あかるい夜、はじまる長い絆
岳夜、想話 act.2―side story「陽はまた昇る」
診療室で過ごす夕方、人体に関する鑑識について、訊きたい事を英二は思い出した。
吉村の帰宅前に確認したくて、鑑識用のファイルを取りに英二は自室へ戻った。
デスクライトをつけた時、携帯が振動した。国村からの電話着信だった。
国村は日勤で今、御岳駐在所に出ている。
いつものように今日も、一緒に軽い訓練を昼過ぎにしたが、その時は何も聴いていない。
時計は17:00、窓はもう暗い。日没後の道迷いが多い時間だった。
「…起きたかな」
呟いて英二は通話を繋いだ。
繋がってすぐ、国村は言った。
「救助服に着替えてさ、署の前で待っていてくれる?」
「どこでの事故?」
訊きながら英二は、登山ザックの中身を確認し始めた。
「鷹ノ巣山。道迷いだってさ、秋だよね」
遭難に季節感を感じる、山岳救助隊ならではの発想だった。
紅葉シーズンになると登山客が増える。
そういう初心者の登山客は、ルートマップをきちんと読めない。
そして秋の早い日没時間と所要時間の計算が甘いケースが多かった。
「道迷いの夜間捜索だからさ、ビバークになるかもよ。宮田くん初だな、」
「ああ、覚悟していくよ」
11月中旬、夜間の気温は0℃を下がる事は無い。
それでも奥多摩の秋の夜は寒い、けれど遭難者は軽装備でいる。
出会えた時に保温をしてやりたい。英二は携行食とカイロを、多めにザックへと入れた。
仕度を整えてから、英二は診療室へと向かった。
すぐ戻るつもりだったから、救急法のファイルを置いてきてある。
ファイルの引きとりと、この後の手伝いが出来ない詫びに行きたかった。
食堂の前を通った時、良い匂いがした。
ちょうど夕食の準備時だから、お願いできるかな。
思いながら厨房を救助服姿で覗くと、すぐに調理師が気付いてくれた。
「宮田くんと国村くんの分でいい?」
「はい、お願いします。あとすみません、ちょっと診療室に行って来ていいですか?」
「もちろん。その間に用意しておくよ」
これで夕飯の弁当を確保できた。
ありがたいなと思いながら、英二は診療室に扉を開ける。
英二の姿に、すぐ吉村は気がついて微笑んでくれた。
「今からか、場所は?」
「鷹ノ巣山です。道迷いなので、居場所特定が難しそうです」
すみませんと英二が詫びると、いいんだよと吉村は笑ってくれた。
「じゃあ宮田くん、初ビバークになるかもしれないな」
「はい、そう思うと楽しみですね。遭難は困りますけど」
そうだなと微笑んで、吉村は言った。
「うん、気をつけて帰っておいで。救急用具を忘れずにな」
「はい、」
微笑んで英二は、ファイルを携えて診療室を辞した。
吉村の微笑みは、どこか心配そうな目に見えた。きっと息子を想ったのだろう。
今夜と明朝、吉村にはメールをした方が良いかもしれない。
自室のデスクへファイルを戻すと、ザックを持って部屋を出る。
それから食堂へ寄って「気をつけて」の言葉と弁当の包みを受け取った。
その足で降りて青梅署前に出ると、ちょうどミニパトカーが入ってきた。
助手席に乗り込むと、国村が笑った。
「お、旨そうな匂い」
「ちょうど夕飯の支度中でさ。タイミング良かったんだ」
「こういうの、宮田くんて上手いよな」
細い目を笑ませて、国村が褒めてくれる。その言葉の80%は、まともな夕食確保への満足だろう。
遭難救助はもちろん緊急招集だから、携行食で食事を済ます事も珍しくない。
そして国村は良く食べる。だから携行食だけの時は、本当は機嫌が悪い。
信号停止すると国村は、早速に唐揚げを口に入れた。うまいなと飲み込むと、国村は言った。
「今夜はさ、ダブル遭難なんだよね」
「じゃあ、もう片方に岩崎さんは行ったんだ」
「そ。川苔山でさ、20代後半カップルの道迷い。古里駐在の田代さん、川井駐在の青木さんと入山したよ。
