無明抄

もの言わざるは腹ふくるるわざ・・。かなわぬまでも一市民の発言

ヒロシマを訪ねた若者達へ

2004-08-10 | 蟷螂斧:私的時事論談
今年も、8月4日から6日まで、若者達とともに広島を訪れた。
被爆者の痛切な体験を聞き、被爆跡地を巡る。
今年も若者達は、口を揃えて「戦争の悲惨さ」「平和の大切さ」について感想を語る。
たとえその日だけでもヒロシマについて考えた、それだけでもこの取り組みの意義はある、長い間そう思おうとしてきた。
しかし、今年はもうそうは思えない。

「戦争は本当に悲惨だ。今の平和を大切にしたい」
今年も、そう無邪気に言う若者に問い返さずにはいられない。
今、日本は「平和」なのか?
明らかに「戦場」であるイラクに、米軍の同盟軍として軍隊を派遣し、いつイラク民衆と戦闘を交えてもおかしくない状況になっていながら、「今は平和だ」「日本は平和でよかった」と言えるのか?
自分の国が、他国に派兵していても、日本に、自分の頭上に爆弾が落ちない限り「平和」なのか!

1945年の敗戦以来、私たちの先輩やあるいは私たち自身も、「二度と教え子を戦場に送るな」「若者を、わが子を、わが夫を、戦場に送るな」と誓いあい、戦争に繋がる動きや、あるいは間接的に戦争に加担することにも、時には命をかけて抵抗してきた。
60年には東大生樺美智子が国会正門で命を奪われた。68年には、日本が、そして自分が、間接的にせよベトナム戦争に加担していることを拒否しようとする学生反乱の中で京大生山崎博昭が命を失った。
しかし、そうした思いも空しく、今やまぎれもない日本の「兵士」が、米国の大義なき戦争の「同盟軍」として他国に侵駐している・・・。

ヒロシマで見た過去の惨劇は、今現在のイラクの惨劇だ。
「精密兵器による軍事拠点へのピンポイント攻撃」という虚構の裏で、地下壕に避難していた数百人の女性や子どもが、地中深くもぐりこんで爆発するバンカーバスターミサイルによって焼き殺された。
幼児を抱きしめたまま「蒸発」してしまった母の影が壕の壁に焼きついているという。
君は、ここに「ヒロシマ」を見ないか?
ボスニア紛争で、湾岸戦争で、アフガンで、そしてイラク全土で、米英軍が使った「劣化」ウラン兵器による放射能汚染とおそらくは化学毒性との複合被害で数え切れない子どもたちが傷つき、死んでいっている。
ヒロシマで放射線の被害を学んだ君なら、ここにも「ヒロシマ」を見るはずだ。

米軍の攻撃による民間人の「付随的被害」(米軍の言い草)は既に数万人に達し、今日も増え続けている。米国の忠実な僕となった首相が、いかに「人道支援」と強弁しようが、自衛隊が米の同盟軍として標的となるのは時間の問題だろう。
そのとき、君と同世代の「兵士」はイラク民衆に銃を向けなければならない。彼らに発砲するなと言えるだろうか?

こうした「今」などテレビの中の話とばかりに、「ああ、平和でありがたい」という感動をかみ締めるだけなら、それは「ヒロシマ」を見たとはいえない。それは単なる広島ツアーだ。それでは、「ヒロシマ」はただの昔話に終わる。

かく言いながら、僕自身も、この「今」に対して何ができるのかと思うとき、無力感に立ちすくむ。
イラクだけではない。世界は理不尽な悲惨に満ちている。大げさに嘆いて見せても偽善でしかないかもしれない。
それでも偽善でも無為よりましかもしれないと信じて、できる範囲でささやかに、せめて声をあげていこうと思っている。

ヒロシマを見た君よ、君の中で、ヒロシマを昔話に終わらせないでほしい!

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