萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第85話 春鎮 act.2-another,side story「陽はまた昇る」

2016-10-22 22:05:21 | 陽はまた昇るanother,side story
別離の再会  
harushizume―周太24歳3下旬



第85話 春鎮 act.2-another,side story「陽はまた昇る」

記憶たどり歩く道、ちいさな扉が待っている。

街路樹ならんだ道のひとつ奥、ささやかな看板ちいさな病院。
知らないと見過ごしそうな小さな場所、たしかにここだった。
三ヶ月前と同じ扉を見あげて足元、見つけて周太は微笑んだ。

「ん…パンジー、」

ちいさな扉ちいさなスペース、その脇ちいさな花壇が咲く。
薄紅色に黄色に白紫、どれも明るい花色が陽だまり優しい。

―花壇があったんだね、気づかなかったな…僕、

立ち止まった春の花、見慣れた花びら見あげてくれる。
この花は今いる家もたくさん咲く、そして声ふれる。

『話しますよ、さあパンジーのところ暗唱して?』

The Pansy at my feet
Doth the same tale repeat:
Wither is fled the visionary gleam?
Where is it now, the glory and the dream?

『この詩、晉さんに教えてもらった最初よ…わたしの儚い夢で後悔です、』

大叔母が打ち明けてくれた祖父の記憶、真相、そしていま自分はここにいる。
あの詩みたいに今日ここで話せるだろうか、聴けるのだろうか、会えるだろうか?

あえるのだろうか“ほんとう”に。

―わからない、でも行かなくちゃ、

想い呼吸ひとつ扉を開く、かたん、軋んだ音に空気が変わる。
薬品の匂いそっと刺す、人がいたはずの気配ゆれて誰もいない。
すこし古びた小さな待合室は静かで、そして白衣姿が顔だした。

「来たわね、湯原くん?」

低めのアルト笑う眉が凛々しい。
この眉やっぱり似ているようで、なつかしさと恐縮に頭下げた。

「おじゃましてすみません、遠藤先生、」
「それ、洵子センセイがいいな?」

からり白衣の笑顔が告げる。
ショートカット涼やかな女医に周太は瞬いた。

「あの…おなまえで呼ぶってもうしわけなくないですか?」

そんなの恐縮してしまう、だって年上で目上で女性だ。
しかもそれだけじゃない相手は笑った。

「名字に先生なんてエラそうで嫌いなの、遠藤って呼び捨てでもいいよ?」

呼び捨てなんて無理、できるわけがない。
たった二つの選択肢に首すじ熱そっと昇る。

「じゃあ…じゅんこせんせいおじゃまします、」
「はいどうぞ、アイツ待ってるわよ?」

色白の頬さわやかに笑ってくれる、その向こう扉が開いた。

「湯原、こっちだ、」

低い響く声が呼ぶ、なつかしい声。
なつかしく想うほど信じる相手に頭下げた。

「おひさしぶりです…伊達さん、」

このひとに会えた、もういちど。

―もう会えないと思った、伊達さんとは…もう、

だってもう、住む世界が違う。

そういう世界に自分は住んでいた、この男の隣で。
その半年間どれだけ救われてきたろう、この男に。
ただ想い見つめる真中で、沈毅な瞳ふわり笑った。

「10日ぶりだな、」
「はい…いろいろすみません、」

うなずいて時間あの日から遠い。
雪ふる病院の駐車場、あの夜に叫んだ瞳が笑っている。

「上で話そう、話せることから、」

話せることから、

そんな言葉が今はうれしい、だって強要しないでくれる。
唯そこにある静かな瞳の温もりに素直に微笑んだ。

「はい、…伊達さんも話してくれますか?」
「そのために来たんだ、俺も、」

低い声やわらかに響いて温かい。
この声いつのまにか馴染んでしまった、その再会にアルトが呼んだ。

「そのまえに湯原くん、ちょっと診察させなさい?」

そんなにお世話になって良いのだろうか?
心配とふりむいた傍ら、沈毅な瞳がうなずいた。

「診せてやってくれ、診断書を書かせたい、」

なぜ必要なのだろう?
疑問と見つめた先、精悍な顔立ちは言った。

「湯原の退職は体調不良を表向きの理由にする、だから退職手続も本人は来られない、」

いつのまに?

「…伊達さんがそうしてくれたんですか?どうして、」

どうしてそこまでする必要あるのだろう?
解からなくて問いかけた前、上司でもある男は微笑んだ。

「この先、履歴書に職務経歴を書くだろ?一身上の都合でも理由はきちんとしているほうが良い、」
「そういう配慮はうれしいです、でも…手続きくらいは行けます、」

理由をそうすることは解かる、でも退職手続すら出向かないなんて?
そこまで自分の立場は危ういのだろうか?めぐらす想いに言われた。

「あのひとのサシガネだよ、湯原ならわかるだろ?」

さしがね?

