萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第69話 煙幕act.2―another,side story「陽はまた昇る」

2013-09-25 15:00:23 | 陽はまた昇るanother,side story
That we're surrounded by the comfort and protection of The highest powers



第69話 煙幕act.2―another,side story「陽はまた昇る」

さよなら、

そう心に告げて扉を潜るたび、勇気ひとつ背骨に変わる。

今日で一週間、だから概算48時間の緊迫感を集中力で超えてきた。
たった8時間、それでも集中を欠けない訓練の連続は体力から精神を変えてゆく。
そんなふう自覚はあるけれど、けれど想いは簡単に変らないまま重ねた約束に心が据わる。

『ずっと好きだ、逢えなくても一緒にいるって信じてる、だから帰って来て、必ず俺のところに帰って来て』

一週間前の最期の夜も告げてくれた約束は、たぶん叶わない。

そう解っている、けれど信じていたいのは自分の生きる希望のひとつだと知っているから。
そんな想いごと弾痕の煌めく扉は開かれる、そして一歩踏み込んだ向こうは壁とサーチライトの陰翳が視界を塞ぐ。
ただ粛清された静謐に隊列は沈黙のまま並んで整う、そのまま担当官の合図で定められたルートをテスト生が駈けだした。

ほら、今日も死線の8時間が始まった。

今から見る聴く動く全て、緊迫の瞬間たちに満たされゆく。
その認識から意識は五感の全てへ集中して判断力に直結する。

空気の揺れ、どこに狙撃対象は駆けてゆく?
視線の気配、どこから狙撃の銃口が見つめてくる?
微かな足音、どこまで壁は続いて厚み何cmを銃弾は貫通する?

ただ独り判断しながら訓練場を駆け抜けゴールを目指す、それでも未だ終わらない。
これは入隊テスト、これは訓練、けれど緊迫感も相手の本気も臨場のまま再現される試験。
こんな時間だけではない入隊試験はデスクワークの内容もある、それでも臨場試験の緊張と疲労は全てを支配する。

「…っ、」

集中意識が捉えた「異常」に身を躱す、その残像を銃声一閃して弾丸が斬る。
これはテスト訓練のはず、けれど放たれた弾丸は現実のまま壁に食いこます。
これは訓練の弾丸、それでも殺傷能力は警察や軍部の実弾と全く変わらない。

―全員本気だ、テストする側もされる側も、

警視庁特殊急襲部隊 Special Assault Team 通称SAT

警視庁警備部に所属する精鋭部隊は、頭脳体力ともに抜群でなければ選ばれない。
全てにおいてエリートであること、そして命令と任務へ忠実でありながら臨場対応の柔軟性があること。
そんな人間は稀、だからこそ警察学校に入った瞬間から選抜は始まって厳密な基準で篩に掛けられ選ばれてゆく。
走力、反射神経、そして狙撃精度は全弾的中、そんな体力と集中意識の持続力に安定性を持たせる精神度と知性。
どれもが任務の精密度と迅速性に関わっている、だから選抜基準で性別から年齢に家族構成まで規定されてしまう。

だからこそ真実を知るほど謎になる、なぜ、殺人を犯した祖父の存在を知りながら父も自分も採用されてきたのか?

―よく考えたら最初から変なんだ、お祖父さんのこと職業も解らないで書いて提出して、それでも合格したなんて、

きっと、警視庁警務部では調べられている。
自分の祖父が誰なのか?それは自分が知るより先に警務部ファイルでは綴られている。
そこに祖父の3つの罪状は多分載せられていない、けれど「Mon visiteur」は祖父の犯罪歴を知っている。

―お祖父さんを利用した理由を訊きたい、あの人に、

50年前、祖父は殺人罪を犯した。

そう推定できるのは祖父の遺作『 La chronique de la maison 』が事実だとも言えるから。
あの小説に描かれた世界は随所が自家と酷似する、なにより主人公の像はそのまま祖父と重なってしまう。
その主人公には大学時代からの友人がいる、そして彼は「Mon visiteur」として惨劇の全て余さず支配した。
それらは過去を知るごとに明度を増して現実なのだと告げてくる、その全てを祖父肉筆の言葉が裏付けて呼ぶ。

