お酒は、神代の昔から造られてきました。
酒蔵で造られ、その蔵数は全国で昭和初期には7,000以上、平成のはじめには2,500ほどの蔵がありました。それから30年、今は1,400以上の蔵で1万以上の銘柄の日本酒が造られています。
十勝では広尾で寛政の頃(1790年頃)から醸造されたようです。明治10年代には十勝漁業組合が醸造を手がけ、13年組合解散後は若松忠次郎、山崎金蔵等が酒造に当たつた。その後広尾酒造組合を経て林寅太郎個人の経営になり、林家での醸造は昭和18年まで続いた。大津村では明治20年代初期から熊谷泰蔵が10年程醸造。帯広では明治28年白浜忠吉が酒造始めで明治40年に廃業。 白浜酒造店で杜氏をして働いていた小川富吉(後に晃邦に改名)が明治33年酒造工場を建てる昭和39年に廃業。明治41年には戸井田島吉(1年のみ)、三井徳寶が操業開始して大正8年に廃業。
大正6年愛須梅次郎と宮本富次郎が共同出資で帯広酒造合資会社を創業して昭和54年廃業。明治42年坂井啓太郎開業、その後妻トクが相続する。昭和3年日本清酒株式会社の企業合同に参加し帯広工場として操業するが昭和21年火災で焼失、休造した。昭和41年幕別町札内に工場を新設して操業を再開、昭和59年に操業をやめる 明治37年加藤廣吉は幕別村白人で操業、妻カネオが相続後加藤登に譲渡する昭和19年企業整備令が施行された頃廃業。井上政之丞は太樹村で明治38年前より操業して、明治38年酒造年度限りで廃業。
本別の新津繁松は大正4年に酒造を始め、昭和13年に廃業。
芽室の山本外次郎は明治43年創業、昭和23年十勝酒造合資会社にして運営、昭和56年廃業。
清水酒造株式会社は大正12年、松山金次郎が代表で設立。昭和29年松山酒造株式会社に組織変更、昭和56年廃業。
新得酒造株式会社は昭和3年操業、昭和18年頃廃業。
名門酒造株式会社は昭和32年に松山酒造、十勝酒造、小川銘醸の三社で設立する。小川酒造廃業に伴い、昭和39年に北の鶴酒造株式会社と社名変更、昭和56年製造を終える。
「ふるさとの想い出 写真集」
十勝のお酒が消えてから25年後、平成24(2012)年に
とかち酒が誕生、音更の酒造好適米「彗星」と深層地下水を仕込み水に使用し小樽の田中酒造で醸造されたお酒「十勝晴れ」です。
北海道では幕末から今までに清酒、濁酒は製造した者は550名程いたそうです。
今は北海道には12の酒蔵があります。今年は東川町に13番目の蔵ができ、十勝にも酒蔵が誕生します。帯広畜産大学に「碧雲蔵」の開設です。新米収穫後の秋以降に醸造される予定のこと。
十勝で醸造される36年ぶりのお酒を楽しみながら十勝の活性を語るのはいかがですか。
「十勝の活性化を考える会」会員Y
十勝の活性化を考える会」会員募集