「あの…おばあさまが?」

あの大叔母にそんな権力があるのだろうか?
わからなくて、ただ見つめた瞳が微笑んだ。

「もう二度と警察とは関わらせたくないそうだ、緊急措置も辞さないとな?」

そんなこと、あの大叔母が言ったんだ。

―ちがう、言わせてるんだ僕が…あの優しいおばあさまに、

やさしい優しい大叔母、外貌は華やかだけれど心やさしいひと。
それに自分は知っている、ほんとうの大叔母は泣虫だ、誰かさんそっくりに。

『これは晉さんの必死の告発よ、なのに私は勝手な勘違いをして喪って…私の恋は愚かね、』

後悔して泣いた大叔母、記憶つむぐ切長い瞳。
あの長い睫きらめいた涙は祖父への想い、遠い昔で終わらない大叔母の恋だ。
あんなふう泣いてしまう瞳は似ている、きっと心ふかくも似て純粋に温かい。

そんなひとに自分は何をさせているのだろう、男の自分なのに?

「おばあさまが…祖母が伊達さんにそう言ったんですか?緊急措置って、」

問いかけ見つめて哀しい、自分が情けなくなる。
そんな想いに沈毅な瞳すこし笑ってくれた。

「代理人からの伝言でな、あの駐車場にいたろ?」

答えてくれる低い声は温かい。
きっと察してくれている、そんなトーンに思考めぐりだす。

ああ、あのひとだ。

「祖母といた人ですね…黒いコートの、」

三十代くらいに見えた、賢そうな眼した黒いコートの男。
あの雪ふる駐車場に現れた大叔母、その隣に立っていた。

『ここにいる加田さんも起訴を保証してくれます、』

そうだ、そう彼は呼ばれていた。
彼はどういう人間なのだろう?どちらにしても情けない、悔しい。
だって自分だ、あの大叔母にこんなことさせてしまうのは自分だ。

『コンフェッション、告白や告悔という意味ね?なのに私は気づけなかったの、』

皺やさしい瞳は泣いていた、あざやかな睫いっぱい涙きらめいた。
あの涙ずっと何年どれほど流れたのだろう、きっと離れていた時間もずっと。

『十四年前こうするべきだったわ!あなたを引っ叩けてたら喪わないですんだのに、あなたも私も大事なものをっ!』

十四年前に父は死んだ、きっとそれより前から大叔母は泣いている。
きっと祖父の訃報が届いた瞬間から泣いて、それは何十年前だろう?

「湯原は会ったか、あのひとに?」

訊いてくれる声は低く静かに温かい。
その信頼にありのまま答えた。

「あのときだけです…ずっと寝ていたので、」
「そうか、」

うなずいて浅黒い精悍な顔がたたずむ。
いつものとおり言葉はすくない、この遮らない優しさが今ただ温かい。
この温もりが半年間を支えてくれた、その信頼に聲こぼれた。

「伊達さん、僕は…ずっと寝てただけなんです、祖母は泣いていたのに、」

大叔母は泣いていた、全てを背負って。

「僕が目を覚ますたび喜んで、だけどひとりのとき泣いてたんです…なにも悪くないのに、」

こんなこと情けない、悔しい、だって始まりは祖父であり大叔母は悪くない。
きっと父も同じ想いだ、祖父の分だけ父も選んで辿って、そして殉じて死んだ。
それなのに大叔母は後悔して泣いて、泣いて、そして遺された僕を必死に護る。

「どうしてなんでしょう伊達さん、僕がぜんぶ背負いたいのに…どうして、」

こんなこと情けない、悔しい、だって自分の歳月どこにいく?
幼い日ただひとり決めたこと、すべての痛みも自分が選んだ。
それなのに大叔母が背負ってしまう、そしてあなたもだ英二。

―あんな現場にまで追いかけてくれたね英二、おばあさまも…よく似てるんだね英二?

いまさらだけど血の濃さを想う、あなたと大叔母はそっくりだ。
ふたりとも独り背負いこんで護ろうとする、そんな二人に哀しい悔しい情けない。
だって選んで始めたのは自分、このまま終わらせて良いのだろうか?想い背中そっと敲かれた。

「まず診てもらえ湯原、あの医者も往診があるらしいからな?それからゆっくり話そう、」


(to be continued)

【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】

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