桂木嶺のGO TO THE THEATER!~Life is beautiful!~

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入魂の「ザ・グレート」!パーヴォ・ヤルヴィさんとN響の演奏に大反響!

2017-08-15 06:25:34 | パーヴォ・ヤルヴィさん関係

おとといは、既報通り、「クラシック音楽館」にて、

6月30日のN響の定期演奏会Cプログラムの様子が放送され、おかげさまで大変な反響がありました。

パーヴォの指揮のダイナミックさ、かっこよさもみなさまにひろく認識していただいたかと思いますが、

N響のみなさんの迫力ある演奏は、いままでのN響像をくつがえす凄演、

これからのパーヴォとN響のコラボが大変たのしみなライブになりました。

また、番組の後半には、先週にひきつづき、パーヴォの学生さんたちへの特別レッスンの後編が

放送され、こちらも熱い感動を呼び起こすものとなりました。

 

まず、Cプログラムの最初は、シューマン作曲の「ゲノヴェーヴァ」序曲。

パーヴォがこう解説されました。

「シューマンの曲を理解するには、通常ひととして求められる礼儀正しさや奥ゆかしさ、といったものから離れて、

もっと生々しい感情を爆発させることや、喜怒哀楽をはっきりさせることが求められます。

それは親からは『やってはいけない』といわれるものだが、あえてシューマンの曲の場合には、

そうした感情の爆発を大事にすることが重要です」

「ゲノヴェーヴァ」の序曲では、パーヴォとN響のみなさんは、

短いながら、劇的な興奮とともに、ヒロイン・ゲノヴェーヴァの数奇な運命を

感じさせる旋律で、繊細な魅力も聴かせてくれました。

 

つづいては、同じくシューマン作曲「チェロのための協奏曲」。

チェロは、パーヴォの信頼の厚い、ドイツ・カンマーフィルハーモニーブレーメンの首席チェロ奏者でもある、

ターニャ・テツラフさん。大変聡明な女性で、パーヴォとの対談の中で、シューマンの一連の曲を、

「愛する人へのラブレターとしてとらえています。たとえば、ちょっとした旋律の中に、

彼の妻である『クララ』というフレーズを感じますね」とにっこり。

パーヴォも大変満足したようでした。

美しく繊細な旋律と、後半の情熱的な音楽で、観客を魅了しました。

「ブラボー!」の声もかかり、場内の興奮は頂点に達します。

 

そして、名演の誉れ高き、シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」。

シューマンをして、「天国的に長い」と評されたこの曲でしたが、

パーヴォはあえて、この曲を、まるでロックのように激しくたたきつけるように

演奏することで、作品本来持っている、爆発的な魅力を引き出し、

画期的な演奏を引き出しました。

N響もまた、パーヴォの熱情あふれる指揮によくこたえ、新たな境地を生み出しました。

 

パーヴォは語ります。「『ザ・グレート』はシューベルトの傑作だ。

かれは歌曲の作曲家としてのイメージがつよいが、

交響曲の作家として認められたいとコンプレックスを持っていたんだ。

手紙の中でも『ベートーヴェンの交響曲第1番のような曲を作りたい』と書いている。

この『ザ・グレート』はそのベートーヴェン的な要素と、粗暴さなどを加えて

演奏すべきだと考えたんだ。いつものシューベルトの歌曲にみられるような

繊細さなどをなくすことが大事だとも思った」

 

事実その試みは成功し、荒々しくも豪快なタッチの中で、線の太い演奏で

「ザ・グレート」を生まれ変わらせ、聴衆と、テレビの前の視聴者をくぎ付けにしました。

クラシックの常識を超えた、21世紀の音楽としての「ザ・グレート」の名演は

今後も語り草になるでしょうし、またCD化も私個人としては大いに希望するところです。

 

最後に、「パーヴォ・ヤルヴィ 特別レッスン 指揮者への道 後編」が放送されました。

前回の放送では3人の学生がパーヴォのレッスンを受けましたが、

今回は一人。パーヴォに憧れ、指揮者への道を歩みだした彼に、

パーヴォが熱く指導し、ふかい感動を与えました。課題曲はベートーベンの交響曲第4番第4楽章。

彼曰く、「ここは真面目だがジョークのような音楽であることを忘れないでほしい。

ある意味クレイジーだが、それもいい意味でのクレイジーさがベートーヴェンにはあるんだ」。

「俳優のように演じることが大切だ。顔などの表情を作ることで、

作品の明確なイメージを、楽団員に伝えてほしい」。

そして、最後にみんなに指揮者とは何か、を語りました。

「指揮者とは仕事ではない。ひとつの信念であり、生き方でもあるんだ。

伝統を尊重することは大事だが、そこに畏敬の念ももちすぎず、とらわれすぎないことも大切だ。

指揮者は、ほかにできることがないので、指揮者という選択肢が残される。

彼にとって必要なのは、音楽への愛、曲への愛であり、喜びなんだ。

そして楽団をまとめるリーダー的な役割も求められることを忘れずに」

パーヴォの明解かつ音楽への愛にあふれた言葉に、

わたしもふかく感動し、大変よい企画だったと感じました。

 

