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Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

ジェリ・ムサ・ジャワラのコンサート、どうだった?

2006-02-13 | Africa Afrique
このブログでも取り上げましたコラ奏者ジェリ・ムサ・ジャワラ(Djeli Moussa Diawara)のコンサートに行ってきました。「モリ・カンテの弟が日本に来るらしい」などと紹介してしまいましたが、その超絶演奏テクニックを目の当たりにして、こういう表現は失礼だったかな。と反省してます。

会場の王子ホールはいつもクラシックのコンサートが行われている場所のせいか、客層は年配の方が多く(何故か詩人の谷川俊太郎氏がおられました)、演奏中もお行儀よく静まりかえっていて、音ひとつ出そうものなら睨まれそうな雰囲気が漂っていました。第一部のナンバーは伝統音楽だったからまぁ目をつむっても、第二部のナンバーはジャズやブルースやポップのアレンジで、ゲストの女性ヴォーカル、ニャマ・カンテ(モリ・カンテの姪らしく、ジェリ・ムサ・ジャワラの姪にもなるのでしょう。この方、日本人と結婚されて日本在住)が歌や踊りで盛り上げているのに、こんなにノリが悪いと、ジェリ・ムサ・ジャワラもさぞやりにくいだろうな。と思いました。コンサート終了後に、後ろの方の席で「あなた、音を立ててうるさい。あやまりなさい」と、えらい剣幕で怒鳴っている女性がいたりして、ちとシラケました。

今回は「シリーズ World Chamber Music 音の世界遺産」の一回目で「世界各地の伝統芸術音楽のなかで、古典(クラシック)と呼ぶに相応しい音楽を選んで提供する」というふれこみで、「西アフリカ、マンディング族の純粋な伝統音楽からはじまり」というのはいいのですが、「アラブ音楽やフラメンコ、ジャズ、ブルースのテイストを混ぜた曲、またジェリ・ムサ・ジャワラのオリジナル曲まで多彩な曲を披露します」と、ワールド・ミュージック、エスノ・ポップの展開を期待させたあたり、どっちもつかずになったんじゃないかな。と思いました。シリーズ二回目に呼ばれるミュージシャンとその音楽によって、王子ホールの取組の真価が問われるんじゃないかと思います。

コラの演奏については、前回もいろいろ書きましたが、コンサートで判ったことなど次回に追加します。

モリ・カンテの弟

2006-01-28 | Africa Afrique
モリ・カンテの弟が日本に来るらしい。

突然、超マイナーな話題で恐縮ですが「ワールド・ミュージックの世界」(音楽業界の都合で作ったカテゴリーのようで、この言葉はあんまり好きでないです。そもそも寄せ集めなので、そんな世界がホントにあるのかどうか、ミュージシャンが意識しているのかどうかも疑問なんですが)では、Tomotubby が敬意をこめて勝手に「アフリカのイエローマン」と呼んでいるサリフ・ケイタと共に西アフリカ地区ミュージシャンの代表選手だったモリ・カンテ。

そのモリ・カンテの弟ジェリ・ムサ・ジャワラ(Djeli Moussa Diawara) が日本でコンサートをするらしいのです。

モリ・カンテはギニア出身?、サリフ・ケイタは隣のマリ出身だったと思います。13世紀から15世紀にかけて、この二国を含めた西アフリカの西半分には、(なぜかエッチな映画で有名らしい)マンディンゴ族の建てた巨大帝国、マリ帝国が横たわり、サハラ砂漠を南北に結ぶ金と塩の交易ルートを掌握していたのでした。当時、この地域の民族はみんな文字を持たなかったため、「グリオ」(マンディンゴ語では「ジャリ」と呼びます)と呼ばれる、日本で言えば稗田阿礼のような記紀口述伝承専門家の世襲集団が、代々、音楽に乗せて祖先の物語を語り継いだのでした。モリ・カンテは、その「グリオ」の家系の人でした。弟ジェリ・ムサ・ジャワラも当然「グリオ」。今やスーパースターの感があるセネガルのユッスー・ンドゥールも「グリオ」の出身らしいです。

