萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

萬紅、始暁act.3―another,side story「陽はまた昇る」

2011-11-28 23:08:17 | 陽はまた昇るanother,side story
「いつもの」つなぐ想い




萬紅、始暁act.3―another,side story「陽はまた昇る」

クリスマスの訪れ待つ街。
街路樹の梢、かがやき光まばゆい。
あわい光つらなって、ビルの谷あたたかい。
17時半過ぎに戻った新宿は、週末を迎えて姿を変えていた。
奥多摩へ向かった水曜日、戻ってきたいま土曜日で、すっかり空気も光も違う。
あわい光のイルミネーションに、街中どこか冬が楽しげにいる。

あわいブルーの光、雪のような光。たまにオレンジ。
きらびやかな清楚な光の街は、ホワイトクリスマスを望む色。
ホワイトクリスマス、それは雪ふる聖夜。

…雪、

イルミネーションの色すらも、心に不安を誘う。
英二は山岳救助隊員として今冬、雪ふる山の遭難救助に初めて立つ。
そうした雪山での任務の危険に、思わず不安が募るから。

「…ん、」

不安に克ちたい、そっと周太は呟いた。

「もう、決めたんだ」

もう自分は心を決めた、ひとつの勇気が心刻まれた。
だから泣かない、不安の予感に負けない。
怯えてばかりはいない。

新宿署独身寮の自室、荷物をおろした。
そうしてすぐに扉開いて、廊下で待つ英二に笑いかける。

「お待たせ、英二」
「おう、」

きれいに笑って、英二が凭れた壁から身をおこす。
端正な長身をすこし傾けて、うれしそうに隣から、周太を覗きこんだ。

「じゃ、行こっか」
「ん、」

そう、もう自分は、怯えてばかりはいない。
だってこの隣は、雪山をも心から楽しみに、山ヤの警察官になったから。
だから自分も楽しみに待つ、この隣が見つめる雪山の想いを、語り聞かせてくれること。

そうして愛する隣の想いを、分ち理解して一緒に共感して、もっと心深く繋がりたい。
そうしたらもっと愛し愛されて、この隣は約束の通り必ず帰ってくる。

―愛しているだけ、必ず周太の隣へ、俺は帰られる―

愛する想いは逢いたい想い。逢いたい想いの強さから、人は生きることを望む。
愛する想いが強いほど、逢いたい想い強く繋いで、生きる原動力が強くなる。
だからどうかもっと、愛してほしい、愛されたい。
愛されることで英二の命を救える。だからもっと愛されたい、生きて笑ってほしいから。

そうしてどうかずっと、自分の隣へと帰ってきて。ずっと隣で、きれいな笑顔で佇んで。
笑っていて、幸せでいたい、もう離れたくはない、愛している。
だから愛される為ならば、自分はもう、何だって出来てしまう。

だから今この時も、愛される為に自分は生きる。
だから今この時にみる、ホワイトクリスマスの光だって笑って見る。
だってこの愛する隣は、ふる雪の冷厳を知ってすら、ふる雪に想いをむける。
だから自分も同じように、雪へ想いをむけて、この隣と心重ねていく。

「周太、どっか寄りたいとこ、ある?」

駅の西口まで来て、英二が笑って訊いてくれた。
出来れば今日中に、欲しいものがある。
すこし遠慮がちに、周太は訊いてみた。

「あの、英二、ちょっと買物に寄っていいか?」
「うん、いつもの本屋?」

最初の外泊日、一緒に行った書店。
紺青色の表装『Le Fantome de l'Opera』英二が書棚から取って渡してくれた。
あれから外泊日には、あの書店にも何となく、一緒に立ち寄っている。
今日も、そう、欲しい本があるかもしれない。

「あ、うん。それも。あと、その隣のね、クラフトショップに行きたいんだ」
「じゃあ南口だな、この近道で行こっか」

そう周太に笑いかけると、英二は百貨店の谷間へと足をむけた。
西口と南口を繋ぐ小道。花屋とカフェと色々、小さく瀟洒な店が並んでいる。
あのカフェは英二が好きな、クラブハウスサンドがあったな。
思いながら見上げた坂道の入口、周太の瞳が驚いた。

