鼠経ヘルニア手術体験記 その5
手術後2日目
昨夜もうとうとしただけでほとんど眠っていない、朝の5時前にはしっかり目が覚めてしまった。
今日も快晴である。外の気温はマイナス7度と今朝も冷え込んだ。
窓から見える雪の岩手山が朝日を浴びてうっすらとピンク色に染まっていくのをぼんやりと見つめる。

わたしは便秘症ではないので毎朝キチンとうんちが出るのだが、今日まで3日間もうんちが出ていない。
トイレで力もうにもお腹に力を入れようものなら悲鳴をあげたくなるような痛みが来るのだ。
まあ、そのうち出るだろう。
洗面所へと行き顔を洗い歯磨きをする。
シャワーをしていないのでせめて足だけでも洗おうと思ったのだが痛くて屈めないのであきらめる。
朝食を終えて部屋へ戻ると医師が来て「昨夜は歩いていましたね、痛み止めを出しますから今日退院してください。」と言うのでわかりましたと答える。
歩いたといってもほんの20メートルほどだが手すりをつかまずに歩いたのを見られたのだった。
いつまでも甘えてはいられない、覚悟を決めることだ。
入れ替わり看護婦さんが来て11時が退院の時間になりますとのこと。
「あら、昼食後ではないんですか?」
朝食のとき今週のメニュー表を見たら今日の昼食のデザートにバナナが出るとあった。
わたしはバナナが大好きなのだ、じつに残念である。
帰宅のための荷造りを始める。
荷造りといっても着替えと洗面用具をバッグに詰めるだけなのだが、自分でもじれったくなるほど動作がのろい。
着替えをする。
立ち上がってお腹を見ると手術前は少し出っ張っていたお腹がへこんでいる。
食事を制限したわけではないし便も出ていないのに不思議なことである。
おヘソに穴を空けたときに中の脂肪が出てしまったのだろうか。
ズボンを穿こうとしたらベルトが締まらなかった。
体重は入院前から2キロも減っていたのにである。これも不思議だった。
下着のゴム部分がちょうど傷口に当たるのがしんどい。パンツをずり下げるようにして穿く。
ああ、こんなことならゴムの緩んだパンツを持ってくるんだったなあ。
看護婦さんが薬を持ってきた。痛み止めの座薬と炎症を抑える薬だ。
退院前に看護についてのアンケートに答えてほしいとのことで記入する。
看護婦さんたちはてきぱきと仕事をしているように見えて表情も明るかった。
すべての項目に満足のしるしをつけて渡す。
からだを引きずるような思いをしながら一階の会計まで行き支払いを済ます。
最近は大手の病院ではクレジットカードで支払いが出来るようになっているから現金を持ち歩かなくともよいのはありがたい。
老人なので自己負担割合は2割である。
以前ならば1割負担で済むはずだったのだが、政府がわたしの目の前で”1割負担にしていたのは一時的なこと”なので”本来の負担額に戻す”と2割負担にしてしまったのだ。
つくづく損な年代に生まれたものである。
政府は戦後のベビーブーム世代が70年以上も生きるとは考えていなかったのだろうか。
われわれは55歳になったら年金が支給されますよ、70歳になったら医療費も一割負担で済みますよと言われて税金を納めてきたのである。
やっと年金を受け取れる年齢になったら、なんやかんやと理由をつけて支給開始を遅らせるし金額を減らされるしで散々である。
これでは銀行へ預金を引き出そうと行ってみたら、自分の番が来たときに「もうお金が無くなったので希望する金額の半分しか引き出させません」と言われたようなものである。
「老後のために政府にお金を預けていたのだ。」と考えていたのは幻想だったのだろうなあ。
権力もなにもない小市民は「それでもゼロになるよりはまし」と我慢するしかないのだろうか。
革命や戦争が起きて預金制度や社会保障制度が完全に崩壊しなかっただけでもよしとするしかないのかなぁ。せめて今後さらなる改悪にならないようにと祈るような気持である。
そういえば最近のことだが「高齢者の定義を見直す」というニュースを見たっけなあ。
高齢者の定義を現在の65歳から75歳に、90歳以上を超高齢者とするらしい。まだ決まっていないがわたしは政府のことだからやるだろうと思っている。
こうなれば年金はほとんど受け取れなくなるだろうし、われわれの医療費の負担も大幅増になるだろう。
それでもまだ日本の社会保障はまだマシなのである。
先日インターネットの記事で見たがアメリカでは、盲腸の日帰り手術で111万円を請求されるというのを見た。
しかも医療保険適用後でこの金額なのだ。医療保険が適用されなければ555万円だそうだ。
日帰り手術なのに部屋とベッド使用料が49万円だったというのもスゴイ。
アメリカの医療費のあまりな高額なことはもはや異常としか言えない。
C型肝炎の薬が約385万円(1錠あたり13万8千円)だという記事もあった。同じ薬がインドでは一錠1700円だそうでアメリカではインドへ薬を買いに行くツアーがあるという。
医療保険に加入していない人は破産して生活保護を受けるしかないのだそうだ。
それに比べれば日本の皆保険の仕組みが良いのは間違いないが、それでも少ない年金だけで暮らす老人には医療費の2割負担は”大きな負担”である。
日本の政府がトランプ大統領を見習うことなく、これ以上の改悪が行わないようにしてもらいたい。
と愚痴ともあきらめともつかないことを考えながら病院の外へ出る。
とたんに身を切るような冷たい風に体をこわばらせた。
病室は温室のような世界だったのだ。