パーヴォが日本の若者たちへ渡したい、音楽のバトンとは、

父・ネーメや、恩師・バーンスタインらから受け継いだ、

強烈な信念と愛情なのだろうと痛感した次第です。

 

8月のパルム国際音楽祭でも大いに活躍しているパーヴォですが、

9月の定期公演で、またどんな斬新な演奏を聴かせてくれるか

楽しみです!

 


吉右衛門さん、平和への想い、歌舞伎のいまについて熱く語る!!

2017-08-15 02:47:07 | 吉右衛門さん関係

きのうは、いろいろな方のお力を借りて、

歌舞伎座ギャラリーで行われた、「秀山祭播磨夜話」で、

吉右衛門さんのトークショーに行ってまいりました。

お目にかかったみなさまにお礼を申し上げます。


さて、吉右衛門さんが登場とあって、この日は松竹の関係者と思しき方が後列にずらり。

そして、場内は超満員という大人気ぶり。さすが大播磨です!

吉右衛門さんは和服姿で登壇され、終始和やかな笑顔とともに、

ときおり、少年のように瞳をきらきらと輝かせながら、

私たちが質問した内容にも丁寧にお答えくださり、

大変感激いたしました。


また、きょうは72回目の終戦記念日となりますが、

日ごろから思っておられる、「平和」への熱い想いを語られ、満場の熱い拍手をあびました。

大変すばらしいトークショーになりました。

聞き手の戸部和久さんの妙味あふれるお話にも感服いたしました。

 

まず10回目を迎えた秀山祭への想いを問われました。

「初代吉右衛門を顕彰したいと思い、始めたものです。

役者は、生きている間は覚えてもらえますが、死んでからは忘れ去られてしまうのが常。

しかし、初代という人はあまりにも惜しいですし、

いつまでもかれのことを憶えていてもらいたいと思い、始めました」

と語ります。

 

今回の演目である「幡随長兵衛」も「逆櫓」も、

「いずれも、私が初舞台の子役で務めたものです」と奇縁に驚いておられました。

 

「初代は、世話物、時代物をそれぞれよくしました。

昼の部の『幡随長兵衛』は侠客の物語でもあり、

江戸の香りを漂わせるようにずいぶん気を使っています。

七代目三津五郎のおじさんや、寿海のおじさんなど、

昔はずいぶんその江戸の香りを漂わせる役者が多かったように思います。

伝統歌舞伎とは、まさに江戸の文化を伝えるものだと思っています」

と江戸の香りをいかに客席に届けるかに

苦心されてきたことを明かされました。

 

その作業の中で、吉右衛門さんが大事にしてきたことは、

(名わき役で人間国宝だった)多賀之丞さんが指摘されたことだといいます。

「坊ちゃん、あなたの職業はなんですか?あなたは歌舞伎役者なのだから、着物が似合う役者になりなさい」

そこで、2~3年ずっと和服で通すことをしたら、体型も和服の似合うようになったそうです。

「長兵衛」では、侠客の本音と、侍の建前をきちんと見せたいといいます。

初代と、実父である初代白鸚は寄り付きがたいものがあったので、

自分もその境地をめざしたいとのことです。

 

夜の部の「逆櫓」の樋口次郎兼光は、久々に演じます。

「海にまつわる立ち廻りをお見せしたいです。最初私のところにいた近澤というものが

立師としてついてくれたが、いまは弟子の吉五郎がやっています。初代のとはまた少し異なります」とのこと。

 

そして、さまざまな狂言を演じる上で、心がけているのが、「平和」への熱い想いだと、

吉右衛門さんはつよく語ります。以下、そのまま記します。

 

「自分はいわゆる戦中派の最後の世代です。

終戦直後、MPがきたり、シューシャインボーイズ(靴磨きの少年たち)が尾張町などで

軒をならべていたことを、いまだに鮮烈に思い出します。

また、ビキニ環礁の実験があった時には、

登校時、『黒い雨がふる』といってずいぶん騒ぎになったことを思い出します。

つまりはそれだけ平和というものはありがたいものなのです。

いまは、連日耳を覆うようなニュースが飛び交い、原爆などに関するニュースにも

僕は胸を痛めています。

その平和のありがたさ、大切さがないがしろにされていて、僕は危機感を感じます」

大播磨の思わぬ一言に、場内はどよめきました。

 

