室町時代の続きです。
室町時代はちょっとややこしくて、前半は南北朝時代と室町時代が重なっています。
足利尊氏が幕府を開く少し前から、南北朝の対立が始まり、60年も続きますよね。
(※前々回の記事、少し補足しました。)
でも、3代将軍義満の時代になって、やっと落ち着き、南北朝も合体。
そして、足利義満の時代、室町幕府は全盛期を迎えます。
この頃、中国の沿岸を荒らす倭寇に悩んだ明は、倭寇の取締りと国交を求めてきました。
そこで、足利義満は明と貿易を始めます。
1404年 勘合貿易 明と 足利義満
いーよ(14) O(0)Kよ(4) 勘合貿易 荷物は見んと よしみつけた
通っていいよー OKだよって。勘合貿易は荷物を見ないで、勘合という合い札をよし!見つけた!となったら、正式な遣明船と認めてくれたのよね。倭寇じゃないって。
勘合貿易は、堺、博多、兵庫などの商人が行い、税や献金は幕府の財源となりました。
いーよー(14) ○(まる)よ(04) 荷物見んと 勘合貿易
行(1)ってよ(4)し わー(0)良(4)かった 荷物見んと よし見つけたで 勘合貿易
というのでもいいかと。お好きなのを覚えてくださいね。(^_-)-☆
足利義満のあと、義持の時代は平和だったんですが、義教(よしのり)は専制的な政治をし、有力守護を弾圧したため殺され、将軍の権威が大いにゆらぎ始め・・・
足利家の家督争いに、細川勝元・山名持豊(もちとよ)の対立が加わり、応仁の乱が始まり、戦国時代の幕開けとなります。
1467年 応仁の乱
ひとりよ(14) むな(67)しい。大(おお)忍(にん)の乱
戦乱は11年も続き、京都は焼け野原になりました。
長い間、大きな忍の一字で耐えてきた乱が終わったけど、家族も友達もいなくなって、一人よ。むなしい。(ノ_・。)
※ 人の世むなしい応仁の乱・・・という覚え方もあるそうです。
地方では、国人(こくじん:領主で地方在住の武士)たちが混乱の中で自分たちの権益を守ろうと国人一揆(こくじんいっき)を結成します。
1485年 山城の国一揆(くにいっき)
一夜(ひとよ:14)でや(8)っほーーいつ(5)のまに 山は白いし 国中一気に真っ白け
夜が明けたら、遠くの山は真っ白だし、あたり一面雪景色になってた。やっほーー♪
いつのまに降ったんだろう?たったひと夜でこんなになるなんて。(◎-◎;)!!
ちょっと今とは時期がずれていますが、かえって涼しかったりして?(笑)
※ いつのまに・・・が1と間違えそうという方は、
ご(5)んなにも・・・に置き換えてくださいね。(^_-)-☆
1488年 加賀の一向一揆
いーよぱっぱ(1488) かがんで さあほら 一向に平気 (一気にいくよ)
”ぱっぱ”は、讃岐弁で、おんぶという意味です。
パパ、ぱっぱして。ママ、まんま~・・・な~んてね。今考えたけど。(笑)
一気に行くよ・・・は、なくてもいいかと。
この一揆は、加賀の浄土真宗本願寺派の門徒が、国人と手を結び守護を倒したもので、以後1世紀にわたり実質支配する本願寺領国が続きます。
(このあたりは、高校生向きですね。)
南北朝の動乱の中で、農民たちが自主的な村(惣村)を作るようになりましたが、
惣村の農民の中には、強訴や逃散するものも出て来ました。
惣村が連合する事もあり、大きな力となって中央の政権に衝撃をあたえのが・・・
1428年 正長の徳政一揆 です。
一(1)人よ(4) にや(28)り 成長する 子どもの特性 一気にたべる!
