釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

53. 『 水底(みなそこ)に、うつそみの 面わ 沈透(しづ)き見ゆ・・・』

2011-09-28 11:54:08 | 釋超空の短歌
『 水底(みなそこ)に、うつそみの 面わ 沈透(しづ)き見ゆ。
     来む世も、 我の 寂しくあらむ 』
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ちょっと気分転換するため、インターネットで『釋超空』を検索してみた。

そしたら、飯田眞という精神科医による『折口信夫 診断・日本人』と題された小論が出てきた。精神科医ということで私は興味を感じたのでダウンロードした。

http://www008.upp.so-net.ne.jp/bungsono/shisoro/iida001.htm

この小論は旧かな文字で書かれている。してみると、この精神科医は、少なくとも戦前の人らしい。 で、『飯田眞』で検索してみると、『多次元精神医学』なる本の著者らしい。

http://www.iwasaki-ap.co.jp/2007/04/post_43.html

実は私はこのところ鬱状態。薬を山ほど飲んでいる。で、今は読書は全く駄目。
とりわけ数学(勿論素人向けの)の本を読みたいのだが、その気に全くなれない。

だから、こうやって、ここで、瞑想というより迷想遊びで気分転換をしているのだ。
釋超空のうたから勝手きままに何事かを連想し、頭の中を浮遊する。迷想の所以というわけだ。

確かに釋超空のうたには精神科医をして興味を感じさせる何かがありそうだ、ということは短歌にも精神病理にも素人な私でも、うすうす分かる。

たとえば掲題のうた。
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あたりを見まわすと、草むらだけが遠くまで広がっている。
「私」は何時(いつ)何処からここへ来たのか思い出せない。
「私」は誰であるのかも思い出せない。

いや「私」はずっとずっと前からここに佇んでいたような気もする。

意識が何だか戻ってきたように感じたら、どうやら「私」は井戸の中を覗いているらしい。井戸の中は暗くて底まで見えない・・・と「私」は思っているらしいのだが、ただ、その底には水があるようで、どういうわけか、「私」の暗い貌(かお)が、その水に映っていることだけは「私」は感じている。

今生の「私」が、今生ではない「私」を井戸の底の水の中に見ている。

「私」の今生と非今生の混濁とした融合。