せっかく、パーヴォを応援するサイトでもあるので、
私の、クラシックの音楽遍歴をお話したいと思います。
私がクラシック音楽に目覚めたのは、5歳のときです。
両親がクラシックバレエとピアノを私に習わせてくれたのです。
ピアノは16歳まで習っていて、
ショパンのノクターンぐらいまでは弾けるようにななりました。
日本ではかなりピアノをならう子供たちは多くて、
かれらの音楽的素養がもしすばらしいとわれるのなら、
それはこの幼児期の教育が徹底しているからだと思います。
父も母も、大変教育熱心でしたので、幼児期から私に、
来日したダヴィンチの「モナリザの微笑」を見せてくれたり、
こうしたピアノ・バレエを習わせてくれ、芸術にふれる機会を増やしてくれました。
ふたりにはほんとうに感謝しています。
6歳で、来日したキエフバレエ団の「白鳥の湖」を東京で見ました。
両親にせがんで、チャイコフスキーのレコードを買ってもらったのが、
私が生まれて初めて買ったクラシックのレコードです。
輸入盤だとクラシックのLPがいちばん廉価で手に入るので、
私はメンデルスゾーンの「結婚行進曲」や、
チャイコフスキーの「くるみ割り人形」などを聴いて育ちました。
転機が訪れたのは中学1年のときです。
カトリックの女子校に入学したのですが、
そこで、オルフの「カルミナ・ブラーナ」の演奏を学内で聴くという経験をしました。
東京の目白のカテドラル大聖堂で演奏したのです。それはそれは荘厳な体験でした。
その感激を音楽の先生に話したところ、
その年の秋に、私立中学の連盟で、ヘンデルの「メサイア」を演奏・合唱することになり、
私はそのソプラノパートに入ることになりました。
このときの演奏には、今の天皇陛下・皇后陛下が臨席され、
大変感激したのをおぼえています。
また音楽の授業で、オーケストラの演奏体験もしたのも幸せなことでした。
私はクラリネットを担当しました。音を出すのに四苦八苦するだけでしたが、
このときの体験も、いまのクラシック鑑賞にすごく役立っているように思います。
金管・木管楽器の方のご苦労はとてもよくわかるつもりです。
高校の音楽の授業はすばらしかったです。
オーケストラ体験のほかにも、映画鑑賞をさせてくれたのですが、
そこでヴィスコンティ監督の「ベニスに死す」を観たのです。
それで、初めて私はマーラーを知りました。
マーラーの第5番のアダージョはどのそれよりも、魅力的で深淵です。
また、同じ授業で、ワーグナーの
「ニュルンベルクのマイスタージンガー」「ワルキューレ」を聴き、
大変感激しました。
先生が大変なカルロス・クライバーのファンで、
レコードなどを聴かせてくれたので、私もクラシックに一時期かなり傾倒しました。
(歌舞伎をみるようになったのが一番遅くて、大学生になってからです)
そういう意味では、私はとても恵まれた青春時代を送っていたのだと思います。
仕事で映画会社に入ると、クラシックの世界とは遠くなりました。
これは大変残念なことでしたが、やはり社内でクラシック好きな仲間たちがいたので、
熱心に話していました。
また、映画の予告編を作るミーティングのときには、
いつも大量のクラシックのCDを持ち込んで、
BGMに何を使うか、よく議論したものでした。
その中で、とてもうまくいったケースなのが、
日本の時代劇なのにクラシックを使った「陰陽師」での、
モーツァルトの「レクイエム」から「怒りの日」。
そして、「梟の城」での「カルミナ・ブラーナ」でした。
大変インパクトがあり、これらの映画は日本国内でいずれも大ヒットを記録しました。
広報になってからも、クラシックを聴く機会はもっぱらCDでですがありました。
また、上司の方で、実は小澤征爾さんと親交のある人がいたので、
小澤さんのCDなどもよく聞くようになったのもこのころです。
そして、会社をやめて、念願だったクラシックコンサートに行く機会がふえて、
運命の6月25日と30日の、パーヴォとの出会いがあったわけですね!
指揮者もカラヤンもそうでしたが、クライバー、アバド、ムーティ、ショルティ、
フルトヴェングラーなどをCDで聴いていたので、
パーヴォの「一千人の交響曲」を聴いたときには驚天動地の想いでした。
本当に、いままでまったく聴いたことのない、クラシック音楽体験がありました!
怒涛の如く押し寄せる強烈なパッションを感じるとともに、
崇高な魂がそこにありました。
あとは、いつも大騒ぎしている通りです。
これからもパーヴォやほかのクラシック音楽のみなさんの奏でる音楽を通して、
よりゆたかな人生をあゆんでいきたいです。