そしてあらためて、約束を
萬紅、始暁act,4―another,side story「陽はまた昇る」
ラーメン屋を出ると、時計は20時前だった。
明日は周太は週休だけれど、英二は日勤な上に、訓練登山が5時半集合の予定になっている。
だから今夜は、英二は帰らなくてはいけない。
それでも通りを歩きながら、すこし拗ねた口調で英二は言ってくれる。
「普通の日勤だったら俺、こっち泊って朝帰り出来たのにさ」
朝帰りだなんて恥ずかしいから赤くなるからいわないで。
きっと首筋が赤くなる、困ってしまう。
けれど、
今は一緒に話せる時間が、惜しい。周太は微笑んで答えた。
「でも英二、明日の登山も楽しみだろ?」
「うん、」
頷く英二の顔は、きれいに笑っている。
きっと山を想っている、そんな明るさがきれいだった。
だって山をもう愛している、英二は。
奥多摩で一緒に過ごした3日間、山で生きる英二を間近く見た。
山に生きる英二は、眩しかった。
警察学校で過ごした6ヶ月、卒配後に新宿で川崎で過ごす休日、どの時よりも。
「山はな、やっぱ楽しいからさ。訓練でも巡回でもね」
英二はもう、山ヤの警察官として生きている。
休暇の登山ですら、山岳救助隊員の任務を楽しんでいた。
恵まれて育った傲慢さ、要領の良さが冷たいチャラチャラした男。そんな仮面の姿は、今の英二から想像出来ない。
実直で健やかな温もり、やさしい穏やかな静謐。そんな明るい素顔のまま、山に生きている。
「なんて山に登るんだ?」
「うん、天祖山ってとこ。最近人気だから遭難が増えてる、その危険個所の確認をしにいくんだ」
危険個所。そのことばに、心に冷たい手が触る。
警察官で山岳救助隊員なら、そこが職場になる。それは当然のこと。
自分も同じ警察官、任務の重みは解っている。
けれど、自分の想いにだけは、嘘をつけない。だから伝えたい、想いは。
「楽しんできてね。それで帰ってきて、その山の話を聴かせて?」
ならんで歩く隣で、うれしそうな笑顔が咲いた。
きれいに笑って、英二が告げてくれる。
「おう、たくさん話す。約束だ、周太」
「ん、約束な」
約束がうれしい、うれしくて周太は微笑んだ。
こんなふうに約束を重ねて、きっと英二は全部叶えてくれる。
そう、もう信じている。
けれど心配はしてしまう。
今夜は早く寝んでほしい、寝不足の登山は危険を誘発するから。
それでもまだ、すこしは時間、あるのだろうか。
思って見上げた隣が、笑いかけてくれる。
「周太、俺ね、いつものコーヒー飲みたい」
もうすこし、一緒にいよう。そう言ってくれている。
もうすこし一緒にいたい、自分だって。
だって本当は離れたくない、ずっと一緒にいたい。このままずっと。
そう思うと本当は寂しくて哀しくなる。
でも泣かないで今は、一緒の時間を喜んで、幸せを見つめたい。微笑んで周太は答えた。
「ん、俺もね、飲みたいな」
いつものカフェで、テイクアウトした。
そのカフェから少し離れた静かな場所に、指定席のベンチがある。
今夜もそこへ並んで座って、紙コップに口をつけた。
熱い紙コップが、晩秋の冷気に心地良い。
ゆっくり啜ると、温かなオレンジの湯気に、ほっと心が和んだ。
「周太、オレンジラテで良かった?」
「ん、おいしい。ありがとう、英二」
「よかった、」
うれしそうに笑って、英二の長い指が頬にふれる。
ふれる指の温もりが、うれしい。
うれしくて微笑んだ唇に、そっと端正な唇が重ねられた。
ふれるだけで静かに離れて、うれしそうに英二が笑った。
「いつも周太の唇はね、オレンジの香が可愛い」
そんなふうに言って微笑まれて、気恥ずかしい。
でもこんなふうに、ふれてくれること、うれしい。
でもどう言えばいいのかな。解らないまま、周太は想った通りを口にした。
「ん、…英二のキス、うれしい、よ」
言った端から頬が熱い。
やっぱり言葉は難しい、昨夜は、もっと言えたのに。
そう自分で思った端から、なお気恥ずかしくなって、周太はすこし睫を伏せた。
「俺の方こそね、山でさ、うれしかったよ?」
きれいな低い声が、話しかけてくれる。
なにのことが、うれしかったのだろう?訊いてみたくて、周太は目をあげた。
「山での、なんの時?」
訊いた途端、端正な顔が心底、うれしそうな顔になる。
うれしげな明るい声が、周太に教えてくれた。
「周太からね、キスしてくれた時だけど?」
あのブナの木の下で。
初めて名前を呼んで、初めて周太からキスをした。あのブナの木の下での、大切な記憶。
気恥ずかしい、けれど幸せで、周太は微笑んだ。
「…ん、俺もね、うれしかった、よ?」
「きっとね、俺の方が、何倍もね、うれしい」
でもほんとうは、と思う。
だってほんとうはもう、夢の中では、したことがある。
そう思いながら見た隣は、幸せそうにコーヒーを啜っている。
夢のことを言ったら、もっと喜んでくれるだろうか?
こんなのは気恥ずかしい、けれど。
次にいつ、こんなこと伝えられるか、解らない。
たとえ夢の事だとしても、自分の想いであることは、変わらない。
想いは、すべて告げておきたい。ひとつ息をすって、周太は唇を披いた。
「あの、英二、」
「うん、なに周太?」
きれいな笑顔、やさしく見つめてくれる。
やっぱり、このひとを自分はほんとうに、すき。
そんな想いが、周太の想いを声にして、なんとか押し出された。
「ほんとうは…ね、俺、夢のなかで、…したことある」
なにを?
