無明抄

もの言わざるは腹ふくるるわざ・・。かなわぬまでも一市民の発言

61年目のヒロシマ

2006-08-07 | 蟷螂斧:私的時事論談
61年目のヒロシマデー
今年は自宅のテレビで慰霊式典を見、黙祷をささげた。
秋葉市長は、歴代市長の中でもっとも平和運動に熱心で、毎年の平和宣言も、それまで、ややもすれば抽象的、儀礼的なことばに流れがちだったのに比べて、率直で具体的な内容を含み、彼の思いが伝わる「生きた言葉」でつづられている。
ただ、今年の宣言で、「核保有国に対して都市を核攻撃の目標にしないよう求める」取り組みを強調していたのには、いささか抵抗を感じないではいられない。
「都市」でなければ良いのか?
勿論、全体の文脈の中で受け止めれば、決してそういう意味合いではないのだろうが、それでも、やはり違和感はぬぐえなかった。
言うまでもなく、核攻撃を受けていい場所などないのであり、いつ、いかなる場所でもヒバクシャを生み出すことを許してはならない。
特に、近年、劣化ウラン弾の使用による大量の、そして永遠に続くかもしれないヒバクが引き起こされており、あるいはアメリカが進めている「使える核兵器」開発の動きなどを見れば、「都市を標的にするな」というスローガンが時宜を得ているとは思えない。

今年の宣言の全体の印象としては、必死の取り組みにも関わらず後退を重ねているように見える状況に対する苛立のようなものを感じた。
逆説的に言えば、そこに秋葉市長の真剣さ、誠実さを見るようにも思う。
今の世界の状況は、真剣に考えれば考えるほど、怒り、苛立たないではいられないありさまなのだから。



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