萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第50話 青葉act.4―another,side story「陽はまた昇る」

2012-07-21 23:53:33 | 陽はまた昇るanother,side story
悲喜、それでも優しい場所



第50話 青葉act.4―another,side story「陽はまた昇る」

雲取山避難小屋前で救助された男性は、やはり埼玉県警で手配されている強盗犯の被害者だった。
そのため今日は奥多摩全域で終日入山が規制され、青梅署による山狩りが行われている。
そして吉村医師のレスキュー講習会場も、青梅署会議室に変更された。

「ぼく、宮田のお兄さんと山に登れるな、って、楽しみにしてたのに、」

がっかり顔の秀介が周太の隣でシャーペンを回している。
山岳救助隊員の3人は下山後の風呂を済ませて署に戻ると、すぐ山狩りに加わり講習も欠席になった。
いま初任総合でなかなか会えない英二は不在、楽しみにしていた登山も無くなっては、さすがの秀介も「がっかり」だろうな?
そんな様子が可哀想で周太は、秀介に笑いかけた。

「秀介、俺で良かったら後で、一緒に勉強する?」
「え、いいの?やったあ、」

ぱっと可愛い笑顔を咲かせてくれる。
嬉しそうな声弾ませて、秀介はねだってくれた。

「ぼくね、今日は周太さんも来るよ、って美代ちゃんに聴いて楽しみにしてたんだ。それでドリルも持ってきてるの、」
「ん、俺もね、美代さんから秀介も参加する、って聴いて楽しみにしてたよ?」

秀介の言葉が嬉しくて、周太も微笑んで答えた。
ひとりっこで親戚もいない自分にとって、秀介は弟か従弟がいたらこんなふうかなと思わせてくれる。
そんな嬉しい気持ちでいる隣から、楽しそうに美代が訊いてくれた。

「ね、湯原くん、私の勉強もみてくれる?」

美代の勉強はもちろん、大学受験の勉強のこと。
この大切な友達の夢は周太の夢でもある、協力できるのが嬉しくて周太は微笑んだ

「ん、いいよ、」
「よかった、質問がちょっとあるの。ね、お昼ごはんとか皆、どうするの?」

関根と瀬尾にも美代は訊いてくれる。
訊かれて関根が笑って答えた。

「特に決めてないんだ、俺たち。宮田任せだったからさ、」
「じゃあ、吉村先生もお誘いして皆で、ってどうかな?私、車で来ているし、」

美代の提案は楽しそうだな?
そう思った周太の向かいから瀬尾が嬉しそうに微笑んだ。

「そうしたいな、俺。吉村先生のお話、いろいろ訊いてみたかったんだ、」
「瀬尾くん、吉村先生のこと知ってるの?」
「うん、宮田くんが事例研究で先生の話をしてくれてね。それで俺、先生のご本を読んで、」

話しながら鞄を開くと、瀬尾は一冊のハードカバーを取りだした。
その著者名が「吉村雅也」となっている、驚いて周太は尋ねた。

「それ、先生が書いた本なの?」
「うん、実家に帰ったとき、ネットで調べたら見つかったんだ。それで取り寄せてね、」

嬉しそうに本を見せて瀬尾は笑っている。
瀬尾は警察関係のことなら何でも好きで、よく本も読むと聞いていた。だから警察医のことも興味を持って当然かもしれない。
吉村医師が本を書いていたなんて初耳だ、自分も読んでみたい。周太は博学な友達に訊いてみた。

「その本、もう読み終わった?」
「うん、2回読んだよ。学校に戻ったら貸そっか?」

優しいバリトンボイスが提案してくれる。
自分から頼みたかった事を言って貰えて嬉しい、嬉しくて周太は頷いた。

「ありがとう。その本、俺も読んでみたい」
「おや、何の本の話ですか、」

穏やかな声に話しかけられて振向くと、吉村医師が傍に立っている。
ちょうど会議室に入ってきてくれた所らしい、驚いて赤くなりそうな首筋を気にしながらも、周太は微笑んだ。

「あの、先生が書かれた本のことです、」
「私の?…あ、」

訊き返しながら吉村医師は瀬尾の手元を見た。
すぐ困ったよう気恥ずかしげに微笑んで、吉村は抱えた資料と一緒に席に着いた。

「その本、よく見つけましたね?もう5年ほど前なのに、」

資料の支度をしながら吉村医師は、照れくさげに瀬尾に笑いかけてくれる。
すこし緊張しながらも瀬尾は嬉しそうに答えた。

「ネットで探したんです。宮田くんから先生のお話を聴いて、ご本を書かれているかも、って思って、」
「おや。どうして、そう思われたんですか?」

楽しげに切長の目が笑んで、興味深そうに吉村医師が尋ねた。
訊かれて瀬尾は微笑むと、明快に答えた。

「はい、ERの権威で、警察医の改善に務められていると伺って。そういう方なら、著作の依頼も多いだろうって考えました」

…なるほどな?

