この建物が巴座本社である。昨年から色々な企画案を経て紆余曲折ありだったが、当時の姿を変えずにお化粧のリフォームを施すことにあいなった。
ここに住まいすることも一時は検討してみた。
妻の学研和田町教室と合同舎になることで住まう案は無しになった。解体してからの新築計画で進んでいたが中止になりリフォーム計画という最初の計画に戻った。
このミハル洋装店の二階はミシン縫製の作業場と家、一階は洋品店と家で内部に階段が二か所あり面白い。
いかにも昭和30年代後期から40年代初期の感じだ。写真のテントの上の鉄製の窓フェンスも腐っている。撤去しなければ危険だ。シャッターも使うのにはしんどい。中のサッシもほとんどすきまがあいている。
どうせなら昭和40年にタイムスリップしようと思う。私の5歳の頃の関東の家に....
そうなると面白い。妻の塾は二階で二間続きに改造して教室にする。私のアトリエはミシン作業場だった二階のたいへん眺めがよい場所にするつもりだ。一階は店舗だった店内入口付近は巴座メイン入口であり学研の生徒たちの自転車置き場になる。一階に和室があったのでメンバーシップの喫茶室にする。もちろんお金はいらない。和室は洋間にかえるがワクワクする。巴座は全館土足にする。
喫茶室の名前は『元町壱番館』にでもしようかな....函館のロープウェイ乗り場近くにあった『元町壱番館』はいつなくなったのだろう...私はあそこが大好きだった。妻が長女を身籠っているときに函館スカラ座で封切り公開だった『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』を観た帰りに母と長姉と元町壱番館のテラスでアイスティーを飲んだ夏の日...函館の巴湾の港の景色は美しかった。妻も若く本当に可愛かった。妻は今でも本当に可愛い。元来可愛い仕草が似合う人間であり、私と同じように色の美学をわかっている人間でもある。
妻をモデルにした看板がある。以前に私の経営していた会社は他人とやっていたので封印していたが今回は妻と私しかいないので全て私の好きなように仕上げるのでかなり面白く、美しくなる。
他人のセンスは否定するのが面倒くさい。何故ならほとんどの人間は自分がセンスが良いと思っているし好みもあるから他人の意見を全面に聞き入れるすべをしらない。私のお施主様もほとんど私にまかせてくれている方の家は美しいしダサくない。このようなことを書くぐらいだから私はデザインと色に絶体の自信がある。
建築界には私をときめかせてくれる人間がほとんどいない。私はファッション界も長くいたが、やはりセンスの良いかたたちの宝庫だった。さて巴座本社工事着手したがはたして私は昭和40年のこの建物をセンスよくできるのか?自分でもワクワクしている。
話はかわるが大昔のイギリスのバンドであるトラフィックのメンバーで、【こぶしまわし泣き】のギタリストのデイブ・メイスンのヒットしなかったアルバム『忘れえぬ人』と巴座本社は似たテイストになると思う。まずこの『忘れえぬ人』はジャケットがダサい...が、家具やカーテンの色はいい感じだ。数あるデイブ・メイスンのアルバムの中で私は一番好きだ。曲もいい。ジョージ・ハリスンやスティービー・ワンダーも参加している。
当時、函館の玉光堂で『スピリット・ココナッツ』を買おうか迷った結果、このなんともダサくかつ凝っている『忘れえぬ人』を購入したのだがレコードに針を落とした瞬間『やった!!すばらしい!』と...すりきれるほど聴いた。私の巴座もかくありたい。なんかこう古く...だが一歩足を踏み入れたらくせになる。何度も足をはこびたくなる場所....センスのよい私たち夫婦が営むための空間であり、人生を楽しむための空間であるので期待していただいて構わない。
我が巴座の完成の日は近い。ご期待あれ。