釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

43. 『をとめ居て 起(た)ち居 寝し居間を見たりけり・・・』

2011-09-08 08:48:31 | 釋超空の短歌
『 をとめ居て
  起(た)ち居 寝し居間を見たりけり。
あはれに結(ゆ)へる 残り荷の紐 』
***
山本周五郎に『日本婦道記』という短篇集がある。

私がこれを読んだのは、もう半世紀ほど前だが、この短篇の中の一篇の『その木戸を通って』など今でも印象深く憶えている。 

この『日本婦道記』の各短編に登場する女性たちは、いかにも山本周五郎の小説の主人公らしい人物たちで、良い意味で昔風の女性たちばかりだ。

一口で言えば外柔内剛タイプで、大概は貧しい生活の中にいるが、そんなことは少しも苦にせず、凛とした精神を内面に秘めている女性たちだ。

私は森鴎外の短篇が好きだが鴎外の小説に登場する女性にも似たところがある。

手元に鴎外の本がないので記憶のままに列挙すると、その女性たちは、『最後の一句』の「いち」、『山椒太夫』の「安寿」、『安井夫人』の「とよ」、『護持院原の敵討』の「りよ」、『渋江抽斎』の「五百」。

この女性たちに共通しているのは『健気さ』だ。普段は物事の表に少しも出ようとはしないが、いざ彼女自身や近き者の境遇に危機が迫ったときは、毅然として火中に飛び込んでいく気概を内面に秘めている。

***
私は掲題の釋超空のうたをみたとき、この『をとめ』に上記してきた女性たちを直ちに連想した。この女性は凛としている。

そのことが簡潔に分かるのは『あはれに結(ゆ)へる 残り荷の紐』だ。

粗末な『残り荷の紐』で髪を結う女性の精神は決して粗末ではない。
いや、紐が粗末であればあるほど、この『をとめ』の内面の精神は輝いている。

『あはれに結(ゆ)へる』の『あはれ』とは、山本周五郎や森鴎外と同じく釋超空の、このような女性たちへの敬愛の言葉というより眼差しだろう。