「瞼の母」の絶賛コメントがあいついでいますが、私もかなり涙があふれて止まりません。
個人的な体験も含めてとても思うところの多い作品になりました。
まぁ、このブログは両親や親戚も見ておりますので、書くのをためらったのですが、泣いた理由を説明します。
...私は、小さい頃に父方の祖父母と両親と住んでおりました。しかし、いろいろな事情があり、母は私をつれて家をでました。私としては、母を一人にするわけにはいかないだろうと思ったのです。
ところが、実家を出るその朝、祖母がわたしにこう言い放ったのです。
「ともこ・・・おまえはお前はもう今日から他人だよ!うちには戻ってこないでおくれ!」
そういうと、くるり、と背を向けてしまいました。
私はショックでしたが、ようよう、「・・・他人のわたしを、今まで一緒に住んでくれてありがとうございました」といって、家をでました。私が9歳のときの話です。
それから、本当に私はずっと、調布のおおもとの実家には戻りませんでした。祖母はその後脳梗塞二度起こし、言葉がうまく話せなくなってしまいましたが、90歳すぎても元気で生きておりました。
彼女が96歳になったとき、私は意を決して祖母に会いにいくことにしました。なんというか、虫のしらせだったんだと思います。
なつかしいおおもとの実家に帰ってきました。祖母に私が「かえってきたよ、おばあちゃん」と申しましたら、口のきけない祖母は、わぁわぁと子供のように泣き出しまし
そして、私の手をぎゅっと握りしめ、「ともこ、ともこ」とようやくいいました。私もわぁわぁ泣きました。
祖母がどんな思いで、私をまっていてくれたか、よくわかりました。「他人だよ」と突き放したように見えて、実は、とてもかなしくてやりきれなくてしかたなかったのだと思います。ほんとうにうれしい再会でした。
その翌年、祖母は静かに息を引き取りました。
おはまが「私はなんでおまえ(梅枝)しかかわいいとおもえないんだろうね・・・」と号泣する場面がありますが、
祖母もきっとほかの孫たちのとのことも思いながら葛藤をしていたのだろうと思いました。
私の心の澱が取れていくようでした。
「瞼の母」の玉三郎さんをみて、祖母の姿が重ね合わされ、ずっと涙しております。
祖母が天国で、祖父や父の早くに亡くなった弟たちと、たのしく暮らしていることを祈ります。
きょうはとてもすがすがしい気分でいっぱいです!