病院で食べれなかった昼食はラーメンにしようと考えていたのに、なぜか選んだのはチャンポンだった。

手術後2日目
昨夜もうとうとしただけでほとんど眠っていない、朝の5時前にはしっかり目が覚めてしまった。
今日も快晴である。外の気温はマイナス7度と今朝も冷え込んだ。
窓から見える雪の岩手山が朝日を浴びてうっすらとピンク色に染まっていくのをぼんやりと見つめる。

わたしは便秘症ではないので毎朝キチンとうんちが出るのだが、今日まで3日間もうんちが出ていない。
トイレで力もうにもお腹に力を入れようものなら悲鳴をあげたくなるような痛みが来るのだ。
まあ、そのうち出るだろう。
洗面所へと行き顔を洗い歯磨きをする。
シャワーをしていないのでせめて足だけでも洗おうと思ったのだが痛くて屈めないのであきらめる。
朝食を終えて部屋へ戻ると医師が来て「昨夜は歩いていましたね、痛み止めを出しますから今日退院してください。」と言うのでわかりましたと答える。
歩いたといってもほんの20メートルほどだが手すりをつかまずに歩いたのを見られたのだった。
いつまでも甘えてはいられない、覚悟を決めることだ。
入れ替わり看護婦さんが来て11時が退院の時間になりますとのこと。
「あら、昼食後ではないんですか?」
朝食のとき今週のメニュー表を見たら今日の昼食のデザートにバナナが出るとあった。
わたしはバナナが大好きなのだ、じつに残念である。
帰宅のための荷造りを始める。
荷造りといっても着替えと洗面用具をバッグに詰めるだけなのだが、自分でもじれったくなるほど動作がのろい。
着替えをする。
立ち上がってお腹を見ると手術前は少し出っ張っていたお腹がへこんでいる。
食事を制限したわけではないし便も出ていないのに不思議なことである。
おヘソに穴を空けたときに中の脂肪が出てしまったのだろうか。
ズボンを穿こうとしたらベルトが締まらなかった。
体重は入院前から2キロも減っていたのにである。これも不思議だった。
下着のゴム部分がちょうど傷口に当たるのがしんどい。パンツをずり下げるようにして穿く。
ああ、こんなことならゴムの緩んだパンツを持ってくるんだったなあ。
看護婦さんが薬を持ってきた。痛み止めの座薬と炎症を抑える薬だ。
退院前に看護についてのアンケートに答えてほしいとのことで記入する。
看護婦さんたちはてきぱきと仕事をしているように見えて表情も明るかった。
すべての項目に満足のしるしをつけて渡す。
からだを引きずるような思いをしながら一階の会計まで行き支払いを済ます。
最近は大手の病院ではクレジットカードで支払いが出来るようになっているから現金を持ち歩かなくともよいのはありがたい。
老人なので自己負担割合は2割である。
以前ならば1割負担で済むはずだったのだが、政府がわたしの目の前で”1割負担にしていたのは一時的なこと”なので”本来の負担額に戻す”と2割負担にしてしまったのだ。
つくづく損な年代に生まれたものである。
政府は戦後のベビーブーム世代が70年以上も生きるとは考えていなかったのだろうか。
われわれは55歳になったら年金が支給されますよ、70歳になったら医療費も一割負担で済みますよと言われて税金を納めてきたのである。
やっと年金を受け取れる年齢になったら、なんやかんやと理由をつけて支給開始を遅らせるし金額を減らされるしで散々である。
これでは銀行へ預金を引き出そうと行ってみたら、自分の番が来たときに「もうお金が無くなったので希望する金額の半分しか引き出させません」と言われたようなものである。
「老後のために政府にお金を預けていたのだ。」と考えていたのは幻想だったのだろうなあ。
権力もなにもない小市民は「それでもゼロになるよりはまし」と我慢するしかないのだろうか。
革命や戦争が起きて預金制度や社会保障制度が完全に崩壊しなかっただけでもよしとするしかないのかなぁ。せめて今後さらなる改悪にならないようにと祈るような気持である。
そういえば最近のことだが「高齢者の定義を見直す」というニュースを見たっけなあ。
高齢者の定義を現在の65歳から75歳に、90歳以上を超高齢者とするらしい。まだ決まっていないがわたしは政府のことだからやるだろうと思っている。
こうなれば年金はほとんど受け取れなくなるだろうし、われわれの医療費の負担も大幅増になるだろう。
それでもまだ日本の社会保障はまだマシなのである。
先日インターネットの記事で見たがアメリカでは、盲腸の日帰り手術で111万円を請求されるというのを見た。
しかも医療保険適用後でこの金額なのだ。医療保険が適用されなければ555万円だそうだ。
日帰り手術なのに部屋とベッド使用料が49万円だったというのもスゴイ。
アメリカの医療費のあまりな高額なことはもはや異常としか言えない。
C型肝炎の薬が約385万円(1錠あたり13万8千円)だという記事もあった。同じ薬がインドでは一錠1700円だそうでアメリカではインドへ薬を買いに行くツアーがあるという。
医療保険に加入していない人は破産して生活保護を受けるしかないのだそうだ。
それに比べれば日本の皆保険の仕組みが良いのは間違いないが、それでも少ない年金だけで暮らす老人には医療費の2割負担は”大きな負担”である。
日本の政府がトランプ大統領を見習うことなく、これ以上の改悪が行わないようにしてもらいたい。
と愚痴ともあきらめともつかないことを考えながら病院の外へ出る。
とたんに身を切るような冷たい風に体をこわばらせた。
病室は温室のような世界だったのだ。

病院で食べれなかった昼食はラーメンにしようと考えていたのに、なぜか選んだのはチャンポンだった。
