釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

雑談:『ホロン革命』(アーサー・ケストラー著、工作舎)

2012-03-09 11:40:44 | 非文系的雑談
この本を読了したのは、S.60/12/29。この本の最後に、そう、鉛筆書きしてある。
もう、1/4世紀以上も前になる。今でも、時々、パラパラと頁をめくって、気に入っている箇所を読んだりしている。この本で特におもしろかったのは、プロローグと、第14章だ。

まず、プロローグについて。
他の生物に比し人類という種の著しい特徴として、著者は人類の狂気について語っている。彼は言う。

『文明の進んだ惑星から公平な観察者がやってきて、クロマニヨン人からアウシュヴィッツまでの人間の歴史を一望すれば、人類はいくつかの点では優れてはいるが、概してひどく病的な生物で、それが生き残れるかどうかを考えるとき、その病のもつ意味は、文化的成果など比べものにならないほど重大である、と結論するに違いない。』

その人類の「病」の原因として、彼は、以下を挙げて説明している。

(1)ワニとウマとヒトとが、同居する人間の脳の矛盾
(2)人間の悲劇を生む過剰な献身
(3)もっとも恐るべき兵器「言語」
(4)死の発見と死の拒絶

例えば、アラン・レネの記録映画『夜と霧』などを観たとき、上記の著者の、これらの人間の病に対する指摘は大変説得力がある。(1)については、脳科学の進展により、現在は、いくつかの訂正を要する記述があるかも知れない。しかし本質的には(1)の指摘はおそらく現在も未来も妥当だと私は思う。人類という生物種が果たして今世紀まで存在しえるのかどうか?、これは決して笑止な問いではない。
実際、今年はキューバ危機の50周年である。

人類の滅亡は遅かれ早かれ必ず到来する。その原因が著者の言うような意味での、言わば『自』か、あるいは、もろもろの自然災害に拠る『他殺』かは別にして。
ここでも我々は2011/3/11を体験している。

しかし我々凡人は、いずれにせよ、そんなことは無い『かのように』生きなければならない。まさに『世の中は地獄の上の花見』かな、である。願わくば、地獄を経験なくして、あの世へと、おさらば、したいものである。

もう一つ、この本で面白かったのは、第14章。
人間の、もろもろの感覚の限界は、要するに、『そういう現象を想像できないのは、それがありえないことだからではない。人間の脳が、そして神経系がそれに対応できるようにプログラムされていないからである。』(455頁)

このプログラムという表現が新鮮で、分かりやすかった。
事実、4次元空間を知覚できる生物は、この地球上に存在するかも知れない。ここで言う4次元空間とは、縦・横・幅以外の空間次元を指す。人間が3次元空間しか知覚できないのは、人間の脳が、そのようにはプログラムされていないだけのことかも知れないのだ。

私のこの本は既に古色をおび、表紙はとれそうになっている。カ゜ムテープで接着しようと思っている。この本も私の棺おけの中に入れたいと思っているが、さて実現されるかどうか。

アーサー・ケストラーは1993年2月、夫人と共に自殺してしまった。巷間では『安楽心中』と話題になったそうだ。

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