そんな質問を、きれいな切長い目が投げかける。
その隣の目を見つめて、ゆっくり一つ瞬いてから、周太は言った。
「あの、…夢のなかで、俺から英二に、キス、したこと…ある」
英二の切長い目が、大きく瞠かれた。
あ、かわいい。
思って、周太は思わず微笑んだ。
普段が涼やかなだけに、丸くなると瞳の印象が変わる。
元来が端正で、最近シャープな印象が深まっていた。それだけに、幼げな表情が余計かわいい。
かわいくて幸せで、微笑んで周太は、英二の顔を覗きこんだ。
「英二、」
大好きな名前を呼んで、呼んだ唇で端正な唇へ、そっとキスをした。
ふれるだけ。
でも、自分の、せいいっぱい。
そっと静かに離れて、気恥ずかしさに周太は微笑んだ。
ふっと英二が笑って、うれしそうに言ってくれる。
「周太のキスは、甘いな」
切長い目で、周太を真直ぐに見つめてくれる。
やさしく微笑んで、英二は口を開いた。
「その夢ってさ、いつ見た?」
ちょっと不謹慎な時だった。
田中の通夜の夜に英二と過ごした翌朝、葬儀を控えた明方だったから。
そういう厳粛な日に、そんな夢を見たなんて。それも恥ずかしくて、ずっと黙っていた。
やっぱり恥ずかしい、それでも周太は正直に告げた。
「ん、あの、…田中さんのお葬式の朝、なのだけど」
かつん、
指鳴ひとつ、デッキに響いた。
きれいな長い指の、ひとつの指鳴きれいに響いた。
「そっか、」
英二は可笑しそうに笑いだした。
どうしたのだろう?
反応に驚いている周太に、うれしげに笑いしながら、英二が言った。
「周太さ、その時に『すき』って言っただろ?」
なんでしっているのだろう?
不思議で見つめていると、英二が口を開いた。
「周太、それね、夢じゃないから」
「…え、」
どういうこと?
「だって、英二、一度もしてもらったこと無いんだけど…て、言ったよね?」
すこし悪戯っぽい目で、英二が答える。
「ずっと待っていたんだけど、っても俺、言ったな」
どうして?どういうことなのだろう?
解らなくて見つめていると、英二が笑って教えてくれた。
「あの朝は周太さ、明方に一度は起きたんだよ。「好き」って言ってキスしてくれたんだけど、またすぐ寝ちゃったんだ」
想いを伝えてキス、出来ていた。
そんな大切なこと、こんなふうに忘れていたなんて。
「…そう、だったのか」
きっとそのとき、墜落睡眠をして寝惚けたのだろう。そんな幼い頃からの癖が、恨めしい。
だって、ほんとうに、大切なことなのに。
「うん、そうだった。すごく可愛い寝顔だった」
「…そう、だったんだ」
大切なこと。
それなのに、夢だと思って忘れていた。
どうして忘れてしまったのだろう、恥ずかしい。英二に申し訳なくて、俯きそうになる。
でも、きちんと訊いておかないと。周太は隣を見つめた。
「そうだよ、」
見つめる想いの先で、英二は微笑んでくれる。
「周太、ほんと可愛い寝顔でさ。見つめながら俺ね、今のキスうれしかったなあ、って幸せだった」
微笑んで、英二は可笑しそうに、話してくれる。
「ほんとうに俺ね、うれしかったんだ。けど、周太は全く覚えていないし。
で、ちょっと傷ついていたんだ。それくらい周太からのキスは、本当は嬉しかったから」
「傷つけた…」
この隣を、自分が傷つけてしまった。
見つめる隣の姿が、水の紗でぼやけてくる。
どうしよう、だってこんなに愛している、守りたい。それなのに。
不甲斐なさに、哀しみが瞳に昇ってしまう。そう思った時にはもう、ひとしずく零れおちた。
「泣き顔も、かわいいね周太は」
やさしく微笑んで、長い指で頬を拭ってくれる。
瞳から零れる涙に、やさしく静かに唇を寄せて、笑いかけてくれた。
「周太がくれる傷はね、いちばん痛くて悲しい。
それを癒して治してくれるのは、周太だけ。だからずっと俺、周太からのキスを待っていたんだ」
いちばん痛くて、悲しくて。癒し、治し、…待ってくれていた。
自分だけを。
「…俺なら、治せる、の?」
「うん、周太だけだ。だって周太はさ、俺の初恋で、周太だけ見つめて愛してる。いちばん大切なんだ」
きれいな笑顔、やさしくて。
明るい穏やかな静謐、慕わしくて、見つめてしまう。
率直に告げられる想い、うれしくて、幸せがそっと温かい。
自分も、想いを、伝えたい。だって幸せを今、英二はくれた。だから、自分だって。
傷つけた、そのことに今、竦みそう。
けれど声、言葉を出して。
だから心、想いを言葉にかえて。
そうして唇、言葉を告げて想い伝えて、それから、
「…英二、」
名前、呼べる。
ひとつ心に刻んだ勇気、言葉に変えた想いを伝えさせて。
だってもう初雪が降った、街すらも雪を望むときを迎えてしまった。
この想い伝えるのは、今しかない。
さあ、ひとつの勇気、言葉を出して。
「俺も、同じだから…英二のくれる傷が一番、苦しい。英二だけが治せる…だって、だって英二は、俺の、」
英二は、自分の、唯ひとり、
「英二はね、俺の、唯ひとりだけ。唯ひとつの想い、唯ひとり想う、」
英二は自分の、唯ひとり、そして、
「唯ひとり愛している、…初めて、そして、いちばん大切なひと」
唇きちんと、想いを告げられた。
瞳、きちんと見つめて。ほら、英二が笑ってくれる。
「うん、周太。俺ほんと、うれしいから」
きれいな笑顔、幸せそうに見つめてくれる。
けれどもっと、笑ってほしい、幸せでいてほしい、だから。
だから唇、見つめる笑顔に今、求められた癒しを、贈らせて?