「…あ、」

小道の坂の壁いっぱいに、光の滝があふれる。

いつもと同じ道、けれどいつもと違う。
瞳大きくして周太は、立ち止まったまま、坂道を見上げていた。

「かわいい、周太、」

きれいに笑って、英二が周太を覗きこむ。
きれいな長い指が、周太の掌をとってくれる。

「ちょっと指が冷たい?周太、」
「あ、ん。そう、かな?」

英二は端正な顔を、すこし夜空に仰向けた。
白皙の頬を、黒い襟が夜風に掠めて撫でる。

「うん、ちょっと風、出てきそうだな」

周太の隣に立つ、端正な長身の英二。
山闇のように黒いミリタリージャケット、ビルの風に翻して立っている。
白皙の頬と黒髪と、黒いジャケットコート姿を、光の滝に照らされていた。
山での英二は明るく快活に眩しく、まばゆい。
けれど新宿の立ち姿も、どこか眩しくて、きれいで、見つめてしまう。
きれいだな。思って見上げる周太に、きれいに英二が微笑んだ。

「周太、」

きれいに笑って名前呼んで、長い指にとる掌に、そっと端正な唇よせた。
すこし冷たい指に、そっと温もりがふれた。

「ほら、冷えてる」

きれいな切長い目、やさしく微笑んだ。
ふれる温かな吐息が、冷たい指をとかしだす。

「…ん、」

都会のビルの谷間、冷たい指、けれど唇の想いが温かい。
うれしくて、けれどやっぱり気恥ずかしくて。
困ってしまう。

どうしよう。

それでも昨日、初雪が降った。
イルミネーションすらホワイトクリスマス、雪ふる予兆。
今夜にまた別れて、ふたり離れる。雪山からの無事を願い、英二を想う日々が始まる。
今夜また別れたら、次にいつ逢えるのかも、まだ解らない。

だから。
気恥ずかしいけれど、今、このときの幸せを見つめたい。
微笑んで、周太は隣を見上げた。

「…ん、ありがとう、英二。温かい、」
「うん。ちょっとは冷え、治ったかな、」

端正な唇を指から離して、きれいに英二が微笑んだ。
そうして英二は、そのまま周太の掌を片方、ミリタリージャケットのポケットに入れた。
ポケットの中、長い指に指からめた英二が笑う。

「ほら周太、あったかいだろ?」

こんなこと、初めてのこと。
どうしたらいいの?なんて答えたら。

山の夜籠めるブラックカラーの隣。
その内側に納められた掌、なんだか熱い。
気恥ずかしい、けれど、うれしい。恥ずかしい、けれど、幸せが温かい。

そう、幸せが温かくて、うれしい。
この想いを今、伝えられたらいい、微笑んで周太は隣を見上げた。

「…ん、温かい。幸せだよ、英二」

きれいな笑顔が、英二に咲いた。
うれしそうに笑って、周太の瞳見つめて言ってくれる。

「行こう、周太?」
「ん、」

ポケットのなか、繋いだままの掌。
気恥ずかしい、けれど幸せの温もり繋いで、街ふる光の小道を歩く。
小道の壁あわい黄金の光は、ブナの木洩陽にすこし似ていた。

「きれいだな。周太、楽しい?」

山の黄金の光、街の黄金の光。
どちらの中でも英二は、きれいな笑顔にまばゆい。
見上げて、幸せで周太は微笑んだ。

「ん、きれいで、楽しいな」

クリスマスの街を誰かと歩く。これも初めてのこと。
想いの人と、こんなふうに。幸せそうな光の街を歩くのは、なんだか少し面映ゆい。
隣で英二が、きれいに笑ってくれる。

「こういうのって、恋愛ですって感じでさ、いいな」

こういうの。
こういうとき、冷えた指を吐息に温めて。
こういうふうに、ふたり手を繋いで歩くこと。
こういうふうに、繋いだ掌をポケットで温めてもらうこと。
そうして想うひとと、クリスマスを待つ街を歩くこと。
初めて恋して、愛する、唯ひとつの想いの唯ひとりのひと。その人と。

「…ん、いい、ね」

でも、って思う。
でもきっと、この隣は、他の人とこんなふうに、歩いたことがあるだろう。
だって自分は知っている、この隣がどんなにか、人の目を惹く存在か。
ほら今もう、きれいな笑顔が咲いている。

「こんなふうにさ、周太の隣を歩けて俺、ほんと幸せだよ?」

こうして寄せてくれる自分への想い。
ほんとうに英二は、自分より深く愛した相手は、今まで他に無い。
そのことは、疑いようもなくもう、解らされて知っている。だって英二はいつも、率直すぎるから。
けれどきっと、こういうふうに。誰かと歩いた時は、たくさん持っているだろう。

自分には初めて、けれど英二にとっては、…いったい何度めだろう?

