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ごろごろで 楽しく記憶☆ ~勉強は楽しまなくっちゃ♪~

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戦乱の世へ

2013-07-22 10:11:44 | 室町時代
室町時代の続きです。

室町時代はちょっとややこしくて、前半は南北朝時代と室町時代が重なっています。
足利尊氏が幕府を開く少し前から、南北朝の対立が始まり、60年も続きますよね。
(※前々回の記事、少し補足しました。)
でも、3代将軍義満の時代になって、やっと落ち着き、南北朝も合体。

そして、足利義満の時代、室町幕府は全盛期を迎えます。

この頃、中国の沿岸を荒らす倭寇に悩んだ明は、倭寇の取締りと国交を求めてきました。
そこで、足利義満は明と貿易を始めます。

1404年 勘合貿易 明と 足利義満

いーよ(14) O(0)K(4) 勘合貿易 荷物は見んと よしみつけた

通っていいよー OKだよって。勘合貿易は荷物を見ないで、勘合という合い札をよし!見つけた!となったら、正式な遣明船と認めてくれたのよね。倭寇じゃないって。

勘合貿易は、堺、博多、兵庫などの商人が行い、税や献金は幕府の財源となりました。

いーよー(14) まる(04) 荷物見んと 勘合貿易
(1)って(4)し わー(0)(4)かった 荷物見んと よし見つけたで 勘合貿易

というのでもいいかと。お好きなのを覚えてくださいね。(^_-)-☆


足利義満のあと、義持の時代は平和だったんですが、義教(よしのり)は専制的な政治をし、有力守護を弾圧したため殺され、将軍の権威が大いにゆらぎ始め・・・

足利家の家督争いに、細川勝元・山名持豊(もちとよ)の対立が加わり、応仁の乱が始まり、戦国時代の幕開けとなります。



1467年 応仁の乱 

ひとりよ(14) むな(67)しい。おおにんの乱

戦乱は11年も続き、京都は焼け野原になりました。
長い間、大きな忍の一字で耐えてきた乱が終わったけど、家族も友達もいなくなって、一人よ。むなしい。(ノ_・。)


※ 人の世むなしい応仁の乱・・・という覚え方もあるそうです。





地方では、国人(こくじん:領主で地方在住の武士)たちが混乱の中で自分たちの権益を守ろうと国人一揆(こくじんいっき)を結成します。

1485年 山城の国一揆くにいっき

一夜ひとよ:14)で(8)っほーーいつ(5)のまに いし 一気に真っ白け 

夜が明けたら、遠くの山は真っ白だし、あたり一面雪景色になってた。やっほーー♪
いつのまに降ったんだろう?たったひと夜でこんなになるなんて。(◎-◎;)!!

ちょっと今とは時期がずれていますが、かえって涼しかったりして?(笑)

※ いつのまに・・・が1と間違えそうという方は、
ご(5)んなにも・・・に置き換えてくださいね。(^_-)-☆




1488年 加賀の一向一揆 

いーよぱっぱ(1488) かがんで さあほら 一向に平気 (一気にいくよ)  

”ぱっぱ”は、讃岐弁で、おんぶという意味です。
パパ、ぱっぱして。ママ、まんま~・・・な~んてね。今考えたけど。(笑)

一気に行くよ・・・は、なくてもいいかと。

この一揆は、加賀の浄土真宗本願寺派の門徒が、国人と手を結び守護を倒したもので、以後1世紀にわたり実質支配する本願寺領国が続きます。
(このあたりは、高校生向きですね。)



南北朝の動乱の中で、農民たちが自主的な村(惣村)を作るようになりましたが、
惣村の農民の中には、強訴や逃散するものも出て来ました。

惣村が連合する事もあり、大きな力となって中央の政権に衝撃をあたえのが・・・

1428年 正長の徳政一揆 です。

(1)人(4) にや(28)り 成長する 子どもの特性 一気にたべる!

ご飯のとき、一人だとにやり いっぱい食べれるぅ~♪
成長する子は、何人分も一気に食べる。

あれ~~、みんなのおかずがなくなっちゃった~~。・゜゜・(>O<)・゜゜・。
ちょっと目を放した隙に~~。ひ~。


その後、幕府は土一揆の要求を入れて、徳政令を乱発するようになりました。
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