「…英二、」
名前を呼んで、目は逸らさないで。
見つめたままで、持っていた紙コップはベンチに置いた。
寒いからより添って、ふれあうほど近く座っていた隣に、もう少し近づいて。
「うん、周太?」
きれいな笑顔、名前を呼んでくれる。
傷つけた自分を、こんなにも、うれしそうに笑って迎えてくれる。
うれしくて、幸せが温かい。
この幸せも温もりも、いま与えてくれた人に、自分からも与えたい。
唇、声、まず名前を呼んで、
「英二、」
ふたつの掌たち。さっきは温めてくれひとの、きれいな頬をくるんで。
「周太の掌、温かいね」
うれしい幸せの温もりのまま、掌にくるんだ愛しい顔を、そっと静かに惹きよせて。
近寄せた顔に、声、名前を呼んで、想いを告げて。
「…英二、愛してる、」
くちびるに、くちびるで静かにふれた。
この愛する隣につけた傷、どうか癒され、治って。
どうか愛する笑顔を、また見せて。
どうか想いの人、離れないで。
どうか想いのままに、きれいな笑顔でずっと、生きて輝いて、隣にいて。
ふれるだけ、けれど想いは真実より深くから。
ふれて伝える深い想い、ほんとうに伝えられただろうか。
そっと離れて見つめる瞳に、想いのかけら、どうぞ見えて?
「…英二、傷、痛い?」
きれいな切長い目、明るく微笑んで。
きれいな唇が、やわらかに微笑んでくれた。
「うん、もう痛くないよ。周太、ほんとうに愛している」
きれいに笑って英二が言ってくれた。
愛している。
その想いが温かい、そして喜びの想いと呪文にきこえる。
だって約束してくれた「愛しているだけ、帰ってこられる」だから想いが、うれしい。
「ん、俺もね、ほんとうに愛してる、英二」
想い告げられる、名前を呼べる。
うれしい、幸せが温かくて、心に充ちてくる。
ありふれたことだろう、けれど自分にとっては、唯ひとつの、だから。
唯ひとつの想い
唯ひとり想うひと、愛している。
奥多摩での3つの夜、3つの暁、そうして今夜。
新宿での4つめの夜に、また約束を重ねて想いを重ねる。
「周太、約束はね、俺は絶対に守るから」
「ん、守って、英二。だから…」
約束を、想いを、キスで確かめて繋いでほしい。
「周太、」
きれいに笑って、英二は周太にキスをした。
ほら、こんなふうに、言わないでも解ってくれる。
だからきっと大丈夫、約束の意味も全て、解っている。
だからいま、唇は離れても。
ふれた唇で結んだ、ふたりの想いと約束は、離れない。
…愛している、もう離れられない だから英二は、帰ってくる
そんな想い心に充ちて、きれいに周太は笑った。
英二は青梅署へと戻るために、21時過ぎの電車に乗る。
駅ホームまで見送ると言った周太に、英二は微笑んだ。
「ホームまで来るとさ、また俺きっと、周太を浚っちゃうから」
そんな前科が英二にはある。
卒業配置初勤務の前日、英二が青梅署へ発つ中央線ホーム。
見送りに来た周太を、英二は車内に引張りこんでしまった。
「そう、なの?」
「うん、だって離れたくないだろ?俺、身勝手だからきっと、また浚っちゃう」
そんなふうに笑って、新宿署独身寮まで送ってくれた。
いつもの場所、しずかな片隅の大きな街路樹の蔭で、強い腕が抱きしめる。
ひそやかな木蔭、キスして笑ってくれた。
「ほんとに、浚いたいな」
ほんとに、浚われたい。
心にそっと呟いて、でも微笑んで周太は訊いた。
「そう、なの?」
「そうだよ、周太」
頷いた切長い目が、ふわり温かな想いを映す。
やさしい穏やかな笑顔が、ひろやかに英二に咲いた。
「それくらいさ、この3日間が幸せで俺、本当はもう周太をね、離したくないんだ」
なんてきれいな笑顔だろう。
見惚れてしまう、そんな美しい、やさしい笑顔。
いつのまに英二は、こんな顔で笑うようになったのだろう?
ほんとうに、離れたくない。
離さないでと縋って、このまま一緒に奥多摩へ戻れたら。
想い見つめる周太に、そっと唇で唇にふれて、瞳を覗き込んでくれた。
「だから俺、絶対に周太の隣に帰る。だから笑って見送ってよ周太」
「ん、」
ひとつ涙こぼして、きれいに笑って周太は言った。
「いってらっしゃい、たくさん笑ってきて。そうして無事に、俺の隣に帰ってきて、笑顔を見せて」
それから、まだ伝えたい。
どうか笑って伝えたい、…涙は止められそうにないけれど。
「ほんとうに俺、英二だけ。英二だけ愛している、英二しかいない…だから帰ってきて、約束を叶えて」
涙のむこう、想いに見つめる真ん中で。
きれいな笑顔で想い、受けとめられる。きれいに笑って、英二は約束してくれた。
「うん、約束だ。周太、俺はね、思ったことしか出来ない、言えない。
俺はさ、そういう馬鹿だろ?だからね、約束したら絶対に守るよ。そうして周太を幸せにする」
「…ん、」
3つの夜、3つの暁、そして今4つめの夜。
どれも幸せで、温かくて、そして今、涙がこぼれて止まらない。
「周太、雪山からだってね、俺、絶対に帰るから。
そしてね周太、どんな冷たい真実も辛い現実も、周太だけには背負わせない。
絶対に離れないで、俺が背負ってみせるよ。だって俺、そのためにきっと、ここにいる」
そう、ほんとうに英二はいつも、背負ってしまう。
13年前の事件も、自分以上に調べて追いかけて、そうして真実を掴んでしまった。
そうして真実の底に沈んでいた、父の想いを全て、自分に示して笑ってくれた。
「…ん、英二、」
その想いが、いつもうれしい。
うれしくて、想いが迫あげて、涙に変わる。
うれしくて微笑んだ、周太の頬を涙が伝っていく。
「きれいな笑顔で、泣き顔なんて。ちょっと反則だよ周太?」
「はんそく?」
きれいな長い指が、周太の頬を拭ってくれる。
それから微笑んで、そっとキスして言ってくれた。
「あんまりさ、きれいで可愛いから。もう俺、自分で自分の想いにね、お手上げ」
「お手上げ?」
よく解らなくて、つい訊いてしまう。
ほらもうお手上げだ、そんなふうに笑って、英二は言った。
「だから周太お願いだ、もうひとつ今、約束してよ。…いつか、絶対に、一緒に暮らそう?」
いつか、絶対に、一緒に暮らす。
夜も暁も、ずっと一緒にいたい。
そう想っていたのは、自分だけじゃない、そういうこと?