思って見上げた隣、きれいな切長い目が、周太を見つめてくれる。
ポケットの掌をそっと握って、うれしそうに英二が笑った。

「俺ね、こういうふうに誰かと歩くの、初めてなんだ」
「…え、?」

ほんとうに?
ううん、そんなこと、あるはずがない。それくらい今は、解る。

だって出会った校門前でも、女の人の運転する車から降りてきたでしょ?
だって寮を脱走した時も、女の人が妊娠した、そう思ったからでしょう?
恋愛とかそういう関係とか、自分は確かに幼稚すぎて、物知らず。
けれどでも、それくらいは、もう解る、そういう時間と夜を、過ごした経験が英二にはある事。

自分は初めて、けれど英二は違う。それが少しだけ、哀しい時もある。
けれどお願い、大丈夫だから。

「俺もね周太、初めてだよ」

大丈夫だから、そんなふうに俺に、合わせないで?

「いや、…俺にさ、合わせないで、よ?」

合わせられるのは、哀しくなるから。

「だってさ、俺の初恋は周太だ。そのことは、周太も解ってくれている。だろ?」
「…ん、それは、そう。だけど、」

英二は自分が初恋、そう、もう解っている。
ほんとうに英二が想ったのは、自分が最初で最後、もうそう解っている。
率直すぎるほど、実直な英二。真実に誰かを想ってしまったら、手離せるわけがない。
美しい正直なままに、身勝手で強引な英二。自分が心底求めたら、無理にも掴んで逃がさない。
だからもし自分の前に、そんな出会いがあったなら。今頃は他のひとが、英二の隣にいるはず。
だから自分が最初で最後と、そう解ってしまう。それが充分すぎるほど、自分には幸せだ。

でも、こんなふうに手を繋いで歩くのは、きっと、…これは何度め、なの?

「…でも、誰かと歩くのは、初めてじゃない、ね」
「うん、歩いた位はね。でもさ、初めてなんだよ?」

やさしい英二、きっと自分の心を想ってくれている。
自分は初めて、けれど英二は違う。それが少しだけ哀しいと想う、そんな自分を慰めたくて。
でもそんな、やさしい嘘は自分達には、必要ない。だって全てが真実、自分達の想いと繋がりは。

だからね、どんな嘘も要らない。ね、英二?

想いに見上げた隣で、きれいな切長い目が微笑んだ。
微笑んだ目が告げる、「ほんとだよ、」そして微笑んだ唇が、静かに開いて告げてくれた。

「誰かの冷たい指をさ、唇と息で温めたことはね、俺、初めて」

初めて?
意外で見つめる想いから、英二が見つめ返して教えてくれる。

「こうしてさ、ポケットで掌を温めて繋ぐのも、俺は初めてなんだ」

初めて、ほんとうに?
だって今までずっと英二は、たくさんの彼女達といたのに、なぜ?

「…なぜ?」

疑問が心にあふれだす。
あふれる疑問が詰まって、周太の唇をふるわせた。

「…だって、今までずっと、付きあった人たくさん、いただろ?」
「うん、いたけどな。でもさ、」

ポケットの掌、やさしく握りしめてくれる。
見上げる瞳やさしく微笑んで、英二は答えてくれた。

「今までの彼女達にも誰にもさ、こんな事したいとはね、思わなかったんだ」

ほんとうに?

「…そう、なの?」
「そうだよ、周太」

きれいに笑って、英二が答える。
きれいな笑顔で見つめて、繋いだままの掌で惹きこんで、そっと通りの端へと抱き寄せられた。
端正な長身をすこし傾けて、周太の瞳のぞきこんで、微笑んで告げてくれる。