日本にいる私達にとって、アフリカの国々の音楽は遠い存在で、かつての宗主国を経由した情報をもとに聴いているような気がします。実際、パリに行くと、アフリカ移民のコミュニティーがあったり、メトロの駅なんかでもバスキングをしているミュージシャンがいたりして、アフリカの音楽はよく耳にします。時折立ち止まってずーっと聞いていたくなるような素晴らしい音楽に出会うこともあります。今度来日するモリ・カンテの弟、ジェリ・ムサ・ジャワラも、ホームページの説明を読むと、パリを拠点にしているミュージシャンのようです。兄モリ・カンテと違うのは、正統的な Kora 一本のアコースティック・ミュージックで勝負しているところです。(最近はそうではないようですが)兄がポップスに傾きすぎて、マヌ・ディバンゴみたいにやや軽佻浮薄なイメージがあるのとは違い「Kora jazz trio」なるアルバムを発表しているくらいですから。

Kora」という撥弦楽器は、旧マリ帝国の諸国で「グリオ」が長年演奏してきた楽器の一つで、リュートの形をしたハープといったらよいでしょうか。瓢箪を半分にしたものに皮が張ってあって、ブリッジに張られた弦は立体的に左右に分けられていて、計21弦もあります。音は、ギターと琴の中間という感じ。Tomotubby は最初に聞いたのがそうだったからかもしれませんが、木琴バラフォンが絡んだ「疾走感」のある曲が好きです。ということで、コンサートに行きたくなってきました。

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シリーズ World Chamber Music 音の世界遺産 #1
ジェリ・ムサ・ジャワラ(コラ)
ニャマ・カンテ(ゲスト:歌、踊り)
銀座 王子ホール
2006年2月10日(金)19:00開演
全席指定 6,000円

サラ族のお皿

2006-01-09 | Africa Afrique
前回、エチオピアのムルシ族成人女性が行っている下唇に粘土板を嵌める身体変工について書きましたが、これに勝るとも劣らない口唇変工を行っている部族が、チャド・中央アフリカ国境にいるそうです。

その名はサラ族。唇に木製のお皿(サラ)を嵌めていますが、ムルシ族が下唇だけしか拡張していないのに対して、さらに上唇までも拡張してお皿を入れています。お皿の大きさは、下唇が7インチシングル、上唇がCDくらい。ムルシ族と同様、成人女性だけが行う習慣のようです。

↓こんなの

おしゃれさん

ちょっと判りにくいので、アップの写真を探してみました。


なんだか幸せそう。
この女性は、上唇に切れ目を入れず、鼻の下から伸ばしています。



上唇に切れ目を入れている人もいます。木のお皿を取ると、やはり、だらーん。

ムルシ族の Lip Plate

2006-01-07 | Africa Afrique
1/2日の夜は日本テレビの「紳助の世界オドロキ人間GP2006」というお正月特番を見ていました。内容的には「Out Come the Freaks」というか、キワモノ・オンパレードで、「ちょっとなー」という場面も多々あったのですが、怖いものみたさに最後まで見てしまいました。

個人的には、「猿岩石」の有吉弘行が単身(といっても、やはりスタッフ随伴だけど)アフリカ奥地まで出向き、ムルシ族と会ってTV出演交渉するというのが面白かったです。ムルシ族の村では、集団協議の結果、村長夫妻とその娘さんが来日、番組出演に至りました (有吉弘行のブログを読むと、このへんの収録は昨年の10月中旬に行われていたようです。ムルシ族出演の様子は落花生さんのブログ「フェアリーフライ」に詳細に載せられています)。

昨年末、Tomotubby は中国の纏足宦官に興味を覚えて、吉岡郁夫・著「身体の文化人類学―身体変工と食人」(雄山閣出版)という本なんかを読んでいたんですが、ここに顔の変工として口唇を拡げる例が出ていました。

TVに出演したムルシ族は、まさしくこの顔の「身体変工」で有名な人たちで、恐らくは現在行われている変工の中でも最も目立つものではないかと思います。一度でも目にすると一生忘れることのできないほどのインパクトのあるものです。

↓こんなの





このように下唇を拡張して粘土製の Lip Plate を嵌め込んでいるのです。この独特な変工は、専ら成人女性が行い、唇の大きさ、板の直径が美人の条件になっているそうです。有吉がムルシ族の女性たちへの御土産に口紅をプレゼントし、彼女たちが丸く張り詰めた直径20cmはありそうな唇の縁に赤い口紅を塗りたくって化粧していたのがとても印象的でした。

