萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第64話 富岳act.5―another,side story「陽はまた昇る」

2013-05-02 22:03:37 | 陽はまた昇るanother,side story
辿る、



第64話 富岳act.5―another,side story「陽はまた昇る」

デスクに広がる書類を読みメモを執る、そのルーズリーフに真昼の太陽は明るい。
どこか森と似た香穏やかな窓辺、木洩陽ゆれる院長室でひとり机に向かう時間に記憶と思考は動いてゆく。
ひたすらに読んでゆく資料はいつものファイルと同じ項目もある、その数の多さに周太の心が泣笑いした。

―英二、本気で俺のこと援けようとして、あのファイルを作ってくれた。

銃創は、日本における症例の数は少ない。
この国では銃砲刀剣類所持等取締法により銃火器の所有自体が規制されている、その分だけ銃による傷害件数も当然少ない。
だから日本の医師で銃創処置経験者は限られている、その数少ない対象者が自分の身近にいることは幸運だ。
そして、その幸運を掴んで贈ってくれた人への想いが今、あらためて募ってゆく。

―本当にありがとう、英二…少しでも返したいけど、ごめんね、

ありがとう、ごめんなさい。

ただ2つの言葉しか今は言えない、もう何ひとつ約束なんて出来ない。
この2時間ほど前に知らされた体の現実は、あと十日で訪れる未来の涯を予告した。
それでも聴かせてもらった医師の言葉に縋って、信じて、今もこの手はメモを執っている。

『生きよう。大丈夫だ、なんとかするよ、』

そう告げて笑ってくれた雅人医師の聲は明朗で、この心も明るくしてくれた。
あの言葉も笑顔も全てが頼れる、そう想えたから生きてある未来の自分を信じられた。
だからこそ今も銃創の処置を学ぶ、そして十日の先にある時間で命を繋ぐ術にしたい。
そんな想いに資料のページを写し終えた時、丁寧にノックされた扉が開いた。

「失礼します、遅くなってごめんさいね、お腹空いたでしょ?」

朗らかな笑顔が謝ってくれながらトレイを応接テーブルに置いてくれる。
その温かな湯気の皿たちに恐縮して、周太は椅子から立ち頭を下げた。

「すみません、僕こそ食事時に居座ったりして。お気遣いすみません、」
「あら、そんな謝らないで?こっちこそすみませんって言いたくなるから、」

可笑しそうに笑って受付の彼女は膳を整えてくれる。
その家庭的な献立3人前に、すこし首傾げ周太は尋ねた。

「いつも雅人先生とあなたと、ふたりで一緒に食事するんですか?」
「はい、お相伴させてもらっています。お一人だとつまらないからって言って下さるから、」

応えてくれる声のトーンが弾むようで、けれど気恥ずかしさが隠れている。
そんな様子は友達の貌と似ていて微笑ましい、そして申し訳なく想えて周太は微笑んだ。

「あの、やっぱりごめんなさい、今日は僕がお邪魔しちゃって、」
「あらっ、」

明るい瞳ひとつ瞬いて日焼あわい貌が照れたよう笑いだす。
トレイを白シャツの胸に抱え込んで、彼女は困ったようでも楽しげに訊いてくれた。

「やっぱり解っちゃいます?私が雅人先生のおっかけだってこと、」
「あの、…はい、」

頷きながらこちらも気恥ずかしくなってしまう。
なんだか余計なことを言ってしまった?そんな自分に困っていると優しい瞳が微笑んだ。

「休憩時間を見計らって作ったのだけどね、もうすこし患者さんとお話しするから先に食べていて下さいって雅人先生に言われたの、
私が作ったし簡単な料理だから味の保証は難しいけれど、今なら出来たてだから。せめて湯原くんは冷めないうちに食べてくれますか?」

遠慮なく食事して?そう促してくれる言葉は相手に気遣いさせない空気が温かい。
この率直な優しさが嬉しくて周太は素直に頷いた。

「はい、戴きます、」

向かい合って座り合掌すると、遠慮なく膳の皿に箸つけた。
麻婆茄子にわかめスープとサラダと、確かに彼女の言うよう短時間で出来る献立になっている。
きっと忙しい合間に作ってくれたのだろう、その心遣いのまま温かい味に周太は微笑んだ。

「美味しいです、お料理上手なんですね、あ…?」

褒めて名前を呼ぼうとして、けれど未だ聴いていない。
茶碗片手に小首傾げた周太に彼女は可笑しそうに笑ってくれた。

「あ、私ったら名乗ってもいませんね?鹿野と言います、鹿に野原の野です、」
「鹿野さんですね、今日はありがとうございます、」

今朝からの感謝をこめ頭下げると、狩野も微笑んで頭を下げてくれる。
まだ三十にはならないだろう瑞々しい闊達の笑顔は親しみやすい。
その気さくな空気に周太はさっきの続きを尋ねてみた。

