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その「奨忠壇」で行われていた鎮魂のための祭礼は、高宗が1908年に退位した後は行われなくなり、朝鮮総督府は南山一帯に日本国花の桜を植え遊歩道を作り公園として整備する。さらに1916年に国幣小社京城神社、1925年に朝鮮神宮を建立し、1931年には、「奨忠壇」の碑だけを残して、その場所に、ハルビンで安重根の凶弾に倒れた初代朝鮮総統・伊藤博文を祀る曹洞宗春畝山博文寺を建てる。総督府はいわば朝鮮の精神的支配を目論んだわけである。博文寺本殿は景福宮濬源殿を解体して資材として利用し、正門は慶熙宮の東にあった興化門を移築して「慶春門」と名を改めている。最近これらの建物の写真が公開され話題になった。
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「慶春門」
韓国独立後、日帝36年支配の屈辱的遺産である博文寺はすぐに取り壊されたかというと、さにあらず。皮肉なことに博文を暗殺したテロリスト・ヒーロー安重根が博文寺の建物に祀られることになった。「奨忠壇」の祭壇は再建されないままに。
1959年、韓国政府は、安重根を祀った寺を取り壊して「迎賓館」を建てることを発表する。1969年、現・ソウル市有形文化財第1号で日帝支配時も保護された「奨忠壇」の碑は、迎賓館建設の邪魔になったため別の場所に移築されてしまう。現在碑の置かれている地下鉄「東大口」駅前にである。現金なことに「慶春門」の方は移転されることなく迎賓館の正門として使われることになる。その後、1973年に「奨忠壇」のあった地は三星グループに払い下げられ、跡地には「ホテル新羅」が建てられる。迎賓館はホテルの宴会場に、「慶春門」は憐れホテルの正門となってしまった。(門は1988年に慶熙宮に戻されている) 祭壇はいつになったら再建されるのだろうか。
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