素直に感心して周太は、あらためて瀬尾の洞察力を思った。
こういうとき瀬尾は本質的に聡明だと窺わせる、きっと本気になれば相当出来るタイプだろう。
そんなことを考えている前で瀬尾は立ち上がって、吉村医師の傍に行くと本を差し出した。

「吉村先生、図々しいですが、サインいただけませんか?」

やっぱり、その目的なんだ?

昨日も瀬尾は後藤副隊長にサインを願い出ていた。
今回の訓練と講習会の参加は瀬尾にとったら「ファンの会」みたいな面もあるのかな?
そう思うと何だか可笑しい、つい笑いそうになりながら見たロマンスグレーの白衣姿は、穏やかに微笑んだ。

「おや、私のサインですか?そうか、君が後藤さんにサインを書いてもらった、瀬尾くんですね?」
「はい、後藤副隊長に聴かれたんですか?」
「ええ、昨夜一緒に呑んだ時にね?湯原くんにも言われたからなあ、って、照れながら喜んでいましたよ、」

楽しげに笑いながら吉村医師は、白衣の胸ポケットから万年筆を出してくれた。
長い指の手は本を受けとると裏表紙を開き、さらりペン先を走らせた。

「乱筆で、お恥ずかしいですけれど、」

穏やかな笑顔に本を返されて、瀬尾は嬉しげに微笑んだ。
そして裏表紙の見開きを見、優しい目は賞賛に大きくなった。

「すごい達筆です、ありがとうございます、」
「いや、恥ずかしいですね?」

ほんとうに恥ずかしそうに吉村医師は困り顔で微笑んだ。
その傍らで瀬尾はサインを眺めて、ふと医師に質問をした。

「先生、ここ『迷医』って書かれていますけど、どういう意味ですか?」
「訊かれると恥ずかしいんですが、それは、宮田くんとの会話からなんです、」

照れくさげなロマンスグレーの笑顔に、ふと周太は記憶を思い出した。
この『迷医』については英二から聴いたことがある、その記憶をなぞるよう吉村医師は口を開いた。

「宮田くんが私を『名医』と言ってくれたんです。それで私は、“迷う” 医者という意味では迷医だな、って答えてね。
それから座右の銘みたいに、肩書きに代わりにさせてもらっています。迷いこそが自分を成長させてくれると、忘れないようにね」

吉村医師の「迷い」
その意味を周太は英二に訊いて、知っている。
それは吉村医師にとって最も哀しい経験が生み出した、その事への想いが心響いてしまう。
このことを瀬尾ならきっと質問するだろうな?そう見ている先で瀬尾が、提案をした。

「先生の『迷い』について、お話を伺ってみたいです。講習会の後は、お時間がありますか?」
「はい、今日は夕方まで空けてあります。本当は山の現場で講習の予定でしたし、湯原くんにお願いしたいことがあったので、」

答えながら穏やかな笑顔を周太に向けてくれる。
この医師の「お願いしたいこと」はこれだろうな?嬉しい気持ちで周太は頷いた。

「先生。俺、コーヒー買ってきたんです。このあと、診察室にお邪魔しても良いですか?」
「もちろんです、こちらからお願いするつもりでしたから、」

嬉しそうに吉村医師が頷いてくれる。
そのとき周太の隣から、すこしデスクに身を乗り出すよう秀介が手を挙げた。

「吉村先生。ぼくも診察室におじゃまして、いいですか?ぼく、警察医の診察室に入ってみたいんです、」

秀介の夢は医師、それも吉村医師のような警察医と山岳医療を目指している。
この夢の発端は秀介の祖父、アマチュアカメラマンで山ヤだった田中の遭難死だった。
あの葬儀の日に見つめた秀介の想いと、田中の絶筆になった竜胆の写真は、今も周太の心に響く。
この夢のために今日も秀介は講習会の参加を願い出たろうな?そんな想いの向こうで吉村医師は嬉しそうに頷いた。

