無明抄

もの言わざるは腹ふくるるわざ・・。かなわぬまでも一市民の発言

小泉総理と特攻兵への想い

2001-08-14 | 蟷螂斧:私的時事論談
国内の懸念も、アジア諸国の人々の怒りもおかまいなく、靖国神社参拝を繰り返す小泉総理は、若い頃に読んだ特攻隊兵士の手記に非常に心を打たれて、それがその後の自分に大きな影響を与えた・・と述べている。
私も、また、若い頃に読んだ「聞けわだつみの声」には心を打たれたし、影響も受けた。
しかし、小泉総理のように単純に「国に殉じた英霊」としてというよりも、むしろ、例えば「この戦争は侵略戦争だ」と認識しながらも、すでにことここに至って、日々故郷が爆撃にさらされ、家族が、同朋が殺される現実の中では、戦うしかない・・と思い定めた学徒兵の無念さこそ、より深く心に残っている。
軍国主義に染まりきって正義に殉じると信じて死んでいった青年にはまだしも救いがある。しかし、誤った戦争であり正義なき戦争であると知りながら、その側に立って死んでいかねばならなかった青年の無念さはいかばかりであったろう。
現実に戦争が起こってしまえば、もはや自分の信念や思想をもってはどうにもならない。だからこそ、そこに至る前に食い止めねばならない。
それは、例えば映画「蛍」に登場した、祖国への侵略に荷担したとして家族にも遺骨を引き取ってもらえない朝鮮人特攻兵の無念にも通じる。
彼は出撃前、信頼する部下(高倉健)に密かに心情を明かす。「大日本帝国のために死ぬのではない。愛する(日本人)婚約者のため、家族のため、朝鮮民族の誇りのために死ぬ」と。

小泉総理が、特攻隊兵士の死を悼むなら、こうした無念さにも思いをはせるべきだろう。
単純に「国のために死んだ」と美化して済ます情緒的なナショナリズムに浸っていては、それこそあの戦争の教訓を汲むことにはなるまい。

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