萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第71話 杜翳act.1―another,side story「陽はまた昇る」

2013-10-31 07:55:20 | 陽はまた昇るanother,side story
And on the melancholy beacon 祝福の道標



第71話 杜翳act.1―another,side story「陽はまた昇る」

梢わたる風が鳴る、その木洩陽きらめいて翳ゆれる。
広げたページにも葉翳の紋様あざやいで、頬ふわり樹木の香が撫でてゆく。
いま2日ぶりの庭は空気から清しくて、座ったベンチふる光が白い浴衣の袖を透す。
もう9月も終わり。暑くなく寒くも無い季へと庭の森は彩深くなる、そんな風に周太は微笑んだ。

「ん…きもちいい…」

ゆるやかな光に葉擦れが香をこぼす。
一昨日までは緑の瑞々しさが際立っていた、けれど今は甘く乾いた匂いが優しい。
もうじき秋が来る、その移ろいに休暇明けから始まる時間がすこし鼓動に軋んで、けれど吐息ひとつ笑った。

―今をのんびりしよう、先のことよりも…その方が体にも良いよね、

微笑んで肩掛けたカーディガンを少し引き寄せ、周太は膝のページを繰った。
見つめるアルファベットの印字は英国詩のひとつ語る、その言葉たちは父が書いた。
まだ自分が生まれていない時間に綴られた知識、思考、そして夢は歳月すら超えて届く。

When,in a blessed season
With those two dear ones-to my heart so dear-
When in the blessd time of early love,
Long afterward I roamed about In daily presence of this very scene,
Upon the naked pool and dreary crags,
And on the melancholy beacon, fell
The spirit of pleasure and youth‘s golden gleam-
And think ye not with radiance more divine
From these remembrances, and from the power
They left behind?

祝福された季節に、
親愛なる人とふたり連れ立った、僕の心深く愛しんで。
初まりの愛しき時は祝福にあった時間、
僕が彷徨を廻らした遥かな後 この最愛の風光に日々があるなら、
枯れた池と荒涼たる岩山と、
そして切なき山頂の道標に、降り注げ
歓びの精神と若き黄金の煌きよ。
そして貴方は神秘まばゆい光に想うだろう
この刻まれた想い達から、この記憶が残す力から、
心遺したまま去れるのか?

「Spots of Time」

そう名付けられた詩の一節と父の翻訳は、父の生涯を想わせる。
その結末は哀しくて、それでも全てが輝いた時間は確かにあったのだとページから温かい。
そしてこの論文は大学3年の前期課題として書かれた事実に、祝福の時を共有する「ye」が誰なのか解かる。

―田嶋先生とザイルパートナーになって一年経つ頃だね、お父さん…季節ひとめぐり一緒に登って、

春の雪と芽吹きの山、夏の青嵐に駆ける山。
錦秋彩る豊穣の山、そして白銀の冷厳と壮麗きらめく冬の高峰。
四季の廻らす山嶺を共に駈けて笑いながら文学を語り、夢を笑って詩を謳った。
そんな二人の風光あざやかに翻訳から息づいて、祝福まばゆい父の笑顔は若く温かい。

「…お父さん、この翻訳は田嶋先生のことなんでしょ?本当に田嶋先生のこと大好きなんだね…よかった、」

よかった、幸せな時間と大好きな人が父にはある。
そう想えることが嬉しくて愛しくて、嬉しい分だけ田嶋の想いも伝わらす。
この遺作集に掲載される論文は田嶋が全てを集めて纏めてくれた、だから想ってしまう。
この論文を田嶋が探しだし読んだとき何を見つめたのか、何を決意ごと抱きしめたろうか?

―…君のお父さんは学問に愛される人なんだ、
 だから必ず学者の道に立つべき人だって信じている、どんなに遠回りでも帰るはずだってな?
 それが何年懸っても構わないから待とうって俺は決めてな、馨さんの寄贈書と湯原先生の研究室を守るためにもこの大学で教員になったんだ
 新聞のニュースで名前を見つけた時は嘘だって思った…その週末は穂高に登って泣いたんだ、オッサンがみっともないけどな、今も、

話してくれた祖父の研究室の窓辺、泣いてくれた笑顔、声、眼差し。
全てが真直ぐな敬愛と友情と哀惜に輝いていた、それが今この遺作集から想われる。
この翻訳文に父が誰との日々を想い綴ったのか?その相手は気づかないほど鈍感じゃない。

Long afterward I roamed about In daily presence of this very scene,
僕が彷徨を廻らした遥かな後 この最愛の風光に日々があるなら、
And on the melancholy beacon, fell
そして切なき山頂の道標に、降り注げ
The spirit of pleasure and youth‘s golden gleam-
歓びの精神と若き黄金の煌きよ。
And think ye not with radiance more divine
そして貴方は神秘まばゆい光に想うだろう
From these remembrances, and from the power
この刻まれた想い達から、この記憶が残す力から、
They left behind?
心遺したまま去れるのか?