今回初めて Lip Plate を外した映像を見て驚きました。板の下側は唇の肉が伸ばされているのかと思いきや、唇の縁の部分だけ切れ目を入れて穴になった部分に板を嵌めているのでした。よく見ると、耳朶にも穴を開けて、同様の板を嵌めているようです。で、板を外すと、肥大した唇の縁が垂れ下がって、それが痛々しいというより、何だかだらしない感じがします。彼女たちは伸びきって垂れ下がった唇を引っ張って伸ばしたりしていまして、人間の体って、こんなにも変形するものかと驚いた次第です。







番組では、エチオピア奥地からやってきたムルシ族村長の家族があの民族衣装のまま東京の街を案内されるシーンがありました。恐らく村長は結構いいギャラを貰って演技しているのではないかと思いましたが、ゲームセンターでテーブル・ホッケーをしていて、パックを Lip Plate にしようとするあたり、相変わらず「ブッシュマン(改めコイサンマン)」のニカウさんと似た扱いでした。異文化への接し方は、ホッテントットの女性 Sara Baartman がヨーロッパに連れてこられて見世物にされた時代と、今もあまり変わってないような気がしました。

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紳助の世界オドロキ人間GP2006 
常識を超えた超ビックリの人々が大集合!(秘)衝撃映像祭

バスト249cm!? ギネス記録破る超大型乳美女発見▽驚異318kg… デブモデル女性のお尻の肉徹底調査▽ヒロシが実況…特大乳だらけの水泳大会▽インド発シッポのある少年▽唇に皿を入れた部族来日▽ツノ男VSアソコで重量挙げ▽超ゲデモノ料理…紳助ミミズを食う

出演者/ヒロシ 鈴木宗男 小川直也 松本明子 美川憲一 安めぐみ レイザーラモンHG  
司会/島田紳助 魚住りえ

世界中の”オドロキ人間”を紹介する。一目見ただけで驚いてしまうような、容姿、特技などを持った人々が現れる。「世界一のデブモデル」「幻の超巨乳」「中国の豪華オドロキ料理」「結合ゴスペル双生児姉妹」などの映像を見せるほか、スタジオには世界一唇の大きいムルシ族の村長一家が登場する。また、バラエティーでは珍しい鈴木宗男衆議院議員も登場し、レイザーラモンHGと「ぶら下がり耐久対決」を行ったり、「オドロキ料理」にチャレンジしたりする。司会は、島田紳助と魚住りえ。

ハイレ・セラシエ1世 と エリザベス2世

2005-08-30 | Africa Afrique


これも、渋谷のエチオピア・レストラン「アビシニア」の壁に貼られていたエチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世の写真です(ワインのようなシミがあります)。左の綺麗な方は、若き日のエリザベス女王ではないでしょうか? 皇帝はイギリスにも訪れたのでしょうか。調べてみると1958年に訪英されていました。この写真は恐らくそのときのものでしょう。女王は1952年26歳で即位されているので、御年32歳のときです。お若いですね。現在は御年79歳、在位53年にあらせられます。

それから、こんな記事も見つけました。エリザベス2世(正式称号は、Her Majesty Elizabeth the Second, By the Grace of God of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland and of Her Other Realms and Territories Queen, Head of the Commonwealth, Defender of the Faith といいます)は、その後の1965年の2月にエチオピアの首都アジスアベバを訪問されていました。御年39歳のときです。

記事を読んでいると、昨日ご紹介しましたエチオピア料理「ワット」や、「Nil Bleu」の源流を観光したことなどが出てきます。最も驚いたのは、セラシエ皇帝が宮殿でライオンを放し飼いにしていたこと。危険なので女王の訪問の間だけは、鎖に繋がれていたみたいですが。


おなじみ「アビシニア」の「ワット」と「インジェラ」。
大皿に敷かれてあるのと、左のオシボリみたいなのが「インジェラ」、「インジェラ」の上にのせられたシチューが「ワット」です。

Nil Bleu (Montreal)

2005-08-29 | Africa Afrique
渋谷のエチオピア・レストラン「アビシニア」のことは記事にしましたが、現在、移転・リニューアルの準備中らしいです。今回は、Tomotubby がエチオピア料理を初めて食したモントリオールの「Nil Bleu」について書いてみます。

モントリオールはフランス語圏のケベック州にありながら、市内は仏語圏と英語圏に分かれています。この店は仏語圏にあたるカルティエ・ラタンのサン・ドニ通りにあります。なんかパリの地名みたいです。サン・ドニと聞くと、パリの行ってはいけない場所、サン・ドニ門を思い出して、いかがわしいところではないか。などと心配になりますが、この一帯は地元の人で賑わうナイトスポットで、通りに沿ってレストランがたくさん並んでいます(だけど中がどんな雰囲気なのかイマイチ判りにくくてお店に入りにくいのでした。夕飯食べるためにこの通りを行ったりきたりしてました)。たいがいのレストランはワイン持込み可とのことでした。