この愛する隣も、英二も、そう想ってくれる、そういうことなの?
「3日間、3つの夜と3つの朝と一緒で。そして今4つめの夜な。
ずっと一緒でさ、俺、もう気がついちゃったんだ。
俺にとってはさ、周太と一緒にいることがね、いちばん自然で幸せだってこと」
「…いちばん自然、で、幸せ?」
「うん。もうさ、いちばんっていうかね、“当然” って感じかな?」
いまきっと、すごく、幸せなことを、言われている。
思わずぼんやりしそうになる。
「…いっしょが、とうぜん、自然で幸せ?」
「うん、そうだよ周太。俺はね、周太と一緒にいるのが、正しいポジション。もう絶対そう」
こんなのは不意打ちだ。
だってここは、新宿警察署の近く。ときおり寂しさに、泣きたくなる新宿の街。
いつも哀しさが、どこか蹲る場所。
それなのに。
そんな場所でどうして、こんな、幸せな瞬間が、起きるなんて予想する?
「だからね、周太。約束してよ、ずっと一緒に暮らすこと。いつかきっと絶対に、毎日を一緒に見つめること」
きれいな切長い瞳、健やかに笑っている。
健やかで温かい率直な心、やさしい穏やかな静謐、きれいな笑顔。
穏やかなままに、明るく笑って、強請ってくれる。
「もう解っているよね、周太。断っても無駄だよ?
俺は身勝手だからさ、周太が逃げてもね、離れないから。絶対に掴まえて離さない。そうだろ?」
すこし悪戯っぽい顔、かわいい。
その瞳の温かさ、真直ぐな想い、きれい。
抱きしめてくれる強い腕、穏やかな静謐、頼もしい。
どれも、すき。愛している。
でも今ほんとうに、あんまり不意打ちで。
とまどってしまうまま、質問の言葉が出てしまう。
「…もし、逃げたら、ことわったら、どうするの?」
「うん、そうだな、」
きれいな顔、すこし悪戯心が強くなる。
端正な顔、すこし率直な傲慢に、なんだか…きれいな悪魔?みたいだ。
まえに読んだ小説、ほら、なんだったかな?…我儘な、天使?
そんな顔で笑って、楽しそうに英二が言った。
「断られてもね、きっと掴まえて、閉じこめちゃうな」
紺青色の表装『Le Fantome de l'Opera』
初めての外泊日、英二が取って渡してくれた、恋愛小説。
オペラハウスは、巨大なカラクリ箱。
そこは、怪人の孤独な棲家。
その棲家に怪人は、恋する歌姫を掴まえて、閉じこめてしまう。
けれど歌姫の恋人は別の男、歌姫は恋人に連れだされて、ふたりは外へ帰っていく。
けれど、自分は?
「とじこめるの?」
率直に過ぎて強引で、身勝手で、怒ると冷酷なまでに怖い。
けれど、笑顔は、きれい。
「うん、掴まえてね、閉じこめる。それでずっと、周太にはさ、俺だけを見つめてもらう」
きれいに笑って、幸せそうに英二が答えてくれた。
温かな笑顔、穏やかな静謐。
その気配が好きで、警察学校の寮で、ずっと隣にいた。
「英二だけを、見つめて?」
「そう、俺だけ見てよ。だって俺、嫉妬深いからさ、怒っちゃうだろ?」
英二は、唯ひとり想う愛する人。
その人が、自分を閉じこめると言ってくれる。
もしも、『Le Fantome de l'Opera』、怪人が、歌姫が真実に想う、唯ひとり想う人だったら?
愛し愛される人が、とじこめると言うのなら?
「英二、嫉妬深いの?」
「うん、そうだよ。周太もさ、知ってるだろ?だって俺、警察学校の時、結構みっともなかった」
懐かしそうに英二は、明るく笑った。
健やかで温かい率直な心、やさしい穏やかな静謐、きれいな笑顔。
率直なままに身勝手で、美しいままに傲慢で、強い腕のままに強引。
怒ると冷酷なまでに怖い。けれど温もりは、どこまでも優しくて。
そのどれも、ほんとうに、すき。
「だからさ、周太。約束してよ?
約束してくれなくてもね、いつか俺は、周太を掴まえて、閉じこめちゃうんだからさ」
そしてきっと、って想う。
自分を閉じこめたって、きっと英二は。
いつも自分を温もりで、やさしく包んで支えて、救ってくれるように。
やさしい温かな想いのままに、山岳救助隊員として駆け出してしまう。
でも、駆けだしても、帰ってくるなら。
「…いつも、絶対に、帰ってくる?」
きれいに笑って、英二が答えた。
「当然だよ周太、だって俺の帰る場所は、周太だけ。
俺はね、周太ばっかり見つめて愛している。
だから周太、いつか必ず、俺と一緒に暮らして? その絶対の約束がね、俺、今この時にほしい」
そう、今この時。
英二が雪山の危険に立ってしまう、その前に。
こうして「絶対の約束」を結んで、必ず英二が帰って来られるように。
ゆっくりと周太は、英二を見上げた。
端正な白皙の頬を、街路灯がしずかに照らし出す。
やさしい穏やかな静謐、きれいな微笑みが、周太を見つめていた。
きれいな、英二の笑顔。
学校時代もその後も、辛い運命に向かう時ですら、いつも隣で笑ってくれる。
…愛している
想いが心から、そっと唇と瞳へ昇る。
きれいに、周太は笑った。
「ん、…いつか必ず、英二と一緒に暮らす。絶対の約束をね、結んで英二?」
黒目がちの瞳から、想いの熱がひとしずく零れる。
そっと端正な唇がふれて、周太の涙をしずかに呑みこんだ。
「うん、絶対の約束だ。周太、俺のこと信じて、待っていて」
きれいに笑って、キスしてくれる。
やさしく微笑んで、真直ぐ見つめて言ってくれた。
「愛している、周太」
うれしい。
きっとこれでもう、英二は必ず、自分の隣に帰ってくる。
もうずっと、絶対の約束を守って、必ず帰ってきてくれる。
唇、名前を呼んで、想い、伝えて。
「うれしい。英二…愛している、」
