釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

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雑談:科学について

2013-03-01 11:34:38 | 非文系的雑談
『理性とは何か』という問題は私には手に負えない問題なので、それをタナにおいて、科学に問題を変えましょう。現代はまさに科学の時代ですよね。科学及科学技術は、好むと好まざると関わらず現代人の抗うことの出来ない、言わば『聖書』です。

現代においては学問とは事実上科学の別称ではないですか。
科学的手法こそ事実上、全ての現代の学問の研究手法ではないでしょうか。
だから現代においては、ゲーデルの不完全定理が提示している問題を考えるとき、その対象を科学に向けるのが最も現実的であり、机上の空論に終わらない議論になると私は思います。

では科学(的手法)とは何か? いわゆる科学(的手法)を重視する最初の人はガリレオですかね。ガリレオは自然観察において、理論のみならずと、その理論の正しさを証明する実験を重視した。また理論においては数学を導入した。ここらあたりは科学史の教科書にも載っていることでしょうか。

デカルトの方法序説には以下のことが書かれているそうです。
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ものを学ぶためというよりも、教える事に向いていると思われた当時の論理学に替わる方法を求めた。そこで、もっとも単純な要素から始めてそれを演繹していけば最も複雑なものに達しうるという、還元主義的・数学的な考えを規範にして、以下の4つの規則を定めた。
1. 明証的に真であると認めたもの以外、決して受け入れない事。(明証)
2. 考える問題を出来るだけ小さい部分にわける事。(分析)
3. 最も単純なものから始めて複雑なものに達する事。(総合)
4. 何も見落とさなかったか、全てを見直す事。(枚挙 / 吟味)
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これは、まさしく科学(的手法)だと私は思います。だからデカルトとガリレオのいずれかが科学の父であるかということは不毛なことですので、上記のデカルトの手法が科学の手法だと、ここではしておきましよう。(余談ですが'80年代頃、デカルトの還元主義が徹底的に批判されて、いわゆるニュー・サイエンスが叫ばれたのですが、結局、現在は還元主義に戻ってしまっているようです)。

この科学(的手法)の成果は今更言うまでもなく大成功をおさめ、今や、この科学的手法が全ての学問をも制覇し、現代の人類の思考をも制覇し、人類にとって絶対的な存在になりました。言わば、現在の絶対的宗教とも言えるべきものは科学です。

科学(的手法)は私は素晴らしい手法だと思います。この『宗教』は、誰にも開かれており、人類の差別とは全く無縁であり、空疎な教義など存在しないし、科学における『正しさ』は誰にも検証できるし逆に誰にも検証できないモノは『正しくない』のです。
この科学(的手法)、いいかえれば、デカルト的手法の『公平さ』が、全世界に受けられたのは当然です。今や文明化とは科学化であることだっと言っても言いすぎではないでしょう。

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