「Nil Bleu」訳すと「青ナイル」。エチオピアにはナイル川の二つの源流のうちの一つ、タナ湖から流れ出る青ナイルがあるんですね。

店内を撮ったいい写真が手元に残っていないので、お店で貰ったカードの写真を載せることにします。灯りを落とした奥行きのある店内は、木と土と藁で飾られたエスニックな雰囲気です。パーカッションが主体のBGMもよい選曲で落ち着いたいい雰囲気でした。



お料理は、バスケットの中のお皿に、クレープのような、少し酸味のある「インジェラ」を敷き、この上に「ワット」と呼ばれる、スパイスの入ったピリ辛のお肉や野菜のシチューが何種類かのせられています。お皿の周りには、巻物になった「インジェラ」が置かれていて、手でこれに「ワット」を包んで食べます。手持ちの巻物がなくなったら、敷いてある方を食べられます。「ワット」のスープで軟らかくなっていて、巻物とは一味違う味です。最初はワイルドな味を想像していたのですが、食べてみると「インジェラ」の酸味と「ワット」の辛味がマッチしていて、たいへん繊細な味わいで、忘れられない体験をすることができました。

神・セラシエ皇帝 と 聖人・マーリー の再埋葬

2005-08-13 | Africa Afrique
旧・王宮のトイレの地下に埋められていたハイレ・セラシエ1世の遺体は、1992年に発見され、アジスアベバの廟に安置されていましたが、2002年11月に、名誉回復のために「再埋葬」されています。埋葬された場所は「トリニティ(三位一体)大聖堂」ですが、ハイレ・セラシエという名の意味するところも「三位一体」つまり「父と子と聖霊」なのでした。

ラスタファリアンは、今も、ジャー、ハイレ・セラシエ1世の死を信じようとはせず、たとえ肉体が滅んでも、その魂は聖地で生きつづけていると信じています。

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【ナイロビ4日共同】エチオピアのハイレ・セラシエ皇帝記念財団は3日、25年前に死去した同皇帝の遺体を11月5日に首都アディスアベバのトリニティ大聖堂の墓地に再埋葬すると発表した。メンギスツ前政権によって汚された皇帝の尊厳を回復するのが目的としている。                       
皇帝の遺体は長い間、幽閉先のトイレの地下に作られた粗末な墓に埋葬されていたといわれる。1992年の発見後は、首都のメネリク廟(びょう)に安置されていた。      
       
30年に即位したセラシエ皇帝は74年、軍の反乱で退位。翌年死亡したが、他殺説もあるなど死因はなぞに包まれている。 

(2002/10/4)
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今年に入って吃驚したのが、ボブ・マーリーの「再埋葬」のニュースでした。ジャマイカは生地ナイン・マイル村に葬られ、今や観光名所にもなっているボブの墓所から遺体を掘り出し、聖地「ザイオン」エチオピアへ移して「再埋葬」するというから驚きです。埋葬されるエチオピア南部のシャシェメネという街には、ラスタファリアン数百人がジャマイカから移り住んでいるというのも、今まで知りませんでした。エチオピアというと、飢饉で知られる世界最貧国のひとつだと思いますが、敢えてその地に戻ろうとしたラスタファリアンの「アフリカ人」としてのアイデンティティーには強烈なものを感じます。

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【アジスアベバ13日AP】伝説のレゲエ・シンガー、故ボブ・マーリーの妻で、歌手のリタ・マーリーさんは12日、ジャマイカに埋葬されているボブ・マーリーの遺体を掘り起こし、「精神の安息地であるエチオピアに埋葬する予定だ」と明らかにした。
エチオピアでは2月、ボブ・マーリー生誕60周年を祝うイベントが準備されており、その中で再埋葬が行われるという。
リタさんはAP通信に「エチオピア教会と政府高官がこのプロジェクトを支援してくれている。
これはボブ自身の使命でもある」と述べた。
リタさんによると、遺体はアジスアベバの南約250キロにあるシャシェメネという場所に再埋葬される。
シャシェメネには、エチオピア最後の皇帝、ハイレ・セラシェに土地を与えられたラスタファリアン数百人が住み着いているという。
自然との一体化を唱え、ドレッドロックス、マリファナを神聖なものとするラスタファリアンは、セラシェ皇帝を神として崇める。ボブ・マーリーも熱烈なラスタファリアンとして知られた。