鳩ノ巣から藤岡くんも捜索に出ている。捜索開始から1時間経つけど、まだ遭難者とは出会えていない」
川苔山には、英二は最初の自主訓練で登った。国村に連れられて藤岡と歩いている。
ルート次第では分岐が多く、作業道などが解り難い印象がある。
「本人たちにも、自分の位置が把握できない状況?」
「そ、全く解っていない。しかも女の子は体調すこし崩している。
だから向こうに人数出していてさ、こっちには非番の宮田くんが召集されたんだよ。あ、これ旨い」
機嫌良く揚げ茄子を飲みこんで、こんどは俵むすびを一口で頬張った。
国村は腹が減っていたらしい、急なのに対応をしてくれた調理師に英二は感謝した。
信号待ちが終わって走りだすと、国村は続けた。
「しかもさ、ライト無しで立ち往生だって。でも携帯電話は持ってるんだよね」
登山には「三品」と呼ばれる必需品がある。
雨具、照明具、水筒。軽ハイキングでさえ、これらは必携だった。
携帯を忘れたとしても、その三品は持っていくのが山のルールになる。
困ったことだなと微笑みながら、英二は登山地図を広げながら訊いた。
「鷹ノ巣山の、遭難者の年齢と、出発時間、出発地は?」
英二も唐揚げを口に入れながら、運転席をみた。
煮物を飲みこんだ国村は、それがさと呆れた口調で言った。
「20代前半のカップルだってさ。11時頃にね、峰谷橋に車置いてさ、頂上まで行ったらしいよ」
「…あ、それは無理だな」
国村と一緒に、英二も呆れてしまった。
11月中旬、東京の日没は16時半。そのルートでその時間に登頂では、まず日没前に下山できない。
鷹ノ巣山は標高1736.6m。正午近くから出発して登れる山ではなかった。
こういう無計画では、装備も整えていないだろう。
「その人達もライトとか、何も持っていない?」
「そ。まあ、山にもコンビニあると思ったんじゃない」
飄々としても言葉はキツイ、国村は怒っている。国村の怒りは当然だろうと英二も思う。
国村はトップクライマーだった両親を、不運な遭難事故で亡くしている。
その両親の薫陶に、幼少時から山ヤとして育った国村は、山を馬鹿にする態度を好まない。
淡々とした口調で、国村が口を開いた。
「これを遭難と言うならさ、登る前から遭難しているよ」
山の脅威も知ろうとせず、山を歩くべきではないだろう。
そうした不注意さの為に、こうして山岳救助隊員は夜間登山に入る。
「うん、そうだな」
後藤副隊長も怒っているだろうな。
答えながら英二が思っていると、運転席から国村が言った。
「携帯あるならさ、救助要請じゃなくて家に電話するべきだろ。ビバークするから心配するなってね。
連絡くれた時にさ、後藤副隊長も怒ってたよ。
こんな出鱈目な登山者達に、なんで山岳救助隊が出動しなければいけないんだ。ってね」
夜間の山は視界が悪く、夜走獣の遭遇など危険も多くなる。
自分達は警察官で山岳救助隊員だから、もちろん任務だ。
しかし任務とは言え、本人の不注意が他人を危険にさらす事実には変わりない。
そういう無神経な登山者の姿勢は、正しい姿だとは思えない。
けれど8か月前の自分は、たぶん彼らと同じだった。
警察学校で真実に向き合う姿勢を学び、周太と出会って誇りを知り、そして山岳救助隊員としてここに来た。
それらが自分を、こんなふうに救助する側にまで育ててくれた。
7ヶ月半の出会いを与えられなければ、今の自分は彼らと同じかもしれない。
運命は、本当に解らない。車窓の闇に沈む稜線を見ながら、英二は思った。
奥多摩交番に17時半過ぎに着いた。
後藤副隊長は既に、小河内地区の救助隊員2名と先発している。
待機している畠中から、登山地図を見ながら状況説明を受けた。
「奥集落から浅間尾根を経て鷹ノ巣山頂に15時に着き、15:10に下山開始している。」
「…13時半の時点で引き返しなよ、」
ぼそっと国村が言って、畠中も笑ってしまった。
国村の言う通りだった。そんな判断も出来ないのは甘すぎる。