「はい、もちろん良いですよ。どうぞ見学して行ってくださいね、」
「やった、ありがとうございます、」

小学生らしい喜びの表現をして、秀介はきちんと座り直した。



フィルターを通った湯はダークブラウンに変わり、芳香の湯気が昇りだす。
やわらかな陽射しふる診察室の午後は、相変わらず穏やかで温かい。
6つのマグカップにコーヒーを淹れながら、周太は一緒に手を動かす美代に口を開いた。

「あのね、本当は俺、昨日は同期と昼ご飯を一緒にする約束だったんだ、」
「あ、そうだったの?私、その人に悪いことしちゃったのね?でも、こっちに来てくれて嬉しいけど、」

詫びと喜びを素直に言って美代が笑ってくれる。
その笑顔を嬉しく見ながら周太は、尋ねてみた。

「ん、その同期が言ってくれたんだ、こっちに行って良いよ、って。自分の方は、いつでも良いから、って言って。
でも俺、この後って毎週土曜は大学があるでしょ?だから同期との約束が出来そうになくて。こういう時、美代さんならどうする?」

この友達なら良い答えを教えてくれるかな?
そんな期待と見た美代は、きれいな明るい目を笑ませて言ってくれた。

「ね、だったら講義の後で、学食に来てもらうとかダメかな?あとは勉強するブックカフェに来てもらうとか、」
「いいの?美代さん、」

そうさせて貰えると良いかもしれないな?
首傾げた隣で美代は、気さくに頷いてくれた。

「私は大丈夫よ。もしブックカフェなら私が問題解く間とかに、お話し出来るかな?って。それとも私、その日は遠慮しようか?」
「それはダメだよ、美代さんの勉強の方が先の約束なんだし、大切だよ?」

即答しながら周太はコーヒーのフィルターをカップから外した。
美代も一緒にしてくれながら、嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとう、湯原くん。そう言ってくれるの、ちょっと期待していました、」
「ん、期待してくれて、うれしいよ?」

笑いながらマグカップをサイドテーブルに運んでいく。
最後のカップには砂糖とミルクをたっぷり注いで、秀介用に甘いコーヒーミルクに作った。
ふたり並んで支度を整えながら、思い出したよう美代が訊いてくれた。

「ね?そういえば、女の子たちはどうなったの?」
「あ、華道部の人たち?」

訊き返した周太に、美代は頷いてくれる。
椅子を並べていた関根が気がついて、首を傾げた。

「湯原、華道部の女子が、どうかした?」
「ん…ちょっと困っていたんだ。でも、大丈夫になったよ?」

すこしぼかした答えに周太は微笑んだ。
なんとなく気恥ずかしくて自分では答えにくいな?そう思った隣から美代は笑って、さらり答えてくれた。

「湯原くんね、宮田くんのこと質問攻めされて、困っていたの。だから『訊いて回られるの嫌いみたい』って言ったら良いよ?
って、このあいだ話していたの。そうしたら嫌われたくないから、女の子たちも二度と訊いて来なくなるから。その効果はあったのね?」

関根に答えながら美代は、周太に訊いてくれた。
こうして覚えていて心配してくれていた、それがなんだか嬉しくて周太は微笑んだ。

「ん、もう訊いて来なくなったよ?でもね、手を振ってきたりはするけど、」
「そういえば湯原、最近よく女子たちに手振ったりされてるよな?それのことか?」

快活に笑って関根が訊いてくれる。
そういうところ見られていたんだ?なんだか恥ずかしくて周太の首筋は熱くなりだした。

「ん、そうかな?…先生、コーヒー熱いうちにどうぞ?」
「はい、ありがとうございます、」

茶菓子を並べてくれた吉村医師が、笑って席に着いてくれた。
その向こう、診察室を見て回っていた秀介が、吉村医師のデスクの前で首を傾げこんだ。

「先生、この写真、宮田のお兄さん?」

医師をふり向いて秀介が尋ねてくる。
その隣から瀬尾も覗きこんで、不思議そうにデスクの写真立てを見つめた。

「宮田くんに似てる、でも…別のひとですよね?」

写真立てから瀬尾も吉村医師へと視線を移す。
ふたりの視線を受けとめて、吉村は穏かに微笑んだ。

「はい、息子の雅樹です。医学部5回生の秋に、山で亡くなりました、」

答えに秀介と瀬尾と、関根の目が息を呑んだ。
そっと隣を見ると美代は哀しげに俯いている、きっと当時の哀しみを思っているのだろう。
それぞれの想いが交錯する中心で吉村医師は微笑んで、皆に茶菓子を進めると口を開いた。

