「ぐるっとJR東日本の旅」 三日目 その2
2015年11月7日(土)
新幹線ホームへと向かう。

ここはいつ来ても混み合っている。

外国人の団体客の多いのに驚くのは私がおのぼりさんだからである。
ホームにはひっきりなしに新幹線が入ってきたり出て行ったりしている。
秒単位で運行管理がされているのが実感できる。
話題の「はやぶさ」のグランクラスの車両を窓から撮影する人も多い。

私も窓から車内を見たがグランクラスに乗客はいなかった。
こうしてみると新幹線といってもずいぶんとデザインが異なるものだな。


金沢方面、新潟方面、秋田、青森とみなデザインを変えているから乗り間違えが無くていいかもね。
私の乗る山形新幹線「つばさ131号」が入線して来た。
「つばさ号」のデザインはどうにも垢抜けない。


新しい「こまち号」や「はくたか号」はボディカラーも鮮やかでかっこいいと思えるのだが「つばさ」には魅力を感じない。

だが車内へ入ってしまえばどれも同じようなものである。「つばさ」も車内は明るく快適だ。

車体外部のデザインやカラーは乗っている人には見えないんだからこれでよしとしよう。
満員の「つばさ131」は快調に走り、福島駅で連結を解いて山形方面へと向かう。
福島駅を出てからしばらく走ると勾配が急になり列車の速度が遅くなる。
昨日の上越線もそうなのだが、日本列島を太平洋側と日本海側に分けている背骨の部分の山脈が交通の難所になっているのだということがよく体感できる場所なのだ。
やっとの思いで山越えを終えると「つばさ」はスピードを上げて山形市へはいって行く。
山形駅で降りた客が「ようこそ山形へ」と書かれた垂れ幕の写真を撮っていた。


天童市を過ぎて、新庄駅に到着。


ほぼ満員だった客の大部分は途中の山形駅などで下車したようで新庄駅で降りる客は少ない。
ちょっとしつこい「ようこそ新庄へ!」のポスターがあるが、

改札口の前には天狗の像が立っていた。

こちらは天狗なのか、それとも修験者なのか。

脇に”特典の店”と書かれた看板が立ててあるところをみると、この天狗は商店の宣伝マンではないだろうか。
つぎに乗る電車は「つばさ144号」の東京行きである。

なんのことはない今乗って来た列車の折り返し運転なのだ。
改札を出ると大きな山車が出迎えてくれる。

”新庄まつり”の山車なのだそうだ。これは歌舞伎の一場面を表わしているそうだが、なかなかの迫力である。


その前になんと産直の市がたっている。

新庄のお土産に黒豆の煮物や漬物を買って行きなさいということだろう。
なんだか「道の駅」みたいな雰囲気なのだ。
まあ、こっちが本家本元の『駅』に違いは無いけれど。


この駅にもしっかりと銅像があった。

やはり”駅には銅像を設置するように”という当局からのお達しがあるに違いない。
やや小さめの少女が帽子を高く掲げている銅像である、台座には「緑の風」というタイトルが書いてある。
草原にを流れる風を帽子でうけているというイメージなんだろうなあ。
食堂を探していたら土産物店の隣に”ちぇれんこ”という名のレストランがあったし、ピザ店もあったのだがなぜか気が乗らず、結局は駅のコンビニでおにぎりを買って昼食にしてしまった。

うーむ、我ながらこの貧乏くさい食事はどうにかならないものかと思う。
定食やどんぶりものなら高くても1500円くらいのものだが、私はヘンなところにケチるのだ。
まぁ、「自分が満足ならそれでいいんじゃない」ではあるのだが。
だが”ちぇれんこ”とは何だったのだろうと、帰宅してから調べたら山形の方言(掛け声)だった。
「つばさ144」に乗り込む。

始発駅だし福島駅までの乗車なので自由席の利用である。
車内は10人ほどしか乗客はいないが途中の山形駅などでかなり乗るのではないだろうか。

山形駅が近くなってきたころ前の席の隙間から2歳くらいの女の子がこちらを見ているのに気がついた。
目を合わせるとさっと隠れるのだが、また少しすると半分顔を出して私をじーっと見ている。

「後ろの席にヘンな生き物がいるなあ」と思っているのだろうか。
その様子がとてもおかしかったのだが、なんども見返されるともしかしたら自分の顔はヘンなんじゃないかと心配になるのであった。
さっき通ったばかりの山形駅を過ぎて福島駅で東北新幹線に乗り換える。


仙台駅に到着。

つぎは「はやぶさ23号」に乗る。

午後4時半には盛岡駅に到着だ。
「はやぶさ」からホームへ出るとぴりっとした冷たい空気を肌に感じる。

東京から500キロメートル北にある盛岡市は晩秋の冷風が吹いていた。
盛岡駅のコンコースには南部曲がり家の模型が展示されている。

今では馬を飼っている農家はほとんど無いが、昔は私の親戚の農家でも馬を飼っていた。
馬と人間が同じ屋根の下で暮らしていたのである。
それだけ馬は大切な働き手であり財産だったということだ。
帰宅してシャワーをしてから午後8時にはベッドにもぐりこむ。
明日も早起きして秋田新幹線で秋田方面へと向かうのだ。
今日の行程は下記のとおり。