日暮れ1時間半前に頂上に着いたら当然、日没は山中で迎える。
登りのペース次第では、途中で引き返し下山する。日暮れ前に下山するつもりなら、そういう判断は当然だった。
「下山は別ルートになる。榧ノ木尾根を倉戸山経由で熱海に出る予定だった。
倉戸山から峰谷方面に1時間半下った所で道に迷った。そして崖の上に出て、暗闇もあり行動不能になった」
ふうんと呟いて、国村が淡々と言った。
「転落しなくて良かった、そんな危険な救助は御免です」
口調は普段通りだが、言葉がきつくなっている。
自分達と彼らは同年代になる、だから余計に甘い態度に怒っているのだろう。
きっと国村が遭難者発見をしたら、彼らにとっては2度目の遭難になるだろうな。
そんなことを英二は思いながら、地図を見つめていた。捜索前に地形図をきちんと、頭に入れておきたい。
「後藤さんが本人の携帯に連絡して、現況確認したくれた。
道路の街路灯が遠くに見える、近くで沢の音が聞こえる。その2点だ」
あれと英二は思った。
倉戸山から1時間半を下って、街路灯が見えている。普通に考えれば青梅街道の街路灯だろう。
すみませんと断って、英二は訊いてみた。
「倉戸山頂からのコースなら、どれでも1時間も歩けば青梅街道に出ますよね」
「ああ、でもまだ山中にいる。倉戸山頂から下りて、途中で左の道に入ったらしい。
女ノ湯コースだろうと後藤さん達が入山したが、まだ出会えていない。呼びかけも聞こえないとの事だ」
青梅街道の街路灯が見えながら、女ノ湯コースからの呼びかけが聞こえないのは違和感がある。
その街路灯は青梅街道ではないかもしれない。そう思っていると国村が口を開いた。
「それたぶん、全然違う場所にいますね」
「ああ。赤色灯の目視で位置確認するしかないな。そろそろ後藤さん達も、パトカー移動を始めるだろう」
話している傍で、奥多摩交番の無線が入った。畠中が受けると、やはり後藤からの指示だった。
「後藤さん達は坂本園地から倉戸山に入るそうだ、川野駐在所に移動したパトカーの赤色灯が良く見えるらしい」
それならと国村が言った。
「雨降谷を挟んだ、対岸のノボリ尾根からも見えますよね」
「ああ。でも今は、あっちのルートは廃道になったはずだが」
「はい。ですが、榧ノ木山頂あたりにね、峰谷方向を示す道標がまだあるんですよ」
なるほどと畠中が頷いた。初心者なら道標を鵜呑みにしても不思議はない。
国村の判断は正しいだろう。
そう思ってみていた国村の目が、すっと細まり嘲笑した。
「廃道にはコンビニあると思って、ライト買いに行ったのかもね」
底抜けに明るい国村だから、普段なら冗談だろう。
けれどこの嘲笑は、色白で顔が整っているだけに酷薄さが強い。
こういう国村はちょっと怖い。そう思って見ていると畠中と目が合った。
困ったなあと畠中の目も言っている。きっと英二と同じ事を感じているのだろう。
「じゃあ俺たちは、峰谷からノボリ尾根の廃道へ行きますね」
微笑んで国村が立ちあがった。
その道を彼らが通っていないと良いな。そんなふうに英二は思う。
国村は冷静沈着で大胆で、自由人だ。
相手が誰であろうが関係なく、これだけ怒らせたら何を言うか解らない。
奥多摩交番を出かけた時、川苔山の遭難救助が完了した。
良い報告で良かったと思っていると、英二は畠中に呼び止められた。
なんだろうと戻ると、アーモンドチョコレート一箱と一緒に、耳打ちをくれた。
「これ食わせてさ、国村の怒りを少しでも宥めてくれ」
国村はアーモンドチョコレートが好きだ。
けれど国村のああいう怒りは、そう簡単に収まると思えない。
「言い難いですけど、きっと無理だと思いますよ?」
「まあな、多分無理だと俺も思うよ。あいつ山には純粋だからさ」
困りながらも、畠中は微笑んでいる。きっと、そういう国村が好きなのだろう。
山ヤは同じ山ヤ仲間を大切にする。