“Je te donne la recherche” 探し物を君に贈る

あの言葉をフランス語で遺した祖父の想いを、今この瞬間まで生きてきた時間と出逢い全てが教えてくれる。
だから今この時間も生き抜いて祖父の言葉を探したい、知りたい、そして真実の全て受けとめて自分の道に立ちたい。
そう願うからこそ今も、殺人ゲームと呼ばれても反論できないほどのテストを課されてすら逃げず現実の先に駆ける。
そこに父が遺した想いと謎の真相が見えて来るだろう、書斎に遺される壊れた本の真実を自分は全て理解して知りたい。

『Le Fantome de l'Opera』

欠けたページに記されるのは『Fantome』が暗躍する姿。
もしページの世界から脱出したくて切り落としたのなら、父が忌んだ世界は『Fantome』のこと。
そして父が自らの死によって脱け出した世界は“Special Assault Team”合法殺人の狙撃手であること。

それなら『Fantome』の意味は、狙撃手?

それとも、もっと深い意味が隠されているのだろうか?
そして考える、父の罪を糧に育てられた自分は罪にならないのか?
死を以て裁くほど任務を忌んだ父、なのに何故、父はSATに所属していたのだろう?

「は…、っ」

弾丸から身を躱し駆けてゆく、その耳元に装着したイヤホンから指示は流れ込む。
いま駆けている現場のポイントと指示現場へのルートは自分で探す、そんな判断すら自力しかない。
それも判定基準なのだと解っているから身体機能の全てを発揮して訓練に甘んじる、けれど心はずっと動かない。



もう暗い窓、それでも開いたガラスの先は格子に空が区切られる。
けれど高層建築の狭間に月は明るんで、涼む風は洗い髪を梳いてゆく。
この月も風も同じ東京の空、そう想える幸福にそっと周太は微笑んだ。

「…今日もただいま、英二、」

遥かな天穹に輝く月、あの銀色を西の彼方からも見てくれる。
そんなふう想えるから離れてしまっても、電話の声すら聴けなくても温かい。
その温もりは記憶の涯に遠く近く愛しい、そう想える相手に微笑んで周太は小さなオーディオを着けた。

I'll be your dream I'll be your wish I'll be your fantasy 
I'll be your hope I'll be your love Be everything that you need. 
I'll love you more with every breath Truly, madly, deeply, do
I will be strong I will be faithful ‘cause I am counting on
A new beginning A reason for living A deeper meaning
I want to stand with you on a mountain…I want to lay like this forever…

Then make you want to cry The tears of joy for all the pleasure in the certainty
That we're surrounded by the comfort and protection of The highest powers
In lonely hours The tears devour you
I want to stand with you on a mountain…

旋律やわらかに流れて優しいアルトヴォイスが歌ってくれる、その音に声に記憶の笑顔は愛おしい。
あの笑顔がくれた喜びも哀しみも生きてきた時間に最も鮮やかで、苦悶も幸福もすべてがあの隣にある。
そんな想いを見つめられる相手が今、この瞬間も同じ地上で同じ時間を生きて呼吸してくれる、それが嬉しい。

―英二、今日もご飯ちゃんと食べてる?今どこに居るの、奥多摩の訓練は今日だったよね、

心ひとり呼びかけて笑いかける、その言葉ごと記憶の笑顔は咲いて綺麗な声が応え微笑む。
こんなふうに独りきり無言の会話をする、そんな時間が訪れることを自分は最初から知っていた。
それは自分が望んで選んだ道で、それは父と祖父と家族たちを知るため自分自身を生きる道だと選んだ。

―後悔なんてしない、どんなに怖くても痛くても平気、だって待ってくれている人が俺には居るんだ、

『必ず俺のところに帰って来て』

必ず帰って来てと、自分を待っていると約束してくれた人が居る。
その約束はいつかの涯に消えるかもしれない、それでも自分には温かい。
ある時の瞬間だけでも心からの真実で告げてくれた、それだけで自分には幸せで嬉しい。

「…ありがとう、英二…ちゃんと幸せでいてね、」

そっと呟いた声はイヤホンの旋律より小さくて、誰にも聴こえない。
それでも言葉に出して音にしたならば、いつか届いて唯ひとり見つめる人を温める。
そんなふう想えるのは祖父が遺したメッセージと、父の友人が贈ってくれた遺作集が教えてくれた全てだろう。

But thy eternal summer shall not fade,
Nor lose possession of that fair thou ow'st,
Nor shall Death brag thou wand'rest in his shade,
When in eternal lines to time thou grow'st.
 So long as men can breathe or eyes can see,
 So long lives this, and this gives life to thee.