「…田嶋先生、だから僕を研究生にしてくれたんですね、」

時超える想いへ声こぼれて頬ひとつ温もり伝ってゆく。
初めて祖父の研究室に立った日、初めて田嶋教授の手伝いで翻訳をした。
ロンサールの詩を邦訳と英訳して、それを読んだ田嶋は恩師と友人に託された小説を贈ってくれた。
祖父が息子である父に贈った自著の小説だった、そのとき田嶋は素性を知らないまま自分に父を見つけた。
そんなふうに何故、田嶋が自分の中に見つけることが出来たのか?それが今この詩と翻訳から伝わってくる。

And on the melancholy beacon, fell The spirit of pleasure and youth‘s golden gleam 

Gleam 、微かでも闇ですら煌めく光の輝き。
この言葉に遺した想いは異郷の詩人も父も同じだと母国の訳文に伝わらす。
そして読んだ父のパートナーの心も同じだから迷わず父の「Gleam」を自分に見つけてくれた。
そんな田嶋教授だから父が逝った今もアンザイレンパートナーで学友で親友のままでいる、その想い瞳深く燈す。

「and from the power They left behind?…お父さんは田嶋先生のいちばんの力だね、」

独り想い声にして、右の瞳から温もり零れゆく。
そっと、唯一すじの熱は頬を辿らせてページの手へ滴らす。
はたり、甲に落ちた涙へ木洩陽ゆれて煌めく、その光に微笑んで古材の軋みが鳴った。

「ん…おばあさま帰ってきた、」

微笑んで周太は頬を拭い、庭木を透かし木造門を見た。
きっと買物に出てくれた顕子が帰ってきたのだろう、それなら荷物を持ってあげたい。
そんな想いごと本を閉じて立ち上がった向こうから庭石の靴音が立って、けれど音の違いに首傾げた。

―こんな時間に誰?

繁れる木立に門の人影ゆれる、その背が顕子よりも高い。
庭石を踏む靴音は迷わず慣れたように来る、それが馴染んだ響きに鼓動を敲く。
けれどあるはず無い期待に軽く首をつい振って、熱くらり視界ごと体が揺らぎ傾いだ。

倒れる、

過った判断、けれど熱に邪魔されて反射運動が鈍る。
ベンチの背もたれに手を伸ばし支えようとして、けれど腕が早く動けない。
出遅れた動きに間に合わないまま姿勢は崩れて、それなのに体ふわり浮いて笑顔が咲いた。

「ただいま、周太。熱あるなら気を付けないと、」

どうしてこの人が今ここにいるの?

居る筈のない人、けれど切長い瞳に自分が映る。
木洩陽きらめくダークブラウンの髪に白皙ほころばす笑顔は美しい。
濃やかな睫から穏やかに笑って、その眼差し深くから熱甘く見つめてくれる。

―ほんとに英二がいるの?

信じられなくて瞳ゆっくり瞬いて見つめて、けれどやっぱり英二がいる。
熱から見ている夢だろうか、それとも今もう倒れこんで頭を打ったのだろうか?
ただ途惑い見つめる真中で白皙の貌は綺麗に笑って、抱きあげてくれるままベンチに座り幸せいっぱい微笑んだ。

「ね、周太?帰ってすぐ抱っこ出来るなんて俺、今ほんと幸せだよ?」
「あ…あの、」

途惑うまま声が出て、けれど詰まってしまう。
もう2週間以上を離れていた、そして最後の呼び方が喉を締める。
あのとき二度と逢えない覚悟だった、それなのに今こうして膝に抱えられ腕に包まれる。

―どうしたら良いの、なんて呼んでいいのかも解らない…

宮田、

そう最後に呼んでしまったのは離れる立場の覚悟だった。
もう自分は機密に隠されたSAT隊員になる、そして除隊まで全ての制限が強い。
それは任務としての秘匿に嘘と秘密が増える、それが哀しいから壁を作りたかった。
だから名字で呼んで心の溝を穿ちたかった、それなのに今もう超えて英二は帰って来た。

「周太、ほら」

呼びかけて長い指に前髪かきあげられる、そして額に額ふれる。
ふれあう額に鼓動が響きだして浴衣の衿元を熱が逆上せだす、ほら頬がもう熱い。
こんな不意打ちで現れて、間髪もなく傍に来て抱きしめて、もう至近距離で見つめて微笑む。

「熱あるな、気管支の炎症と疲労が溜ってる所為だろ。周太、ベッドで休もう?」

綺麗な低い声は明解に告げながら綺麗な瞳が笑ってくれる。
その笑顔に応えたくて、けれど呼名すら解からなくて声が出ない。
そんな途惑いの真中で端整な貌は少し首傾げて、けれどすぐ幸せに笑った。

「やっぱ周太の浴衣姿って可愛いな、清々しくて綺麗で艶っぽくて、俺ちょっと我慢ムリ、」

我慢ムリってどういう意味?
そんな疑問に瞳ひとつ瞬いた衿元に長い指が掛かる。
肌ふれる指先すこし冷たくて、その端整な唇が近寄って囁いた。

「周太、沈黙は了解でいいよね…青姦なんて俺も初めてだよ、」

アオカンってなんですか?