国村の態度は山ヤとして、純粋無垢だからこその怒りだ。そういう国村は山ヤとして美しい。
英二もそういう国村は好きだ。仕方ないなと笑って、英二は答えた。
「善処はします。でも責任は負えませんけど、許して下さいね」
ミニパトカーに乗って、英二は無線を後藤副隊長へと繋いだ。
ノボリ尾根廃道へ向かう旨を告げると、適確な判断だと後藤は国村を褒めた。
それから笑って、後藤は英二に言った。
「そっちが見つける可能性が高そうだな。でも11月でこの時間からだ、22時位になったらビバークして構わない」
「はい、了解です」
「むしろビバークしてくれ。一晩、山で過ごさせてな、国村を少し落着かせてくれ」
救助を急がなくても良い、そう後藤は言っている。
念のため、英二は確認してみた。
「はい、それは最優先事項ですか?」
「ああ、今はまだ気温も0℃を下がらん、凍死の心配はない。彼らにも良いお灸になるさ」
なんだか随分、みんなして国村を気にする。以前、余程の事をやったのだろう。
敵に回したくないタイプだと、英二も国村を思っている。
ちょっと考えていると、後藤がすまなさそうに頼んできた。
「国村なあ。以前に不用意な道迷いで救助した、さるお偉いさんを号泣させた事があってなあ」
「それはまた、信憑性の高い話ですね」
国村は冷静沈着だが大胆なところがある、そして自由人だ。
才能あるクライマーで、兼業農家でもある国村は、畏敬の対象は山と自然になる。
そういう国村にとって、社会的地位など小さい事に違いない。
やりかねないなと英二は、可笑しかった。
「宮田にはな、人を落着かせる心の技術がある。国村のフォローもできるかなって、俺は思うよ」
そういう信頼は嬉しい。
けれどちょっと安請け合いは出来そうにない、英二は微笑んで答えた。
「難しい任務ですね。けれど出来る限り努力します」
「おう、頼むよ。非番だったのに、一番の難題を済まないなあ。近々また呑もうな」
「はい、楽しみにしています」
無線を切って運転席を見ると、細い目がちらっとこちらを見た。
「宮田くんもさ、皆に頼られてるよね」
国村は冷静沈着だ。そして自分をよく知っている。
自分の冷静な暴発を、皆が遠巻きに眺めている事も、良く知っているのだろう。
やっぱり面白い奴だ、運転席へ英二は笑いかけた。
「初めてのビバークだよ俺、いろいろ教えてよ」
涼しい顔で、国村は運転しながら口を開いた。
「あの廃道はね、ビバークにいい場所あるからさ。楽しいと思うよ」
さすがだなと、可笑しくて英二は微笑んだ。
その場所は、携帯の電波が入るだろうか。周太への連絡が英二は心配だった。
いったん女の湯で給水して、雨降谷へと向かった。
廃道になった登山口から入山する。
防寒の装備を整えて、ザックを背負いヘッドランプを点灯した。
「向こうからさ、このライトが見えたら困るね」
そんな意地悪をさらっと言って、からり国村は笑った。
不届きな遭難者には近くまで援けが来たと教えたくない、のんびりビバークでもしていたい。
国村は、そんな事を言っている。
まだまだ国村は怒っている、当分は仕方ないだろう。
クライ―マーウォッチの高度セットをしながら、英二は微笑んだ。
「見えたらさ、ビバーク命令出ています、って言えば良いだろ」
「ああ、なるほどね。じゃ、まずは榧ノ木山頂まで登るよ」
使われなくなって草が茂る道を、器用に国村は踏み固めて登っていく。
国村は山林も地所に持っている、こういう作業は子供の頃から馴れているのだろう。
逞しいなと背中を見ながら、英二は後から登っていった。
20時に榧ノ木山頂付近から、後藤副隊長と奥多摩交番で待機する畠中へ連絡を取った。
ここまで遭難者とは出会えなかった、おそらく廃道からも逸れているのだろう。
後藤達もまだ、出会えてはいない。
「坂本園地から再入山したんだがな、トラメガの声は聞こえると言うんだ」
「向こうからの呼びかけは聞こえますか?」