「こんな事もね、どんなことでも、周太にはしたい。
それでさ、周太の笑顔をみたい。こんなの周太だけだ、だから周太がね、初めてなんだ」

あわい光、白く蒼く、それから金色。
あわい光に照らされて、こんなふうに抱きよせられている。
気恥ずかしい、けれど温かくて幸せで。この今この時が、愛しい。

「周太にはさ、笑ってほしいから、何でもしたいよ。俺ね、周太の笑顔がほんとうに、大好きなんだ」

なにより抱き寄せるひとの、想いの真実が愛おしくて、幸せで。
幸せな想いが充ちて、ほら、もう唇から、こぼれだす。

「…ん、うれしい。英二、俺もね、英二の笑顔の為ならね、どんな事もね…出来る」

きれいな笑顔が、笑ってくれる。
笑って受けとめて、周太の瞳を覗きこんでくれた。

「知っているよ、周太。だからさ、昨夜は「好きなだけ」許してくれたんだろ?」

昨夜は、「好きなだけ」
そう、昨夜は、そういうこと。

英二の「好きなだけ」を受入れたら、もっと愛してもらえる、そう思ったから。
もっと愛されたい ―愛しているだけ、必ず周太の隣へ、俺は帰られる― この約束の為そう願ってしまう。
だって自分はもう、この笑顔を、絶対に守ると決めている。
どんなに危険な山からも、救助現場からも、必ず生きて帰って、いつも隣で笑ってほしい。
そのためなら、どんな事も自分は出来る。そのための勇気だって、ひとつ深く生まれた。

でもね、英二ごめん、ちょっと今さすがに、恥ずかしくて、

「…ん、…そぅ…」

返事する声、思わず小さくなってしまう。
だって昨夜ほんとうに必死だった、だからもう、恥ずかしさも越えられた。
この今だって、必死に想っている、求めている。
でも、ちょっと、さすがに、ここでは。

「俺さ、ほんと昨夜は、うれしかったんだよ、周太。 朝起きた時にはさ、夢だったかと思ったくらい、幸せでさ」
「……ん、…」

そんなに喜ばれて、うれしい。
喜ぶ顔、きれいな幸せな笑顔。どうかずっと、無事に隣に、帰ってきてくれますように。

けれどね、英二ごめんなさい。
あらためて言われると、ちょっと、ここではもうさすがに恥ずかしい。
たぶん今もう顔も首筋も、真っ赤になっている。
けれど隣は、ただ幸せそうに笑って、うれしそうに言ってくれた。

「周太、ありがとう。でもきっとね、俺のほうが愛しているから」

堂々と、きれいな低い、透る響く声。
ほら、みんな思わず振り向いて、こっちをみている。けれど、見てくる視線には、微笑んで温かい目もある。
こういうふうにいつも、英二は堂々と明るくて、きれいに周りも巻きこめる。
こんな隣がいてくれる、自分は心から幸せだ。うれしくて幸せで、頬赤いまま周太は微笑んだ。

「ん、…愛して英二。そして俺の隣に必ず帰ってきて?」

昨夜結んだ「絶対の約束」
まるで呪文のように、なんども繰返し告げてしまう。
それでも英二は、自分の想い受けとめて、きれいに笑って答えてくれた。

「おう、絶対に帰るよ。だってさ、他の奴が周太の隣を狙ったら、俺、嫉妬しまくってヤバイから」

そんなふうに言われて、うれしい。けれど、ちょっと、

「…うれしい、けど、俺もう、これ以上は赤くなるとね、倒れそう…だから、」

そろそろかんべんしてね?
そう見上げて目で告げた、それをきっと英二も受けとめてくれた。
けれど幸せそうに笑ったまま、きれいな切長い目が覗きこんでくる。

「ほんと赤いね、周太。ほんと可愛い、周太だいすき」
「…、そぉ……」

だからね、英二、そういうのが、赤くなるんだけど。

「こういうね、周太の純粋なかんじ、俺、ほんと好き。かわいい周太、」
「…ん、…はぃ……」

英二、うれしいけど、でも、もう真っ赤で、…困るこういうの。

そう言いたかったけれど、ちょっともう、言えない。
だって、この隣の笑顔、あんまりにも幸せそうで。
だって、こんなに幸せそうに笑ってる。きっと笑顔の分だけ、愛してくれている。
だからきっと、こんなに愛してくれるなら、きっと必ず帰ってきてくれる。
そう思うともう、何も言えない。

「周太ほら、顔、見せてよ?」
「…ぁ、はい、」

西口から南口へ抜ける小道、あわい光の照らす道。
その片隅でさっきから、もうずっと英二に、抱きしめられたまま。
きっとほんとうに、傍から見たら…どうなのかな。っても思う。

