本丸から南尾根へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/08/12b0860b1e52de482cb7487a44008369.jpg)
本丸を北から見て、南尾根に進みます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/35/bc9b7d458bdf6810cb5219b6472b9153.jpg)
本丸を南から見ています。奥の土塁と虎口は二の丸へ通じています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/fb/cdbf1767c43f1388b721594f67bb9df8.jpg)
本丸南にある瘤
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/b0/cd78b6e91f8fd861117eeafcd8e8c50d.jpg)
瘤には虚空蔵菩薩が祭られています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/a7/bc1788eb2c67bd1ec919f7a943cc426e.jpg)
全体ではなくて、下方に半月状の腰曲輪が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/32/bf4bf95e0d6d0dee9c9c66020417bf53.jpg)
堀切ウ、土橋
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/59/9a56c248c71cf06545231a279457ca66.jpg)
細い尾根が20mほど南に伸びて
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/42/780a3cd224d26ca846b3c414fd861fdc.jpg)
尾根は広がり浅い堀切が確認できます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/0d/72e601362716b8cdcdcaa9cb158163d5.jpg)
さらに南尾根を下って堀切イ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/79/8c8f77726bf3d89fc4f7ff2dea08786e.jpg)
平地があり、曲輪5とします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/f2/640fafda0fef7682b91d0b9198951644.jpg)
曲輪5の先に土橋と堀切ア
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/f7/2ccc1443b520de4d1e6388c7f93adb63.jpg)
縄張り図を再度掲載します。北は右手
東筑摩郡誌には「寛元の頃(1243から46)服部伊賀守の次男大倉佐渡守の築くところ也、また一説に村上氏がこれを築き属将に守らしめたる塁柵なり。」と記述されていますが、この遺構は宮坂氏の指摘通り、戦国期の遺構であり、村上氏の築城と考えたほうが正しいと思います。
次回 長野県の戸隠栃原まで出かけて三つの山城を攻略してきました。以後お楽しみに
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/08/12b0860b1e52de482cb7487a44008369.jpg)
本丸を北から見て、南尾根に進みます。
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本丸を南から見ています。奥の土塁と虎口は二の丸へ通じています。
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本丸南にある瘤
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瘤には虚空蔵菩薩が祭られています。
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全体ではなくて、下方に半月状の腰曲輪が見えます。
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堀切ウ、土橋
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細い尾根が20mほど南に伸びて
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/42/780a3cd224d26ca846b3c414fd861fdc.jpg)
尾根は広がり浅い堀切が確認できます。
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さらに南尾根を下って堀切イ
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平地があり、曲輪5とします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/f2/640fafda0fef7682b91d0b9198951644.jpg)
曲輪5の先に土橋と堀切ア
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/f7/2ccc1443b520de4d1e6388c7f93adb63.jpg)
縄張り図を再度掲載します。北は右手
東筑摩郡誌には「寛元の頃(1243から46)服部伊賀守の次男大倉佐渡守の築くところ也、また一説に村上氏がこれを築き属将に守らしめたる塁柵なり。」と記述されていますが、この遺構は宮坂氏の指摘通り、戦国期の遺構であり、村上氏の築城と考えたほうが正しいと思います。
次回 長野県の戸隠栃原まで出かけて三つの山城を攻略してきました。以後お楽しみに