幸せの温もり一滴、周太の頬からこぼれた。
(to be continued)
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ラーメン屋を出ると、時計は20時前だった。
明日は周太は週休だけれど、英二は日勤な上に、訓練登山が5時半集合の予定になっている。
だから今夜は、英二は帰らなくてはいけない。
それでも通りを歩きながら、すこし拗ねた口調で英二は言ってくれる。
「普通の日勤だったら俺、こっち泊って朝帰り出来たのにさ」
朝帰りだなんて恥ずかしいから赤くなるからいわないで。
きっと首筋が赤くなる、困ってしまう。
けれど、
今は一緒に話せる時間が、惜しい。周太は微笑んで答えた。
「でも英二、明日の登山も楽しみだろ?」
「うん、」
頷く英二の顔は、きれいに笑っている。
きっと山を想っている、そんな明るさがきれいだった。
だって山をもう愛している、英二は。
奥多摩で一緒に過ごした3日間、山で生きる英二を間近く見た。
山に生きる英二は、眩しかった。
警察学校で過ごした6ヶ月、卒配後に新宿で川崎で過ごす休日、どの時よりも。
「山はな、やっぱ楽しいからさ。訓練でも巡回でもね」
英二はもう、山ヤの警察官として生きている。
休暇の登山ですら、山岳救助隊員の任務を楽しんでいた。
恵まれて育った傲慢さ、要領の良さが冷たいチャラチャラした男。そんな仮面の姿は、今の英二から想像出来ない。
実直で健やかな温もり、やさしい穏やかな静謐。そんな明るい素顔のまま、山に生きている。
「なんて山に登るんだ?」
「うん、天祖山ってとこ。最近人気だから遭難が増えてる、その危険個所の確認をしにいくんだ」
危険個所。そのことばに、心に冷たい手が触る。
警察官で山岳救助隊員なら、そこが職場になる。それは当然のこと。
自分も同じ警察官、任務の重みは解っている。
けれど、自分の想いにだけは、嘘をつけない。だから伝えたい、想いは。
「楽しんできてね。それで帰ってきて、その山の話を聴かせて?」
ならんで歩く隣で、うれしそうな笑顔が咲いた。
きれいに笑って、英二が告げてくれる。
「おう、たくさん話す。約束だ、周太」
「ん、約束な」
約束がうれしい、うれしくて周太は微笑んだ。
こんなふうに約束を重ねて、きっと英二は全部叶えてくれる。
そう、もう信じている。
けれど心配はしてしまう。
今夜は早く寝んでほしい、寝不足の登山は危険を誘発するから。
それでもまだ、すこしは時間、あるのだろうか。
思って見上げた隣が、笑いかけてくれる。
「周太、俺ね、いつものコーヒー飲みたい」
もうすこし、一緒にいよう。そう言ってくれている。
もうすこし一緒にいたい、自分だって。
だって本当は離れたくない、ずっと一緒にいたい。このままずっと。
そう思うと本当は寂しくて哀しくなる。
でも泣かないで今は、一緒の時間を喜んで、幸せを見つめたい。微笑んで周太は答えた。
「ん、俺もね、飲みたいな」
いつものカフェで、テイクアウトした。
そのカフェから少し離れた静かな場所に、指定席のベンチがある。
今夜もそこへ並んで座って、紙コップに口をつけた。
熱い紙コップが、晩秋の冷気に心地良い。
ゆっくり啜ると、温かなオレンジの湯気に、ほっと心が和んだ。
「周太、オレンジラテで良かった?」
「ん、おいしい。ありがとう、英二」
「よかった、」
うれしそうに笑って、英二の長い指が頬にふれる。
ふれる指の温もりが、うれしい。
うれしくて微笑んだ唇に、そっと端正な唇が重ねられた。
ふれるだけで静かに離れて、うれしそうに英二が笑った。
「いつも周太の唇はね、オレンジの香が可愛い」
そんなふうに言って微笑まれて、気恥ずかしい。
でもこんなふうに、ふれてくれること、うれしい。
でもどう言えばいいのかな。解らないまま、周太は想った通りを口にした。
「ん、…英二のキス、うれしい、よ」
言った端から頬が熱い。
やっぱり言葉は難しい、昨夜は、もっと言えたのに。
そう自分で思った端から、なお気恥ずかしくなって、周太はすこし睫を伏せた。
「俺の方こそね、山でさ、うれしかったよ?」
きれいな低い声が、話しかけてくれる。
なにのことが、うれしかったのだろう?訊いてみたくて、周太は目をあげた。
「山での、なんの時?」
訊いた途端、端正な顔が心底、うれしそうな顔になる。
うれしげな明るい声が、周太に教えてくれた。
「周太からね、キスしてくれた時だけど?」
あのブナの木の下で。
初めて名前を呼んで、初めて周太からキスをした。あのブナの木の下での、大切な記憶。
気恥ずかしい、けれど幸せで、周太は微笑んだ。
「…ん、俺もね、うれしかった、よ?」
「きっとね、俺の方が、何倍もね、うれしい」
でもほんとうは、と思う。
だってほんとうはもう、夢の中では、したことがある。
そう思いながら見た隣は、幸せそうにコーヒーを啜っている。
夢のことを言ったら、もっと喜んでくれるだろうか?
こんなのは気恥ずかしい、けれど。
次にいつ、こんなこと伝えられるか、解らない。
たとえ夢の事だとしても、自分の想いであることは、変わらない。
想いは、すべて告げておきたい。ひとつ息をすって、周太は唇を披いた。
「あの、英二、」
「うん、なに周太?」
きれいな笑顔、やさしく見つめてくれる。
やっぱり、このひとを自分はほんとうに、すき。
そんな想いが、周太の想いを声にして、なんとか押し出された。
「ほんとうは…ね、俺、夢のなかで、…したことある」
なにを?