 けれど貴方と言う永遠の夏は色褪せない、
 清らかな貴方の美を奪えない、
 貴方が滅びの翳に迷うとは死の神も驕れない、
 永遠の詞に貴方が生きゆく時間には。
  人々が息づき瞳が見える限り、
  この詞が生きる限り、詞は貴方に命を贈り続ける。

田嶋教授が父の碑銘にと遺作集へ載せてくれた詩、その一節は今この時間に深い。
文学を愛した祖父と父、そんな二人の裔に連なる自分にも言葉を贈ってくれた人がいる。
その2つを見つめたくて周太は窓を閉じるとデスクに向かい、書架の1冊を静かに開いた。

Our cheerful faith, that all which we behold
Is full of blessings. Therefore let the moon
Shine on thee in thy solitary walk;
And let the misty mountain-winds be free

銃痕処置のハンドブックに綴られた流麗な筆記体は、吉村医師が贈ってくれた。
ブルーブラック瑞々しい英文に見つめる意味は無事と平穏を祈ってくれる。
その籠めてくれた祈り息づくまま記憶から父の声が母語に謳う。

……

僕らの信じるところ、僕らの目に映る全ては
大いなる祝福に充ちている。だからこそ月よ
独り歩く貴方の頭上を明るく輝いてくれ、
そして霧深い山風も自由に駈けてくれ

……

この詩を父も愛していた、そして今なら想いが解かる。
この詩を父が想った相手はきっと唯ひとりのアンザイレンパートナー、田嶋だった。

夏みたいな人だね、
うんと明るくて、ちょっと暑苦しいくらい情熱的でね、
木蔭の風みたいに優しくて清々しい、大らかな山の男…友達よりも近くて大切だね、

そんなふう幼い日に父が話してくれたのは、田嶋教授への涯ない想いだった。
そして遺されてしまった田嶋教授の想いも自分は知っている、だから帰られる努力を信じる。
父は田嶋を遺して逝ってしまった、けれど本当は帰りたかったと今この時間に解かるから自分は還る。

『君の声を聴いて君の笑った貌を見ていると信じた通りって想えるよ、君のなかに生きて馨さんも湯原先生もここに帰って来た、』

十日ほど前、祖父の研究室で微笑んだ田嶋の声、瞳、そして涙。
それは祖父への敬愛と感謝と、父への涯無い想いのまま哀しくて温かい。
こうした全てが祖父の本当に告げたかった「recherche」の真実かもしれない。

「…お祖父さん、お父さん、俺は諦めないよ?」

誰も知らない独り言に微笑んでデスクチェアに座り、そっとページをめくる。
吉村医師のテキストを広げながらもう片手を伸ばし、ファイル1つと分厚い本をとった。
ファイルは英二が贈ってくれた救急法と鑑識のハンドブックになっている、そのもう一冊を周太は開いた。

……

 ひとりの掌を救ってくれた君へ

 樹木は水を抱きます、その水は多くの生命を生かし心を潤しています。
 そうした樹木の生命を手助けする為に、君が救ったこの掌は使われ生きています。
 この本には樹木と水に廻る生命の連鎖が記されています、この一環を担うため樹医の掌は生きています。
 いまこれを記すこの掌は小さい、けれど君が掌を救った事実には生命の一環を救った真実があります。
 この掌を君が救ってくれた、この事実にこもる真実の姿と想いを伝えたくて、この本を贈ります。
 この掌を信じてくれた君の行いと心に、心から感謝します。どうか君に誇りを持ってください。
                                    樹医 青木真彦

……

青木准教授と2度目に出会ったとき贈られた、青い表装の森林学専門書。
この一冊に出逢えた原点は新宿署東口交番、警察官として任務をこなしたからだった。
この一冊が自分の忘れかけた夢と約束を蘇えらせて農学部と文学部の研究生になる道をくれた。
そこに父と祖父の過去と真実も明かされてゆく、こんな現実たちの有機反応に祖父の言葉はまた、響く。

“Je te donne la recherche” 探し物を君に贈る







【引用詩文:Savage Garden「Truly Madly Deeply」/William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey」/William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet18」より抜粋】

(to be continued)

blogramランキング参加中!

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へにほんブログ村

にほんブログ村 写真ブログ 心象風景写真へにほんブログ村

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 秋曇の風、尾花 | トップ | 宵の口、補足と追加 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

陽はまた昇るanother,side story」カテゴリの最新記事