山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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小里城(おり)

2017-01-26 11:53:24 | 岐阜の山城
小里城は岐阜県瑞浪市稲津町小里にあります。

小里城地図

県道33号線ですぐに登り口案内が分かります。

目立つ案内板、反対側に駐車場があります。

説明板

小里光忠について
小里氏は土岐氏の庶流であり、明応5年(1496年)に船田合戦に敗れた土岐元頼の子・土岐頼連から始まったとされる。
天文3年(1534年)、頼連の子・小里光忠は、小里城を築城した。また、明知城の明知遠山氏と結び、遠山景行の娘を嫡子・光次の嫁に迎えた。
天文24年(1555年)に甲斐国の武田信玄の圧力に遠山諸氏が屈すると、小里光忠も武田氏に与同したとみられる。
しかし、元亀年間には小里光忠は稲葉山城を攻略した織田信長に通じており、武田信玄は「小里については隣邦からの助勢により、すでに逆心露顕のように見える。やむを得ず、残念に思うが、とりあえす許すというのを承った。その上で時期を待って成敗してほしい」と遠山景任(岩村遠山氏)と遠山直廉(苗木遠山氏)に書状を送っている。
元亀3年(1572年)5月には遠山景任、遠山直廉が相次いで死去し、織田信長は五男坊丸(後の織田勝長)を送り込み岩村遠山氏の養嗣子とし、苗木遠山氏には飯羽間遠山氏から遠山友勝を送り込んだ。
しかし、同年11月、武田信玄の西上作戦が本格化し、武田重臣の秋山虎繁の軍勢が岩村城を落としてしまう。同年12月、小里光忠は、同じく織田方であった遠山景行(明知遠山氏)、遠山友勝(苗木遠山氏)、遠山友信(飯羽間遠山氏)、東三河の奥平氏、菅沼氏、織田信広、河尻秀隆らと共に美濃国恵那郡の上村で合戦に及んだがこれに敗れ、嫡子・光次、遠山景行、遠山友勝等と共に討死した(上村合戦)。
家督は次子の光明が継いだ。ウィキペディアより 



登ってまもなく城壁が見えてきます。

縄張り図は「余湖くんのホームページ」より、御殿場城を歩いています。

ここから二の丸に入ります。

二の丸

御殿城本丸

小里城の詰め丸を登らざるをして攻略したことになりません。それは次回とします。


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