そんな質問を、きれいな切長い目が投げかける。
その隣の目を見つめて、ゆっくり一つ瞬いてから、周太は言った。
「あの、…夢のなかで、俺から英二に、キス、したこと…ある」
英二の切長い目が、大きく瞠かれた。
あ、かわいい。
思って、周太は思わず微笑んだ。
普段が涼やかなだけに、丸くなると瞳の印象が変わる。
元来が端正で、最近シャープな印象が深まっていた。それだけに、幼げな表情が余計かわいい。
かわいくて幸せで、微笑んで周太は、英二の顔を覗きこんだ。
「英二、」
大好きな名前を呼んで、呼んだ唇で端正な唇へ、そっとキスをした。
ふれるだけ。
でも、自分の、せいいっぱい。
そっと静かに離れて、気恥ずかしさに周太は微笑んだ。
ふっと英二が笑って、うれしそうに言ってくれる。
「周太のキスは、甘いな」
切長い目で、周太を真直ぐに見つめてくれる。
やさしく微笑んで、英二は口を開いた。
「その夢ってさ、いつ見た?」
ちょっと不謹慎な時だった。
田中の通夜の夜に英二と過ごした翌朝、葬儀を控えた明方だったから。
そういう厳粛な日に、そんな夢を見たなんて。それも恥ずかしくて、ずっと黙っていた。
やっぱり恥ずかしい、それでも周太は正直に告げた。
「ん、あの、…田中さんのお葬式の朝、なのだけど」
かつん、
指鳴ひとつ、デッキに響いた。
きれいな長い指の、ひとつの指鳴きれいに響いた。
「そっか、」
英二は可笑しそうに笑いだした。
どうしたのだろう?
反応に驚いている周太に、うれしげに笑いしながら、英二が言った。
「周太さ、その時に『すき』って言っただろ?」
なんでしっているのだろう?
不思議で見つめていると、英二が口を開いた。
「周太、それね、夢じゃないから」
「…え、」
どういうこと?
「だって、英二、一度もしてもらったこと無いんだけど…て、言ったよね?」
すこし悪戯っぽい目で、英二が答える。
「ずっと待っていたんだけど、っても俺、言ったな」
どうして?どういうことなのだろう?
解らなくて見つめていると、英二が笑って教えてくれた。
「あの朝は周太さ、明方に一度は起きたんだよ。「好き」って言ってキスしてくれたんだけど、またすぐ寝ちゃったんだ」
想いを伝えてキス、出来ていた。
そんな大切なこと、こんなふうに忘れていたなんて。
「…そう、だったのか」
きっとそのとき、墜落睡眠をして寝惚けたのだろう。そんな幼い頃からの癖が、恨めしい。
だって、ほんとうに、大切なことなのに。
「うん、そうだった。すごく可愛い寝顔だった」
「…そう、だったんだ」
大切なこと。
それなのに、夢だと思って忘れていた。
どうして忘れてしまったのだろう、恥ずかしい。英二に申し訳なくて、俯きそうになる。
でも、きちんと訊いておかないと。周太は隣を見つめた。
「そうだよ、」
見つめる想いの先で、英二は微笑んでくれる。
「周太、ほんと可愛い寝顔でさ。見つめながら俺ね、今のキスうれしかったなあ、って幸せだった」
微笑んで、英二は可笑しそうに、話してくれる。
「ほんとうに俺ね、うれしかったんだ。けど、周太は全く覚えていないし。
で、ちょっと傷ついていたんだ。それくらい周太からのキスは、本当は嬉しかったから」
「傷つけた…」
この隣を、自分が傷つけてしまった。
見つめる隣の姿が、水の紗でぼやけてくる。
どうしよう、だってこんなに愛している、守りたい。それなのに。
不甲斐なさに、哀しみが瞳に昇ってしまう。そう思った時にはもう、ひとしずく零れおちた。
「泣き顔も、かわいいね周太は」
やさしく微笑んで、長い指で頬を拭ってくれる。
瞳から零れる涙に、やさしく静かに唇を寄せて、笑いかけてくれた。
「周太がくれる傷はね、いちばん痛くて悲しい。
それを癒して治してくれるのは、周太だけ。だからずっと俺、周太からのキスを待っていたんだ」
いちばん痛くて、悲しくて。癒し、治し、…待ってくれていた。
自分だけを。
「…俺なら、治せる、の?」
「うん、周太だけだ。だって周太はさ、俺の初恋で、周太だけ見つめて愛してる。いちばん大切なんだ」
きれいな笑顔、やさしくて。
明るい穏やかな静謐、慕わしくて、見つめてしまう。
率直に告げられる想い、うれしくて、幸せがそっと温かい。
自分も、想いを、伝えたい。だって幸せを今、英二はくれた。だから、自分だって。
傷つけた、そのことに今、竦みそう。
けれど声、言葉を出して。
だから心、想いを言葉にかえて。
そうして唇、言葉を告げて想い伝えて、それから、
「…英二、」
名前、呼べる。
ひとつ心に刻んだ勇気、言葉に変えた想いを伝えさせて。
だってもう初雪が降った、街すらも雪を望むときを迎えてしまった。
この想い伝えるのは、今しかない。
さあ、ひとつの勇気、言葉を出して。
「俺も、同じだから…英二のくれる傷が一番、苦しい。英二だけが治せる…だって、だって英二は、俺の、」
英二は、自分の、唯ひとり、
「英二はね、俺の、唯ひとりだけ。唯ひとつの想い、唯ひとり想う、」
英二は自分の、唯ひとり、そして、
「唯ひとり愛している、…初めて、そして、いちばん大切なひと」
唇きちんと、想いを告げられた。
瞳、きちんと見つめて。ほら、英二が笑ってくれる。
「うん、周太。俺ほんと、うれしいから」
きれいな笑顔、幸せそうに見つめてくれる。
けれどもっと、笑ってほしい、幸せでいてほしい、だから。
だから唇、見つめる笑顔に今、求められた癒しを、贈らせて?