ボブ・マーリーはジャマイカのセントアンで1945年2月6日に生まれ、81年にガンのため亡くなった。
キューバ生まれで、ボブ・マーリーのバンド、ウェイラーズのバックコーラスを経て66年に結婚したリタさんは「ボブの人生はアフリカに捧げられた。ジャマイカだけのものではない」と強調した。

リタさんはアフリカ連合(AU)や国連機関と連携し、2月6日にアジスアベバでの記念コンサートなどのイベントを準備している。ボブ・マーリーのヒット曲にちなんで「アフリカ・ユナイト」と付けられた同イベントはエチオピア国内の貧困家庭を援助する基金集めを目的としている。
同コンサートには、セネガルのバーバ・マール、ユッスー・ンドゥール、ベニンのアンジェリック・キジョーらが参加する予定。

(2005/01/14)
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でも、ジャマイカの人たちが黙ってないんじゃないかな。ボブはもはや「ラスタファリアンの聖人」どころか、「ジャマイカの守護聖人」ですから、遺体が遠くアフリカの地に運ばれれば、ジャマイカの命運、ここに尽きる。ってことにならないか。かつて聖マルコの遺体をアレキサンドリアから運んで、サン・マルコ大聖堂を建て祀ったベネチアが、長きにわたって繁栄し、その陰でアレキサンドリアが没落したたように...と心配していたら、翌日、リタは前言撤回。ボブは死してもジャマイカの「金のなる木」であることは間違いないようです。

ジャマイカの場合、ブルーマウンテンという金のなる木もありますから、商業主義的に考えれば、ボブ・マーレー・ブランドの美味しいコーヒー豆を売り出すと一番いいのかもしれない。なんちゃって。

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【ナイロビ14日共同】故郷ジャマイカに眠るレゲエのスーパースター、故ボブ・マーリーの遺体を掘り出して、生前愛したアフリカ・エチオピアに2月に再埋葬する計画を発表した妻リタさんが、14日までに計画を撤回した。AP通信などが伝えた。

計画が報道されると、ジャマイカ国内で「国民的財産を奪う敵対行為」「ボブは故郷を愛していた」などと新聞やラジオ、インターネット上で批判が殺到、大騒ぎとなった。

これを受けリタさんは、代理人を通じて「(マーリーは)当面はジャマイカに眠り続ける」との声明を発表した。

(2005/01/15)
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アルバム「Survival」(試聴可)からの曲「Africa Unite」が冠されたコンサートの方は、10万人を超える観客を集めて大成功だったようです。イベントはライブ録音されたので、いずれライブアルバムなりがリリースされると思います。最後は、参加者みんなで観客とともに「Africa Unite」を合唱したそうです。
この曲も晩年を代表するいい曲ですね。ユッスー・ンドゥールがあの高音域で歌うのを是非聞いてみたいです。

Bob Marley & The Wailers 「Live!」

2005-08-12 | Africa Afrique
渋谷のエチオピア・レストラン「アビシニア」では、BGMにボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの「Live!」がエンドレスに流れていました。そういえば「ジャー、ラスタファーライ」の一声で始まるこのライブ・アルバムは、1975年8月28日にハイレ・セラシエ1世が83歳で死亡したというニュースが世界を駆け回った直後にリリースされたものでした。実はハイレ・セラシエ1世は、前年1974年に、軍事クーデターで逮捕のうえ退位させられ、拘束されていたのです。ラスタファリズムを信奉するボブ・マーレーは、1978年に、初めてエチオピアを訪れますが、皮肉なことに、彼を迎えたのは、皇帝を死に追いやり、恐怖政治を敷いて、数十万の国民を殺害したと言われるクーデターの首謀者、メンギスツ・ハイレ・マリアム大統領でした。メンギスツはセラシエ1世の遺体を、王宮のトイレ地下に埋めたといいます。

その頃既に、ボブの体は癌に侵されていました。1980年ニューヨーク・コンサート後に、セントラル・パークをジョギング中に倒れ、病院に運ばれます。その後、ボブは癌と闘いながらも演奏活動を続けますが、1981年5月11日、36歳の若さでこの世を去ります。既に円熟期に入り、素晴らしいメロディーが次々と作られ、ミュージシャンとして充実した時期を迎えていただけに残念でなりません。ボブ・マーレーが長生きしていたら、かなりポピュラー・ミュージックの歴史は変わっていたのではないかとさえ思えます。



