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釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

81 『いと寒き冬に・・・』

2013-03-17 16:15:58 | 釋超空の短歌
『いと寒き冬に 入りゆくしづけさを思ひてゐるは、さびしきものを』
***

遠い夢から醒めたような気がする。

停車場の小さな待合部屋のベンチに座っている。

前にもベンチがあって何人かが座って俯(うつむ)いている。

昼だか夜だか分からないが電灯は点いているらしい。

周(あたり)はなんだか罔(くら)い。

『みなさん、もう出発しますよ』

**年**月**日。

ああ、今日だったんですね。

80 『つくづくと町をくだれり・・・』

2013-03-08 15:06:39 | 釋超空の短歌
『つくづくと 町をくだれり。 朝闇の舗道の上の 白き紙屑』

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まだ明けきらぬ朝
自分でも理由の分からぬ懐かしみを感じつつ
わたしは或る町を歩いていた

夢をみていたのだろうか、その町が何処なのか分からない
誰にも会わないし  聞こえるのは私の靴音だけ

とすると、ゆったりとした下り坂にきた
坂は ずっと向こうまで一直線にみえた

そのとき
わたしの心に、ふと、白い紙きれが舞っていた

そして

その紙きれは、わたしの心から出て
路の遠くへと飛びさり 消えていつた

79. かくばかり さびしきことを・・・

2013-01-04 08:24:23 | 釋超空の短歌
『かくばかり さびしきことを思ひ居し 我の一世は 過ぎ行くかむとす』

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私がNEC主催のPC-VANに盛んに書き込みをしていた頃、『1杯のかけそば』という作文が、どういうわけか大いに話題となった。後に、これがある作家の小説だと知り、私は少々唖然とした。確か、この小説なるものがPC-VANに転載され、私はそれを読んだ記憶があるからだ( 著作権に抵触するのかどうか、その辺は知らない )。

小説の素人の私が読んでも、これは小学生あたりの出来の悪い作文にしかみえなかった。なぜ、こんな詰まらない話が、かくも話題になったのだろう。この「作文」は社会現状にも発展した。
映画化もされたそうだ。私は露骨( と、あえて言おう )な、このテの「美談」は好まない。

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昔々の映画だが、「3度泣けます」と宣伝された親娘悲話の映画が流行した。
「悲しい運命な」母親役は常に三益愛子で、子供役は・・・確か白鳥ミズエだった。東映チャンバラ映画に夢中であった私も、流石に、この「お涙頂戴」映画には辟易していた、というよりハナからバカにしていた。

そもそも悲劇・悲話というものは、それが露骨に表現されると笑劇、というより莫迦莫迦しくなる。その典型が『1杯のかけそば』であった、私にとってはネ。
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カケソバと言えば私には懐かしき思い出がある。私の両親は映画好きであった。私がチャンバラ映画に夢中になっていた頃だから昭和24,5年頃だが、この頃は私の両親と妹と一緒に町の映画館にセッセと通っていたものだ。それも夜の部に限っていた。映画が観終わると必ず近くのソバ屋により、一番安いカケソバを4人で食ったものだ。実に旨かった。1杯30円だったと記憶している。あの頃の我が家の生活水準は、まぁ中の下ぐらいのところだろう。細いネギを細かく切ったヤクミだけのカケソバだったが、私には大変なご馳走だった。ラーメン( あの頃はシナソバと言った )は50円だったと思う。このシナソバは正月、母の実家で食べるのが習慣だった。
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てな我が懐かしき記憶があったものだから、『一杯のかけそば』に私は同情してもよかったのだが、なににせん、この作文はあまりに野暮すぎた。もし、この作文いや小説に感動した諸氏がおられたら、スイマセンです。
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ところで白鳥ミズエ嬢は私と同じ位の年齢だったから、もし御健在なら、今や良きお婆ちゃまであろう。

78.風の音しづかになりぬ・・・

2013-01-03 14:29:07 | 釋超空の短歌
『風の音しづかになりぬ。夜の二時に 起き出でゝ思ふ。われは死ぬなずよ』
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今から、そう、40年以上も前になるか、ラジオから聞こえてきたものだ。
ウクレレ漫談のまき・しんじ(←字忘れたヨ)が例の声でヤッてたよ。

♪みずはら ひろし は 低音の魅力
♪ふらんく ながい も 低音の魅力
♪まぁーき しんじは は テイノー(低能)の魅力

♪あ~あ、やなんちゃったぁ おどろいたぁぁぁ~
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私は、昔より、どういうわけか、この歌?がすきだった。

数年前だったか、まき しんじ がテレビに出た。
私は驚いた。なんと老けたことかと!!

私は、この漫談家が全盛の頃(昭和40年頃かな)、
若い彼をテレビで見て知っているからだ。
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彼は今も健在だろうか。
若い頃を私が知っている人たちが次々と亡くなっていくように
私には感ぜられる。
時間というものの早さと、その残酷さを思わずにはいられない。

私の部屋の窓から雲一つない青い空が見える。

77. 『草あぢさゐの 花過ぎ行き方の・・・』

2012-11-04 10:24:36 | 釋超空の短歌
『草あぢさゐの 花過ぎ行き方のくさむらに向きゐる我が目 昏(くら)くなりゆく』
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私の家の玄関から少し離れた所に鉄製の小さな門がある。
その門の傍に紫陽花が植わっている。
どうしたわけか、その紫陽花に小さな花が一つ忘れられたかのように咲いている。

私は朝いつも散歩に出かけるとき、その小さな花を見るともなく見ている。

寒い朝が続いているためもあるのだろう、その花は枯れ花へと変色を加速している。
数日後には、小さな枯れ花と化し、その紫陽花にぽつんと残こされるだろう。

その紫陽花の向こうには、しおれかけた雑草がだらしなく続いている。
今年は私の体調の不良もあって毎年行っていた雑草刈は思うように出来なかった。

私の散歩の歩数も以前より、めっきり少なくなってしまった。
寂し気に枯れていくその小さな花が、私の歩数の衰えを象徴しているように思えてならない。
***
『雑草の群立(むら)だつなかに 粉となりて散り花を熟々(つくづく)は見ず』