「…英二、」
名前を呼んで、目は逸らさないで。
見つめたままで、持っていた紙コップはベンチに置いた。
寒いからより添って、ふれあうほど近く座っていた隣に、もう少し近づいて。
「うん、周太?」
きれいな笑顔、名前を呼んでくれる。
傷つけた自分を、こんなにも、うれしそうに笑って迎えてくれる。
うれしくて、幸せが温かい。
この幸せも温もりも、いま与えてくれた人に、自分からも与えたい。
唇、声、まず名前を呼んで、
「英二、」
ふたつの掌たち。さっきは温めてくれひとの、きれいな頬をくるんで。
「周太の掌、温かいね」
うれしい幸せの温もりのまま、掌にくるんだ愛しい顔を、そっと静かに惹きよせて。
近寄せた顔に、声、名前を呼んで、想いを告げて。
「…英二、愛してる、」
くちびるに、くちびるで静かにふれた。
この愛する隣につけた傷、どうか癒され、治って。
どうか愛する笑顔を、また見せて。
どうか想いの人、離れないで。
どうか想いのままに、きれいな笑顔でずっと、生きて輝いて、隣にいて。
ふれるだけ、けれど想いは真実より深くから。
ふれて伝える深い想い、ほんとうに伝えられただろうか。
そっと離れて見つめる瞳に、想いのかけら、どうぞ見えて?
「…英二、傷、痛い?」
きれいな切長い目、明るく微笑んで。
きれいな唇が、やわらかに微笑んでくれた。
「うん、もう痛くないよ。周太、ほんとうに愛している」
きれいに笑って英二が言ってくれた。
愛している。
その想いが温かい、そして喜びの想いと呪文にきこえる。
だって約束してくれた「愛しているだけ、帰ってこられる」だから想いが、うれしい。
「ん、俺もね、ほんとうに愛してる、英二」
想い告げられる、名前を呼べる。
うれしい、幸せが温かくて、心に充ちてくる。
ありふれたことだろう、けれど自分にとっては、唯ひとつの、だから。
唯ひとつの想い
唯ひとり想うひと、愛している。
奥多摩での3つの夜、3つの暁、そうして今夜。
新宿での4つめの夜に、また約束を重ねて想いを重ねる。
「周太、約束はね、俺は絶対に守るから」
「ん、守って、英二。だから…」
約束を、想いを、キスで確かめて繋いでほしい。
「周太、」
きれいに笑って、英二は周太にキスをした。
ほら、こんなふうに、言わないでも解ってくれる。
だからきっと大丈夫、約束の意味も全て、解っている。
だからいま、唇は離れても。
ふれた唇で結んだ、ふたりの想いと約束は、離れない。
…愛している、もう離れられない だから英二は、帰ってくる
そんな想い心に充ちて、きれいに周太は笑った。
英二は青梅署へと戻るために、21時過ぎの電車に乗る。
駅ホームまで見送ると言った周太に、英二は微笑んだ。
「ホームまで来るとさ、また俺きっと、周太を浚っちゃうから」
そんな前科が英二にはある。
卒業配置初勤務の前日、英二が青梅署へ発つ中央線ホーム。
見送りに来た周太を、英二は車内に引張りこんでしまった。
「そう、なの?」
「うん、だって離れたくないだろ?俺、身勝手だからきっと、また浚っちゃう」
そんなふうに笑って、新宿署独身寮まで送ってくれた。
いつもの場所、しずかな片隅の大きな街路樹の蔭で、強い腕が抱きしめる。
ひそやかな木蔭、キスして笑ってくれた。
「ほんとに、浚いたいな」
ほんとに、浚われたい。
心にそっと呟いて、でも微笑んで周太は訊いた。
「そう、なの?」
「そうだよ、周太」
頷いた切長い目が、ふわり温かな想いを映す。
やさしい穏やかな笑顔が、ひろやかに英二に咲いた。
「それくらいさ、この3日間が幸せで俺、本当はもう周太をね、離したくないんだ」
なんてきれいな笑顔だろう。
見惚れてしまう、そんな美しい、やさしい笑顔。
いつのまに英二は、こんな顔で笑うようになったのだろう?
ほんとうに、離れたくない。
離さないでと縋って、このまま一緒に奥多摩へ戻れたら。
想い見つめる周太に、そっと唇で唇にふれて、瞳を覗き込んでくれた。
「だから俺、絶対に周太の隣に帰る。だから笑って見送ってよ周太」
「ん、」
ひとつ涙こぼして、きれいに笑って周太は言った。
「いってらっしゃい、たくさん笑ってきて。そうして無事に、俺の隣に帰ってきて、笑顔を見せて」
それから、まだ伝えたい。
どうか笑って伝えたい、…涙は止められそうにないけれど。
「ほんとうに俺、英二だけ。英二だけ愛している、英二しかいない…だから帰ってきて、約束を叶えて」
涙のむこう、想いに見つめる真ん中で。
きれいな笑顔で想い、受けとめられる。きれいに笑って、英二は約束してくれた。
「うん、約束だ。周太、俺はね、思ったことしか出来ない、言えない。
俺はさ、そういう馬鹿だろ?だからね、約束したら絶対に守るよ。そうして周太を幸せにする」
「…ん、」
3つの夜、3つの暁、そして今4つめの夜。
どれも幸せで、温かくて、そして今、涙がこぼれて止まらない。
「周太、雪山からだってね、俺、絶対に帰るから。
そしてね周太、どんな冷たい真実も辛い現実も、周太だけには背負わせない。
絶対に離れないで、俺が背負ってみせるよ。だって俺、そのためにきっと、ここにいる」
そう、ほんとうに英二はいつも、背負ってしまう。
13年前の事件も、自分以上に調べて追いかけて、そうして真実を掴んでしまった。
そうして真実の底に沈んでいた、父の想いを全て、自分に示して笑ってくれた。
「…ん、英二、」
その想いが、いつもうれしい。
うれしくて、想いが迫あげて、涙に変わる。
うれしくて微笑んだ、周太の頬を涙が伝っていく。
「きれいな笑顔で、泣き顔なんて。ちょっと反則だよ周太?」
「はんそく?」
きれいな長い指が、周太の頬を拭ってくれる。
それから微笑んで、そっとキスして言ってくれた。
「あんまりさ、きれいで可愛いから。もう俺、自分で自分の想いにね、お手上げ」
「お手上げ?」
よく解らなくて、つい訊いてしまう。
ほらもうお手上げだ、そんなふうに笑って、英二は言った。
「だから周太お願いだ、もうひとつ今、約束してよ。…いつか、絶対に、一緒に暮らそう?」
いつか、絶対に、一緒に暮らす。
夜も暁も、ずっと一緒にいたい。
そう想っていたのは、自分だけじゃない、そういうこと?
