山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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要害山城

2018-04-11 19:44:57 | 山城ー武州
要害山城は埼玉県小鹿野町三山にあります。

要害山城地図

国道299号線で三山地区に入り、新秩父変電所の南にある山が城山です。変電所入り口から、南回りに細い道を進むと駐車場があります。

鉄塔260号の山道を登ってゆきます。駐車場はここから東に100mくらい先です。

尾根を登って第一堀切

第二堀切

北側下の国道299号線

急な尾根を登って

登りきると西曲輪?

また急斜面の峰、この峰は滑落の恐れがあり、慎重に登ってください。危険を感じた方は北斜面を登れば急ながらも比較的登りやすいです。

二つの峰を越えて、城郭のある三つめの峰が現れます。要害山と言われるだけあって、息が切れます。

本丸北下腰曲輪

腰曲輪から北尾根を見下ろしています。

本丸北曲輪、この上が本丸ですが次回とします。

「秩父風土記」では三山村の項に、「二子山毘沙門山にて三山村という 三山五郎兵衛居跡、斉藤新左衛門」居跡。永禄13年午年(※原文のまま 史実は永禄12年とされているようです)の軍北条氏邦候の方にては諏訪部遠江守、出浦式部、久長但馬守、井上三河守、三山五郎兵衛、嶋村近江守、日野二郎三郎、蒔田彦五郎、猪俣能登守、三千人出浦式部抜馳にて甲州勢敗北、然れども軍例を背候に付北条家追放薄村に居住す、斉藤新左衛門討死す、合戦の地今に軍平という信玄落行し所を法師落という」と詳細な記述がなされています。
 また、このうち出浦氏、齋藤氏に関しては北条氏邦の感状が伝わっています。武田信玄が落ち延びた「信玄落行」や北条勢「三千人」の記述の真相は別として、この山間の狭隘な地を舞台に合戦が行われた可能性を示すエピソードとして注目に値します。 「城跡ほっつき歩記」記事より