2015年11月7日(土)
新幹線ホームへと向かう。

ここはいつ来ても混み合っている。

外国人の団体客の多いのに驚くのは私がおのぼりさんだからである。
ホームにはひっきりなしに新幹線が入ってきたり出て行ったりしている。
秒単位で運行管理がされているのが実感できる。
話題の「はやぶさ」のグランクラスの車両を窓から撮影する人も多い。

私も窓から車内を見たがグランクラスに乗客はいなかった。
こうしてみると新幹線といってもずいぶんとデザインが異なるものだな。


金沢方面、新潟方面、秋田、青森とみなデザインを変えているから乗り間違えが無くていいかもね。
私の乗る山形新幹線「つばさ131号」が入線して来た。
「つばさ号」のデザインはどうにも垢抜けない。


新しい「こまち号」や「はくたか号」はボディカラーも鮮やかでかっこいいと思えるのだが「つばさ」には魅力を感じない。

だが車内へ入ってしまえばどれも同じようなものである。「つばさ」も車内は明るく快適だ。

車体外部のデザインやカラーは乗っている人には見えないんだからこれでよしとしよう。
満員の「つばさ131」は快調に走り、福島駅で連結を解いて山形方面へと向かう。
福島駅を出てからしばらく走ると勾配が急になり列車の速度が遅くなる。
昨日の上越線もそうなのだが、日本列島を太平洋側と日本海側に分けている背骨の部分の山脈が交通の難所になっているのだということがよく体感できる場所なのだ。
やっとの思いで山越えを終えると「つばさ」はスピードを上げて山形市へはいって行く。
山形駅で降りた客が「ようこそ山形へ」と書かれた垂れ幕の写真を撮っていた。


天童市を過ぎて、新庄駅に到着。


ほぼ満員だった客の大部分は途中の山形駅などで下車したようで新庄駅で降りる客は少ない。
ちょっとしつこい「ようこそ新庄へ!」のポスターがあるが、

改札口の前には天狗の像が立っていた。

こちらは天狗なのか、それとも修験者なのか。

脇に”特典の店”と書かれた看板が立ててあるところをみると、この天狗は商店の宣伝マンではないだろうか。
つぎに乗る電車は「つばさ144号」の東京行きである。

なんのことはない今乗って来た列車の折り返し運転なのだ。
改札を出ると大きな山車が出迎えてくれる。

”新庄まつり”の山車なのだそうだ。これは歌舞伎の一場面を表わしているそうだが、なかなかの迫力である。


その前になんと産直の市がたっている。

新庄のお土産に黒豆の煮物や漬物を買って行きなさいということだろう。
なんだか「道の駅」みたいな雰囲気なのだ。
まあ、こっちが本家本元の『駅』に違いは無いけれど。


この駅にもしっかりと銅像があった。

やはり”駅には銅像を設置するように”という当局からのお達しがあるに違いない。
やや小さめの少女が帽子を高く掲げている銅像である、台座には「緑の風」というタイトルが書いてある。
草原にを流れる風を帽子でうけているというイメージなんだろうなあ。
食堂を探していたら土産物店の隣に”ちぇれんこ”という名のレストランがあったし、ピザ店もあったのだがなぜか気が乗らず、結局は駅のコンビニでおにぎりを買って昼食にしてしまった。

うーむ、我ながらこの貧乏くさい食事はどうにかならないものかと思う。
定食やどんぶりものなら高くても1500円くらいのものだが、私はヘンなところにケチるのだ。
まぁ、「自分が満足ならそれでいいんじゃない」ではあるのだが。
だが”ちぇれんこ”とは何だったのだろうと、帰宅してから調べたら山形の方言(掛け声)だった。
「つばさ144」に乗り込む。

始発駅だし福島駅までの乗車なので自由席の利用である。
車内は10人ほどしか乗客はいないが途中の山形駅などでかなり乗るのではないだろうか。

山形駅が近くなってきたころ前の席の隙間から2歳くらいの女の子がこちらを見ているのに気がついた。
目を合わせるとさっと隠れるのだが、また少しすると半分顔を出して私をじーっと見ている。

「後ろの席にヘンな生き物がいるなあ」と思っているのだろうか。
その様子がとてもおかしかったのだが、なんども見返されるともしかしたら自分の顔はヘンなんじゃないかと心配になるのであった。
さっき通ったばかりの山形駅を過ぎて福島駅で東北新幹線に乗り換える。


仙台駅に到着。

つぎは「はやぶさ23号」に乗る。

午後4時半には盛岡駅に到着だ。
「はやぶさ」からホームへ出るとぴりっとした冷たい空気を肌に感じる。

東京から500キロメートル北にある盛岡市は晩秋の冷風が吹いていた。
盛岡駅のコンコースには南部曲がり家の模型が展示されている。

今では馬を飼っている農家はほとんど無いが、昔は私の親戚の農家でも馬を飼っていた。
馬と人間が同じ屋根の下で暮らしていたのである。
それだけ馬は大切な働き手であり財産だったということだ。
帰宅してシャワーをしてから午後8時にはベッドにもぐりこむ。
明日も早起きして秋田新幹線で秋田方面へと向かうのだ。
今日の行程は下記のとおり。