けれどもう、それは問題じゃない。
ただこの隣が無事に帰る、その為だけに覚悟したから。

恥ずかしいけれど、困るけれど、でも。

「かわいくて、きれいだな、周太は。俺、ずっと見ていたい」
「…ありがとう、うれし…ずっと、見て?」

この今が英二にとって、幸せな記憶になって、愛する気持ちになって。
そうしてどんな危険にも、立ち向かい生還し帰ってくる、そんな力に成ればいい。

「おう、俺、絶対いつも、周太の隣に帰る。だから顔、見せて?」
「…ん、」

でもそろそろ、お願いしないと。
遠慮がちに周太は、ちいさな声で言った・

「…ぁの、そろそろ、買い物…行きたいな?」
「あ、そうだな。ごめんね、周太」

やっと腕ほどいて、行こうかと笑ってくれた。
けれどやっぱり、繋いだ掌はポケットに入れたまま、歩いてくれる。
こういうのは、気恥ずかしい。けれど幸せが、心の底から温かい。

「周太の体温ってさ、俺、落ち着くんだよな。だからつい、時間が過ぎてた」
「ん、…そう?」

ショップに着くまでに、この紅潮は顔だけでも治まる、のかな。
火照りを納めながら歩いて、いつもの書店のビル隣に入った。
エントランスには、クリスマスの華やぎが充ちている。
クラフトショップもそんな、迎える冬に華やぎを夢見ていた。

「ふうん、すっかりクリスマスだな」
「ん、きれいだね」

エスカレーターで7階へ向かう。
「理化学用品」コーナーへ行くと、シリカゲル粉末シートとチオ尿素を見つけた。
それから携行用の「植物標本・押花キット」が見つけられた。コンパクトで、弁当箱サイズになっている。
こういうのは出先で使えて便利だろう、一緒にレジへと持って行った。
英二は隣から、不思議そうに眺めている。何に使うんだと切長い目に訊かれて、周太は笑って答えた。

「これはね、植物標本に使うんだ」
「あ、雲取山で見つけた落葉とか?」
「ん、そう。押葉にしてね、採集帳に貼るんだ」

雲取山と御岳山で、見つけた落葉たち。
きちんと押葉にして、残しておきたくなっていた。
奥多摩の山懐で。父の記憶と素直に向き合って、この隣と“初めて”を積んだ。
想い深い、奥多摩の3つの夜と3つの暁。
その日付を見つけた落葉と一緒に、記しておきたかった。

「周太、」

きれいな低い声で、名前を呼んで。
きれいに微笑んで、英二が訊いてくれる。

「その採集帳、こんど見せてくれる?」

父と作った採集帳、そして今回の想いを加えるページ達。
13年前までの幸福だった自分と、13年を超えて幸せに今いる自分で作る。
見てもらえたら、きっと嬉しい。
なによりも、「こんど」の約束が嬉しい。微笑んで周太は頷いた。

「ん、こんど、必ず見て?」
「うん、楽しみだな」

そんなふうに話しながら、ショップから通りへと出た。
街路樹もLED燈が、清楚な光を見せている。
あふれる光を眺めながら、他愛ない話に歩くのが楽しい。
そういえばさと、英二が周太に笑いかけた。

「周太はさ、今、ほしい物とかってある?」

ある。

「…ん、」

ちいさく頷きかけて、周太は止まった。
だって自分が今ほしいもの、ちょっと言い難い。
それにこういうことって慣れていない、どうしたらいいの?

なんだか首筋も頬も、やけに熱くなってくる。
たぶんきっと、真っ赤だろう。

「周太?」

どうしたのだろうと隣が覗きこんでくる。
ちょっとまって今はだめなのこっちみないでいて?
気恥ずかしくて周太は、軽く瞳を伏せてしまった。

「どうしてそんなに、恥ずかしがるんだ?」

ちょっと困ったような、きれいな低い声が訊いてくる。
困らせたくない、けれど今たぶん自分のほうが困ってしまう。
だってなんて言っていいのかすらほんとに自分でも解らない。

「周太?」

でも、何か、いま、言わないと。
ひとつ息すって、なんとか周太の唇から、ちいさな声が出てくれた。

「…いや、あの、…なんでもないんだきにしないで」

そう言われたって気にする。
そんな声が、隣からは聴こえてきそう。
けれど英二は、やさしい笑顔で覗きこんでくれた。

「じゃあさ、約束。会う時にまで考えて教えて?」
「…ん、約束する、」

約束、またひとつ。あ、うれしいなと思う。

だって約束ふえるごと、英二は約束を守るために帰ってくる。
約束がザイルのように、英二の無事を繋いでくれる。そんなふうに信じてしまう。

けれど。
会う時までに、きちんと言えるようになるだろうか?
ずいぶんと自分には難題になりそう。

そう思っているうちに、いつのまにか暖簾を潜っていた。
温かな湯気の向こうから、主人の穏やかな笑顔が迎えてくれる。

「あ、また来てくれたんだね」
「はい、また来ました」
「うれしいですね、さあ、お掛け下さい。寒かったでしょう?」

きれいな笑顔の英二と、楽しそうに話す主人の姿。
話す声もどこか、穏やかな温もりに充ちている。
父の遺した、温もりのかけら。主人の穏やかな瞳の底に、父の穏やかな笑顔が見える。