「あの、さっき仰っていたけれど、鹿野さんは雅人先生のおっかけなんですか?」

質問に明朗な瞳ひとつ瞬くと、薔薇色の頬が楽しげにほころんだ。
涼やかに明るい声で笑ってくれる、その雰囲気になんだか楽しくなった前から鹿野は答えてくれた。

「はい、おっかけです。だって私、雅人先生のこと追いかけて御岳に来たんです。もう8年かけて追いかけてるのよ?」
「8年も?」

告げられた年数に驚かされてしまう、どうして鹿野は8年もかけたのだろう?
不思議で瞳ひとつ瞬いた周太に彼女は微笑んで、箸を動かしながら教えてくれた。

「雅人先生は研修医の時、私の姉を担当して下さったの。そのとき先生のこと好きになって、お手伝いしたいって思ったんです。
でも私、まだ高校生だったの。だから大学で勉強しながら秘書検や医療事務を身につけてね、この病院の採用試験を受けて職員になりました、」

好きになったから手伝いたい、傍にいたい。
この願いに努力を惜しまなかった、そんな8年間への賞賛に周太は微笑んだ。

「そういうのすごいです、本当に雅人先生を大切に想ってるんですね?」
「はい、本当に大切なの、」

明朗な声で応えてくれながら、その瞳が優しいまま和らかになる。
遠くを見つめるよう穏やかな眼差しは微笑んで、透る声は静かに教えてくれた。

「雅人先生は姉の最期を幸せにしてくれた方なんです、だから私、好きになったの、」

最期を幸せにしてくれた。

その言葉に鹿野の姉がどうなったのか解かってしまう。
だからこそ鹿野が雅人に恋し、尽くしたい願いも伝わってくれる。
そして理解するまま染められる哀切は傷み、今、自分の想いと重なってゆく。

―遺される気持は俺にも解る、そして、遺して逝かなくちゃいけない気持も…どうして、

どうして人は、こんなにも別離に苦しむのだろう?
どうして別離は尽きることが無いまま涙は終らない?

ただ哀切の想いが廻ってしまう尽きない摂理が、死別にはある。
そこに鹿野とその姉は立たされた、そして雅人は鹿野の姉を幸せにしたという。
この幸せの意味を聴いてみたくて、口を開きかけた時ちょうど院長室の扉は開いた。

「遅くなりました、すみません、」
「あ、おつかれさまです、お先にすみません、」

朗らかな声に鹿野は振向いて立ち、その肩が驚きと含羞に微笑んでいる。
まさに噂をすれば影だな?そんな感想と周太も箸を置いて立ち上がると雅人は笑ってくれた。

「座ってください、ふたりとも。遅刻したのは私だから謝るのも俺の方だよ?ほら、食おう、」

気さくなトーンで笑いながら雅人は周太の隣に腰を下ろしてくれる。
もう箸をとる白衣姿は気さくで温かい、その温もりに周太も座り直した。
そして向かいから鹿野が渡した茶碗を受けとると、寛いだ笑顔で雅人は笑った。

「食事が冷めるって困らせたかな、すみません、」
「はい、ちょっと困っていました、」

朗らかに答える声も貌も礼儀のなかですら初々しい。
そんな表情にふと気がついて周太は、頭の中で計算した。

―8年かけて追いかけてきて、そのとき高校生ってことは鹿野さん、今は26歳から24歳?

それなら自分と鹿野は同世代だ、それは美代とも同じことになる。
そう気がついて前に座る大人びた雰囲気と態度に不思議になってしまう。
ほとんど年齢が変らず同じ女性、それなのに美代と鹿野では年齢の雰囲気が全く違っている。
こんなにも人によって違うものなんだな?そんな感心に箸を動かしながら周太はもう1つの疑問に口を開いた。

「あの、雅人先生は8年前に研修医だったと伺ったんですが、」
「お、鹿野さん話しちゃったんですね?」

すぐ気がついて悪戯っ子な瞳が可笑しそうに笑う。
その前で鹿野が気恥ずかしげに笑って頷いた。

「はい、雅人先生のおっかけ歴の話をしていたんです、」

発言に快活な瞳が鹿野を見、周太を見てくれる。
そのまま可笑しそうに笑って雅人は、ただ茶碗の飯をかきこんだ。






(to be continued)

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