JR八戸線沿線を歩く旅 やっと完結編の前置き
2018年にJR八戸駅から久慈駅までを歩いたのだが、足の痛みのため陸中中野駅から侍浜駅間をパスしてしたのだった。
あれから約2年の歳月が流れたが、今年に入ってから世界は大きく変わってしまった。
オーバーな表現に見えるけど実際に世界が変わったのだ。
たった数か月で全世界がウィルスで人類の危機がこようとは誰が予想できただろうか。
2019年末の時点では誰も予想できなかっただろう。
日本の首相、アメリカの大統領だけでなくわたしも2020年の2月末ころまでは「この流行は4月ころまでに収束するのではないか。」と考えていたのだ。
新型コロナウィルス(COVID-19)が一瞬で世界を変えてしまった。

まるでSF映画の世界だ。
映画ならヒーロー(科学者や医者のことが多い)が出てきて世界的大流行の直前にワクチンを作ったり、特殊な光線を当ててウィルスを無害化するという発見をして人類を救う、、、というようなストーリーになるのだが、現実の世界ではそうはいかなった。
中国の武漢で未知のウィルスの拡大を警告した医師は行政府に叱責されたあげく死亡したし、映画の中でなら正しい決断をしてアメリカを救う役である大統領は科学者の警告を無視した。そのためアメリカを感染者数、死者数ともに世界一にしてしまった。
日本の首脳はどうしたらよいかわからずウロウロしているうちに感染爆発寸前までになってしまい、国民がすくみ上って会合の中止やテレワークへの切り替え、旅行、買い物までも控えたので今のところなんとか抑えられている。
ところで、
わたしは日本での感染が抑えられている要因のひとつに「自動ドアの文化」があるのではないかと考えている。
店舗や大型公共施設などのドアはほぼすべて自動ドアだし、最近ではトイレさえも手をかざすだけでドアを開き用が済めば自動で流してくれるものもある。
この「他の人が触ったものには触りたくない」という、自動ドアの文化(無精者の文化や割りばしの文化と言い換えてもよいだろうけど)が感染を広げずに済んだのではないかと思うのだ。
誰か研究してもらえないかな。もしかしたらイグノーベル賞を受賞できるかも。
世界は変わったとニュースなどで言われている。
わたしの住む世界は自宅からせいぜい1キロメートル程度の狭い地域だがそれでも大きな変化がある。
奇跡的に日本で唯一新型コロナウィルスの感染者の発表がない岩手県の片田舎でさえも変わってしまったのだ。
いつも行くスーパーではレジの店員がゴム手袋とマスク姿だし、客との間をビニールのシートが遮っている。
近所の食堂では「他県からの客お断り」の張り紙を出している。
地震や台風、津波などと違って「どこに危険があるかわからないから逃げ場がない!」という恐怖感があるのだ。
岩手県だって感染者の発表が無いだけで無症状の感染者はいるはずだとわたしは考えている。
旅行関連のウェブサイトを見ていたら、新型コロナウィルスの流行が収束したら中国人が旅行してみたい日本の地域が唯一感染者の出ていない岩手県というのがあった。
これといった観光資源がなくて中国人観光客がこなかかった岩手県がこんなところで注目されるとは喜んでよいのかなあ。
と、、ずいぶん前置きが長くなった。
2018年にJR八戸駅から久慈駅までを歩いたのだが、足の痛みのため陸中中野駅から侍浜駅間をパスしてしたのだった。
あれから約2年の歳月が流れたが、今年に入ってから世界は大きく変わってしまった。
オーバーな表現に見えるけど実際に世界が変わったのだ。
たった数か月で全世界がウィルスで人類の危機がこようとは誰が予想できただろうか。
2019年末の時点では誰も予想できなかっただろう。
日本の首相、アメリカの大統領だけでなくわたしも2020年の2月末ころまでは「この流行は4月ころまでに収束するのではないか。」と考えていたのだ。
新型コロナウィルス(COVID-19)が一瞬で世界を変えてしまった。

まるでSF映画の世界だ。
映画ならヒーロー(科学者や医者のことが多い)が出てきて世界的大流行の直前にワクチンを作ったり、特殊な光線を当ててウィルスを無害化するという発見をして人類を救う、、、というようなストーリーになるのだが、現実の世界ではそうはいかなった。
中国の武漢で未知のウィルスの拡大を警告した医師は行政府に叱責されたあげく死亡したし、映画の中でなら正しい決断をしてアメリカを救う役である大統領は科学者の警告を無視した。そのためアメリカを感染者数、死者数ともに世界一にしてしまった。
日本の首脳はどうしたらよいかわからずウロウロしているうちに感染爆発寸前までになってしまい、国民がすくみ上って会合の中止やテレワークへの切り替え、旅行、買い物までも控えたので今のところなんとか抑えられている。
ところで、
わたしは日本での感染が抑えられている要因のひとつに「自動ドアの文化」があるのではないかと考えている。
店舗や大型公共施設などのドアはほぼすべて自動ドアだし、最近ではトイレさえも手をかざすだけでドアを開き用が済めば自動で流してくれるものもある。
この「他の人が触ったものには触りたくない」という、自動ドアの文化(無精者の文化や割りばしの文化と言い換えてもよいだろうけど)が感染を広げずに済んだのではないかと思うのだ。
誰か研究してもらえないかな。もしかしたらイグノーベル賞を受賞できるかも。
世界は変わったとニュースなどで言われている。
わたしの住む世界は自宅からせいぜい1キロメートル程度の狭い地域だがそれでも大きな変化がある。
奇跡的に日本で唯一新型コロナウィルスの感染者の発表がない岩手県の片田舎でさえも変わってしまったのだ。
いつも行くスーパーではレジの店員がゴム手袋とマスク姿だし、客との間をビニールのシートが遮っている。
近所の食堂では「他県からの客お断り」の張り紙を出している。
地震や台風、津波などと違って「どこに危険があるかわからないから逃げ場がない!」という恐怖感があるのだ。
岩手県だって感染者の発表が無いだけで無症状の感染者はいるはずだとわたしは考えている。
旅行関連のウェブサイトを見ていたら、新型コロナウィルスの流行が収束したら中国人が旅行してみたい日本の地域が唯一感染者の出ていない岩手県というのがあった。
これといった観光資源がなくて中国人観光客がこなかかった岩手県がこんなところで注目されるとは喜んでよいのかなあ。
と、、ずいぶん前置きが長くなった。