釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

雑談:『ハイドンの主題による変奏曲』と『お袋の味』

2012-10-01 14:11:11 | その他の雑談
相変わらずの雑談である。ブログの名前を変えたほうがいいかも知れない。
『或る阿呆の無駄話』にしようか。
***
音楽は食べ物同様に『お袋の味』がある、と私は思う。

始めて食べさせられた、あるいは食べ慣れた食べ物の味が、ここで言う『お袋の味』の意味だ。

以下は、音譜も読めないし楽器にも縁がなく、音楽はただ聴くだけという正真正銘の音楽のド素人の私のただの断想。

音楽を聴くということも一種の『刷り込み現象』があるようだ。

例えば掲題の『ハイドンの主題による変奏曲』(ブラームス)。

これは私の大好きな曲の一つだが、これは以下のレコード盤(or CD)でなければ、どうもダメなのだ。どうも座りが悪いのだ。

 ブルノー・ワルター指揮、コロンビア交響楽団のもの。
 更に言えば1960年に録音されたもの。

こう断定するのは勿論衒学趣味で言っているのではない。
この曲を始めて聴いたのが上記のレコード盤だったからに過ぎない。

この盤を聴きに聴きまくっていたのだから、それが私の『お袋の味』になってしまった。だから他のものには微妙に、あるいは大いに違和感を感じてしまう。

これはクラシック音楽だけではない。

先日、美空ひばりの『越後獅子』を聴きたくなり、YouTubeで検索した。
そしたら出てきたのは大御所になったときのものばかり。

私が聴きたかったのは、小生意気な小娘時代の『越後獅子』だったのだ。

もし、私が彼女の小娘時代のこの唄を知らなかったら、大御所時代のそれを気に入ってdown load していたかも知れない。

いずれにせよ、良き『お袋の味』に出会うか否か、それは何事であれ、案外、人世にとって肝要なことかも知れない。

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