この愛する隣も、英二も、そう想ってくれる、そういうことなの?
「3日間、3つの夜と3つの朝と一緒で。そして今4つめの夜な。
ずっと一緒でさ、俺、もう気がついちゃったんだ。
俺にとってはさ、周太と一緒にいることがね、いちばん自然で幸せだってこと」
「…いちばん自然、で、幸せ?」
「うん。もうさ、いちばんっていうかね、“当然” って感じかな?」
いまきっと、すごく、幸せなことを、言われている。
思わずぼんやりしそうになる。
「…いっしょが、とうぜん、自然で幸せ?」
「うん、そうだよ周太。俺はね、周太と一緒にいるのが、正しいポジション。もう絶対そう」
こんなのは不意打ちだ。
だってここは、新宿警察署の近く。ときおり寂しさに、泣きたくなる新宿の街。
いつも哀しさが、どこか蹲る場所。
それなのに。
そんな場所でどうして、こんな、幸せな瞬間が、起きるなんて予想する?
「だからね、周太。約束してよ、ずっと一緒に暮らすこと。いつかきっと絶対に、毎日を一緒に見つめること」
きれいな切長い瞳、健やかに笑っている。
健やかで温かい率直な心、やさしい穏やかな静謐、きれいな笑顔。
穏やかなままに、明るく笑って、強請ってくれる。
「もう解っているよね、周太。断っても無駄だよ?
俺は身勝手だからさ、周太が逃げてもね、離れないから。絶対に掴まえて離さない。そうだろ?」
すこし悪戯っぽい顔、かわいい。
その瞳の温かさ、真直ぐな想い、きれい。
抱きしめてくれる強い腕、穏やかな静謐、頼もしい。
どれも、すき。愛している。
でも今ほんとうに、あんまり不意打ちで。
とまどってしまうまま、質問の言葉が出てしまう。
「…もし、逃げたら、ことわったら、どうするの?」
「うん、そうだな、」
きれいな顔、すこし悪戯心が強くなる。
端正な顔、すこし率直な傲慢に、なんだか…きれいな悪魔?みたいだ。
まえに読んだ小説、ほら、なんだったかな?…我儘な、天使?
そんな顔で笑って、楽しそうに英二が言った。
「断られてもね、きっと掴まえて、閉じこめちゃうな」
紺青色の表装『Le Fantome de l'Opera』
初めての外泊日、英二が取って渡してくれた、恋愛小説。
オペラハウスは、巨大なカラクリ箱。
そこは、怪人の孤独な棲家。
その棲家に怪人は、恋する歌姫を掴まえて、閉じこめてしまう。
けれど歌姫の恋人は別の男、歌姫は恋人に連れだされて、ふたりは外へ帰っていく。
けれど、自分は?
「とじこめるの?」
率直に過ぎて強引で、身勝手で、怒ると冷酷なまでに怖い。
けれど、笑顔は、きれい。
「うん、掴まえてね、閉じこめる。それでずっと、周太にはさ、俺だけを見つめてもらう」
きれいに笑って、幸せそうに英二が答えてくれた。
温かな笑顔、穏やかな静謐。
その気配が好きで、警察学校の寮で、ずっと隣にいた。
「英二だけを、見つめて?」
「そう、俺だけ見てよ。だって俺、嫉妬深いからさ、怒っちゃうだろ?」
英二は、唯ひとり想う愛する人。
その人が、自分を閉じこめると言ってくれる。
もしも、『Le Fantome de l'Opera』、怪人が、歌姫が真実に想う、唯ひとり想う人だったら?
愛し愛される人が、とじこめると言うのなら?
「英二、嫉妬深いの?」
「うん、そうだよ。周太もさ、知ってるだろ?だって俺、警察学校の時、結構みっともなかった」
懐かしそうに英二は、明るく笑った。
健やかで温かい率直な心、やさしい穏やかな静謐、きれいな笑顔。
率直なままに身勝手で、美しいままに傲慢で、強い腕のままに強引。
怒ると冷酷なまでに怖い。けれど温もりは、どこまでも優しくて。
そのどれも、ほんとうに、すき。
「だからさ、周太。約束してよ?
約束してくれなくてもね、いつか俺は、周太を掴まえて、閉じこめちゃうんだからさ」
そしてきっと、って想う。
自分を閉じこめたって、きっと英二は。
いつも自分を温もりで、やさしく包んで支えて、救ってくれるように。
やさしい温かな想いのままに、山岳救助隊員として駆け出してしまう。
でも、駆けだしても、帰ってくるなら。
「…いつも、絶対に、帰ってくる?」
きれいに笑って、英二が答えた。
「当然だよ周太、だって俺の帰る場所は、周太だけ。
俺はね、周太ばっかり見つめて愛している。
だから周太、いつか必ず、俺と一緒に暮らして? その絶対の約束がね、俺、今この時にほしい」
そう、今この時。
英二が雪山の危険に立ってしまう、その前に。
こうして「絶対の約束」を結んで、必ず英二が帰って来られるように。
ゆっくりと周太は、英二を見上げた。
端正な白皙の頬を、街路灯がしずかに照らし出す。
やさしい穏やかな静謐、きれいな微笑みが、周太を見つめていた。
きれいな、英二の笑顔。
学校時代もその後も、辛い運命に向かう時ですら、いつも隣で笑ってくれる。
…愛している
想いが心から、そっと唇と瞳へ昇る。
きれいに、周太は笑った。
「ん、…いつか必ず、英二と一緒に暮らす。絶対の約束をね、結んで英二?」
黒目がちの瞳から、想いの熱がひとしずく零れる。
そっと端正な唇がふれて、周太の涙をしずかに呑みこんだ。
「うん、絶対の約束だ。周太、俺のこと信じて、待っていて」
きれいに笑って、キスしてくれる。
やさしく微笑んで、真直ぐ見つめて言ってくれた。
「愛している、周太」
うれしい。
きっとこれでもう、英二は必ず、自分の隣に帰ってくる。
もうずっと、絶対の約束を守って、必ず帰ってきてくれる。
唇、名前を呼んで、想い、伝えて。
「うれしい。英二…愛している、」
幸せの温もり一滴、周太の頬からこぼれた。
(to be continued)
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