そう訊こうとした衿元ふわり寛げられて肌に風ふれる。
そのまま鎖骨に接吻けられた途端、掌動いて恋人を引っ叩いた。

「えいじのばかちかんっ!」

派手な音が梢に鳴って、叫んだ名前が葉擦れに響く。
その音ふたつに瞠った真中で切長い瞳は嬉しそうに笑ってくれた。

「やっと英二って呼んでくれたね、周太?」
「あ…、」

言われた想いに声こぼれて、見つめた笑顔に鼓動そっと掴まれる。
あのとき自分が選んだ離別の壁は間違いだった?
そう気づかされる笑顔に一昨日が響く。

『家族には優しい嘘なんて要らないの、家族で秘密は残酷です、それを周太くんは知っているでしょう?』

病床のベッドで微笑んでくれた切長い瞳が、今見つめあう瞳に重ならす。
あの言葉を贈ってくれた笑顔の孫息子も同じ想いでいてくれる?
それが素直に信じられるまま周太は唇そっと開いた。

「ごめんなさい英二、あのとき名字で呼んだりして…ああしないと泣きそうで、ね…ごめんなさい」

ごめなさい、そう告げて素直に名前を呼べる。
そんな自分の声に安堵が微笑んだ真中で、大好きな笑顔が咲いた。

「泣きたいくらい俺と離れたくないって嬉しいよ、周太、俺のこと好きなら英二って呼んで?これからも今も、」

好きならなんて言われたら、答なんて一つしか無い。
その自分の本音が気恥ずかしくて俯いて、けれど頬そっと優しい掌ふれてくれる。
ふれた肌すこし冷たくて緊張かすかに震えている、そんな相手の想いに上げた瞳へ笑顔が告げた。

「周太、約束したろ?来年の夏は北岳草を見せに連れてく約束、俺は絶対に守るよ。だから英二って呼んで、俺を好きでいてよ、どこにいても」

幸せな約束が笑ってくれる、この笑顔ごと信じていたい。
それでも気になることに周太は問いかけた。

「あの…どうして英二、今日は帰って来てくれたの?」
「光一から聴いたんだよ、今日は週休だし見舞に帰れって言われてさ、」

笑顔で応えてくれる言葉に一昨日の電話を思い出す。
熱で寝ているベッドで美代と電話した、あのとき提案してくれた。

『お茶点てるなら宮田くんと光ちゃんも誘って良いかな?』

あのとき提案してくれたなら美代はすぐ光一に電話しただろう。
そのとき自分の体調についても話して不思議ない、それを光一は英二に話すだろう。
こんなことも気付かず口止めもしなかった、その迂闊に困りながらも周太は素直に微笑んだ。

「そう…帰って来てくれてありがとう、英二?」

ありがとう、そう本音が笑って見つめてしまう。
そんな想いの真中から綺麗な笑顔が問いかけた。

「周太、俺が帰って来たこと嬉しい?」
「ん、すごく…嬉しいです、」

羞みながら答えるまま嬉しい分だけ申し訳ない。
こんなに喜ぶ癖に別れ際を突っぱねた、そんな矛盾は英二を困らせるだろう。
けれど、課せられた守秘義務があっても一緒にいることなど出来るのだろうか?

―しかも英二は同じ警察官なんだ、それなのに好きになった俺がいけない、ね…

見つめあったまま現実が哀しく蝕みだす。
この守秘義務も全く違う職場の相手なら守りやすいだろう。
けれど同じ組織で同期で、それも幹部候補の相手には黙秘する方が難しい。
そう解かっているのに逢いたかった、声を聴きたかった、そんな2週間ごと見つめた人は笑ってくれた。

「どこに周太がいても俺は周太のとこに帰るよ?電話が繋がらなくても周太を見失ったりしない、絶対に救けに行くから信じて、お願いだから、」

お願いだから、

そう言った切長い瞳に木洩陽きらめいて光る。
まるで星みたい、そんなふう見つめた瞳は真直ぐ願ってくれた。

「俺を信じて?俺のこと少しでも好きなら俺を一番に呼んで、優しい嘘なんか吐かないでよ、俺を周太の家族にしてくれるなら、」

優しい嘘なんて要らない、その言葉は本当は自分こそあなたに言いたい。
けれど今はまだ言えなくて、それでも今を見つめて周太は綺麗に笑った。

「ありがとう、英二…ね、今日は何時までいられるの、家族ならごはん、一緒にしたいな?」







(to be gcontinued)

【引用詩文:William Wordsworth「The Prelude Books XI[Spots of Time] 」】

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