吉右衛門さんは堰を切ったように、こう話されましたので、

若い方々はよくきいてください。

 

「文明が栄えるといろいろ弊害も起きると思いますが、

文化が熟成することは素晴らしいことです。

平和な時代が続いたからこそ、室町時代には能狂言が栄え、

江戸時代には歌舞伎・文楽が発展したのです」

「また終戦直後には、GHQによって、歌舞伎が上演禁止されたこともありました。

ところが、マッカーサーの士官である、フォービアン・バワーズさんという方が

『熊谷陣屋』は反戦劇であるから、上演できるようにしてくださり、以後「忠臣蔵」の上演もできるようにし、

現在の歌舞伎を守ってくださいました。そういう歴史を知ることも大事です。

バワーズさんや、例えばドナルド・キーンさんのように、われわれよりも

日本文化にくわしい方々の尽力もあって、今日の歌舞伎が隆盛を誇っていることを

わすれてはならないと思いますね」

 

これには、場内非常に感じ入ることあり、大きな拍手が起きました。

大播磨は大変うれしそうで、「公の場でこういうお話をして、まことに恐縮ですが」と照れられました。

一代の英雄役者として、一人の日本人としての想いを口にされて、

ふかい共感を呼んでおられました。

 

また、秀山祭のお話に戻りまして、甥の染五郎さんに託す、

「再桜遇清水(さいかいざくらみそめのきよみず)」「毛谷村」などのお話となりました。

前者は、琴平座で上演されて以来、初めての歌舞伎座での上演となります。

「初演からちょうど30年になります。江戸の文化へのタイムスリップが

できるようにしたいですね。江戸の人も、現代人も

共感するものを届けたい」と意欲を見せられました。

 

ここで、お客様からの質問コーナーとなり、こちらも芝居好きの播磨屋ひいきのみなさまから

熱い質問が相次ぎました。


〇「俊寛」を演じられるとき、終幕、虚空を見つめる俊寛には、いったい何が見えていますか?

そこで吉右衛門さんは、「歴代の先輩にうかがったところ、実はご来光が見えている、というのが

芸談としてあるのです。僕の場合は、時として、(役に入り込むあまり)天女の姿が見えたこともありますね」

と言われたので、みな大変に驚きました。常人ならざる大播磨の、ある種の到達点なのでしょう。

 

〇思い入れのある役はなんですか?

やはり、初代が大切にした「熊谷陣屋」がその筆頭に挙げられる、と吉右衛門さんは率直におっしゃいました。

また「俊寛」、六代目歌右衛門さんが吉右衛門さんにみっちり教えた、「籠釣瓶」の佐野次郎左衛門も

印象にのこるといいます。同じ役を幾度も演じるときの原動力については、「実は原動力というよりも、

反省の上につぐ反省で演じています。こんどこそは完璧なものをお見せしたいと思うが、なかなかむずかしい」と

名優でありながら、謙虚な姿勢を崩しませんでした。

 

〇古典歌舞伎の若手への継承についてはどうお考えですか?

ここで、吉右衛門さんは、思わぬ発言をなさいました。

「実はこの点においては、僕は日々悩んでいるのです。

僕は、初代や六代目歌右衛門のおじさん、実父たちから、

この古典歌舞伎の大切さを教わり、叩き込まれてきたけれども、

現代の歌舞伎において、これは果たして必要なのか?若いひとたちは必要としているんだろうか?

もちろん、教えを請われれば教えますが、僕はまだ自分のことで精いっぱいな人間なのです。

だから、古典の継承については、まさに神のみぞ知るなのではないか、と思われてならないのです」

 

名優の意外な苦悩に対し、

場内からは、「吉右衛門さんの歌舞伎だからこそ、みな真実があるし、応援しています」という

大きな拍手がわきました。

吉右衛門さんは破顔一笑され、「ありがたいことです。役者は教えるのも大切ですが、

板の上にのって演じてこそ初めて生きるのですね。80歳で弁慶をやりたいという想いもあるし、

頑張っていきたいですね」と抱負を述べられ、皆を感激させてくれました。

 

ともあれ、大変充実した内容の1時間でした。

写真撮影などはできませんでしたが、

すばらしい笑顔とオーラの吉右衛門さんに、あらためて尊敬の念をいだくとともに、

30年近く、彼を追い続けてきて、本当によかったと思いました。

真の名優であり、人間として、大きな包容力と魅力をもつ大播磨の素顔にふれ

みちたりた想いで歌舞伎座をあとにしました。(了)