ご飯のとき、一人だとにやり いっぱい食べれるぅ~♪
成長する子は、何人分も一気に食べる。
あれ~~、みんなのおかずがなくなっちゃった~~。・゜゜・(>O<)・゜゜・。
ちょっと目を放した隙に~~。ひ~。
その後、幕府は土一揆の要求を入れて、徳政令を乱発するようになりました。
室町時代はちょっとややこしくて、前半は南北朝時代と室町時代が重なっています。
足利尊氏が幕府を開く少し前から、南北朝の対立が始まり、60年も続きますよね。
(※前々回の記事、少し補足しました。)
でも、3代将軍義満の時代になって、やっと落ち着き、南北朝も合体。
そして、足利義満の時代、室町幕府は全盛期を迎えます。

この頃、中国の沿岸を荒らす倭寇に悩んだ明は、倭寇の取締りと国交を求めてきました。
そこで、足利義満は明と貿易を始めます。
1404年 勘合貿易 明と 足利義満
いーよ(14) O(0)Kよ(4) 勘合貿易 荷物は見んと よしみつけた
通っていいよー OKだよって。勘合貿易は荷物を見ないで、勘合という合い札をよし!見つけた!となったら、正式な遣明船と認めてくれたのよね。倭寇じゃないって。
勘合貿易は、堺、博多、兵庫などの商人が行い、税や献金は幕府の財源となりました。
いーよー(14) ○(まる)よ(04) 荷物見んと 勘合貿易
行(1)ってよ(4)し わー(0)良(4)かった 荷物見んと よし見つけたで 勘合貿易
というのでもいいかと。お好きなのを覚えてくださいね。(^_-)-☆
足利義満のあと、義持の時代は平和だったんですが、義教(よしのり)は専制的な政治をし、有力守護を弾圧したため殺され、将軍の権威が大いにゆらぎ始め・・・
足利家の家督争いに、細川勝元・山名持豊(もちとよ)の対立が加わり、応仁の乱が始まり、戦国時代の幕開けとなります。
1467年 応仁の乱
ひとりよ(14) むな(67)しい。大(おお)忍(にん)の乱
戦乱は11年も続き、京都は焼け野原になりました。
長い間、大きな忍の一字で耐えてきた乱が終わったけど、家族も友達もいなくなって、一人よ。むなしい。(ノ_・。)
※ 人の世むなしい応仁の乱・・・という覚え方もあるそうです。
地方では、国人(こくじん:領主で地方在住の武士)たちが混乱の中で自分たちの権益を守ろうと国人一揆(こくじんいっき)を結成します。
1485年 山城の国一揆(くにいっき)
一夜(ひとよ:14)でや(8)っほーーいつ(5)のまに 山は白いし 国中一気に真っ白け
夜が明けたら、遠くの山は真っ白だし、あたり一面雪景色になってた。やっほーー♪
いつのまに降ったんだろう?たったひと夜でこんなになるなんて。(◎-◎;)!!
ちょっと今とは時期がずれていますが、かえって涼しかったりして?(笑)
※ いつのまに・・・が1と間違えそうという方は、
ご(5)んなにも・・・に置き換えてくださいね。(^_-)-☆
1488年 加賀の一向一揆
いーよぱっぱ(1488) かがんで さあほら 一向に平気 (一気にいくよ)
”ぱっぱ”は、讃岐弁で、おんぶという意味です。
パパ、ぱっぱして。ママ、まんま~・・・な~んてね。今考えたけど。(笑)
一気に行くよ・・・は、なくてもいいかと。
この一揆は、加賀の浄土真宗本願寺派の門徒が、国人と手を結び守護を倒したもので、以後1世紀にわたり実質支配する本願寺領国が続きます。
(このあたりは、高校生向きですね。)
南北朝の動乱の中で、農民たちが自主的な村(惣村)を作るようになりましたが、
惣村の農民の中には、強訴や逃散するものも出て来ました。
惣村が連合する事もあり、大きな力となって中央の政権に衝撃をあたえのが・・・
1428年 正長の徳政一揆 です。
一(1)人よ(4) にや(28)り 成長する 子どもの特性 一気にたべる!
ご飯のとき、一人だとにやり いっぱい食べれるぅ~♪
成長する子は、何人分も一気に食べる。
あれ~~、みんなのおかずがなくなっちゃった~~。・゜゜・(>O<)・゜゜・。
ちょっと目を放した隙に~~。ひ~。
その後、幕府は土一揆の要求を入れて、徳政令を乱発するようになりました。