「奥多摩の水でつくったビールなんですよ。俺がいる山の水です、旨いですよ。おやじさんもね、飲んでみて下さい」
「じゃあ、すみません。ありがたく頂戴します」

土産をうけとる主人の瞳は、謙虚な喜びがきれいだった。
父が命を懸けて救った、この主人の命と心。そして父が遺していった、温かな想い。
父の想いは今夜も大切に守られて、カウンターのむこうで生きている。

…ありがとうございます

そっと心に呟いて、周太は微笑んだ。
微笑んだ手元に、そっとメニュ―表を長い指が出してくれた。

「ほら、周太。なに頼む?」

いつもの寛いだ雰囲気、今夜もうれしい。
そして今夜は隣に、大好きな笑顔が座ってくれている。
きれいな笑顔を見上げて周太は、幸せに笑って答えた。

「ん、いつもと同じの」
「またかよ、」

すこし呆れたように、けれど楽しそうに英二が笑ってくれる。
カウンターのむこうからも、穏やかな声で主人が笑いかけてくれた。

「またですか、」

こういうのはなんだか、うれしい。
うれしくて、きれいに笑って周太は答えた。

「はい、またです」

やさしい英二、穏やかな主人の笑顔。
それから奥多摩にいる、やさしい温かな場所、会いたい人たち。
そしてこの新宿の、同期の深堀や同僚先輩たち、あのベンチ、英二との大切な場所の数々。
どれもきっと、13年前の事件が無かったら、出会えなかった。

13年前、父は死んでしまった。
それを良かっただなんて、決して思えない。
けれど父の死を見つめ生きてきた、自分の軌跡を無かったことになんて、もう出来ない。
苦しかった哀しかった、それでも、どの全てもが、自分に必要だったと素直に認められる。

そしてこの店の主人も、13年前に父と出会えなかったら。
こんなふうに穏やかに微笑んで、客として訪れる人へ温もりを分ける。そんな生き方は出来なかった。

13年前に父は殺された。
そのことは、誰にとっても苦しみだった。
けれど今こうして、父の遺した想いに抱かれて、この主人も自分も、幸せに笑っている。
そのことを否定なんて出来ない、後悔も出来ない。

あのまま幸福に生きた人生と、今この生きる人生と。
もし選べるというのなら、きっと、今この人生を選ぶだろう。
だって13年間を苦しんだからこそ、この幸せの温かさに、気づける自分でいる。
13年前に砕かれた、ただ幸福に笑っていた笑顔。
あの笑顔よりきっと、今の自分の笑顔のほうが、美しい。
だって今の自分は、苦しみ知るからこそ見つめられる、唯ひとつの想いに生きるから。

13年間の長い冬。
そこから自分を救った、愛するこの隣。
そうして知った、唯ひとつ深い想い、愛することの意味、生きることへの誇り。
与え合う温もりの尊さ、誰かを幸せにできる喜び、それから笑顔の美しさ。

この隣と出会って、ほんとうに生きる自分になれた。
そんな自分のこと、心から誇らしい。
そしてこの隣に座れること、帰ってくる場所であること、いつも誇らしい。

「周太、ほら、気をつけて」

温かな器を、そっと前に置いてくれる、大きな掌。
やさしく微笑んで、見つめてくれる、美しい切長い目。
そしてきっと自分の言葉に、こんどは喜んでくれる。

「ありがとう、英二。うれしい、な」

ほら、隣の顔が、もっと笑顔になる。

「うん、俺もね、うれしい。周太が、うれしいと俺、幸せだ」

きれいな笑顔、自分の言葉で咲いていく。
きれいな笑顔、見つめていれば幸せで、愛しくて。ずっと見つめていたい。
そんな幸せの温もりは、いつも泣きたい程に、愛しい。

だから想う。この隣と出会えない人生なんて、自分はいらない。



(to be continued)


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