「ああ。だが、かなり遠い。そっちからもトラメガ使ってくれるかい」
トランジスターメガホンを準備すると、国村が遭難者の名前を呼び掛けた。
繋いだままの無線から、後藤が応答する。
「遭難者から、かなり大きく聞こえると電話が来ている」
「了解です、では10秒後に、彼らから呼びかけをお願いします」
一旦、トランジスタ―メガホンを切った。
尾根を夜風が渡る音が、谷間にも響いていく。上空の雲の動きが速い。
すこし風が強いようだ、このまま晴れると夜間は冷え込むだろう。
10秒後、山頂を向いて右手後方斜面から、男女の呼び声が聞こえた。
倉戸山からは対岸の斜面にあたり、底は雨降谷になる。
「雨降谷へと降りる、仕事道にでも入ったんだね」
やれやれという顔をして、国村はトラメガを持ったまま腕組んだ。
繋いだままの無線で後藤に報告をする。
「雨降谷方面から声が聞こえました。こっちの尾根から仕事道に迷った様子ですね」
「どの仕事道なのか、こう夜間の特定は難しいだろうな。国村の様子はどうだ?」
英二は少し離れた所に立つ国村を振返った。
谷を見下ろす国村の背中には「めんどうくさい」と書いてある。
可笑しくて英二はちょっと笑って、無線に話しかけた。
「背中に、文字が見えています」
「あいつ、めんどうくさいんだな。じゃあ、谷への下降はもう止めた方が良い」
笑って後藤は続けた。
「尾根筋からトラメガで呼びかけてくれるかい。それで場所の特定だけは、夜の間に済まそう」
「はい、了解です。5分ごとに呼びかけます」
山頂から来た道を戻りながら、トランジスターメガホンで呼びかけ、応答を聴いていく。
それから一番大きく聞こえた場所に戻り、再度の呼びかけをしてみた。
木の幹が挟んだ、藪の底の道がヘッドランプに照らされる。
しゃがみこんだ国村が、道の様子を夜闇に透かし見ると口を開いた。
「これさ、仕事道どころか、獣道だって思わない?」
見上げた照明に照らされた木は、大きくて立派だった。
木の幹が門の様にも見えたかもしれない。言われてみれば、間違えやすいかなと英二は思った。
だが道は、最初は広いようだが、奥は細く藪に呑まれるようだった。
無線で後藤に報告し、遭難者の話と照合すると、どうもこの道を降ったらしい。
「崖近く通る道だ、夜間降りるのは危険だろう。今夜はここまでにして、ビバークしてくれ」
時計は22時半を過ぎている。頬を撫でる風も冷たい。
この場所を地図へとチェックを入れながら、英二は後藤に訊いてみた。
「はい、了解です。トラメガで再度、遭難者に呼びかけて励ましますか?」
「そうだな、近くに居るならと安心するだろう。ただな、宮田が呼びかけた方が良いぞ」
けれど英二が会話している傍で、カチリとトラメガのスイッチ音が聞こえた。
振返ると、トラメガの送話口を、国村が口許へと当てようとしている。
仕方ないなと英二は、後藤に告げた。
「すみません後藤さん、手遅れです」
「あ、あいつもう、スイッチ入れたな?」
雨降谷に、国村の大声が響き渡った。
「遭難者Tさん!自力で朝まで頑張って下さい、出来なきゃ男を辞めちまいな!では、朝までごゆっくり!」
無線の向こうで、笑い声がどっと響いた。
からっと明るい男気と、痛烈な皮肉と厳しさが、国村らしい。
可笑しくて、英二も笑ってしまった。笑う英二に無線で後藤が言った。
「思ったよりも、酷くなくて良かったよ」
ちょっと安心したように言って、でもなあと後藤が笑った。
「実際に顔合わせた時は、ちょっと解らんからなあ。まあ一晩、機嫌よく過ごさせてくれ」
「努力はしますけど、」
なんだか宿題を、朝まで持ち越された気分だ。
そして今夜はずっと国村につき合う事になる、どうなるかなと英二は可笑しかった。
(to be continued)
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