。そんな感じである。ちょっと辛辣に書いているが、そう感じるものの、私としては好きなタイプの流れで、好きなタイプの映画だった。好き嫌いのはっきりわかれる映画かな?とも思う。テレビなど見なくても、この映画一本で人間関係などがわかるようになっていて、それが説明的ではないところも好感がもてる。

 大きな事件を設定していながら、チェスがその場にあるのも都合がいいし、あの場で爆発させて娘が死んでしまったら、後にどうしていたのだろうという疑問もあり、犯人の緻密な計画は穴がそこかしこにあるけれど、目をつむって、面白く鑑賞させてもらった。この二人の刑事の関係もなかなか楽しい。水谷豊が部下に敬語で喋るのも気持ちよくていい。オリジナル脚本なのも個人的に嬉しい。私は観終わった後、もう一度、入り直してもいいかな?と思ったくらいだ。

 東映の犯罪ものと言えば、最近では・・・「レディ・ジョーカー」が頭に浮かぶ。あの映画もなかなかよかったが、宣伝力のない東映では、大ヒットまでいかなかった。この大ヒットを素直に喜びたい。もう一度、観直すか?と思ったのは、次に、リメイクの「隠し砦の三悪人」を予定していたからだ。「椿三十郎」のこともあるので、そんな観かたをしたくないけれど、また、徹底比較してしまいそうだ。斜めに観そうだ。だけど、観ておきたい・・・どうするかテケツの前を行ったりきたり迷った挙句、上映時間ギリギリになって、タイムアウト。私は「隠し砦の三悪人を一枚」と、告げた。これが、意外な拾い物となる。  <75点>

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いつか眠りにつく前に

2008年05月26日 23時00分00秒 | あ 行 (2008.2009.2010.2011)

1  <下関スカラ座 シアター・ゼロ1>

 2008.05.11鑑賞

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  ショッピングモールの「シーモール」裏手にまわってみる。今日は、ここで上映されている映画を2本とも観る予定にしている。映画館前の右手の通路を歩くと、巨大な駐車場がある。ここは人通りも多いが、そこをへの字に曲がると、ほとんど人の通らぬ、日の光もあまり当たらぬ通路がある。湿気の多そうな階段をおりていくと、東宝とスカラ座のオールナイト出入り口があった。長くオールナイトはやっていないはずで、この扉は使ってないだろう。

 私が高校生の頃は、映画館が駅近くに8つあり、土曜日はオールナイトを全館やっていた。新聞の映画案内を見ながら、それはそれは羨ましかった。「明日封切り!オールナイト!」という文字に胸躍った。朝まで映画を観られるなんて、自由の極致のように思えた。大学生以降、それはあたりまえになったけれど、地元で親と一緒に過ごした高校生の頃は、憧れのオールナイトだった。私は下関の、夜中の映画館前も知らない。手描きの看板にどのようにライトはあたって、夜明けを待ったのだろうか。

4 5  オールナイトをやっていた頃、ここの映画館に人はいたのか?出入り口の看板を見ていると、そんなことを思う。いまどきのシネコンのように良い椅子ではないが、今の椅子は、まだあの頃のように堅いコチコチの椅子ではない。2本立ての時代、一晩中、ずっと座っていたらお尻も痛かったろう。今思うと、クッション力も薄い椅子に、よく、じーっと一日中座っていたなと思う。それにしても、ショッピングモール内のオールナイトにお客は本当に真夜中、やってきたろうか。先日の「北辰斜にさすところ」を観たとき、あの日のあの回は、私一人だった。客席の写真はその時に撮ったものだが、前に後に自由に歩き回って場内を携帯電話におさめた。今、この映画館は、レイトショーもやっていない。

Photo_3  「筆子・その愛~天使のピアノ」を観る。まず、協賛を募って、前売りを出して、お金を集めて制作されるスタイルの映画のようだった。現代プロダクション・・・こういう映画は、良質の場合が多い。しかし、私はとてもがっくりした。肝心なはずの、脚本がどしっと腰をおろしていない。人の一生を2時間におさめられない流れ、台詞である。シーンのすべてが薄っぺらに見える。人の一生を2時間におさめるのは困難である。困難であっても、完成度の高い作品はいっぱいある。なぞるだけでは、伝わってこない。

 「はだしのゲン」などで著名なプロデューサーが、監督にまわったら、こういうのを撮るのか。プロデューサーとして腕をふるって、監督にまわらない方がいいのでは?と、これは映画を観ながら思う。ロケしかできない、予算のないのはわかるけれど、自然の中で、何もない風景のシーンが多すぎる。背景があっても、写ってしまっては困るから、とても画が狭い。商業映画に目がなれているからだろうが、商業映画に目がなれている人を起こすような映画が、ミニシアター系で、独立プロのやる仕事だと思う。期待していたので、とても残念だった。  <40点>

2  高校生の頃、映画を観る前によく通ったラーメン屋に入る。30年前と同じ事を私は今でもやっている。30年前より、どうも器が小さくなっている気がする。スープも少ない。ただ、味は変わらない。

 若手女優、大物女優・・・豪華なキャストだ。「大いなる陰謀」の時にも書いたが、メリル・ストリープの変貌ぶりがいい。顔も変わるが、体型も歩き方もまったく違う。ダイナミックに変わるのに、芝居臭さがまったくない。同じ歳の設定だが、ベッドで横たわるヴァネッサ・レッドグレイヴとは、10歳以上若いはずだ。看護するアイリーン・アトキンスの方が、看護されているヴァネッサ・レッドグレイヴより年上。ここら辺り、自由自在に女優達は面白がって演じてくれる感じがする。若き頃を演ずる女優、メリル・ストリープの実の娘らしく、そっくりだ。だが、そっくりだけではなく、素晴らしく輝く魅力がある。

 女優達を誉めまくったが、スタッフの仕事もいい。老人が死を待つこと、若い頃の輝く時を思い出すこと、その構成と物語。構成からなる時間的なタイミングといい、台詞といい、安定したカメラといい、実にうまく仕上げている。・・・脚本と監督は、想像と見えない体験を自分の頭の中で紡いでいっているが、だが、多くの経験を重ねて出されたのだろう。「私はあの時、過ちをおかしたのよ!」「過ち?それはいい。人生が豊かになる。」・・・いい言葉だと思う。つらい体験や思いがなければ、こんな言葉は出ないし、原作にあっても出しどころが見つからない。あちらこちらに、珠玉の台詞が舞い踊っていた。詳しくは書かない。観て、実体験してほしい秀作である。  <85点>

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