「瀬尾くん、さっき講習の前に話した『迷医』の原点はね、この息子なんです。雅樹は私には勿体ない、自慢の息子でね。
中学生の時に救急法を満点合格して、医大に進学しました。大好きな山で人助けをするのだと、山岳医療の医者を目指していてね。
いつでも命を救えるようにと、普段から救急用具を持ち歩いていました。けれど、あの日に限って息子は忘れて。それが命取りでした」

ほっと息吐いて、ひとくちコーヒーを啜りこんでくれる。
穏やかな眼差しで「美味しいです」と周太に微笑んで、吉村医師は話しを続けた。

「当時の私は大学病院の教授として自信に溢れて、傲慢になっていました。ですが、今の私から見たら何も解ってはいなかった。
けれど息子が山で死んで。なぜ息子に一言『救急用具を持ったか?』と訊けなかった?そう自分を責めて私は、迷うようになりました。
息子は死にました、けれど息子の人生をもっと見つめたいと諦められなくて、迷ってね。だから私は、地元の奥多摩に戻りました。
息子が愛した山で廻っていく人生を、私は見つめることにしたんです。そうする事で、息子の人生を垣間見れるように思ったからです、」

明るい部屋に穏かなトーンが静かに響く。
ゆるやかな芳香くゆらす湯気の向こう、吉村医師は微笑んだ。

「大切な存在の死を諦めきることは、とても難しいです。だから私はまだ、これからも迷うでしょうね。
けれど、この迷いこそが目の前の患者や遭難者、そして、ご遺体を見つめる時、真剣な目となっています。
息子を求める迷いが、相手を真直ぐ見つめさせてくれるんです。迷いこそが私を成長させています、だから私は『迷医』なのです」

くすん、

かわいい鼻を啜る声が隣で鳴って、周太は小さな友達をのぞきこんだ。
思った通り秀介が涙をこぼしている、その目許をハンカチで拭ってやると、秀介は微笑んだ。

「ありがとう、周太さん、」
「ん、どういたしまして…秀介、先生に話したいこと、あるんでしょう?」

きっと秀介は言いたいことがある。
そう思って笑いかけた先、可愛い笑顔は嬉しそうに頷いてくれた。

「うん、当たり。ありがとう、周太さん、」

微笑んで秀介は、吉村医師に向き直った。

「吉村先生。先生の気持ちはね、ぼく、解かるかも?ぼくもね、じいちゃんが山で死んで、医者になりたいってなったから、」

秀介の言葉を、関根と瀬尾が見つめている。
そして今度は美代が涙を呑んだ気配に、周太はポケットティッシュを差し出した。
そんな皆の視線を受けて、すこし羞みながらも秀介は微笑んだ。

「じいちゃん、山が大好きだったでしょ?だから、ぼくも山に行ってみたい。じいちゃんが撮った写真の場所に行きたいです。
それでね、じいちゃんみたいに山で具合が悪くなった人を、助けたい。山で亡くなった人と家族を、先生みたいに受けとめたい、」

真直ぐな言葉が吉村医師へと向かっていく。
穏やかな目はすこし大きくなって、小さな少年を見つめている。その目に微笑んで秀介は言った。

「先生、ぼく、先生の後を継いでね、ここで警察医になりたいです。それでね、先生みたいに山の病院もしたいんです。
だから今日も光ちゃんに聴いて、講習会に出たいってお願いしたんです。先生、ぼくにも山とお医者のこと、教えてくれますか?」

これが秀介が今日、ここに来た理由。
きっとそうだろうなと思っていた、けれど本人の言葉が述べる決意表明は、まぶしい。
この小さな後輩に吉村医師は、心から嬉しそうに笑いかけた。

「はい、どうぞ勉強に来て下さい。土日は病院の方にいますから、そちらでも良いですよ?お父さんにも許可を貰って、来て下さいね、」

秀介の顔が、ぱっと明るんだ。
笑顔のまま弾んだ声が明るく笑って、秀介は可愛い頭を下げた。

「ありがとうございます、ぼく、頑張ります。よろしくお願いします、」

いま夢がひとつ、前に一歩踏み出した。

きっと吉村医師にとっても秀介の夢は「希望」だろう。
吉村医師が秀介に山と医療を教えていくことは、雅樹との記憶をトレースすることになる。
これから秀介は大人になり、雅樹の年齢を越えて、いつか一人前の医師になっていく。
その姿を見守ることは、吉村医師が望んだ「雅樹の人生を見つめる」ことになるだろう。
それは吉村医師にとって、きっと大きな救いになっていく。

…すごいね、秀介。たった今ね、きっと1人助けられたよ?

この小さな友人の頼もしい横顔に、周太は心からの賞賛を贈った。





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