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「喰い違い」土塁、県内初確認 砺波・増山城跡周辺を調査
2018/04/11 01:59
砺波市増山にあった増山城の城下町に並列ではなく、前後にずれた土塁があったことが砺波市教委の増山遺構発掘調査で判明した。「喰(く)い違(ちが)い」といわれる前後にずれた土塁がある城下町は珍しく、市教委によると、県内では初めての確認だとしている。
市教委は昨年4~6月、北陸電力の鉄塔建て替えに伴い、かつての増山城城下町とみられた地区を発掘調査した。発掘した結果、戦国武将の佐々成政や前田利家が増山城を支配した16世紀末から17世紀初頭の集落跡が見つかった。
土塁については、長さ約84メートル、高さ約2メートルの1カ所が既に確認されており、これまでも城下町の入口部分を隔てて、土塁がもう1カ所あったのではないかと類推がされていた。今回の調査で、土を掘った空堀が確認され、空堀に沿った土を盛った土塁跡が見つかった。土塁は約58メートルで以前に確認された土塁とは並行しておらず、城下町側に入ってずれて構築されていることが分かった。
大型の柱穴をもつ建物や井戸など350基の遺構も発見された。柱穴は20~30年の短期間に、同じような位置に何カ所も掘られており、市教委は為政者が変わるたびに何度も建て替えや整地が行われたのではないかと分析している。
増山城跡では初の木製製品となる、げたや鍬、漆器わんなどが出土したほか、瀬戸美濃の陶器が城下町に搬入されたことが出土品から判明、体長40~50センチとみられるタイの骨も発見された。 北國新聞記事より
根岸城の二の丸から三の丸へ
瘤状の堀切の東に
二の丸
二の丸から北支尾根が伸びて
堀切の先に北曲輪
瘤状の堀切土塁を見返して東尾根を進むと
東尾根第二堀切
三の丸
本丸に戻り
本丸から西尾根を下って本丸側を見返しています。
西曲輪手前の堀切を右下に下れば、帰路になります。
次回 埼玉県 横瀬町の根小屋城
「喰い違い」土塁、県内初確認 砺波・増山城跡周辺を調査
2018/04/11 01:59
砺波市増山にあった増山城の城下町に並列ではなく、前後にずれた土塁があったことが砺波市教委の増山遺構発掘調査で判明した。「喰(く)い違(ちが)い」といわれる前後にずれた土塁がある城下町は珍しく、市教委によると、県内では初めての確認だとしている。
市教委は昨年4~6月、北陸電力の鉄塔建て替えに伴い、かつての増山城城下町とみられた地区を発掘調査した。発掘した結果、戦国武将の佐々成政や前田利家が増山城を支配した16世紀末から17世紀初頭の集落跡が見つかった。
土塁については、長さ約84メートル、高さ約2メートルの1カ所が既に確認されており、これまでも城下町の入口部分を隔てて、土塁がもう1カ所あったのではないかと類推がされていた。今回の調査で、土を掘った空堀が確認され、空堀に沿った土を盛った土塁跡が見つかった。土塁は約58メートルで以前に確認された土塁とは並行しておらず、城下町側に入ってずれて構築されていることが分かった。
大型の柱穴をもつ建物や井戸など350基の遺構も発見された。柱穴は20~30年の短期間に、同じような位置に何カ所も掘られており、市教委は為政者が変わるたびに何度も建て替えや整地が行われたのではないかと分析している。
増山城跡では初の木製製品となる、げたや鍬、漆器わんなどが出土したほか、瀬戸美濃の陶器が城下町に搬入されたことが出土品から判明、体長40~50センチとみられるタイの骨も発見された。 北國新聞記事より
根岸城の二の丸から三の丸へ
瘤状の堀切の東に
二の丸
二の丸から北支尾根が伸びて
堀切の先に北曲輪
瘤状の堀切土塁を見返して東尾根を進むと
東尾根第二堀切
三の丸
本丸に戻り
本丸から西尾根を下って本丸側を見返しています。
西曲輪手前の堀切を右下に下れば、帰路になります。
次回 埼玉県 横瀬町の根小屋城