◇◆◇帰って来た嗜好の隠れ家blog◇◆◇

嗜好な事や色々の思った事を再び書き連ねます。

あなたはパン派?ごはん派?

2006年04月10日 23時00分29秒 | 今週のお題
今回は難しい質問だなぁ~…
筆者は御飯派でも有るし、パンはでも有ります。

 両方それぞれに良さが有り、甲乙付け難いですよ。

 まぁ、朝食をどちらで食べているか?
と言う前提を念頭に置いた質問っぽいですけどね、
 最近朝食はちゃんと食べて居ないからなぁ~…(汗)

 ただ、朝食に限れば筆者は御飯に味噌汁がしっくり来るかな?
って感じです。
 朝にパンを食べる状況は、だいたいマックのブレックファーストを食べる時かな?

 でもね。
朝は御飯の方がシックリ来ますが、それ以外では意外とパンを好んで食べる時が有ります。
例えば洋食系の御飯だった場合は、意識してパンにしたりします。
 例えばシチューとかクリームシチューとかだと、断然パンで食べますし、
洋食でも筆者が好きなハンバーグとかカレーだと、
どちらもそれぞれの相性の良さが有るので、気分でどちらかにする事が有ります。

 こんな感じで、両方に良さが出る料理も有るし、料理によっては絶対どっちかだろう!
みたいな考えなので、どちらが好みだ。
どちらが優れて居る。
って言うのは、ちょっと判断しかねますね。

 と言う事で、この勝負引き分け!?
筆者は日和見派!と言う事にして下さい。


マクドナルド 朝マック

第九位 -隋の文帝-

2006年04月10日 02時36分41秒 | 世界@名無史楽家
 九位としてランクインさせたのは、隋の文帝”楊堅”です。
実はこの文帝、十位にランクインして居る始皇帝と、ちょっと状況が似て居るのです。
 と言うのは、実はこの隋王朝の創始者で有る文帝は、
東漢末から勃発した、凡そ四百年に及ぶ、中国の大分裂時代を統一した皇帝なのです。

 隋の前の時代区分は、南北朝時代。なので、イメージ的には有る程度収束されている。
と言う印象が有るかも知れませんが、この大分裂時代と言うのが、
国内の動乱と言うよりも、多数の異民族が流入して、その民族がそれぞれ王朝を作り、
興亡した。と言う状況だったので、西の欧州で起きていた、ゲルマン民族大移動を切っ掛けに、
(西)ローマ帝国が滅んでしまった。
と言う状況にそっくりです。
 なので、多民族の国家の興亡だったので、まさに再び中国と言う概念が、
崩されかねない状況だった訳です。
 また、動乱後半の南北朝の北朝は、その異民族国家の中で勝ち残った”北魏”だったので、
五胡十六国の流れを継承している訳です。
 その、北朝の漢人将軍家に生まれ、頭角を表し、自らの娘を皇帝の后とさせて、
朝廷内で権力を高め、やがて王朝を乗っ取るのです。

 しかし、王朝を乗っ取った時点でも、まだ天下は定まって居らず、
隋が南朝を滅ぼして、天下を取る訳です。

 隋も前王朝の屋台骨を引き継いでの出発なので、他の創業の皇帝よりは、
比較的簡単だったろう。と考えます。
しかし何故、十位の始皇帝よりも上位にしたかと言えば、
 皇帝にまで登り詰めるまで、彼独自に、そこに至るまでの策略や方策を講じて居る事、
皇帝に成ってから、天下を統一させる為に、これも並大抵では有りません。

 実は、南北朝と一言で言いますが、南北朝末期は、王朝が二つでは無く、
北朝で更に東西に分裂し、南朝も前王朝の残存勢力の王朝が存在する等、
正確には四つの王朝が存在しました。
 楊堅が将軍として世に出たのは、その様な状況の時代、
実際、楊堅も、各王朝を滅ぼすのに活躍しています。
 この様に、実際に自分で動いて働いたりもして居る訳です。、
 そして、皇帝に登り詰め、天下を統一すると、それぞれに、天下国家に成る為の改革や、
新政策の発案を行って居る事です。

 隋の王朝自体は、彼の息子の代で滅んでしまいますが、
その方向性と言うのは、次の唐にも多く引き継がれました。
彼の残した事業で、一番後の歴史にも影響を与えたのが、選挙(後の科挙)でしょう。
 それまでは、普通の君主国家の様に、王朝に仕える者は、
皆、門閥貴族等の富裕層でした。

 それを、試験により官僚の採用試験を行った事です。
これにより、貴族で無い者にも、有能で有れば、国家の禄を食む事が出来るチャンスが出来ました。
 また、天下国家として諸制度を纏め、唐の専売特許の様に成っている律令制度の礎を作りました。
ちなみに律令制度は、後に我が国でも採用されています。

 この様に、比較的簡単に前王朝を引き継ぎながら、実際に自分で動く苦労もし、
更に皇帝と成った後には、後の王朝にも影響を与える天下国家としての、
諸制度の発案・改革を行った手腕は、やはり中国の皇帝の十指には入るでしょう。
 そしてその様な理由で、始皇帝よりも一つ上として評価させて頂きました。