ボブ・マーリーのラスト・アルバム、「Uprising」(試聴可)の最期の曲、「Redemption Song」は、珍しくアコースティック・ギター一本の弾き語りですが、いつ聞いても心打たれるものがあります。あと、7曲目の「Pimpers Paradise」もいい曲です。ボブの死後、既に四半世紀が経とうとしていますが、彼の遺した音楽は現在も色褪せていないどころか、今なお、新しいファンを獲得し続けています(同じような賛辞は、ビートルズに対してよく使われてきましたが、ボブ・マーレーと比べりゃ、かなり色褪せているように思えます。ビートルズ世代の中じゃ色褪せてないかもしれないけど。この際はっきり言わせて貰いますが、「ホワイト・アルバム」を聞くの無理強いさせないで欲しい。聞くのがつらいよ)。それでもって今なおアイランド・レーベルのドル箱となっているのです。生誕60年の今年に続き、来年はいよいよ没後25年、また記念盤がリリースされるのでしょうか。まだ未発表曲があるのでしょうか。興味津々。

ラス・タファーライ

2005-08-10 | Africa Afrique

レゲエを聞いていると、歌の中で「ジャー、ラス・タファーライ」という言葉をよく耳にします。ジャーは神のことで、ラス・タファーライは、ハイレ・セラシエ皇帝が即位する前の名前であるラス・タファリ(・マッコネン)の語尾の【i】の音が【ai】に変化したものです。つまりここでのジャーとは、神格化されたエチオピア皇帝、ハイレ・セラシエ1世のことをさすのです。

セラシエ皇帝を神と崇め信仰する(ごく)一部のジャマイカの人たちは「ラスタファリアン」、その思想・活動は「ラスタファリズム」(正式には「ラスタファリリズム」らしいのですが、誰もが「ラスタファリズム」と言っています)と呼ばれ、通称「ラスタ」の呼び名で通っています。1970年代にラスタファリズムに傾倒していたボブ・マーレーの音楽とともに、ラスタファリアンの(思想は必ずしも理解されないままに)風俗だけが世界に拡がりました。例えば、赤・黄・緑・黒からなるラスタのシンボルカラー「ラスタカラー」のファッション。これは、もともとエチオピアの国旗の色です。モップのような独特の髪型「ドレッド・ロック」も「ラスタ」のトレード・マークです。


ラスト・エンペラーの来日

2005-08-09 | Africa Afrique
都内の某本屋さんでパチリ。

spectatorという不定期?刊行の雑誌(幻冬舎)がインド特集、それもゴアの特集をしているので、立ち読みしていたら、エア・インディア機に乗ってやってきた黒髭のお方が、飛行場で昭和天皇に迎えられ、何やら演説しているような古い写真が載っていました。

さあ、このお方は誰でしょう?



Tomotubby にはすぐ判りましたね。えへん。実は、Pet 君の誕生日のお祝いに渋谷にあるエチオピア・レストラン「アビシニア」というお店で食事をしたとき、店内に貼られていた数々の写真でお顔を拝顔していたのでした。



そうです。この人こそハイレ・セラシエ1世。紀元前975年、ソロモン王とシバの女王の間に生まれたメネリク1世を始祖としたアフリカ大陸最古の王朝で、第一次世界大戦前にヨーロッパ列強によって分割されず独立を保ったエチオピア帝国。その帝国のラスト・エンペラーなのです(第二次大戦ではイタリアに植民地化されてしまいますが。因みに、もう一国、リベリアも独立を保ちました)。

「アビシニア」店内には、ハイレ・セラシエ陛下が来日したときの写真がたくさん貼ってありました。調べてみると、陛下は1956年にインド経由で初来日、1970年に大阪万博見物に再来日。よって、エア・インディアのチャーター機の写る最初の写真は1956年に撮られたものになります。


昭和天皇と握手。かつての宿敵イタリアの同盟国にもかかわらず、皇帝は親日家で、若かりし頃、妃の候補を日本に求めたらしい。


今上天皇は、45°のお辞儀をしています。貫禄負け?


隣の綺麗な方は美智子皇后でした。今上天皇も若いですね。
1956年時点ではまだご成婚前、聖心女子大学に在籍されていたので、この写真は1970年の写真のようです。今上陛下37歳、皇后35歳。