山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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大城・小城(井上城)③

2016-12-31 09:37:03 | 山城ー信州
東尾根へ

大晦日となりました、どなたさまもよい年でありますように。

本丸東下から城壁を見ています。

東尾根第一堀切

堀切側にある縄張り図

東尾根第二堀切

北側に下ると浄雲寺へ

浄雲寺の門の家紋は井上氏

本堂の家紋は徳川氏

浄雲寺は戦国期には井上氏の居館があったようですが、徳川時代となって松平氏寺領を寄せて家紋が変わったようです。

東尾根第一曲輪

東尾根第三堀切

東尾根第三曲輪

東尾根第四堀切、ここからは縄張り図にはありません。

東尾根第五堀切

東尾根第四曲輪

東尾根第六堀切、ここで城域です。この先に井上山があり、物見があるかと思い登って見ましたがありませんでした。

法然上人直弟子の開基〜無明塾に集う人々〜
浄運寺は建保2年(1214)法然上人の弟子である角張入道成阿弥陀仏(かくはりにゅうどうじょうあみだぶつ)が開き、寿長不乱和尚が初代住職となった長野県で一番古い浄土宗寺院。
角張入道は地元、井上の出身で、法然上人四国罪流の際に輿(こし)をかついだと伝えられている人で、以来、信濃国に念仏信仰を広める根本道場として現在にいたる歴史を刻んでいる。
車の通りを折れると600メートルにわたる参道がリンゴやブドウ畑の中をまっすぐに延びる。途中には仏教があらゆる教えの究極、最高の真理であることを表す「第一義」の碑が。やがて小高い山のふもとにさしかかると、こじんまりした仁王門が建ち、山寺の雰囲気が伝わってくる。
江戸時代の念仏僧、徳本聖者の南無阿弥陀仏の名号碑を左手に見て、急な階段を登ると、寛政6年(1794)に再建された本堂がやっと正面にみえてくる。 寺は平安時代から400年にわたりこの地を治めた井上氏の帰依をうけ祈願所として50石の寄進を受け発展、井上氏の拠点である井上城も寺の背後の山頂に築かれていた。
さらに、松平氏が寺領を寄せたことから、寺紋も葵の紋となり、家康・秀忠公の位牌が安置されている。
また、本堂の左わきにある六角堂には秘仏の釈迦如来像が安置されている。この像は長崎の海中から出現したものと伝えられ、大阪の人が善光寺東三里の東向きの寺に祀れという夢告によって安置されたと伝えられている。
寺の教化活動も盛んで、住職が昭和61年から始めた無明塾(むみょうじゅく)という勉強会が年に数回行われ(不定期)、住職のもとに集う作家や芸術家、文化人などが講演、多くの檀信徒や地域の人々がこれを楽しみに訪れている。
寺は昔から俳人の小林一茶など文人が数多く訪れたというが、この歴史は現在まで続いているようだ。 作家 中野孝次の墓もある。
浄土宗新聞平成6年2月号より記載


次回 上州 藤岡市 真下城

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